小説 | ナノ
「臭ぇ臭ぇと思ったら、やっぱり手前か、臨也くんよぉ?」
「げっ、シズちゃん…。」
普段通り仕事をこなした帰り道、俺の大嫌いな臭いがしたと思ったら、案の定アイツが池袋に来ていたらしい。
バッタリ出くわした臨也に青筋を立てながら睨みを利かせる。勿論、そんな事がコイツに通用しないのは分かってはいるのだが。
「いい加減さぁ、しつこいよシズちゃん。何時までも俺にネチネチ構うのやめたら?」
「手前が池袋に来なけりゃ良い話だろうがよぉ?」
「そうしたいとこだけど、そうも行かないんだよねぇ。君も仕事の大切さは分かってるだろ?何しろ働かなきゃ生活していけない!働くって大変だよねぇ。俺だってわざわざ危険冒してまで池袋には来たくないさ。」
「だったらもう働かなくて済むように、俺が今すぐ此処で殺してやるよ。」
何時も通り口論して、何時も通り自販機を投げつけ標識を引っこ抜き、そして何時も通り鬼ごっこが始まる。
今日という今日は絶対殺す。
俺は臨也が大嫌いだ。
理由を逐一述べると、それはもうウンザリする程の長話になるものだから、ここは割合させてもらおう。
とにかく言えることと言えば、コイツは最悪的に性格が悪くて、俺はコイツが殺したいほど大嫌いだと言うことだ。
自販機も標識もガードレールも、ひらりひらりとかわされて、コイツに会った瞬間から感じていた苛立ちが余計に募る。
馬鹿にしたような嘲い声も、揶揄する様な眼差しも、全てが俺の神経を逆撫でして行って、非常に腹立たしい。それはそれはもう、これはコイツの才能では無いかと感じてしまう程の域だ。
殺したい。消えて欲しい。確かにコイツの言う通り、嫌いなら構わなければ良いだけの話かも知れなかったが、それはどうしても俺の本能が許さないのだ。
コイツを野放しにしておくのも釈だし、何より何度殺してやっても足りないほどの仕打ちを俺は受けてきた。
そう、俺は今までに様々な嫌がらせを受けてきたのだから、コイツは俺に何をされても文句は言えない。言ったら言ったで勿論俺がボコボコにしてやるまでだ。
人込みを掻き分け、アイツがスルリと逃げ込んだ路地裏へと突入したところで、俺は驚いてピタリと足を止める。
何故か奴が急に立ち止まったのだ。
「とうとう観念しやがったか、ノミ蟲。」
「あのさぁ、いい加減やめない?」
静かな声だった。
街の喧騒から隔離された様なこの狭い路地裏で、ポツリと吐き出された言葉はまるで凶器の様でもあった。
「何言ってんだ、手前。」
「最近ずっと考えてた。君はこれ以上俺に関わらない方がいいよ、シズちゃん。君の言うことも確かに一理ある。だから俺も極力池袋には来ない…これで良いじゃない。その方が君の為にもなる。」
「んだよ、それ。」
「だから、俺達は今日この日、今の瞬間から赤の他人だ。尤も、シズちゃんは元々そう思ってたかも知れないけど、さ。」
つらつらと吐き出される言葉におかしなところなど無かった。
そう、何一つ無かったのだ。
ただ、もうやめようなんて言われた事があまりに衝撃的過ぎて、俺は思わず言葉を失った。
これで臨也の様子が、何時もと寸分違わずおどけた様な馬鹿にした様な、あの憎たらしいものだったなら俺はそんな風には思わなかっただろう。
今の臨也は、俺が知っている奴とはまるで異なっていて、知らずと心が焦る。
コイツが何を言っているのかがよく分からなかった。
やめる?何言ってんだ。これが俺達の通常あるべき姿だろう。
この追いかけっこをやめたなら俺は誰にこの憎しみをぶつければいい?
言いたいことが沢山ありすぎて、言葉にならない。
まるで水を失った魚の様な気分だった。上手く呼吸が出来ないような、この感じは何だ。
いや、そんなことより、コイツは誰だ?
臨也に決まっている。
でも俺はこんな奴を知らない。
おい。
コイツは、誰だ?
頭の中がこんがらがる。
何時も通りそんな要求飲めるか、と、拳を振りかざしてやればいい。そう思うのに、何となく俺は、そうしたところできっと意味が無いことを知っていた。
その核心が何処から来るのかなんて分からない。強いて言えば、そう、これはある種の直感的なものなのだと思う。
「いざ、」
「ごめんね、シズちゃん。」
もう行かなきゃ、と言う臨也の表情は笑っていた。
あぁ、糞っ!
ごめんって何だよ。何で手前が謝る。いや、違うな。手前は俺にいくら謝ったって許される訳ねぇんだよ分かってんのか。
そんな風に山ほど浮かんでくる罵倒は、結局声にはならなかった。
まるで違和感の無いその表情が、逆に違和感だらけな事をコイツはきっと知らないのだろう。
何故か奴が泣きそうに見えて、思わずドキリとしてしまう。
「バイバイ。」
そう言って、くるりと踵を反し闇に消えていく臨也を引き止めようとして、やめた。
言葉が喉につっかえる様な感じがしたが、それを無理矢理飲み込む。
これで良いじゃないか。もう奴が俺に一切構わないならそれで。
そう思ってしまった瞬間、今まで奴に執着するかのように殺し合いを重ねてきた理由が、全て砕けて粉々になってしまった気がした。
今まで奴を殺す為に掛けてきた時間の全てが無駄だった様な気さえする。
これからが平和になるならそれが一番だと思うくせに、それを素直に認められない俺の、この苛立ちは何なのだろうか。
もうそんな事を考える事すらも無駄なのだろうか。
あぁ、イライラする。
ついでにムカつく程後味が悪い。
ガシャン!と、苛立ちを吐き出す様に手にしていた標識を思い切り地面に叩き付けた。
その苛立ちすら錆びてしまったかの様に、何だか呼吸をすることすらも億劫に思えて、何故だか泣きたくなったのはきっと気のせいでは無いのだろう。
(お前まで俺を見放すというのか、)