小説 | ナノ

恋する男の顔だ。
そう上司のトムさんに言われてから、半月程が経った。
俺と臨也の関係は相変わらず家主と居候と言う、所謂同居人同士のままだ。

それで良いと思う。
これで良いのだと思うし、別にこの関係が変われば良いとも思わなかった。

俺が臨也に抱く感情は、家族に対する愛への渇望であって、それ以上でも、それ以下でもない。
そう思って居られる内は、これが恋だとか、或は愛だとか言う、自分自身あまり知り得ない感情ではないと信じて居られる自信があった。

「桜が咲いたね。気温も大分暖かくなったし、お花見に行きたいなぁ…」

天気の良い休日だった。
縁側で俺の隣に腰掛け、浮いた足をプラプラとさせながら、鼻を啜った臨也が言った。
白い使い捨てのマスクが、奴の口元から鼻先にかけてを包むようにして覆っているのを横目に、俺は何時ものようにタバコを吹かす。
なんてことはない、何時もの光景だった。

最近徐々に気温が高くなり、若干の肌寒さを感じつつも、俺達の憩いの場は茶の間から縁側へと移動したのだ。
季節の移ろいは早い。

臨也と出会った時は、こうは行かなかった。気温云々と言うのも勿論あるが、俺が臨也に気を赦す事が出来なかったのだ。
こうして縁側に並んで座り、茶菓子を摘みながら温かな緑茶を啜るなど、誰が予想出来ただろうか。
俺自身想定外の出来事である。

ずず、と啜ったお茶が温かい。外は緑の匂いで溢れていた。
「4月馬鹿」と言う言葉があるが、これは確かに浮かれもするのだろうな、と、長閑な午後の庭先を見てそう思う。
過ごしやすい気温になれば浮かれもするものだ。
実際、寒過ぎるのも熱すぎるのも嫌いな俺は、心の何処かで浮足立っている節があった。

「バーカ。その重度の花粉症じゃあ、花見どころじゃねぇだろ」

「酷いなぁ。もうちょっと労る気持ちとか無いわけ?」

「所詮花粉症だろ?」

「所詮って言うけどさぁ、これ、結構辛いんだからね?」

ふて腐れた様に唇を尖らせる臨也に、自然と頬が緩んだ。こう言った幼子の様な行為は、性格に反して可愛らしいと思う。
性格もこれぐらい丸くなれば良いのに、とは思わなくも無いが、これを言うと二倍三倍になって避難が飛んでくるので、あえて口を開く事はしなかった。

そんな俺と臨也の間に鎮座する皿の上には、如何にも安っぽい串団子が綺麗に積み重なっている。
団子が安かったから、と言って臨也が適当に買ってきたものだ。その串団子を適当に一つ取り、パクリと一番上に突き刺さっている団子を頬張る。
甘じょっぱいみたらしが咥内に広がり、何だか幸せな気分になった。

「ま、桜は遠いけど、それなりに花見らしい事が出来てるから良いんだけどね」

隣で同じ様につぶあんの乗った団子をかじる臨也が、ポツリと呟いた。
この縁側から見える近くの公園では桜が満開らしく、少し遠くの方で綺麗な桃色が列を成していた。

臨也の言葉に返事を返すでもなく、ただもくもくと団子を咀嚼していた俺に対して、文句の一つも飛んで来ない辺り、きっと臨也は分かってくれているのだと思う。
そして恐らく、俺も臨也と同じ気持ちなのだ。

桜にあまり興味は無い。臨也はきっと俺以上に、桜に対して興味なんてないのだろう。ただ二人並んで、こうやって今みたいに穏やかな時を過ごしていたいのだ。俺も、臨也も。

別に近くで桜が見れなくとも、きちんと花見が出来なくとも、ただ何時もの様に二人でのんびり過ごす事が出来れば、互いに満足なのである。

「飽きちゃった」と呟いた臨也が、それまで食べていた団子を俺の口元にズイッと近付ける。
飽きたと言われた団子は、一番上の一粒が半分程欠けた状態だった。
飽き性にも程があると思いながらも臨也の手を串ごと掴み、押し付けられたそれをパクリと頬張る。ちゃっかり大人しく団子を手渡された俺は、ほとほと臨也に甘い。

もぐもぐと団子を咀嚼する俺に、満足そうに目元を緩めた臨也が、両手を上に伸ばし、ぱたりと仰向けに寝そべった。
日差しが眩しいのか、その目元は煩わしそうに細められている。

「こう言うのんびりとしたのはさ、俺には無縁の関係だと思ってたんだよ」

「…奇遇だな、安心しろ、俺もだ」

「だからさ、ちょっと自分のやるべきこととか、忘れちゃうん…だよね…」

眠たいのか、欠伸混じりに呟かれた言葉に、団子を持つ手がピタリと止まる。
臨也の言う「やるべきこと」が、妙に引っ掛かったのだ。
うとうとと、目を閉じたり薄く開いたりを繰り返す臨也は、今にもまどろみのその奥へと落ちてしまいそうだった。

「何だよ、やるべきことって」

「…やっぱ、さっきの、無し。忘れて。今はまだ…このまま、で…」

すぅ、と、小さな寝息が聞こえ、俺は拍子抜けしたとばかりに、妙な緊張で上がり気味だった肩をストンと下ろした。
時折臨也はこうなのだ。
俺の知らない一面をチラリと見せて、俺を不安にさせる。
計算なのか無意識なのかは計り知れないが(何しろ頭の良い男だ)、俺はこう言った時の臨也が嫌いだった。
知らない事が不安なのだ。
何でも知っていたいと思う。そう言うと、きっとまたトムさんがそれは恋だと断言するのだろうが、やはりそれとは少し違う気がした。

隣で寝息を立てる臨也の髪をそっと撫でる。思った以上に柔らかで指通りの良い髪の感触を、俺は今、初めて知った。

「知らないことだらけなんだよな、もともと…」

俺は臨也のことを良く知らない。
知っているのは本名か偽名かも定かではない臨也と言う名前と、意外に料理が上手いこと。拗ねた表情が見た目よりずっと幼いと言うことと、恐らく余り宜しくない仕事をしていること、そしてこの髪の感触ぐらいだ。
勿論他にも挙げようと思えば幾らかあるのだろうが、知らないことの方が多すぎるのは目に見えていた。

「お前は俺のこと、どこまで知ってるんだろうな…」

静かにそっと吐き出した言葉に返答はなく、暖かな縁側には臨也の小さな寝息と、鳥の鳴き声が聞こえるだけで、あとは何も聞こえなかった。

知らないことが多すぎて、何時か夢みたいに臨也が消えてしまうのではないかと、俺は思う。
そうなった時、臨也が居たと言う確かな証拠を持っていない俺は、きっと今みたいに愛に渇望しながら臨也を探すのだろうと思うと、自然と自嘲的な気分になった。

「こんなに知りたいのにな…」

ぽつりと搾り出すようにして吐き出した言葉は、春のまどろみの中で桜と共に散って、消えた。

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