小説 | ナノ

「そう言えばさぁ、シズちゃんって何で実家で一人暮らししてんの?」

唐突に問われたその一言に、背筋が凍る様な思いをしたのは、麗らかな休日の午後のことだった。
そこに居るのが当たり前になってしまった臨也との同居生活は、かれこれ既に三ヶ月目に突入していた。

何故俺が実家で一人暮らしをしているのか、それは俺にとって余り触れてほしく無い部分の一つである。
目の前で一緒になって炬燵でゴロゴロとしている臨也は、そんな俺の気も知らずにこてんと首を傾げつつ、呑気に蜜柑を剥いていた。

「ねぇ、何で?」

「何でって…普通察しつかねぇか?」

「両親が亡くなったとか?」

「あー、いや、死んだわけじゃねぇとは思うけどよ、まぁ似たようなもんだろ」

母親は俺がまだ小学生の頃に、幼い弟を連れて出て行ってしまった。
弟に対する記憶は、正直な話余り無い。ただ、物静かで手間のかからない、よく出来た子供だった気がした。
俺は弟のことが大好きだったはずなのだが、顔すらハッキリと思い出せないのだ。それだけじゃない。俺の記憶は、何故か家族に関する部分が酷く曖昧だ。それが何故なのかは分からないが、何となく、自分自身が忘れてしまいたかったのではないかと、今では思う。
家族に対して、いい思い出と言うのが極端に少ないのだ。
母親は俺を見捨てて出て行ったし、父親は化け物の俺を忘れたかったのか、異常なまでに仕事に没頭した。
母親に連れていかれた弟は全く悪くないにしろ、とにかく俺は家族全員に突き放されて、一人になったのだ。

「思うけど、って?」

「あー、母親は昔出てったきりだし、父親は…良く分かんねぇけど行方不明なんだわ」

「ふぅん…複雑な家庭の事情ってやつだね」

蜜柑の皮を剥き終わった臨也は、更にそのまま白い筋を丁寧に剥きながら、どうでも良さそうに呟いた。
つか、聞いておいてその態度は何だ。その態度は。それからその白い筋に栄養があるんだからちゃんと食え。そう嗜めてやりたい気持ちもあったが、呑気そうな臨也の顔を見ていると、何だかそれすら馬鹿馬鹿しく思え、俺は大人しく口を閉ざした。
元々口でコイツに勝てた試しが無いので、俺にしては賢い判断だった様に思う。

「シズちゃんのお父様は何の職業に就いていたのかな?」

「あぁ?んなこと聞いてどうすんだよ」

「うん?何となく?」

ツルリと綺麗に剥かれた蜜柑に満足そうに顔を綻ばせ、臨也が言った。
何となくで他人の家庭の事情を根掘り葉掘り聞かないで欲しいとは思ったものの、特に聞かれて困る訳でもなかったので「警察官だ」と俺は何気無しに答えた。

「警察官って…もしかして池袋警察の人だったりする?」

「…何で知ってんだよ」

「いや、前に一度助けて貰ったことがあったんだけど…へぇ、行方不明になったんだ」

親父を知っている口ぶりの臨也に、再び背筋が凍る様な錯覚に陥る。知らなかった、と言う臨也の表情は何時ものことだがどこか胡散臭い。
やはり初めて見たときに思った通り、コイツは何かを知っている様な気がした。
勿論それは俺の勘でしか無いわけなのだが、こういう時の勘は何故か良く当たるものなのだ。

綺麗に剥かれた蜜柑を、臨也がパクりと一つ口に押し込む。
相変わらず、臨也は読めない表情を浮かべ、こてんと首を傾げて俺を見た。

「どうかした?」

「いや、何でもない…」

「ふうん?」

何か知っているんだろ?
そう聞いてしまいたかったが、聞いてしまえばコイツも消えてしまう気がして、やめた。
何だかんだ、俺はいつの間にか臨也に依存していると気付いたのはここ最近の話だ。
失いたくないのだ。このまま、コイツに傍に居て欲しいと思う程には、俺にとって臨也は大切な存在に成り上がってしまっていた。

きっとコイツは俺の知らない事を知っている。
それでも、好奇心で奴の持っている秘密の箱を開いてしまえば、全てが嘘の様に消えてしまう気がして、俺はぐっと言葉を飲み込む他無かったのだ。

「ねぇ、シズちゃん…知らない方が幸せな事っていっぱいあるよね」

また一つ、蜜柑を頬張り、臨也がポツリと言った。

「世の中一体、何が正しいんだろうね」

何が間違いで、何が正しいのか。そっと吐き出されたその疑問が、誰に向けて呟かれた物なのかを、無知な俺は知る由も無い。
ただ、妙に俺の心に響いたその言葉は、まるで臨也が自分自身に言い聞かせている様にも思えた。

「んなの、知るかよ」

絞り出す様にして呟いた言葉に臨也の表情が切な気に揺らぎ、ジワリと俺の胸が焦がれる。
庭に埋められた梅の花が、蕾を付けていた。春が近づいている。
違いの間に小さな亀裂が入ったのは、まだ寒い、二月のことだった。



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