小説 | ナノ


おー、と、短く返事を打ち込んだ後に、パタンと携帯を閉じる。
もう使いはじめて三年目になる手の中の機体は、普段乱雑に扱っている所為か、随分とくたびれてしまっていた。

どうやら今日の夕食はシチューらしい。個人的にクリームシチューだと尚嬉しかったのだが、俺の好みを熟知している臨也のことだ、恐らく捻くれ者の奴は業と俺の好みに沿わない方を作ったのだろう。そんな子供っぽい臨也の様子が用意に想像できて、思わずふっと笑ってしまった。

寒々しい、それでいて閑散とした池袋を、早々とした足取りで歩く。

結局、あのまま臨也が我が家に住み着いて一月が経った。
次の日には出て行くと言っていた臨也は、翌日、あの雨の中を闊歩した所為か高熱を出した。
流石に病人を追い出すのはしのびないからと、期限を延期させたっきり、臨也は出て行くのが億劫になったらしい。
俺も俺で、追い出すのも面倒になり、結局そのまま臨也が家に住み着くこととなった。
実は臨也との同居が、意外に居心地の良いものだったというのも理由の一つなのだが、これは俺だけの秘密である。そんなことを口走ろうものなら途端に奴は調子に乗るだろうから、絶対に口にすることは無いが、何だかんだ奴との生活は楽だった。

一緒に暮らしてみて分かったことは、奴は意外に料理が上手いこと。そして、余り人には言えない仕事をしているらしいと云うことだった。
毎日帰る度に、奴はどこから持ち出したのか分からないノートパソコンを、カタカタと鳴らしている。
何をしているのかと問い掛けたこともあったが、何時も「仕事だよ」と曖昧に微笑まれるだけだった。
なので俺も、そうか仕事なんてしていたのか、と、余り深くは聞かないことにしていたが、表だって人に言えるような健全な仕事で無いことは何となく分かっていた。

俺の平和島静雄という名前には、実は俺の願望も含まれているのでは無いかと、自分で付けた訳でも無いがそう思う時がある。
平和に静かに暮らしたい俺としては、厄介事に巻き込まれるのは心底御免だ。なので奴の仕事は、奴をこの家に置いておくにあたってのリスクの様なものだと思っている。

ならば何故俺はそんなリスクを背負ってまで、奴をあの家に置いておくのだろうか。

何度かそんなことを考えてみたが、未だに答えは出ないままだった。
奴に手渡された金には、一切手を付けていない。また、好きにして良いと言うアイツの身体も然りだ。

「抱かないの?」と、一度不思議そうに問い掛けられたことがあった。
正直な話、臨也の顔は好みだ。白い肌も、艶やかな黒い髪も、勝ち気な赤い瞳も美しいと思う。
同じ男だという常識がそうさせるのか、はたまた出会った当初に感じた薄気味悪さがそうさせるのかは分からないが、つまり奴を置くことに、デメリットはあるがメリットは何一つ無いのだ。
勿論、手付かずの大金は臨也が出ていく時にでも突き返すつもりだ。

じゃり、と、踏み締めたアスファルトが小さく悲鳴を上げる。
既に頭上の空は夕闇に染まっていた。

今日も池袋駅の周辺では夢見る若者が、路上ライブやらパフォーマンスやらを繰り広げている。
ふと、自分の夢はなんだったかと、同年代ぐらいのミュージシャンを見つめて物思いに耽った。
幼い頃は戦隊物のヒーローだった気がする。
物思いがついた頃には、警察官だっただろうか。

そんな昔の記憶を引っ張り出し、ふと笑う。
そうだ、警察官になりたかった時代もあった。今ではどうだろうか。

(警察官どころか、俺は、)

そこまで考えて、思考を振りほどく様に頭を振る。
そんなことなど、考えたくも無かった。
俺は平和に静かに暮らしたい、ただの取り立て屋だ。それ以上でも、以下でも無い。それで良いじゃないか。

自分に言い聞かせる様にして、タバコを取り出したがいかんせん気分では無かった。
寒い中、固まる様に喫煙所に群がる人込みに紛れようかとも思ったが、家で待っているノミ蟲が早く帰ってこいと言っていたのを思い出して、止めた。

こうして料理を作って、俺を待っていてくれるアイツの存在に、もしかしたら俺は幾らか救われているのだろうか。
手にとった水色のパッケージをそっとポケットに戻しながら、そんなことを考える。

メリット等一つも無いと思っていたが、実はアイツの口にする「お帰り」と言う言葉が既に、密かに寂しがり屋な俺にとっては一番のメリットなのかも知れなかった。

何かの歌だったか、あるいは小説だったかが、「近くに在るものほど、人はそれに気付けない」と言っていたのを思い出す。

ふと、奴の事を思い浮かべた。形の良い唇をゆったりと吊り上げ、あの勝ち気な瞳を優しく緩ませながら俺を出迎える、あの男の事を。
認めるのは何だか癪だが、「近くに在るものほど、人はそれに気付けない」とは、成る程その通りなのかも知れなかった。
何だか奴の存在が急に恋しくなった俺は、底冷えのする都会で、身を震わせながら早く家に帰ろうと歩みを進めるのであった。


2011.03.09 加筆修正





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