失したものがある


『ふ…っざけんな!馬鹿!もう知らない!』

「ああ、そうか。好きにすればいい」

休憩中にお手洗いに行って帰ってきた黄瀬は、いきなりの怒声にひくり、と口の端がひきつく。周りにいた他の部員たちは事の発端は分からないものの、なんとなく察しがついているらしく、せっかく拭った汗とは別の汗が背中に流れるのを感じた。
一部の部員に関しては恐る恐るというか、ビビってるというか、見守ってるというか…。その間も誰も一言も喋らず、我が部の主将ともう一人の主将が背を向け合い離れていった。

「あ、の黒子っち。一体何があったんスか…?」

「見て分かりませんか?痴話喧嘩ですよ」

近くにいた黒子に内緒話をするような小声で問いかけて、返ってきた言葉は痴話喧嘩。あの二人が喧嘩なんて珍しい…。


ーー我が部、バスケ部主将と、女バスの主将は恋人同士である。いつ恋に発展し付き合い始めたかは定かではないが、聞けば数えれば長くはないが、長い付き合いだと、二人揃って言う程仲が宜しい。

女バス主将の名はみょうじなまえと言い、黄瀬自身あまり話したことなく、数は片手で数えられるほどだがそれなりに出来る女だと思っている。成績も良く、面倒見もいい。キレ目のある目に大人っぽい雰囲気、かと言えば子供のような表情。
まるで彼のために用意されたような方だと黄瀬は思った。本人はそんなことはないと、私にはもったいない人だと照れながら否定していたが。
隣に並んでいても、全く違和感はない。

仲のいい二人だったが、目の前で喧嘩が起こるなんて初めての光景だった。何度か喧嘩はしたことあるようだがどれもすぐに終わる、いや終わらせてるらしい。
ならば今回もまたすぐに終わるだろうと誰もが思っていた。彼も、赤司もそう思って休憩時間の終わりを告げる笛を鳴らす。

その笛の音がまさか長期に渡る喧嘩の始まりとも知らず…。





笛の音が反対のコートから聞こえ、私たちも休憩を終了させようとして、やめた。なんだか釣られてるような、仲が良いみたいな。同じ事をすると言うことですら腹が立ってしまう。
近くにいる部員たちは様子を伺うような目で何ともこっちをちらちら見る。その目さえ腹立たしくて。でも人に当たるわけにはいかないから今はぐっと堪えた。

『…ね、10分のミニゲームとかどうかな』

「いいね!やろやろ!はいはーいみんな集合!」

チームメイトで仲の良い友人にゲームを提案したら快く賛成してくれた。代わりに号令まで。ありがたいけど申し訳なかった。一言謝ると彼女は気にしないでと明るく否定するのだ。本当に良い友人を持ったものだ。
そして先程のことに誰も触れてこない部員たちにも感謝だ。おかげで気持ちよく発散できそう。

適当にチームを組み分けて簡単なルールを伝えてゲーム開始。一度目は参加せず外野から指示を出したりぼーっとしたり、と主将にあるまじき行為だが許して欲しい。まだ完全に切り替えが出来ていないんだから。

「守りが甘いぞ!もっと動け!」

隣のコートから聞こえてきた声にふと振り返る。声の主は先程私が怒鳴った相手で今最も視界に入れたくない人物。赤司征十郎、私の恋人。
事の発端は些細なことなんだけど、中々納得が出来ずあそこまで怒ってしまった。周りの部員たちには申し訳ないことをしたと今は反省している。でも全てあの人が悪い。…いや本当は…。

すぐに目線を逸らした先にいたのは先程の友人。心配そうにこちらを覗いている。いつから見られてたんだろうか。

「なまえ大丈夫?ちょっと休む?」

『ううん、大丈夫。ありがとね』

目の前の友人に笑顔で応えて視線をコートに移した。やっぱ一回目から入っとけばよかったかなーとちょっとだけ後悔。

時折聞こえる彼の声に先程の事がフラッシュバックするも、よくよく考えれば何故あんな風に怒ったのか、何故イライラするのか分からない。些細な事、だとしか覚えていない。ならなんでこんなに怒ってるんだろう。早く仲直りしなきゃ、いけないんだけど。
やつぱり彼から謝って欲しい。いや、あの人は全く悪くないんだけど。あーぐるぐるする。

再度目線を逸らし言いようのない気持ちを吐き出すように息を吐いた。



(どれだけくだらないとしても、私にはくだらなくなんかないの)


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