ふわふわと優しい温もり。ふかふかで気持ちいい。優しくって温かい。これは昔どこかで同じようなことがあった気がする。
ふ、と目を覚ます。そこは青くもなく水もなく、外に出た時のような風もない。乾いてるような感覚が襲う。外で話声がする。でもどれもぼそぼそで聞こえやしない。海の中でしてきた呼吸も、なんだか違う感覚がする。

そういえば、ここはどこだ…――?

がばりっ、勢いよく起き上がった紫苑は辺りを見回した。ここは自分の知ってる場所ではない。見たこともない、不思議な所。自分はどうしてここにいるのか、どうして、外にいるのか。思い出そうとした、その時だった。
ガチャリ、と聞いたこともない音を響かせて、周りの色の違う小さな枠――それでも人は余裕で入れるほどの大きさだが、彼女は分かっていない。――から人間が入ってきた。それも一度どこかで、いや違う、自分が会いたくて会いたくて仕方なかった人だ。
海とは正反対の赤い髪に、同じく赤い瞳、間違えるはずない。あの日船の上で見かけて、少し前に海に落ちて自分が岸へ連れて行ったことも。全部覚えている。


「やあ。起きたかい?」


トクン、と胸が高鳴る。それがあなたの声なんですね。自分に問われた些細な質問なだけなのに紫苑は確かに高揚した。それが何を表すのかまだ分からないけれど。でも悪いものじゃないのは分かっていた。
そうだ、確かこの人に会うために人間になったんだ――。

赤い髪、赤い瞳を持つ彼は優しい目紫苑をして見ていた。不思議と彼女は放っておけなくて、本来ここではない場所に連れて行かれる筈だが無理を言ってここに置くことに成功した。あの時見た人魚に彼女はとても酷似している。どうしても彼女とあの時の女性が別人と思えなくて、けれど同一人物か?なんて聞けるはずもなくまずは様子をしようと考えた。世界には自分と同じ人間が3人いると聞くが本当だったのかもしれない。

紫苑は赤い髪の青年に控えめに頷いた。ただそれだけなのに青年はそうか、と優しく微笑むのだ。あまりに綺麗に笑うものだから、一瞬息が止まるのと心拍数が上がったのは気付かないフリをした。

今一度確認しよう。
自分がなぜ一時的に尾鰭を失ってまで人間の足をもらったのかを。


「どうした?」


すぐ近くで声がしたことに気付く。
いつの間にか俯いていた顔を上げると目の前に青年の顔が見える。どうやらベットの横にまで来ていたようで驚いて青年の反対側に仰け反って少しだけ距離を取った。
なんでもないと慌てて首を横に振るが、青年は何が面白いのか口元に手を当てくすくす笑い出す。
よく分からない恥ずかしさと青年の綺麗で控えめな笑いに赤くなる顔はどうやったって隠せない。

人間になったことに色々と忙しい。人魚の頃はそんなことなかったのに。


「すまない、驚かせてしまったね」


漸く笑いが収まったらしい青年はこちらを真っ直ぐ見つめている。…未だ笑いを耐えていることには目を瞑っておこう。


「まずは自己紹介しようか。僕は赤司征十郎。この家の者だよ。君の名前は?」

『……紫苑、です』

「そう、紫苑か…」


少し悩んで名前を言ってしまったがいいのだろうか。赤い髪の人…赤司征十郎、さん。赤司さん。この名前は絶対に忘れないようにしよう。そして胸にしまっておこう。大事に、大事に。

赤司は紫苑の名を聞くと何度か呟いた。そしてうん、と一人頷いたのだった。


「ところで紫苑、君はどこから来たんだい?岸に流れ着いていたみたいだったけど」

『…あ、えと、海で溺れたんです。私、泳げないから』

「そうか…。運よく僕が居たからよかった」


咄嗟の嘘だったが何とか通せたようだ。一応人魚であることは秘密にしなくてはならないし言うつもりもない。仮に海から来ました、なんて言ったところで頭のおかしい奴にしか見えなくなる。でもまさか自分を見つけたのが探していた人物だったのは驚いた。

いきなり会えたはいいが、これからどうしよう。そんなこと全く考えていなかった。人間でいられる期間は1ヵ月。その間に彼を探し、見つけたら見つけたで私の心と相談…?そんな事ばかり考えていた。でもまさか探していた人間に拾われていたなんて誰が予想できただろう。

突然考え込む紫苑を見兼ねてか、はたまた偶然か、赤司は紫苑にこんな提案をしてきた。


「なにやら考えているところ申し訳ないが…しばらくの間ここにいてはくれないか?」


それは願ってもない提案だった。予想外か理解してないか、きょとんとする紫苑に赤司は続ける。


「君は海から…恐らく異国から来たのだろう?ならその国の船を見つけなければ君は帰ることはできない。だからその間だけここにいればいい、ということだ」


…ごもっともである。
異国、という点に関してはまあそうなるのだろう。間違っていないし帰るための尾鰭がない。特に何も間違ってはいない。とてもありがたい提案だが素直に受け入れてしまってもいいのだろうか。
1ヶ月。それは短いだろう。されど長い期間だ。それまでにこの人の住む場所に居座って自分が求める答えは出るのだろうか。例え出なくても、1ヶ月で終わってしまうのなら…後悔はしたくない。


『…では少しだけ、お世話になってもよろしいでしょうか』

「構わないよ」


ニコリ、そう優雅に赤司は微笑んだ。だが紫苑の見間違いでなければ、僅かに嬉しそうに微笑んだ気がした。

この人は、とても心臓に悪い。
なんだが自分の容姿を分かってるみたい。

人魚たちも綺麗で美しい人魚はたくさんいた。自分の姉や少し遠い海域に住む人魚。けれどこの人はまたそれと違うな、と紫苑は密かに思った。



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