何も告げられない僕の手を握りしめたまま、君は泣いた。


「こんばんは、早妃嬢」

『あ…こんばんは、キッドさん。どうぞ』


カタ、とベランダの方で物音がして何の迷いもなしにベランダに向かうと、そこにはもう見慣れてしまった白い鳥が一人佇んでいた。犯罪者、というレッテルはあるものの、彼は基本優しいし紳士だし何も怖がらなくていい。いつものように部屋に招き入れ、外は寒いから温かい飲み物でもご馳走する。最近ココアにハマっているから、ココアしかすぐに出せるものはないけど。そう言ったら彼は少し笑う。構いませんよ、私も好きです、と。


「いつもありがとうございます」

『ううん、態々ご苦労様。毎度飽きないね』


言って指さすのはテレビ画面。ちょうどキッドの犯行の様子が流れている。彼は数秒見た後仕事ですからねとココア飲んだ。

今でこそ普通に話せるが、初めてこの場所で白い彼を見てしまった時は驚いたものだ。初めて彼が来た時は雨で、背後にいる私に気付いた後彼は口元に一指し指を立て「少し、雨宿りをさせてください」と弱弱しく言った。外は酷い雨だし、キッドは犯罪者の前に人で。人として、この雨の中お帰りくださいなんて酷いことは言えないので直ぐに了承した。


『けれどそこではあなたが風邪を引いてしまいます。中へどうぞ』


あの時の彼の顔は面白かったなぁ、と一人思い出に浸っていると前の方から視線が突き刺さる。今前を見たら絶対目が合う気がする。自意識過剰というわけではないが、そんな気がするだけの予想。突き刺さる視線に耐えきれなくて俯いた。


「何か考え事ですか?早妃嬢」

『え?…うん、そう』

「まさか私を警察に突き出そうか考えて」

『違う!断じて違う!!』


慌てて顔を上げて強く否定すれば彼はくつくつと楽しそうに笑う。なんだろう、分かってて言われたこの感じ。すぐにからかわれたのだと気付き一言申した。
そんな感じで今じゃもう普通に話せるほど、仲良くなってるっていうのもあって彼はここにやってくる。…というのも全て私の推測に過ぎないが、大体合ってるんじゃないかと思う。そうであってほしいと言う私の願いでもある。


「早妃嬢は素直なお方だ」

『また適当なこと言って…』

「おや本当の事ですよ」


――こっちの彼とはこんなにも話せるのに、どうして向こうじゃあまり話せないんだろう。私から話しかけてもいいんだけど、どう考えても色々と不自然すぎる。そんなに仲良くもないのにいきなり話しかけても、なあ。と昼間のことを考えてた。やっぱり用がないと不自然すぎるよね…。

彼は知らない。私がキッドの正体を知っていることに。
彼は知らない。私がある友人に恋をしていることも。

今のこの僅かな時間でさえ愛しく思う。この時間がずっと続けばいいとも思ってる。だってそれはあまりに幸せであまりにも安心するのだ。
でもそれは長くは続かないもんだと物語は言う。


「早妃嬢」


彼が纏う雰囲気が一変。辺りの空気は穏やかなものから緊張したものへと変わる。彼は空気を一瞬にして変えるマジシャンでもあるのだろうか?
なあに?とでも言うように彼に目をやれば、無表情に近い顔をしたキッド。一瞬だけ目が合う。暫くしてゆっくりとした動作で重そうな口が開く。


「いつも、休ませてもらっていることには感謝しています」

『…改まって、どうしたの?』

「ですが、それも今日で最後にしようと思うのです」

『………え?』


頭が真っ白になった。夢なんじゃないかと思った。でも掌で包んでいるマグカップの温もりにこれは夢じゃないと現実を突き付けられ、今度は目の前が真っ白にある思いだった。
今すぐに彼に詰め寄ってでも理由を聞きたい。必死で理性を繋ぎ止めてその衝動を抑える。全く想像してなかった今の現状に、どうすればいいか分からない私の手は微かに震えている。
そして次の一言で必死に繋げていた理性も耐えるに耐えれなかった。


「もう二度とあなたの前に現れることはないでしょう」


ガタンっ

椅子が動く鈍い音を耳で拾いながらキッドを見つめた。私の行動に驚いてる表情が、上からだとよく見えて。まるで彼そのもの。その表情にドキリと胸が高鳴る。
一瞬で冷静さを取り戻した私はこの後どうしようかと焦って、なんで動いたんだとか、でもこのまま何も言わなけば私ただの変な人で。それだけは避けたかった。


『に…二度となんて、悲しいこと言わないでよ…っ!』


なんとか本心は言わずに、一度切れた理性を再び必死な思いで繋ぎ止めておきながら、それらしいことを言うという選択に走った。驚いていた顔もすぐに消え、また無表情に変わっていくキッドは、今何を思っているんだろう。感情を読むことすらできない仮面をつけて、またあの不敵な笑みを見せるのだ。

私知ってるんだよ。笑っているようで笑ってないあなたの顔に。
それは少し困った時に使う笑みだよね?


「早妃嬢からそのようなお言葉をいただけるとは…嬉しいですね」


最後になるにつれその笑みは優しいものへと変わっていく。そのあまりの分かりやすさに今度は私が言葉を失った。


『き…』

「ですが、すみません」


ぴしゃりと言い放ったキッドに、泣きそうになった。もう既に決心していて何を言っても無駄な気がして、それが更に不安で怖くなった。
もう、我慢できなかった。


『い、行っちゃやだ…どこにも行かないでよ…』


黒羽くん。口には出さす心の中で彼の名前を呼んだ。
キッドは何も言わず、そっと私のもとに来て背中を優しく撫でてくれた。その心地良さと、ふわりと漂う彼のものに目を閉じた。

…閉じた視界で浮かんだある人の姿。彼はいつもクラスの人気者で可愛い幼馴染がいた。私はそれを遠目に眺めて、周りと一緒に彼のマジックを見て楽しんでいた。二人の仲を冷やかすギャラリーを見て少し胸が痛んだけど二人ならお似合いな気がして微笑ましく見ていた。

ある時私は彼が怪盗キッドだと知った。…本当に偶然だった。
夜コンビニに行った帰り、高いビルに一羽の鳥を見つけて、それをぼうっと眺めていたら突然その白を脱ぎ捨てて、現れたのはクラスの人気者の彼だった。とても信じられないものを見てしまったけど、視力はちょっといい方なので見間違いなんてありえない。
それから彼が怪盗をやる理由も、これまた偶然…なわけじゃないけど知って、無事全う出来るまで密かに彼を応援しようと決めた。

そう決意した矢先、雨の日に怪盗キッドがやってきて、それからだ。
手厚くもてなしたのが気に入ったのか、彼は仕事終わりにここにやってくるようになった。それと同時にキッドとも仲良くなり…。
仲良くなっていくごとに前よりどんどん彼を好きになっていって、毎日学校で彼を見かけるたび緊張してドキドキしていって、微笑ましく見ていたはずのあの瞬間もいつしかそういう風に見れなくなっていき、目を伏せるようになった。

そうだ、私応援するって決めてたんだった。思い出すまで覚えてなかったや。私ってば…本当自分勝手。でも最後っていうなら知っていてほしい。私があなたを知っている事、それから私の想いも。
私もこれで最後にしよう。


『…ごめんキッド。そうだよね、やることがるもんね』

「…え?」

『取り乱しちゃってごめんなさい。本当…』

「早妃嬢?」


さっきとは様子のおかしい私を変に思ったのか、私の顔を覗き込むように腰を曲げるキッド。目と目が合った瞬間、キッドの目が大きく開かれる。――今、キッドの顔が目の前にある。黒羽くんが、近くにいる。
こんなに近くにいるのに傍に行けないのは、寂しいなあ。これからもっと離れちゃうの、かな。


『ついでに私のお願いも聞いてもらえる?』

「なん、でしょうか」

『…どうか無事に…帰ってきてね。黒羽くん』

「!」


ああ、今私はちゃんと笑えているだろうか。








「早妃…」


腕の中で眠ってしまった彼女を優しく抱き、静かにベッドに横たわらせたた後、さらさらと前髪が重力に従って下に垂れていく様を見ていた。規則正しく息する彼女は、先程とは、学校で見せる顔からでは想像出来ないほど可愛らしい寝顔をしている。

最初は何事だと思った。けどあれだけ必死だった理由も、全て俺を思ってだと思うと辻妻が合う。ピッタリ線が引かれたと思うと嬉しくなった。彼女が眠るほんの数秒前俺にとっちゃ嬉しい言葉を残してくれた。


「なんで…」

『黒羽くん、好きだよ。だから…帰って来てほしい』



ここでココアにこっそり忍ばせた睡眠薬が利いたのか、彼女は眠りについた。眠る前、…俺の名前を言った時、早妃は寂しそうに笑った。きっと随分前からキッドの正体に気付いていたんだろう。それでも黙ってて、学校でも何ら変わりなく接してた。と言っても片手で数えられるほどしか喋ったことねーけど。


『黒羽くん、好きだよ』


思い出して口角が上がる。


「俺も好きだよ、早妃」


ぜってーまたここに帰って来てやる。
だからその時は最高の笑顔で出迎えて。


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