空色エプロン
2022/02/06 18:58

料理をする人の後ろ姿は面白い。トントン、カチャカチャ、ゴポゴポ。人体からは絶対に出ない音を立てて、人間の体になる物を作る。何かを切る音。食器がぶつかる音。お湯が沸く音。学校の調理実習くらいでしか料理の経験が無い俺にとって、それらの音はどんな楽器よりも想像が膨らむものだった。
瞑っていた目を開く。キッチンで人が動く音に耳を澄ませていたのも理由がある。ピアノの椅子の上で足を折り畳み、膝に顎を乗せた姿勢で現実逃避をしていたのだ。でも現状は何も変わらない。つまり、目の前の五線譜は真っ白だった。
音符の踊らない楽譜は寂しい。少しでも余白を埋めたくて、譜面台に置いた鉛筆を手に取り、ドとミとソを縦に並べた。ちょこん、とひとつだけ書かれたCコードは、余白を強調するものでしかなかった。寂しさを助長させているように感じ、無かったことにしようとしてから、消しゴムがないことにも気付いた。
曲のアイディアも無ければ、消しゴムも無い。なんとなく、今日はできない日かな、なんて、溜め息を吐いた。
「――千春くん。もうちょっとで出来るから、手洗っておいで」
「……はあい」
鍋に向かい、何かを掻き回しながら、キッチンからなおくんが言う。ふわり、と背中の白レースのリボンが揺れる。左右の位置がズレている縫い目に、ちゃんと測るんだった、と目にするたびに思う。何度も慧か山内に整えてもらうと言ったが、なおくんは優しく『これがいいんだ』と断る。汚れるのが当たり前のエプロンなのに、丁寧にアイロンまで掛けてくれる姿を見てからは、諦めることにした。

その空色のエプロンは、俺からのプレゼントだった。特別な日だったわけではない。もう恒例となった、ねむくんとなおくんとのカフェタイム。その待ち合わせをしていて、たまたま俺の仕事が早く終わり、少し歩こうかな、なんて気まぐれ。待ち合わせ場所の少し離れた所でマネージャーさんに車から降ろしてもらったのだ。
目的もなく緩々と歩いていると、木のスプーンが並ぶショーウィンドウが目に入った。新しいカフェかな、なんて思いながら少し覗いてみると、そこはキッチン用品がずらりと並ぶお店だった。
カラフルな鍋に、様々な大きさの食器。見たことない器具や、変な形の便利グッズ。実家でも同居企画の家でも、キッチンという一種の聖域に滅多に立ち入らない俺は、未知の世界に迷い込んだような心地で、その店へフラフラと入り込んでしまったのだ。
キョロキョロと顔を動かして、マジマジと商品を見るために腰を曲げたり、恐る恐る手に触れたりと、可笑しな動きをする俺は随分怪しかったと思う。ゆっくりと入り口から店内を一周して、ふと、レジ横にハンガーラック置いてあるのを見つけた。ズラリと並ぶハンガーに掛けられた沢山のエプロン。形も生地も様々ある中で、俺が手にしたソレは本当にシンプルだった。
体の前面は布で覆われ、背中は首に通す紐と腰で固定する紐が別れているタイプのエプロン。小学生の頃に初めてのミシンで作ったエプロンになんだか似ていた。もちろん、アレとは比べ物にならないくらい作りはしっかりしていて、汚れにくい素材かつ、洗いやすいとタグに書いてあった。しかし、他のものの様に複雑な刺繍模様やお洒落なボタンが付いている訳でもない。それでも、セルリアンブルーの絵の具を一面に塗ったような綺麗な水色に、たった1人の顔しか浮かばなかったのだ。
でも彼は料理の時、紺色のエプロンをしていたはず。毎回それを使っていた覚えがあり、気に入ってる物なのかもしれない。うーん、と悩んでるとレジの人と目が合ってしまった。にこり、と柔らかい笑顔を向けて、その店員さんはレジ台から抜け出し、近くにやって来てくれた。
「――何かお困りですか?」
「えっと、友達にプレゼントするか悩んでて……」
「形ですか?色とか?」
「いえ、もう自分の物持ってるみたいなので、どうしようかなって……」
「――不躾なことでごめんなさい。相手は吉川くん?」
パッと顔を上げる。少し困った様な顔で店員さんは、着ていたエプロンのポケットからスマホを取り出す。くるりと背面を見せられながら手渡され、見つけたものに納得する。去年のライブツアーグッズの一つである花を模したステッカー。色は青。
「あ、の!私、吉川担で!えっと、もちろん箱推しなんですけど、担当といいますか、いやこれは仕事で、ほんとに、アドバイスできればなって、プライベートに干渉するのは違うと思うんですけど、な、悩んでるみたいだったので、その、すみません!」
ガバリ、と下げられた頭に驚き、慌てる。
「え!いやそんな!謝られることじゃないので!!……むしろ、嬉しいです。いつも応援ありがとうございます」
にこり、と怖がられないように笑って、そっと手に触れた。ギュッと彼女の手を握り込んで握手をし、ついでにスマホを手渡した。スマホを握り込んでぼうっと此方をまじまじと見詰める店員さんの視線に、なんだか照れ臭くなり、エプロンを揺らして声を掛ける。
「あの、どうしてなおくんって分かったんですか?」
その店員さんはハッとしたように慌ててスマホをポケットに戻し、エプロンを受け取った。
「同居企画の番組で、メンバーの中でも料理するのは3人だけって言ってたのと、佐賀くんと深津くんのイメージではないかな、と……」
「あ、なるほど。それはそうですね」
「余計なお世話かもしれないんですけど、吉川くん、エプロン嬉しいと思います」
「え、どうして?」
「雑誌で、今使ってるエプロンは実家からそのまま持ってきたやつだって言ってたんです。それも思い入れあるわけじゃなくて、テキトーに自分で買ったとも言ってて…」
デクレシェンドだ、とだんだん小さくなっていくその声に、勝手に自分の脳は反応する。そんなことよりも。
「すごい、俺そんなこと知らなかった!」
「いえいえいえ!ファンなので!オタクなので!」
ファンというのは、俺たちメンバーよりも、本人に近いところにいるのかもしれない、とふと思う。
「じゃあこれにします。ほんとにありがとう」
「はい!えと、包装はどうします?リボンとかシールとか、箱とか……」
レジまで一緒に移動して、カラフルなそれらを出して見せてくれる。眺めている中で、目についたのはレジ横のふわふわの半透明のリボン。
「あれ、かわいい!」
「……えっ?あっ!……これ、包装用のではなくて、服のリメイクとか用のレースで……」
「えーそうなんですか……可愛いし……」
なおくん好きそうなのにな、と残念に思う。
「吉川くん好きそうですよね」
ふふ、と店員さんは笑う。心の中の声が聞かれたようでビックリした。
「俺もそう思いました!」
「えっ!……じゃあ、千春くんも、立派な吉川担ですね」
「よしかわたん!」
そっか、俺吉川担なんだ。仲間が増えた様な気持ちになって、なんだか嬉しかった。えへへ、と笑ったところで、丁寧に畳んでくれたエプロンの上に折りたたむ様に置かれた、エプロンと同色のリボンが目についた。
「あの、そのレースのリボンを――」
思いついたアイディアを伝えると、いいですね!と両手を叩いて賛同してくれる。その人は、俺でも簡単に包装できる巾着型の袋と、買った品物とエプロンを不透明な紙袋に入れつつ、縫い合わせるコツを教えてくれた。
店を出る時は見えなくなるまでずっと、大きく手を振ってくれて、応援の言葉をくれた。名前を知らない吉川担仲間。俺達は沢山の人に、支えてもらっていることを幸せに思った。


「――千春くん?お腹すいてない?出来たよ?」
いつの間にか、真横になおくんがいた。どうやら考え込みすぎて、ぼんやりとしてしまったらしい。
「お腹すいてる!あ、まだ手洗ってない!」
「ご飯は逃げないから……」
「はあい!」
ぴょんっ、とピアノの椅子を飛び降りて、洗面台に向かう。ばしゃばしゃと空腹に背中を押されつつ乱雑に手を洗って、ダイニングに戻る。テーブルに着いてると思っていたなおくんは、まだピアノのところにいて、何も書けてない俺の楽譜を覗き込んでた。
「なおくん、食べよ?お腹すいたあ」
「あ、うん。千春くん、これ完成?」
「え、なんにもできてないけど……?」
「これから書くのかなあって」
なんだか話が噛み合ってない。一小節すら出来てないのに、どうして出来上がってると思ったんだろう。
「えと、俺が料理してる時、いろんな音聞こえてたから……」
「え?……ああ、なおくんの追っかけしてたの」
「俺の追っかけ……?」
「なおくんがキッチンでご飯作ってる音、ピアノで真似してただけ」
「へぇ……?じゃああれは、オムライスの曲なんだ」
「あは、そうかも!じゃあタイトルは『なおくんのオムライス』だね」
「オムライス作るのにどの人も、手順そんな変わらないから……!『オムライス』だけでいいよ……!」
そんなことないよお、と言いながら、料理人より先に席に着いた。真っ白のスープカップには透明の黄金色をしたスープ。パセリが散らされていて、コンソメの良い匂いがする。ふんわりと、少しだけ蕩けた黄色の卵が輝くオムライスは、まだ白い湯気が立ち上がる。その上に乗っかる真っ赤なケチャップで大きく書かれた『ちはる』の文字。6人でいるときが増えたため、自分の物に名前を書くクセがついたのは、俺だけじゃないな、とこっそり笑った。
テーブルに近付いてきたなおくんは丁寧にエプロンを外して、ハンガーに引っ掛ける。床についたリボンをそっと持ち上げてエプロンのポケットに優しく詰めた。
「……なおくん、エプロンだからそんなに丁寧にしなくていいんだよ?それに、リボンも取れたらむしろ綺麗に付け直せるよ?」
「ええ!?そんなことしないよ!?丁寧に使います!」
「うぅーん……」
頑なだなあ、と頬を膨らませる。そんな俺に困った様になおくんは優しく笑った。
「千春くんは、俺が作ったオムライス食べてくれるでしょう?」
「もちろん、当たり前だよ!」
「でももし、卵がビリビリになっちゃったり、ケチャップご飯がベチャベチャだったりしたらどうする?捨てる?」
「捨てないよ!?どうもしないし、食べる!」
「そういうこと」
どういうこと?と、聞く空気ではないことくらいは分かった。なおくんが、嬉しそうに笑ってくれたから、まあいっか、と思ってしまったのだ。
スプーンを握ってパクリとひとくち。今日も美味しい。そのまま、おいしい、と素直に伝えると、やっぱりなおくんは困った様に、頬を染めて笑うのだ。
「千春くんは魔法使いみたいだね。俺が欲しい物をくれて、俺達が必要なものをくれる」
「じゃあなおくんも魔法使いだね、俺が作ったものに言葉をくれて、美味しいものを作ってくれる!」
いひひ、と笑って、大きく口を開けてオムライスを放り込む。後者がメインでしょ、と心外なことを言われる。なので、『なおくんのオムライス』の曲はみんなが帰ってから、全員の前で披露してやろうと思った。小声の鼻歌も聞こえてたんだぞ、曲に混ぜてやるからな、と小さな復讐も誓う。
「――あとね、俺は『よしかわたん』だから、欲しいものがわかるのだ」
ドッキリのネタバラシの様に。笑いが隠せてない顔で、なおくんが好きだと言ってくれる、いちばんの笑顔で。手を伸ばして、なおくんの頬を人差し指で突いた。
唖然とした顔で吉川くんは固まり、暫くしてから「千春くんがオタク用語を身に付けてる……!」と、椅子を転かす勢いで立ち上がる。あまりの勢いの良さに、ハンガーに掛けられた空色はふわりと揺れた。




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