求婚の日 ネヤネ親子パロディ時空
2022/01/27 22:18

 よく笑うようになったと思う。特に、俺の前で。昔ならおそらく、ヤツの高慢ちきなプライドが俺の前でアイツを強張らせていたのだと思う。例えば、俺の些細な冗談に。例えば、てると業の笑える話に。あいつは眉間のしわもそのままに、それでも凝り固まった表情筋をふと緩める。いいことだ、と思う。好いた相手がいつもしかめっ面をしているくらいなら、よく笑う方がずっといい。きっかけは、その笑顔に独占欲を感じたことだった。
 今、少し歩こうと誘い出した俺の前を歩く黒柳はいつもより少しだけ上機嫌だった。そのために、アイツの好きなワインを頼んだ、というのもある。賄賂だといわれても仕方ない。目的のために手段を択ばないのは昔からの手癖、のようなものだろうか。そういうところは少しだけ、アイツと俺にある数少ない共通点だと思う。目的のために手段を択ばず、確実な勝利のために最大数の保険を用意する。アイツが聞けばお前とは比べるまでもなく、私の方がよっぽど慎重だ≠ニ笑われるだろう。アイツが好きなレストランで、好きなワインを用意させて、ついでに俺らしくもなく、必死でヤツが好きそうな話題まで探して。それでもどうして、そんな自分が嫌いになれない。相変わらず黒柳はいつ見ても寒そうで、ストールを巻いているくせにそれでも薄い体が夜の風にあたるのは、誘い出した身として言うべきではないだろうがなんだか、壊れてしまいそうで少し不安になる。あれでも肉付き――脂肪ではなく筋肉のみだが――はいい方だと知っているのに、血色の悪い肌が、氷のように冷たい手が、氷像よろしく溶けて、崩れてしまいそうで。
「で? 徘徊欲は満たせたのかね?」
 くるりと振り返った黒柳は、すこしだけ悪戯っぽく笑ってそういう。最近、業がよくこの顔で笑うようになった。これは業が似たのか、業に似たのか。相変わらず、黒柳は俺に小さな棘のある言葉を投げかける。昔はしょっちゅう喧嘩したが、今はなんだか悪戯をして大人の気を引いたり、愛情を確認する子供みたいにさえ見える。全く、らしくない。多分、らしくなく緊張しているんだろう。
「んー、まあな。寒かったか?」
 少しだけ鼻の頭が赤い。血色はすこぶる悪い癖に、赤くなりやすいから困る。日焼けも、寒さも、泣いた時も、照れた時も。少しかさついた頬を撫でれば、嫌がられると思った指は以外にも固い笑顔で受け入れられる。相変わらず俺の気まぐれに付き合っているつもりなんだろう。黒柳は少しだけ白い息を吐きながら、夜闇の中で輝く星みたいな目で俺を見上げる。その目に、思わず手が震えた。緊張で泣きそうになるなんて人生で初めてだった。
「なあ」
 金色の瞳に耐えきれず、思わず逸らした目線の先を黒柳は律儀に追った。このまま、また車まで歩いて戻ったって良かった。別に何か、これから先の特別≠ェ欲しかったわけじゃない。と、言えばもちろん嘘になるが、それ以上にこの現状に、コイツとの生活に礼がしたかった。何もないぞ、と振り返る黒柳が、一瞬だけ俺を探した。そりゃそうだろう、黒柳より背の高い俺が目の前にいないのだから。見下ろす目はほんの少しだけ動揺で色が濃くなっているように見えた。失敗したな、と思ったのは、せっかくのスーツなんだからもっとマシな場所でやればよかった、ということ。最低でも、カーペットのある床とか。膝に小石が食い込んでちくちくと痛むし、多分スラックスをダメにした。それでもその痛みが、俺の理性を細い細い糸でなんとか食い止めたような気がして。黒柳は何も言わなかった。ただ見下ろした先の俺が、何をしでかすのか理解できていないようで黙りこんでいる。手の中のものに気付かないはずがないだろうに。
「これは、俺なりの答え」
 ブラック・ウォルナットのケースは俺の手の中にすっぽりと隠れてしまうほど小さく頼りないくせに、今の俺にはまるで鉛みたいに重い。持つ手が震えてしまいそうで、いっそ壊してしまうんじゃないかと思うほど、軋むほど強く握りしめる。手汗が酷い、握った強さのまま汗で滑らせてしまえばきっと、遠くへ飛んで行ってしまうだろう。喉が渇いて仕方ない。もう少し酒が必要だった、なんて今更後悔したってどうしようもなかった。開いた中には同じく黒のベロア地のクッションに、細い、飾り気のないリングが一つ、慎ましくその身を光らせている。女性店員が嬉しそうにあれこれと並べたカタログよりも、店頭で一度見てあいつに似合うだろうな≠ニ、ふと過ったシンプルなものだった。もっと値の張るものもあったし、豪華にも宝石を散りばめたものもあった。それでも、今この手の中にあるものはそのどれよりも、俺が黒柳誠に似合う≠ニ思ったから。理由なんて、それくらいだった。
「今の指環を外してほしい訳じゃない。二つつけろというつもりもなくて。ただ――」
 書類上がどうだとか、世間的にどうだとか、そんな難しいことは全部抜きで、ただ。黒柳は何も言わなかった。ただ黙って、俺の言葉を待っている、ようにも見えた。そうであってほしいと、俺が願っていたからかもしれない。
「ただ、誠と、業と照也と一緒に、家族になりたい」
 少し、言葉の端が震えた。まさか自分がこんなに情けないなんて思いもしなかった。よくよく考えればこれが初めてのプロポーズ――の、ようなものだから、そう思えばよくやった方かもしれない。きっとこいつはプロポーズも恙なくこなしてしまうんだろうが。今はとにかく――黙り込んでしまった黒柳の反応が気になって仕方がない。もはや、見下ろす黒柳と見上げる俺とのにらめっこ状態だ。膝の小石は相変わらず肉にめり込んで痛いし、できる事ならば時間を戻してしまいたかった。目を逸らせば、黒柳は俺を見限る様な気がして。俺はもはや睨みつけるように黒柳を見つめ返すことしかできない。いや、これはもう睨み合い、という方が正しいのだろうか。興奮で噴き出した汗が、寒い風にあたって急に体が冷えはじめた。駄目ならせめてダメだと言えばいい。まさか断る言葉を探しているのだとしたらそれこそ惨めだ。いつものように下らんな≠ニ言い捨ててくれる方がよっぽどマシだ。何か言ってくれ、と祈るような俺はきっと顔に出たのだろう。とうとう――黒柳がくしゃりと顔を綻ばせ、それから珍しいことに肩を震わせて笑い始めた。こちとら一世一代の大決心だったのだが、どうにも黒柳にはその覚悟が伝わらなかったようだ。引き上げられ、漸く立ち上がった時初めて、くすくすと子供みたいに笑う黒柳が、泣いているのだと知った。
「落ち着きがないと思っていたら…… お前は全く、っふふ、全く……」
 そうして倒れこむ体を何とか受け止めながら、笑い声にまじってぐずぐずと鼻を鳴らす黒柳にただただ戸惑う。
「あのお…… 誠さん、先に――」
 返事だけでも、と引きはがす俺に、黒柳はむ、っと俺を睨み上げ。
「いやだ」
 と、言う。血の気が引く、という感覚は久しぶりで。それからまた、悪戯っぽく笑う黒柳に、そこまで面白がるならいっそ、と自分を慰める。
「私の先を越そうなど、許せん。貴様は仕切りなおせ」
「――ええと?」
「お前に後れを取る私ではない、という話だ。一週間――いや、三日待ってやり直せ」
「やり直せ!?」
 そう言って、黒柳はあろうことか俺の手から小さなリングケースをふんだくると、箱のままやつのコートの中へひょいとしまい込んだ。
「それまで没収だ」
 そう吐き捨てると、黒柳はひらりと俺の腕の中から抜け出しとっとと車へ戻っていく。そんなこともあるのか、と現状を何とかかみ砕きながら、慌てて細い背中を追いかける。
「そりゃないんじゃねえの!」
 こっちは結構いろいろ考えて、と掴んで覗き込む黒柳の顔は、やっぱり赤くなりやすいらしい。
「――せめて一回くらいはめて見せてくれてもいいんじゃないでしょうか……」
「駄目だ、お前が先にはめろ」
「じゃあ気に入ったかどうかだけでも……」
「駄目だ。貴様が歓びにむせび泣く方が先だ」
「先に泣いたのはお前ですう」
「泣いてない」
「大泣きしてたくせに」
「黙れ、捨てるぞ」
「それはホントにダメでしょ!」
 纏わりつくんじゃない、うっとおしい。相変わらず吐き捨てる言葉には、甘い毒がたっぷりとしみ込んでいて。

 三日待てと言ったくせに、ヤツは俺の意表を突くためかその日の晩に一つの小さな箱を俺に開けさせた。それは俺から没収したウォルナットのものではなく、レザー調の重厚な箱に、幅の広いシルバーのリングが一つ。脱ぎ捨てたやつのジャケットから返却された俺の小箱を慎重に握りしめる誠の表情に、俺はやつの言葉通り歓びにむせび泣いたのだった。




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