ねこ×やぎ
2022/01/11 22:31

「おい悪魔祓い! これじゃさすがに分が悪すぎる!」
 そう叫ぶ三毛縞は怒りもあらわに目の前に蔓延る下級悪魔を三体、まとめて薙ぎ払う。個々の能力は取るに足りないものだとしても、今、三毛縞と黒柳が置かれているこの状況は最悪≠ニ、言うほかない圧倒的に不利な状況である。取り囲むはただ怠惰に身を堕とし、人間が神から与えられた知恵も、盗み出した恥でさえ捨て去り、残るはもはや感情のない獣。物を食い、罪に塗れながら生きながらえることのみが存在する意味になった哀れな虚は、着実に黒柳たちを追い詰めていた。
 ちっ、と舌打つ黒柳も多勢に無勢ながらなんとか目の前の悪魔どもを薙ぎ払い、消滅させてはいるが呪具を持つ手も痺れ始め。息を整える間もなく攻め込まれては正直いつこの保たれた一進一退の均衡がくずれるやもわかららない。もはや、これ以上の後退は叶わぬ。背に感じるのは燃えてしまいそうなほど熱い三毛縞の背中だった。この大男もまた、大勢の同族を相手に取りじり、じりと退いてきたのである。大きな呼吸は三毛縞の限界を黒柳に悟らせる。このまま打つ手を失くしてしまえば、黒柳の復讐劇は道半ばに途切れることになるだろう。それはあまりにも残酷な結末だ。
「――おい、貴様」
 黒柳は張り付く喉をこくりと鳴らしながら、三毛縞の背に語り掛けた。黒柳の言わんとする事を三毛縞が理解するために、もはや言葉などいらなかった。途端に三毛縞の顔が歪む。しかしそれは同時に、この状況を突破するための一案として三毛縞もまた、黒柳と同じ事を考えていたという証明にもなった。
「あれ≠やるしかあるまい」
 黒柳はそう言って、一度ごくりと唾を飲み込んだ。黒柳とて自分の提案が馬鹿げた、リスクの高い苦肉の策であることは理解している。しかし、そのリスクをとってでも黒柳は、こんな所で死ぬ訳にはいかなかったのだ。ここで死んではあまりに滑稽だ、まだ何一つ掴んじゃいない。黒柳の憎悪と執着が、彼の覚悟を決めさせたのだ。
「…………っしゃーねえ! 俺ァどうなったって知らねえぞ!」
 そして、それは三毛縞にも痛いほどよくわかった。黒柳誠の魂は死後、三毛縞清虎のものとなる。そういう契約だ。しかし、その契約が施行される瞬間は今ではなかった。三毛縞は、黒柳が掴みとる結末を見てみたかった。それが例え絶望であれ、虚無であれ、三毛縞にとっては開いた本の最後のページの内容がどんなものであろうと、自分で読まねばきっと落ち着いて眠れやしないだろう。ましてやその本の最後のページを、どこぞの馬の骨に破り捨てられたとなれば尚更、許せる所業ではあるまい。三毛縞もまた、重なり震えを伝える背中に覚悟を決めた。大きく力を奮い、敵を一斉に薙ぎ飛ばすとぐるりと振り返り、丁寧に髪をわけられ晒された頸めがけて自らの牙を突き立てた。ブツリ、と柔い皮膚を突き破り、黒柳誠の、三毛縞清虎自身が穢した血が脈動にあわせ流れ込んでくる。黒柳は咆哮した、それは食いちぎられそうなほど強く噛みつかれたからではない。自らの血が、全身を巡る穢れた血が、主の魔力を得てその全身を焼き尽くさんと煮えたぎっているからだ。あたりで這いつくばる低俗な悪魔どもならば、黒柳は悲鳴ひとつあげなかっただろう。だが今黒柳に噛み付き、彼の血と魔力により黒柳の身を地獄へ落とさんとするのは、かつて大天使として神に仕え、裏切りと共に地上へ堕とされた大悪魔である。血に飢え、性に飢え、魔力に飢え、そして悪に飢えた孤高にして至高の獣である。黒柳の身体はやがて地獄の業火に包まれた。肌は焼け、爛れる間もなくあっという間に血や水を蒸発させ、炭へ骨へと変わり果てる。悲痛な叫びは、理性を失ったはずの下級悪魔でさえ慄き身動きさえ取れなかった。崩折れる黒柳の骨身の身体が、苦しげに地を掻きのたうつ。
「黒柳誠。我が真名、三毛縞清虎により命じる。耐えろ、貴様は俺のものだ。俺の血に同調し、立ち上がってみせろ」
 悶え苦しむ黒柳を見下ろす三毛縞は、最早ただの力自慢な巨漢ではなかった。悍ましく歪な翼に、まるで地獄で生まれた虎のような鋭い牙と爪。黒く染まった目の中で、一対の満月はギラギラと悪趣味なほど強く光り輝く。這いつくばる黒柳は、より一層苦しげに喘ぎ始めた。焼けた皮膚で積もった灰が、まるで生きた水のように黒柳の骨を伝いはじめたのだ。灰はどこまでも黒く、黒く染まり黒柳の身体へ再び集結する。不快な水のにちにちとした音と共に、灰の水はやがて粘土のように黒柳の肉となり形を変える。苦しみで真っ白に染まった長い髪がはらりと地に擦れ、いっとう苦しむ黒柳の額がぼこりと盛り上がった。仰け反り、痙攣さえする黒柳の額皮を突き破り、漆黒に染まった美しい角がぐるりと渦巻き生え揃った。――再び、黒柳が顔を上げた時、それはもはや人間≠ナは、なかった。
「ご命令を、マスター」
 最後の悪魔は、焼けて張り付く喉に眉を顰めながら命令を乞うた。
「殺せ、そして生き残れ」
 お説教はそれからだ。三毛縞の短く、しかして単純明快な命令に黒柳は即座目の前の悪魔一体に飛びかかると、その腹へ腕を貫かせ真っ二つに引き裂き殺した。三毛縞は自分に言い聞かせた。あれほど美しいものは、幻だから美しいのだと。そう思わなければ、悪魔に染まった黒柳誠を愛してしまいそうだったからだ。ふと浮かぶ罪深い感情などあってはならぬ事だ。三毛縞はその思想さえ道連れにせんと、彼もまた目の前の敵を屠った。



 最後の下級悪魔を屠った黒柳だが、最早暴走状態に入った彼には下級の悪魔も、自らの主人である三毛縞ももはや区別はなかった。恐らく今、彼の前に業が立っていたとしてもその灰に染まった両手は目の前の肉塊を引き裂き破壊しただろう。今の黒柳には自らを知覚することも、相手を認識することも、自らの行動の意味を問うことすら無意味だった。ただ血により与えられた主命を、全うするのみである。悪魔の契約は絶対だ。黒柳は目に入るもの全てを破壊し、自らの生存を確立する。しかし、それで困るのは他でもない主人である三毛縞だ。今の黒柳は三毛縞ですら近づかせない。しかしこのままでは黒柳の魂までもが燃え尽きてしまう。崇高であり高潔である黒柳だからこそ、三毛縞の血に燃え尽きることなく暴走する程度で納まっているものの、これ以上の暴走は魂を一層強く燃やし戻れなくなってしまう。三毛縞がそれを心の底で望んだとしても、黒柳が悪魔に身を堕とすことは許されない。
「誠! そろそろお寝んね≠フ時間だ……!」
 かといって、今の黒柳が三毛縞の言葉だけで鎮静化することはない。飛び掛かり、普段より何十倍も強い力で抵抗する黒柳をなんとか押さえ込む。やはり、並みの悪魔とは比べ物にならぬほどの力があった。押さえ込むも、変わり果てた黒柳の足――重い蹄の一撃が腹にめり込み、伸びた鋭い爪が背の肉に突き刺さる。噛みつかんと牙じみた歯を向ける黒柳に、その角を掴みなんとか地面へと張り付ける。黒柳に持たされていた聖水の瓶をなんとか抉じ開け、細口を開かせた黒柳の喉の奥へとねじ込んだ。
「飲、めッ……! 誠! 我が真名・三毛縞清虎により命じる!」
 聖水は黒柳の喉を、臓物を焼き始めた。苦しいだろう、三毛縞は死を捨てた悪魔だが聖水を飲む苦しみは知っている。自らの手の届かぬ場所を焼かれるのはぞんがい堪える。
「俺を、――拒絶しろッ!」
 黒柳の耳に、その命令は確かに届いた。だがそれ以上に聖水の業火は黒柳の穢された血に燃え移り、その身の内側を焼き尽くそうと温度を上げる。悶える黒柳はもう、三毛縞に襲い掛かることもなかった。苦し気に地面をのたうち、身を捩りながら喘いでいる。苦しいのだろう、特に聖水のめぐる内臓が熱くて仕方ないはずだ。立ち上がり逃げ出そうとするも、自らの体内から逃げることなど叶わない。長く鋭い爪を腹に突き立て、聖なる祈りの込められた水をなんとか吐き出そうと腸をかき混ぜながら、いよいよ再び、黒柳の身体はとうとう炎に包まれる。悪魔の血を持つ三毛縞だからこそ、その苦しみは無いはずの胸が張り裂けそうなほど哀れだ。だが黒柳のためなのだ、この苦しみは黒柳が人でいるための、罰だ。獣のような咆哮をあげながら、黒柳は炎から逃れようと転がるように水辺へと向かう。三毛縞が把握する限り、すぐ側には浅くはあったが川もあったはず。よたよたと、まるで死にかけた老人の様に無様な足取りで、這いつくばりながら水辺へと向かう黒柳の姿に、三毛縞の偽りの感情が酷く痛む。喜ばしいような、それでいて見たくないような、複雑な感情にただ、三毛縞は黒柳を見つめ、そのあとをゆっくりと追うことしかできなかった。飛び込むように川へと転がり込んだ黒柳の身体から、炎が消えていく。焼き尽くされた血が灰になり、彼の肌を覆っていたその黒が水とともに溶け流されていく。相変わらず病的な白さの肌が、冷たい川の水に浸され一層青白くなって現れるのを見た時、訳も分からず三毛縞は安堵した。
「――おかえり」
 小さく震え、息を上げる黒柳を川から引きずり上げる。ぐず濡れになった髪を絞り、濡れた肌をはらってやり、コートをかける。先の戦闘で負った傷も、悪魔に身を堕としたことで塞がったようで白い腹にはもう傷一つない。肌は氷のように冷たいが、その下の肉は驚くほど熱い。恐らく三毛縞の力を使った反動だろう。酷い発熱症状の黒柳はそのまま三毛縞の胸に倒れこんだ。息が荒い。未だ苦し気で、顔色もどんどん悪くなっていく。コートに包み、散らばった荷物をまとめ黒柳ごと抱え上げた三毛縞は、舌を少し咬み血に魔力を乗せ青白い唇に口付けた。まるで赤子が乳を飲むように、ちうと吸い付き魔力を欲する黒柳に三毛縞は欲しがるだけ、舌を絡めあい力を寄越した。ほんの少し、腕の中で震えた躰から熱が下がったようで。
「宿に戻るぞ」
 額に口付け、三毛縞は優しい声色で囁いた。気絶するように眠る黒柳を起こさぬようしっかと抱えながら、地を蹴り出せる力全てで宿までの道を急いだ。



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