#HCOWDC Day2
2022/02/22 20:55

 千春、と呼び止める声の珍しい音は意志の強いはっきりとした通る声色で。腕の中に抱えた荷物を崩さないよう慎重に振り返れば、相変わらず整った顔のクラスメイトがじっとこちらを見つめていた。
「持つよ」
 確かに、女子生徒が噂するのもわかる。彼の顔はまるで西洋人形さながらに整っていて、母似だというわりには骨格や、眉の凛とした角度に男らしさもにじませるような容姿である。そのせいか、時折表情が硬い、いつだってクールだ、なんて言われることもあるらしいが、俺にはそうは思えなかった。今だってこちらを見る目がなんだか兄のような、母のような目つきになっていて。
「サンキュ」
 そう言って腕にずっしりと乗っかったノートの束を半分、甘えてしまおうとした俺の腕から、すべての重みが奪われていく。バスケ部で副キャプテンを務め、来年はキャプテン間違いなしだと言われているだけある伊藤が持ち上げれば、まるで自分が感じていた重みなど幻のように見える。半分でいいよ、とは言えなかった。なんとなく、伊藤にそういうことが失礼な、彼の楽しみを無理矢理奪ってしまうような、そんな気がしたからだ。もちろん、伊藤はノートを運ぶことが好きなわけでもなければ、中島みたいにこの重み、二頭筋にクるわあ≠ネんて喜ぶタイプでもない。彼が特別善人であろうと意識している様子もないのに――伊藤は、それでも目の前にある人を見捨てない。退屈になった掌には、ノートの背だろうか、縞の模様に赤くなったり白くなったりしている肌。腕に軽い痺れにも似たくすぐったさがあるのは、問題ないと思っていた自分の許容範囲よりずっとノートの束が重かったのだと知らしめている。一クラス分ならまだ問題はなかった。ただ合同授業で必要なノートの提出で、その数は倍になる。二クラス分、手伝ってくれる人がいれば良かったのだが、生憎教室に頼れそうな人もおらず、隣のクラスから慧を借りようかとも思ったがタイミングが悪かったのか、他の生徒と何か熱心に喋っていて。結局、何とか持ち上げられたという勢いだけで持ち出してしまったが、今更になって後悔が迫った。伊藤はそんな二クラス分のノートを抱えて、涼しい顔で俺の横を歩く。
「そういえばさあ、今日体育倉庫の前にすっごくでかい猫がいてさあ」
 つい撮った写真を伊藤に見せれば人形みたいな顔がにっこりと笑う。たったそれだけでもまるで映画みたいなインパクトがあった。慧はたしかに仏頂面だけど、いがいとよく笑うせいで笑顔は若干見慣れたのだろう。むしろ普段あまり笑った顔を見せない伊藤だからこそ、なのかもしれない。たしかにでっけぇネコだ、なんてはにかむ伊藤はじ、っと画面を覗き込んだ。もしかして猫好きだったんだろうか、なんてスマホを差し出せば伊藤は思い出したようにああ、そうか≠ニ呟いた。
「この猫、俺がよくいく喫茶店にいる猫だ……」
「え、喫茶店に猫がいるの?」
 すごい目つき悪い看板猫だけどね、という伊藤のために職員室のドアを開ける。相変わらず、職員室だけは他のどの教室にもないにおいがする。まさに、伊藤が言った喫茶店のようなコーヒーの香り、コピー機から吐き出された甘いインクのにおい。目当ての先生を、伊藤はすぐに見つけ出した。俺はといえば、相変わらず職員室が少し苦手だ。ひろくんを呼び出すだけでも、他の先生がたくさんいる職員室の扉はいがいと重く感じるもので、なのに伊藤はそんな事まるで気にしていないように、すぐそばで書類を触っていた他学年の先生に声を掛け、入室の許可を得ていた。テスト前でもない職員室は比較的生徒に対してオープンな方ではあるが、それでも伊藤はさっさと広い机の間を進み、相変わらず強い意志を感じさせる目つきで頼まれていたノートです、よろしくお願いします≠ニ二クラス分のノートを託した。俺がえっちらせっせと運んでいた頼まれごとは、伊藤の介助によりあっという間に終わってしまった。
「――伊藤って猫が好きなの?」
「俺?」
 一瞬、なぜ自分が猫好きだと聞かれたのか理解できなかったらしい伊藤が、さっきの会話を思い出すまでそう時間はかからなかった。それでも暫く、自分が猫好きなのかどうかを熟考しているようだった。軽い、世間話に伊藤はしっかりと考えてから、嫌いじゃないけど猫好きってほどじゃないかも、という安パイな答えを出す。
「――っふふ、そっか。すげー考えてくれるじゃん」
「そうかな…… でも犬はおばあちゃん家にいるけど、猫は飼ってないしな……」
「そっかあ…… でも犬もいいよね」
 そう言いながら、家にいる万能で芸達者な彼を思い出せば、彼は怒るだろうか。それでも、伊藤はさっきよりずっと早く、はっきりと犬はいいよな、と笑うから。
「でも猫、見にいってみようかな」
 ほんとにでっかい猫だったんだよ、という俺に伊藤はくるりと色素の薄い瞳を向けた。強い目力に思わずドキリとするのはなんだか、心の内側まで暴かれてしまいそうだから。
「今度の休みに、見にいく?」
「――いいの?」
 もちろん、と頷く伊藤がどうせなら慧も誘おうか、とのんびり言うから。週末に来るだろう思わぬ予定に、思わず胸が躍った。



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