食わずのシェフ

部屋でシーツに包まれている彼女をシーツごと持ち上げると、気怠げな瞼がゆっくりと上がり、虚ろな瞳と目が合った。俺が誰なのか眠れる脳みそで考えてやがる。

「プロ、シュー…ト?」
「まだ寝てろ。起きてぎゃあぎゃあ暴れられても厄介だからな。」

裸のままシーツに包まれたロコを車の後部座席に押し込んで、行きつけのブティックまで車を走らせた。買い物に連れて行くのは良いが、こんな小娘を隣に立たせるわけにはいかない。必要最低限の格好はさせて然るべきだ。

アジトを出るときにリゾットから手渡された札束は、ブチャラティが寄越した支度金だという。触れた指先から独占欲に染まりそうなそれをシートに投げつけた。

「チッ…未練がましいッつーンだよ。」

店の目の前に車を横付けすれば、その振動で猫が目を覚ました。人の賑わう声に何度か瞬きをしてから、シーツ以外なにも纏わない自分の姿にひぃという情けない悲鳴が漏れかけて、運転席からすぐにその小さな口をふさいだ。

「よう、お目覚めか。叫ぶンじゃあねェぞ。人攫いだと思われるだろうが。」

思う、思わないという話ではないと訴えかける非難を帯びた被害者面にイラついて、掌で顔を鷲掴むと、暴れる身体をまたシーツごと持ち上げて、店に入る。耳元でぎゃあぎゃあ騒いでいる声はリゾットに抱かれていたあの声の持ち主とは思えず、さらに苛立った。

目をひん剥いた馴染みのコーディネーターにそのシーツロールを渡し、自分はいつものVIPルームにシャンパンを持たせた。今日はついてねェ。こんなガキの世話なんて。早く帰って眠りたい。

ソファに雪崩れ込みシャンパンを呷るように飲んで暫し瞳を閉じていると、聴き慣れた革靴の音が耳をつく。

「プリージ様…ご無沙汰しております。」
「あぁ、アンタか。」

プリージという偽名で俺を呼ぶのは、このブティックの系列店に当たる老舗ジュエリーショップの外商だ。コイツも爽やかな顔をしてなかなかエグい仕事をしやがる。資金洗浄にはうってつけの男だ。

「先程店の者から聴きましてね。お連れ様に如何ですか?」
「アァ?今日のは俺の女って訳じゃあねェからなァ…」
「おや?そうなんですか?このルビーのピアスはカラットは小ぶりですが、インクルージョンがよく分かるカットになっていて、月夜のような淡い光でも華やかに煌きますよ。」
「…おぉ、良い色じゃあねェか。」
「昼の君か、夜の君かは存じ上げませんが…是非お試しいただきたい。」

男の差し出したルビーのピアスは艶やかな赤に天然の証のインクルージョンが細かな針状の結晶となり無数に内包されていた。鑑定用のハンディライトの微かな光でさえ反射し逃がさない。

傷モノが美しいなんて、俺が好きそうな話しを持ってきやがる。巧みなその手腕にフンと鼻を鳴らし、上品に微笑むその男にシャンパンを勧めた。







「プリージ様がこんなにお若い方を連れていらっしゃるなんて!」

コーディネーターの女は瞳をキラキラさせて、未だシーツに包まれた私のことを見た。

「あ、あの…」
「心配しなくても大丈夫よ!私に任せてくれたら良いの!髪もツヤツヤで気持ちいいわぁ、肌も綺麗ね。」
「わ、わたし…」
「あら、名前を聞いてなかったわ!わたしはマウタ。貴女は?」
「…ロコ、」
「…そう、ロコね、よろしく。あぁ…ドキドキしちゃう。プリージ様のお客様って皆さまツンケンされてるから…フィッテングにも気を遣うのよぉ…」
「プロ…プリージ、は…いつも女をここに連れてくるの…?」

マウタはハッと目を見開いてから、私をぎゅっと抱きしめて眉を下げた。

「…私ったらごめんなさい!余計な事を…!!傷付いたわよね、許してちょうだい…!」
「マウタ…苦しいわ…、それにわたし…アイツの女じゃないもの。女遊びの武勇伝くらい聴いたって平気よ…?」
「あら…?そうなの…?じゃあ、これからって事かしら……うふふ、プリージ様がまだ口説き落とせてないなんて!俄然やる気が出たわ!さぁ、ローズペーストのパックから始めましょう!」

マウタは両手に薔薇色のペーストを塗りたくり、私の両頬をえいっと挟み込んだ。冷たくてびくりと震える肩にも御構い無しだ。

「ふ、服だけじゃないの!?」
「ええ、うちはトータルコーディネートなの!エステとメイク、ヘアセットに服にアクセサリーに靴!宝石みたいなシニョリーナはここで生まれるのよ?」
「マウタ…どれくらいかかるの…?」
「頑張っちゃうから、きっと3時間くらいね…!」
「さ、さんじかん…」

なぜかやる気満々になってしまったマウタと三時間という時間に意識が遠のきそうになる。私のことをバンビーナと嘲笑ったあの男はなんの目的で私をこんなところへ連れてきたのだろうか。裸の私を連れ出したということは、きっと私とリゾットが何をしていたかも知っている筈だ。

もしかして、私を抱こうとしてる?
いやまさか…

しかし、一度考え始めると嫌な想像は膨らむばかり。いま肌に擦り付けられているこのソルトスクラブでさえ、美味しく食べるための下準備にさえ感じて身震いした。








マウタが選んだグリーンのフィッシュテールドレスが歩くたびに波うつ。高いヒールはあまり慣れないからと訴えて、なんとか半分の高さのものにしてもらったものの、よたよた歩きになってしまう。
パール入りのボディクリームで指先までキラキラと輝いて、なんだか…自分じゃないみたい。

プロシュートがいるという部屋に通されたが、当の本人はソファの上で眠りこけていた。空になったシャンパンとワインの瓶がいくつも並べてあり、自然と眉間に皺が寄った。まさか、3時間ずっとここで待ってた?

長いまつ毛が伏せられた整った顔立ちになんだか神聖さを感じて可笑しくなる。きっと子供の頃は天使のように可愛かったんだろうなと、ふにふにだったであろう頬に手を伸ばすと、手首をぐっと掴まれてバランスを崩した。

「フン…悪くねェな。」
「…プロシュート…起きてたの?」
「今までな。あまりに情けねェ足音が聞こえて起きちまったが。」
「うるさい…普段履かないもの、こんなヒール…。ねぇ、なんでこんなことするの…。」
「アァ…?…なんでもクソもねェ…俺の隣を歩くなら、最低限の身なりじゃねェと話にならねェ。」
「…わたしは同僚でしょ、アンタの女じゃないのに、随分手厚いのね。」
「お前は同僚の前に女だ。俺の隣を歩く女には良い格好をさせてやるのが俺のルールだ。」
「プロシュートって、変わってるのね。」
「誰に言ってんだテメェ…」

プロシュートの長い指が私の額を悪戯にグリグリと小突いた。それから流れるように髪をさらりと撫でて、顔をぐいと寄せる。耳に近付いた吐息に身体を強張らせると、フンと笑いながら耳朶に噛り付いた。


「いっ…!な、な、なにする…、」
「そこにある箱開けてみろ。」
「耳ッ…やめてよッ…このままじゃあけられない…」

ちゅうちゅうと私の耳に噛り付いたままのプロシュートが長い手を伸ばしてテーブルの上の小さな箱を掴み、私の膝の上に乗せた。耳を食む唇から逃れるように、震える手でその箱を開けると、そこには小ぶりの赤いピアスが入っていた。角度によって表情を変える様子がたまらなく綺麗だった。


「…きれい、キラキラしてる…。」

私がそう呟くと、プロシュートは耳への意地悪をやめて、私が角度を変えながらピアスを眺めるのをしばらくじっと見つめていた。それから静かにそのピアスを付けてみせろと差し出した。

「なかなか似合うじゃあねェーか。」
「ふふ、うん…ありがとう。」
「嬉しいかよ、ガキみてぇな笑い方しやがって…」


プロシュートがクククッと喉で笑った。
そのいたずらっ子みたいな笑い方の方がよっぽどガキみたいじゃん。いけ好かない男は天使になったり、子供になったりしながら遂に私の隣で嬉しそうに笑った。昨日見せた冷たいあの仏頂面からは程遠い。

「なに笑ってやがんだテメェ…」
「ううん…プロシュート、可愛いほっぺだなって…」
「アァ!?」

青筋を立てるプロシュートにまた笑いが止まらない。私を攫って抱くでもなく、ただの「俺ルール」で私をシンデレラにしてしまうこの男の独占欲は根っからのギャングなのかもしれない。

「プロシュート、エスコートして。」
「腰砕けのシニョリーナ、しっかり歩けよ。」

そんな軽口を叩きながらも私がヒールで転ばないように腰を支えてくれる。その横顔を見上げると自信たっぷりの小言が飛んできた。

「俺ばっか見るんじゃあねェ、前見ろ転ぶぞ。」
「ふふ、転ばないもの。プロシュートがいるでしょ。」

すっかりサンセットが沈んだ後のグラデーションの海沿いをプロシュートのエスコートで歩き出した。



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