レースのカーテン

彼女たちは組織の中で「猫(ガット)」と呼ばれていた。15才から22才の青少年で構成されており、決して数は多くない。猫は自由気ままにネットワークを介して人様の庭を歩き回り、情報を駒とする。殺しに、密売に、内部抗争に…その情報は凡ゆる場面で活かされていた。

ボスは時折、褒美として「猫」を
気まぐれにチームに与える。

与えられたチームは飼い主として猫を大いに利用し、シマを広げることも造作ないが…最近の主流は違う。

更に狡猾に、
猫を「他チームと共有」するのだ。
それは一見貰った褒美を分け与えるような慈悲深い行為にも見えるが、そうではない。
他チームと情報源を共有することは、互いの抑止にも繋がるからだ。
自分たちの情報源を開示する代わりに、
相手チームの活動が己らのシマを荒らさないか、組織として常軌を逸することはないか、見張るのだ。

「猫」の共有を、
シマ拡大のメリットととるか、
情報開示をデメリットとするかは、
チームリーダーの判断に任されていた。





ある「猫」は大きく欠伸をして、二回瞬きをした。猫背をぎゅーっと伸ばすように仰け反り両手を上げれば、レースのカーテンがふわりと風に揺れて、暖かな風に目を細める。
ふいに伸ばした手にさらりとした感触。
綺麗な髪、そんな手触りだ。
瞼に映る影には見覚えがある。

「なんか用?」
「用がなければいけないのか?」
「ウチにいるの、珍しいから。」
「すまなかった。任務が忙しくてな…」

ブチャラティは私のくしゃくしゃの髪の毛を手で梳いて寝かしつける。「シニョリーナ、身なりには気を遣え」なんて、煩いマードレの言いつけを無視した私のだらしが無い様子に頭上からはため息が聞こえた。

「任務は上手くいったみたいだね…もう2勢力もブチャラティ側に鞍替えしてる。」

「そんなこと…もう判るのか…」

「麻薬の流入経路、ここと、ここ…絶たれてる。」

モニタ画面を指差せば、ずいと顔を近づけた。近くで見たってブチャラティにはこの意味はきっと解らない。

「ふむ…上手く行き過ぎな気もするが…」

「お腹減った。」

「そうだな、リストランテに…」

「パスタが食べたい。ブチャラティの作ったやつ。」

「…お前というやつは…味に期待はするな。」

「ポモドーリ・セッキ(ドライトマト)の!」

「…仰せのままに…。」

ドライトマトの濃厚な酸味とフレッシュオリーブが口の中で弾ける。もぐもぐと咀嚼を繰り返せば、ブチャラティがじっとこちらを見ていた。ブチャラティはいつもそう、ひとの食事を見るのが好きなのだ。

「お前が初めてこのうちに来たときも、このパスタを美味そうに食べていたな。」

「うん、ブチャラティがあんまり見つめるから、食べ続けるしか無かったの。」

「それはすまなかった。」

くすくすと笑ったブチャラティが不意に真剣な眼差しで私を見つめた。次に言う言葉は容易に予想が出来る。だって私は猫なのだ。
このイタリア一の情報通。
誰が誰を殺すことになるのか、鉛の弾を撃ち込む奴より先に知ってる。


「パーレイ、してもいいよ。」

ブチャラティの口が私の名前を象るより先にそう告げれば、ブチャラティは大きな瞳を更に大きくして私を見た。

パーレイ。元々は古い古い海賊の言葉。海賊間での「和平交渉」を意味するが、この組織では己の力を認め合ったチーム同士が私たち「猫」という情報源を共有し、互いを潰し合うことのないよう和平の交渉をする行為をそう呼ぶ。

パーレイが成立すれば、猫はチームを掛け持ちすることになる。そうなれば、今までのように片チームにだけ有益な情報を流すわけにはいかない。与える情報の質や量、常に均衡を図ることが出来ねば、己の身をも危ぶまれるだろう。 とどのつまり、猫にとっても、飼い主にとっても、この行為はかなりのハイリスクなのだ。

ただし、チームの勢力を増強させるには、
いつかこの抑止力が必要になる。
遅かれ、早かれだ。


「なぜそのことを…」

「私は「猫」だよ、ブチャラティ。明日ミスタが殺す相手をミスタより先に知ってるし、ブチャラティと新入りジョルノの野望も知ってる…ぜーんぶお見通し。だからブチャラティが真剣な顔で何を言うのかなんて、すぐ分かる。」

「ロコ…すまない。」

「なんで謝るの。謝ってばっかり!わたし、このチームが好き。自分の事よりずっと…ずっと好きになった。だから、わたしに守らせて。」

「暗殺チームは、得体が知れない…お前の命が保証されるとは限らない…。」

「ここに来たときもそうだったよ。命の保証をされてきたわけじゃない。そんなの覚悟してる。それにわたしの命は誰にも左右されない、決めるのはわたし。」

少し冷めた最後のパスタを平らげた。きっと3年間共に過ごしたこの部屋とも明日でお別れになるだろう。物哀しいような、やっぱり愛おしいような、よく分からない胸の震えが私を満たした。

「しかし、飼い主は俺だ。」

「なら命令してよ。そんな顔してないでさ。」

「俺は…お前を危険に晒したくは…」

「ブチャラティ、わたしはアンタの女じゃない。優しくするなら、ミラノのシニョリーナにね…」

アンタの女じゃないって話聴いてた!?というくらい優しい手つきがわたしの頬を這う。愛おしむように、慈しむように…私がそこにいることを確かめる。こうなるとまぁ長い。

3年も同じ屋根に住めば分かるが、これはブチャラティの「不安」。どうしようもない「不安」なのだ。文句を言おうが、振り払おうが、気が済むまで私を気にかける。

「ふふ、くすぐったい……真剣な話でしょ!ふふ、ブチャラティ!」

「オマエがあまりにも釣れない事を言うからだ。」

擽る指がブチャラティらしくない温度で、わたしは心底嫌になる。この嘘みたいに穏やかな時間が私たちを変えてしまう前に、早く遠くに逃げないと。

ジョルノはきっと、わたしをじっと見るだろう。信用してよいのか決めかねるだろうから、見定めるようにじっと。
ナランチャとミスタはブーブー騒ぐ。
内心はブチャラティの決めたことだから自分たちは意見する立場にないって分かってるけど。
フーゴはきっと自分が蚊帳の外で知策が張り巡らされていることに不満を抱くだろう。
そしてアバッキオはきっと最後まで反対だ。散々怒鳴り散らすけど、きっと誰よりも私を心配してる。

「彼奴らには俺から伝えよう。」

「そうだね、荒れそうだから私は会わない方が良いと思う。」

「アバッキオはお前を可愛がっていたからな。」

「なにそれ、ブチャラティの猫可愛がりには敵わないよ、きっと。」

ブチャラティは微笑んで私に握りこぶしを差し出した。手を出せと言われて、キャンディでも受け取るように両手で弧を描けば、そこには華奢なアンクレットが落ちてきた。小さなサファイアが飾られおり、これまたセンスの良い贈り物だ。

「だーかーらー!ブチャラティ、私を口説こうとしてるわけ?」

「ああそうだ。他の男に取られたくはないからな…肌身離さず身につけておくんだ。ベッドに連れ込まれそうになったら、これを引きちぎれ。直ぐに向かう。」

「……わかった。」

素敵な贈り物に見つめ合う二人。ここがリストランテなら、甘い空気を漂わせる恋人にでも見えたのだろうか。
だけど、ここに流れる空気は張り詰めている。
ブチャラティの冗談めいた言葉には、私に有無を言わさぬ裏があった。

私の身に危険が及ぶことは、暗殺チームが和平を破ること。私がその報告を欠けば、自ずとブチャラティチームにも危険が及ぶ。

ブチャラティは分かっている。私がこの発信機付きの随分な首輪を引き千切るときは、私が死を覚悟し、最期の力を振り絞ってチームに危機を知らせる時だ。

己の命とチームの安全を天秤の同じ皿に乗せさせることで、ブチャラティは自己犠牲を厭わない私からわたしの命を守っている。


「面倒な男だね。」

「俺にそんな事をいうのはお前くらいだ…覚悟があり過ぎるのも問題だな。」


ため息をついたブチャラティが立ち上がって私をそっと抱きしめた。少しだけ香る爽やかなパフュームは、シトラスのトップノートからセクシーなムスクに変わる。

「死ぬんじゃあないぞ。」

「それはリゾット次第。」


素直に心配されない猫に、ブチャラティは深くため息をつき、その額を少し強めに小突いた。

お気に入りのレースカーテンが風に揺られ、
向かい合う二人を隔てた。

透けて見えるのに、よく見えない。
触れられそうなのに、触れない。
そんなレースのもどかしさに、
少しだけ安心した。





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