じゃあくなこころ

あのレースのカーテン越しに風をうけてはためく髪。寝癖で少し跳ね上がって、起き抜けの顔で窓の外を見上げて今日の天気を確認する横顔が瑞々しい果実のようで、その姿を見るたび心が満たされた。

誰に対しても無防備で、
だが、俺の前だともっと無防備で。
柔らかなその皮は簡単に剥いでしまえる。
そんなふうに思いながら熱いスープを冷ます彼女を見ていたのがずっと前に感じた。

黒のドレスを身に纏った彼女は、もうずっと前からジュエリーショップのショーケースに収まっていたように眩い光の膜を帯びている。ディスパーションした光は、ちらりと俺に目線をくれた。それから連れの男に囁くようにキスを落として、悪魔はくすりと笑ったのだ。


「チャオ、ブチャラティ 。」
「久しぶりだな、ロコ…。見違えた。綺麗だ。」
「そんなに真正面から言われちゃ照れるんだけど…でも嬉しい、ありがと。」

頬を赤らめてはにかむ表情が懐かしいような、初めて見るような、不思議な感覚だ。無意識に細い手首に触れるほど、彼女がロコで、本当にここにいるのか、疑っている自分がいる。

「俺の為に着飾っているなら嬉しいが…そうではなさそうだな。」
「うーん、半分は違う理由だけど、半分は本当にブチャラティの為よ?驚かせてみたくて!」
「あぁ…ウチではなかなかお目にかかれない格好だ。かなり驚いた。」
「もー!意地悪!」

先程まで男を誑し込めていた唇が無邪気に弧を描くものだから、目を反らせなくなる。
シャンパンで乾杯し、前菜のスフォルマートを美味しそうに頬張る姿は、格好は違えど見慣れたロコで。


「もう半分の理由は?シニョリーナ。あちらに好きな男でも出来たか?」
「いまよーーく選んでるところよ!!向こうでは私は余所者。だから女でいるほうが楽なの。半分の理由はそれね。」
「あまり無茶をするなよ。」
「…猫は情報の為なら望まれた姿になるのよ、ブローノ。」
「そうだったな、恐れ入ったよ。そう睨むな。」

ブローノ、と咎めるような声がじゅわりと胸に沁みて、瞬きが遅くなる。

本音を言えば、ロコを暗殺者チームに向かわせたその日から、たいして寄りもしなかったあの部屋に足繁く訪れていた。
彼女のいない空っぽの部屋を確かめては、その記憶をなぞった。
ムーディー・ブルースがするように、時を巻き戻して、彼女の姿をそこに見ていた。

当たり前のようにあったものが今はもうそこにない。その事実が記憶の中の彼女をより一層強い光に仕立て上げた。

ティーカップをなぞれば、蜂蜜がきっちり2匙入った紅茶に息を吹きかける様子が。

ベッドに腰かければ、俺の足音に瞼を上げる寝ぼけ眼が。

ロコは「猫は望まれた姿になる」という。

ならば俺が望んだのはきっと、
『何気ない生活』だったのだろう。

不安も喜びも悲しみも無関心も激しさも、なにもかもティーカップに溶けてしまうような、穏やかな時間。



ジョルノにも覇気がないと言われるくらいここ最近の俺は腑抜けていた。
あまりに女々しい事実に目を背けていたが、今日ロコを目の前にしてきつく締め上がる心臓に認めざるを得なくなってくる。

「また難しいこと考えてるでしょ?」
「あ、あぁ。すまない、食事中に。」
「ううん、なんか懐かしい。まだ全然経ってないのに。ブローノはいつも、私が食事するのを見ながら考え事してたよね。」
「…あぁ、そうだな。いつも食べにくいと睨まれていたな。まだ、直りそうもないが。」
「そうよ!まったく、変な癖なんだから…」
「それより、ボスの周辺になにか変化はないか?」

呆れながらも魚介のパスタに手を伸ばすその旺盛な食欲を見つめながら本題に入れば、ロコは慌てて口の端についたソースをぺろりと舐めた。

「無いわ…なさ過ぎる。いやに静かよ…。猫のネットワークになにも情報が落ちてこないってことはないの。近場の猫を口封じした可能性が高いわ。」
「勘付かれたっていうのか?」
「…それはない。いくらなんでも早すぎるわ。」
「しかし、口封じとなると…俺たちに知られたくない情報が漏れた可能性が高いだろう?」
「口封じされたのは、その猫が下手を打っただけよ。猫は餌場に留まり続けてはならないの。きっと深入りし過ぎたのね。ボスの近くの情報は金になる。でも程度を弁えないと簡単に消されるわ。知らない世界じゃないでしょう?」
「あぁ、」
「でも『知られたくない情報』って云うのはその通り。情報統制にも敏感になっているわね…。」
「情報統制とはどういう意味だ?」
「意味もなにも…単純に『ブルってる』ってことよ。ボスは私たちが思うよりずっと慎重で、私達のような《詮索する者》の陰に怯えているわ。だからまだ私達の情報は取りに動かない。自分の周りの情報を圧縮することに注力してるのよ。」
「…ボスは随分と器の小さな男にプロファイルされているものだな。」
「かなり正確なプロファイルだと思うけど…。奴には権力者のみせるはずの隙がない。おかしいくらいにね。意図的に消されているのよ、隙が。」

ロコはマスカルポーネのティラミスをスプーンで掬って口に運んだ。
先程まで真剣に見開かれていたアーモンド型の瞳が細められて、今度は甘さに胸を躍らせているのが分かる。ころころと転がるような愛らしい様子に頬が緩む。

緊張と安らぎが交互に訪れる彼女との会話はいつも刺激的で、会話が終わる頃には緩やかな疲れでよく眠れるのだ。

「美味いか?」
「うん。甘くておいしい〜!」
「まだ食べられるなら俺のも食べていい。」
「…いいの?ブローノはティラミスなら好きでしょう?」
「ロコが食べるのを見るほうが好きなんだ、気にするな。」
「…ふふ、甘いんだから。」

悪戯な笑顔が可愛くて、つい甘やかしてしまう。


お互いの活動範囲について調整を進めるうちにあっという間に時間は過ぎてしまった。ロコが立ち上がり、そろそろ行くわと長い睫毛を伏せた。
彼女は少しだけ歩みを止めて、それからはっと此方を見上げて口を開きかけた。
ブローノ、と紡ぎ出されそうなその唇を人差し指でそっと押さえる。

「…そういえば…、ロコ、奴等にとらせる褒美がこの唇じゃあ、少し魅力的過ぎるんじゃあないか?」
「…見てたの?」
「たまたま見えたんだ。」

見てたのか、だと。よく言うものだ。
俺に態と奴とのやり取りを見せつけていた癖に。まるで俺が色恋に狂っているように錯覚させる。いや、もしくは本当に狂いはじめたことに俺自身が気付いていないのか。

「…言ったでしょう、ブローノ。暗殺者チームでは私は余所者よ。」
「…だからといって自分をすり減らす必要はないだろう。」
「…すり減ってないと言ったら?」
「…ロコ。」
「分かってる、心配掛けてるわよね。でも、私もブローノたちに逢うまではこの組織でひとりだったの。一人でやらせて。」
「ロコ、忘れるな…俺たちはチームだ。仲間を守る為ならお前はなんでも出来てしまう。だからこそ、俺たちはいまお前の側に居ない。それだけだ。」
「……ブチャラティ 、仕事に戻るわ。また誘ってちょうだい。」

彼女は真っ直ぐと此方を見据えてから湖を往く白鳥のようにゆっくりと視線を逸らした。
ブローノ!と自分を呼び、キラキラと輝いていた瞳には窓から差す沈みかけた陽の朱がこっくりと映り、その色を深める。
それはまるで彼女を夜に呼び戻しているようだった。


己がそうであるように、彼女もまた昼と夜の曖昧なバランスの中に生きている。
穏やかな生活を送れたとしても己に潜む狂気がいつかは滲み出して、総てをめちゃくちゃにしてしまうことに怯えている。

去っていく彼女の小さな後ろ姿に自分はとんでもない大義を預けてしまったのだと思い知る。初めて出来た仲間に逆上せた彼女を最初に利用したのは己ではないか。


「吐き気がする…。」


大義のために彼女を利用した邪悪なその心で、去りゆくちっぽけな背中1つ守れない己を呪った。





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