タバコの匂いは、割と好きだ。


「それ、火 着けないんですか?」


タバコの匂いが染み付いた、この人も好きだ。


「餓鬼ばっかだしな、喫煙所まで我慢だろ」
「へぇ、なんか大人みたい」
「こう見えて諏訪さんは大人なんだよ」


私の頭を乱暴に撫でるこの手も、好きだ。
指先から微かにタバコの匂いがするから。


「今日さみぃから 温かくして帰れよ」
「諏訪さん、なんかデキる大人みたい」
「諏訪さんはこう見えてもデキる大人なんだよ」


じゃあな、と去っていくこの人の残り香も好きだ。
この人の匂いとタバコの匂いが混ざって、心地良い。

諏訪さんはもう覚えてないだろうけど、随分前に今と全く同じ会話をした事がある。
その時の諏訪さんは じゃあな、と去ってはいかなくて。煙を吸うよりも 葉の香りを味わう方が好きなのだ、と とっておきの内緒話をするように 教えてくれた。

その時の 悪戯っ子のような顔も、好きだ。


「諏訪さん」
「んだよ」
「私も着いて行ってもいい?」


そしてその時、私は諏訪さんに言ったのだ。
私は、タバコの匂いが好きなのだ。と 言ったのだ。


「あー…、じゃあ外出るか」
「いいの?」
「コート着て来い。あ マフラーもして来いよ、待っててやっから」
「うん」


急いで作戦室にコートとマフラーを取りに行く。走るなよ、と言われたけれど ごめんなさい、走ります。だって そこに好きなものがあると分かっていて走らない人間なんて居ないでしょう?

タバコの匂いが好きだと言ってから、諏訪さんと基地外の喫煙所に行く事が増えた。喫煙所と言っても 灰皿がひとつ置いてあるだけで仕切りなんてないけれど。
基地内の仕切りがある喫煙所に 未成年の私が入るのを諏訪さんは嫌がる。当たり前だ。ふうも悪いし 私の体にも悪いから。
優しい人だ。そんな所も好きだ。


「諏訪さん、お待たせ」
「おー、行くぞ」


無駄に大きなボーダー本部。沢山の通路の中から一番喫煙所に近い道を選んで歩く諏訪さんの背中を追いかける。
この人の後ろを歩くのも好きだ。
タバコの匂いが、風に乗って運ばれてくるから。


「うおっ、さみぃ」
「本当だ。今日は一段と冷えますね」
「さっさと戻るか」
「それは少し残念な気もしますけど」
「…お前の将来が怖ぇな」
「え?」
「なんでもねぇよ」


自販機の横に設置された灰皿の横に立って、長い事咥えられただけだったタバコに火が点る。
冷たい空気にタバコの匂いが染み付いて、私の横を流れていく。あぁ、心地いい。


「ほら」
「あ、ありがとうございます」
「すぐ冷めっから、さっさと飲むか握っとけよ」
「なんか飲むの勿体ないんで 握っておきます」
「そういう所だよ」
「だから、何がですか?」
「なんでもねぇよ」


諏訪さんが奢ってくれたのは、蕩けてしまいそうな程に甘いミルクティー。子供扱いをされている。子供だから仕方がないけれど、少しだけ喉の奥が痛くなる。
涙が零れないように、深く息を吐いた。


「あ」
「んだよ」
「私もタバコ 吸ってるみたい」
「あ?…ああ、息か」


口を大きく開けて、肺の空気をゆっくり外へ出す。
言葉と息が白く濁って そして一瞬で宙に消える。ほらね、タバコ吸ってるみたいでしょ。
タバコの煙はこんなに口を開けなくてもいいし、長く長く宙を舞うけれど。


「お前 ヘビースモーカーになるなよ」
「大丈夫、匂いが好きなだけなので」
「自分じゃあ吸わねぇってか」
「はい。タバコを吸う恋人を見つけます」
「副流煙で早死にするぜ」
「恋人の副流煙で死ねるなんて素敵じゃないですか」
「お前の将来が本当に怖ぇよ」


いつの間にか諏訪さんのタバコは随分と短くなっていて、目に見えるタイムリミットは便利だな、なんて現実逃避をしてみた。
ふう と息を吐く。白く上がってすぐ消えたから、今度は長いため息を吐く。それも白く上がって、すぐ消えた。


「ため息ばっかりついてんなよ」


不幸になるぜ、なんて そんなの迷信に決まってるじゃないですか。そんなのを信じているなんて この人はなんて可愛い人なんだろう。


「言葉も息も 目に見えるなんて素敵でしょ?」
「考えた事もねぇけど、嫌いじゃねえ感性だな」
「だからね。せっかくだから ため息に思いを乗せて見ようと思って」
「どうだったよ」
「すぐ消えちゃうんで、届きそうにないです」


息はケムリと違ってすぐ消えちゃいますね。
そう言って笑うと、思春期を拗らせるなよ、なんて呆れたように言われてしまった。
思春期、子供から大人へ変化する時期の事。それならば私は今 少しずつこの人に近付けているのだろうか。


「ねえ諏訪さん」
「んだよ…あ、テメェ!」


ケムリの匂いが染み付いた指先からタバコを奪って、大きく吸う。
喉が痛いし、耳鳴りがする。咳き込んでしまいそうだけど 苦しいからと吐き出すのは勿体ないから何とか耐える。


「餓鬼が何やってんだよ」
「…っ」
「早く吐き出せよ、痩せ我慢すんな」


涙で視界が歪んで、喉が 胸が 苦しい。

張り裂けてしまいそうな思春期を、この思いを、どうか、少しでも長く 貴方の目に映して欲しい。
言葉にする事が出来ない私の思いが、空気に染み付いて風に乗って、少しでも良いから 貴方にまとわりついて欲しい。


「…はぁっ、」


私本当はタバコじゃなくて 諏訪さんが好きなの。


紫煙に隠した


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