偉大なる蜂蜜の力

『おぉ…いい感じかも…』

最近、魔法舎の皆がパンケーキをよく食べていることに気づいて謎のパンケーキブームなのかと1人で考えていた。
キッチンの前を通れば甘い匂いがするし、食べたであろう若い魔法使いたちの笑顔にはもれなくジャムや蜂蜜の匂いまでするのだ。
そして罪深きバターの香り。

『…いつか試してみようと思ってたけど、本当にやってみる日が来るとはなあ』

以前、東の国の任務に同行した時にネロからもらったハニーポットを久しぶりに取り出して、昨日寝る前に水を張って窓辺に置いて置いたのだ。

は、蜂蜜っぽい…こ、これは本当に蜂蜜だ…

すごい、と感動しながら暫くハニーポットの表面を眺めては匂いを嗅いでいた。

…さて、これをどうするかだな
思ったよりもたくさん出来ちゃったから、パンケーキはもちろん、他の物にも何か使えそうだな
トーストにもいいし、蜂蜜は…うーん…

そこまで考えてから、何に使えるんだ?と首を捻る。
一旦ネロに報告がてら朝ごはんをいただきに食堂へ向かうと、そこはもう戦場であった。

『なっ……』

「オーエン、ちょっと、人の分までとらないでください
殺されたいんです?」

「はあ?
僕のパンケーキとったのはミスラでしょ?
ミスラこそ死にたいの?」

「俺は腹が減ってるんです
これ以上イライラさせないでくださいよ、ブラッドリーも纏めて殺したくなってきたな…」

「おい、ミスラ、俺まで巻き込むんじゃねえ」

「あれ、ブラッドリー、珍しいね
今更ミスラに怖気付いたの?北の魔法使いが聞いて呆れるよ」

「るせえな!オーエン、てめえ…俺様の食いモンもとってったくせにふざけんじゃねえぞ…!」

「これ!やめんか!」

「3人とも、朝からやめんか!」

なんということだ。
折角の朝の魔法のわくわくがだんだんとイライラに変わってきてしまった。
いかんいかん。

「おはようさん、晶」

呆然と立ち尽くしていた所に飛んできた声は、いつもの呆れ声だった。

『…おはよう、ネロ
ごめん、これはいつからかな…?』

「…さあな、気づいた時にはこの通り」

朝から疲れた顔をしているネロの手には、真っ二つにされた皿。
なんということだ。

「流石にこんなもんほっといたら、お子ちゃま達が怪我するだろ
ったく、朝からある意味元気だよな…どっからあんな気力が毎日湧いてくるんだか…」

『全く…今日は朝あんなに感動してわくわくして来たのに…後でネロに相談しようと思ってたけど少しゆっくりしてほしいから後にするね
とりあえず先にアレをどうにかしないと…』

「相談?俺に…?」

『あ、うん、でも急ぎじゃないっていうか…
アレほど緊急性を要するものはないし、ネロもお疲れだろうから少し休んでほしいし、午後くらいにでも部屋に…』

行っていいかな、と聞こうとした瞬間、ドカンと大きな音がした。
そこには穴の空いた天井。
パラパラと何か埃っぽいものが落ちてくる。

『あ…』

「賢者ちゃん!」

「賢者よ!」

『スノウ!ホワイト!
ちょっとまたどうしてこうなるんですか!』

ごめん、とネロに一言だけ断ってからダイニングに向かって殺気立つ3人の元に駆け寄った。
スノウとホワイトもやれやれといった表情で、一応経緯らしき経緯を教えてくれたもののほとんどがオーエンの横取り、ミスラの食欲、ブラッドリーのプライドと、まあ、これも大体聞き慣れた理由だったので頭を抱えた。

「じゃあ、死んでください」

「僕のパンケーキ食べたのはそっちだろ」

「今日こそてめえら、2人でやってるとこを纏めて俺様が最強の北の魔法使いを名乗ってやる」

「へえ、最強の北の魔法使い?
聞いた?ミスラ」

「何をです?」

「…ミスラと話してると自分が馬鹿馬鹿しく思えてきた」

「失礼な人ですね、話しかけておいて
さっさとオズを倒して世界最強の魔法使いになる俺と、最強の北の魔法使いでは全然俺の方が強いと思いますよ」

「結局聞いてるんじゃない」

「ある程度の計画性ってのも必要なんだよ
てめえらは頭が回んねえからな
手始めに北からって話だ」

「どうでもいいけど、僕のパンケーキ、返してもらうよ」

こういう時は3人の意識をそらせて戦意喪失させるのが手っ取り早い。
気がする。
仕方がないので、平静を装って空いている席に座り、まだなんとか残っていた最後の一枚のパンケーキを皿に乗せてバターとジャムを乗せる。

「……」

真っ先に反応したのはやはりオーエンだった。

「ちょっと」

目の前にすっと現れたオーエンは射抜くような視線で俺の目を見た。

「僕のパンケーキ、晶まで取るつもり?」

『おはよう、オーエン
俺の朝ごはんじゃないの?これ
遅く来たからもうないかと思ってたけど、なんだか3人で楽しそうなことしてるし、俺の分を残してくれたなんて優しいね』

「は?誰が…
そういう意味じゃないしそれは僕のだ」

『…でもジャムもこれしか残ってないし、オーエンはもっとたっぷりジャムや蜂蜜をかけた方がいいでしょ?
今日はたくさん蜂蜜があるから後でもらいに来た方がいいんじゃない?
それに、ブラッドリーの分も食べたみたいだし皆より食べたよね?
あと、これは俺が見つけたけど3人とも気が付かなかったから早い者勝ちって意味では俺のかな』

いただきます、と食べ始めた俺を見てオーエンの不機嫌モードは更に増した。
気にしないのが一番である。

「あ、晶、いたんですか」

『おはよう、ミスラ
なんだか今日はクマがまた…ひどいね』

「全くですよ
イライラしてるんです、そこのオーエンの首でも吹っ飛ばさないと気が済まないんで」

『穏便に行こう、穏便に…』

ちょっと慌てたが、隣にミスラが座ってきたかと思うと手掴みで俺のパンケーキをちぎってきたので皿ごと逃げた。

『こら、せめてナイフとフォークを使って…頼むから…』

もう、と呟いて逃げながらちぎれたパンケーキを食していたら、ブラッドリーは舌打ちして長銃をしまった。
というかそれまで皆なぜ魔道具まで持ち出したんだ、パンケーキ1個で。

「クソ…どうでも良くなってきたぜ…」

よし、これでブラッドリーが……ん?
まさかこの流れは…

「大体、俺様は朝から甘ったるいモン食えやしねえ
肉を寄越せってんだ」

おおっとこれはネロが危な……まあ、大丈夫だろう、うん…
ネロにはお疲れを強いることになるが、魔法舎が破壊さらるよりはマシだ、うん、ごめん、ネロ…
ブラッドリーは任せた…

ダイニングを出て行ったブラッドリーを横目で見てパンケーキを食べ切ると、オーエンもいつのまにかどこかに行ったのか消えていた。

「やれやれじゃ…
全く、晶がおらねば何故そなたらは鎮まらぬ…」

「すまんのう、また世話をかけてしもうて」

スノウとホワイトに頭を撫でられ、いえいえとなんだかもう慣れましたと苦笑して答えた。
そしたらキッチンから、若い魔法使いには聞かせられないようなネロの怒声が聞こえてきたのでやはり、となってしまった。

「あの、食べました?俺、早く寝たいんですけど」

おおっと、ミスラさん…
ごめん、俺、今日すっきり起きてしまってハニーポットでわくわくだったから全然眠くないんだった…
あ、でも眠くないってことは、俺が寝落ちする可能性は低いから寝かしつけには持ってこいの日?

『はいはい、わかりました
皿洗い済ませたら行くから先に…え?』

「早くしてください
あとこれ、味がしませんね」

……はい?

油断大敵。
また皿を一枚ダメにしてしまった。
待ちくたびれました、とミスラが食べていたのはいつもより小さめの皿。
なんてこった。

『ミ、ミスラ…それは…
あー…まあ、いいや、とりあえずすぐ行くから部屋に…』

「俺に指図するんですか?」

『違う違う、ちょっと待って…』

食べかけられた皿と俺が使った食器類を持って急ぎ足でキッチンに向かえば、お説教されているブラッドリーがいた。

『ネロ、ごめん!ちょっとまた被害が…』

「あ…晶か、悪いな…
ったく、静かになったもんで油断してたらこっちにゃパン泥棒だ」

『ブラッドリー…懲りないねぇ…
っと、ちょっとミスラ待たせてるんだ
シンク借りるね、皿洗いだけだからすぐ終わる』

「ああ、そんな事なら俺がやっとくからいいさ
それより怪我はねえか?」

『大丈夫大丈夫
それに今日は朝からネロに迷惑ばっかりかけてるからこれくらいさせて
ネロもそろそろちゃんと休みなよー?』

「なんだかいい匂いですね、余りものでもあるんです?」

ああぁ、なぜ来てしまった、ミスラよ…!

そう思ったのは俺だけじゃなかったらしい。
ネロも、ブラッドリーでさえも顔を歪ませたのだ。

「あ、ブラッドリー、美味しそうなものを持ってるじゃないですか」

「いや、これは…」

とりあえず自分の食器を超特急で洗い終えて、はいはいはい、とミスラをキッチンの外へと追いやる。

「結局何もありませんでしたね
はあ…仕方ありません、起きたら何か食べ物があるといいんですけど」

『うん、それはあるんじゃないかな…』

一旦一安心したら、グイッと首根っこを掴まれた。

『ぐえっ』

「ほら、行きますよ
珍しくあなた、やる気になってくれてるみたいですし
今日はオズも朝からいないんでゆっくり寝たいんです」

そんな、夜に備えて…みたいに言われるとちょっと今夜が心配なんだけど…

と、部屋に連れてい行かれると思っていたら廊下でミスラが突然扉を出してきた。

「アルシム」

『…え?
ミスラ?あの、一体どこに…』

「寝られそうな所です」

…え、どこ?
ごめん、今の流れで全くわからない

「きっと晶も気に入ります」

『え、そうなの…?』

「はい、寝るのには丁度いいので」

恐らく、と続けたミスラはドアを開けると、先に俺をポイッと落とした。

『嘘、ええええ?』

「あ、晶は魔法が使えないんでしたっけ…」

面倒だな、と本人の前で思いっきり言い放ったミスラになんとか捕まえてもらい、箒に乗せられた。
目の前は白い。
銀世界である。
樹氷や久しぶりの真っ白な雪に綺麗、と感動していたのも束の間、肌を刺すような冷気で思わずミスラのいい匂いのする服を握り締めて震えた。

『ミスラミスラミスラ…!
ちょっ、な、さ、寒い、寒いんだけど…!
北の国に行くなら最初に言ってくれないと上着が…!』

「なんですか、うるさいですね
もうすぐ着きますから静かにしてください」

却下。
まさかの守護魔法却下である。

た、頼むから…守護魔法だけでいいので…あと何でもしますから…
お願いミスラ…俺、多分このままだと枕になる前に凍える…氷枕になる…

「見えてきました
相変わらずですが…」

『…は、はい…着いた…?
良かったね…』

どこかわからないが、箒の速度も減速していき、雪の上に降り立って改めて辺りを見回してみた。
ミスラは周辺を少し散策して、突然氷の張った湖に穴を開けて飛び込んでいった。

え…
ま、まさかの死の湖でしたか…
いや、まあ、うん…そうかー…
俺が気に入るっていうかは、ミスラがなんとなくお気に入りなんだよね…
夜じゃないけれどマナエリアに似た環境だし、確かにミスラにとってはゆっくり出来るのかも…

『っ…』

そ、それよりこの凍えをどうにかしていただけませんかね…

雪の上で体をさすりながら、なんとなく北の国の精霊にも馬鹿にされているような、痛々しささえ感じてくるのだ。
不意にザバッと湖から上がってきたミスラはそれはもう、なんか色気がすごかった。

水も滴るいい男、なんですね…
前に雪のマーケットで会ったベファーナだったらクマのないミスラならもっと、と言うだろう…

「あれ、泳がないんです?」

『…お、泳げると思ってるの…?
この寒さで…』

「俺は泳げますよ?」

…いや、そうじゃなくてね

『あの、寝たくて呼ばれたんじゃ…』

「ええ、ここならオーエンにも邪魔されませんから」

『それよりミスラ、あの、1つお願いが…ありまして…』

雪の上にぼふっと横たわったミスラはなんでもないように俺を見る。
それどころか早くしろという謎の圧さえ感じ、手をそっと握りながらも言葉を続けた。

『…あ、あの…ミスラ?
お願いしたいことが…あの、守護魔法だけ…』

「静かにしてください、今日は寝るために来てるんです」

じゃあなんで泳いだの!?
え、なに、なんか寝る前にひとっ風呂してきますみたいなノリだっ
たの…!?

『えっと…』

「それにしてもあなた、今日は手が俺よりも冷たいですね」

『あ、あの、だから、その…』

歯がカチカチと音を立てる。
ミスラに握られていない方の指先は紫色になりかかっている。
恐ろしい。
これが北の大地か。

「あ、でも今日は場所がいいからですかね…
なんとなく眠れそうな予感がします」

予感なのか!

色々ツッコミどころはあるのだが、それよりもまず非常に恐縮だが守護魔法をお願いしたいのである。
これがオーエンだったなら土下座でもなんでもするレベルなのだが、オーエンよりも素直かと思いきや一筋縄ではいかないのがミスラなのだ。

…ど、どうしよう…
何かあったかいもの…あったかいもの…

だんだんと落ち着いた呼吸音になっていくミスラの手は暖かい。

こ、これだ…!
ていうかこれしかない!

ちゃんと眠り始めてくれたミスラに体を寄せ、人間ホッカイロのように暖を取ることにした。

…待って、もしかして本当にミスラが起きるまでこれなの?
せめて誰か気づいて、くれたりしない…?
いや、それは甘えか…
と、とりあえず、寒い…寒いぞ…ここは…





昼下がりの魔法舎。

「……」

「どうしたんじゃ、オーエン」

「さっきから落ち着かぬようじゃが…」

「別に
…アイツ、晶の気配がしないけど今日はどこかの任務なんてものに付き合ってるわけ?」

「言われてみれば感じないのう
先程クロエから西の魔法使いたちがパーティーに誘おうと探しておったんじゃが…」

「むむっ、ブラッドリーや
そなた、どこに行っておったのじゃ」

「あ?じじいどもには関係ねえだろ
まあ、南のちっこいのと東のちっこいのと、強くなりてえって言うからよ、俺様が特別に稽古つけてやって…」

「…まさかオズなんかといないよね?
晶、僕にあれだけ生意気な口利いて蜂蜜がたくさんあるとか言ってた
もし嘘だったら殺してやるんだ」

「無視しやがったな、てめえ…」

「オーエンちゃん、じゃったら探してくればよかろう!」

「じじいどもまで無視しやがった…この俺様を…」

「嫌だね、なんで僕が…
わざわざそんなことをすると思う?」

「しかし西の魔法使いたちも探しておったんじゃ
ブラッドリーの話では東も南も任務はないようじゃしのう」

「あ?なんの話だ?」

「賢者の気配が魔法舎にないのじゃ
あとは中央の魔法使いたちに聞かねばわからぬが…任務に同行してないとなれば事態は…」

「…あれ、双子先生たちまで揃って…悪いがまだ飯の時間には…
あ、そういや先生たち、晶みなかったか?」

「なんじゃ、ネロ
そなたも賢者を探しておったか」

「え?
あー…いや、大した用事じゃねえんだが、朝相談事があるだのなんかで…
ま、続きは午後にとかなんとかで、朝散々大暴れしてくれたパン泥棒のせいで聞き損ねたんで、ちょいと気になっただけなんだ
いねえならいいんだ、まあ…晶も忙しそうだったし…」

「実は西の魔法使いたちも賢者を探しておっての
ブラッドリーが言うには東も南も任務の日ではないとな
ここでネロがおる時点でそうなるとも言えるがの」

「中央の魔法使いたちに話を聞くべきかと思案しておったのじゃ」

「中央の…ソイツは野暮用だと思うけどな
さっきまで夕飯をどうするか考えてたんだが、リケとアーサーがやってきて、それからカインもオズを引き連れて色々なんか…まあ、騒ぐだけ騒いで帰ってったからな…」

「なんと!」

「なんじゃと!」

一大事じゃ、と慌て始めたスノウとホワイトをよそに、ブラッドリーとオーエンは顔を見合わせた。

「おい、てめえ朝ミスラの野郎になんか食われたんだろ?
今のうちに何かしとくか」

「何かって何?
別にお前なんかと手を組むまでもない、ミスラ1人くらい僕が……
ねえ、ミスラ、どこ行ったの?
スノウとホワイトも最後まで食堂にいたんでしょ?」

「「それは…」」

「それなら、ミスラが晶とキッチンを出たところをブラッドリーと俺が見たのが最後だろうな」

「ああ、確かそうだったな
たまにはてめえの記憶力も役に立たな、東の飯屋」

「そりゃどーも
ってか、その後ミスラを誰か見かけたのか?」

「俺様は知らねえ」

「僕も」

「「我らもじゃ…」」

「ってことは、部屋にいなけりゃミスラとどっか行ったんじゃねえのか?
晶、朝はミスラのクマがすげえとかで寝かせる気満々で皿洗ってたしな…
まあ、俺も用事は急ぎじゃなさそうだったんでゆっくり待つとすっかな…」

パタパタと軽快な足音が聞こえてきて談話室にいた魔法使いたちが目を向けた。

「あの、ミスラさんはいらっしゃいま…せんね…」

「ルチルよ、どうしたのじゃ」

「北の魔法使いの皆さんが談話室にいらっしゃると聞いて、その、ミスラさんもいらっしゃるかと思ったのですが…
お部屋も訪ねたんですが、いらっしゃらなかったので談話室かと思って急いで来たんです」

「ミスラちゃん、お部屋にいない?」

「ミスラちゃん、お出かけ?」

「ミスラが出かけるなんて今に始まったことじゃないでしょ
いつも気まぐれでどっかに出掛けてふらっと帰ってくるんだから
それより晶だよ
アイツ、もしかして僕が怖くなったのかな
あはは、この前僕のこと怖がった顔してくれたし、今日は殺してやろうかって言ったら少し動揺してたみたいだし
蜂蜜がたくさんあるだなんて、嘘までついて僕を騙しててなづけようとしたって無駄だよ
ちょっと晶の部屋にでも行ってくる」

「あっ、待つのじゃ、オーエンちゃん!
ブラッドリーのお守りは任せたぞ、ホワイトちゃん」

「うむ、こちらは我が見ておこう
頼んじゃぞ、スノウちゃん!」

「…あ、あの、もしかして晶さんもいらっしゃらないんですか?」

「あー…どうもそうらしい
俺もまあ、午後相談事がなんとかって聞いてたから茶菓子でも作ろうかと思ったんだが、一向に来る気配がなくてな
そしたら西の魔法使いたちも探してるだの、オーエンもあの通りで探してるみたいでさ
その、あんたが探してるミスラも、朝キッチンで晶が追い出した所をブラッドリーと俺が見たのが最後、行方知らずで…」

「そうだったんですね…
ですが、ミスラさんと晶さんが2人ともいらっしゃらないとなると、2人で出かけた可能性は高くなりますね」

「そうじゃろうな
大方、賢者もミスラの寝かしつけにでも行ったのじゃろう、今朝のミスラはここ数日で一番イライラしておったしの
じゃが、問題はどこに行ったのかということじゃな」

「部屋にいなきゃ外に決まってんだろ」

「外は外でも、範囲が広すぎるだろ?
ミスラの空間移動魔法には助けられた分、その便利さも難解さも身に染みてるさ」

「待つのじゃ、オーエン!」

「おお、オーエンもスノウも戻ってきたようじゃな」

「つまんない
部屋に行ったら本当にあったんだけど
ポットになみなみ入った蜂蜜…」

「ポット?」

「(もしかしてハニーポット…相談事って、それか…?)」



北の国、死の湖。

……気が遠くなる一方なんだけれど…
あの、これは…俺、もう死にそうというか死にかけている気がしている…

『……』

ミスラさん…頼みます…寝ててもいいので守護魔法だけでいいので…お願いを…したく…

今昼なのかいつなのか、それすらもわからない静寂の銀世界のなかで、ひたすらに眠り続けるミスラに寄り添って手を握り締めていた。

というか、こんな人間ホッカイロなんだし、雪ですら…感覚ももう指先のミスラの手だけが頼りだし…
あったかいけど…
守護魔法だけでもと思ったけれどせっかくこんなにゆっくり寝ているのを起こすのも…
いや、でもそしたら俺死ぬよ?凍え死ぬよ?
頭回んなくなってきたし、なんか…なんか考えよう、生き抜く術を…
いや、考えてもどうせミスラに道理は通じない…
ここはいっそ北の国的に考えるな感じろ精神か?
いや、感じるのは寒さだけだ、むしろもう…なす術…

限界に近かった。
なぜこうなったのかと思いながら、もう背に腹はかえられない…と思い切って寝ているミスラを布団にして抱きつくように全身で暖をとった。

…あ、あったかい…さっきよりマシだけど…これは、時間の問題…
いや、でもいい匂い…たまらん…
そして北のこの雪と静寂、白い匂い…ミスラのテリトリーなだけあるな、ミスラの匂いと相性が良すぎる…これはリラックスしてしまう…

暫く眠ってしまったらしい。

「重いです、どいてください」

その声を聞いて、ミスラを起こしてしまったことに慌てて目が覚めた。

『っ…!』

あ、あれ…?声が出ない…?

「全く、また俺を布団にしましたね?
折角ゆっくり寝られていたんですが…」

『……』

うん、そうね、だから申し訳ないと思ってるんだけど、ごめん、声が出なくて何も伝わってないね…

「まあ、そのおかげでいつもよりだいぶ寝ることができました
途中から氷が上に乗っかってるかと思ったんで目が覚めました
あの、聞いてます?」

それには思いっきり頷いた。

「あなた、声が出ないんです?」

それにも頷いたら、ようやくミスラは思い出したように俺の頬に触れて、額にも手をやった。
それから納得したように、ペタペタと冷たいですねなんて言いながら触ってきた。
いや、遊ぶな、俺で。

「ああ、俺の上に乗っていた氷はあなたでしたか
晶、生きてます?」

死にそうです、なんならこの会話の前にせめて守護魔法を…

「なんだかいつもと唇の色が違いますね
雪の上で寝っ転がってたんですか?顔色も白いですよ」

いや、雪に寝っ転がっていたのはあなたです!

「まあ、寝られたんでいいです
帰りましょう、何か食べ物でも探しに行きますよ」

立ってください、と催促されたが動けない。
声も出ない。

ちょっと待ってくれ…
ミスラにはちゃんと口で言わないとわかっているのだが声は出ないし、いつもサポートしてくれるスノウやホワイトもいない…
ミスラが気づくのも気まぐれだし正直期待はできない…
……詰みました

ドサッとその場に倒れた。
正直なところ、体も震えているし呼吸をするたびに冷気が肺を冷やすので酷く衰弱しているのを自覚している。
景色がいい時はとても綺麗なのに、どうしてかこういう時はその過酷さを体感するのだ。

「ちょっと、生きてます?
晶?仕方のない人ですね…」

グイッと体が持ち上がったのを感じる。
それからミスラの空間移動魔法で出てくる扉は見えた。
それから目にしたのは、北の魔法使いとルチル、ネロ、フィガロのいる談話室だった。

「ミスラちゃん!」

「ミスラちゃん!
また賢者を振り回しおって!」

「ああ、今日はよく眠れたので、これで今夜こそオズを殺しに行けますよ
それからこの人、どうも様子がおかしいんですよね
何も喋らないんですよ」

肺にようやく温かいというか、いつも通りの空気が入ってくる。
ドサッと床に捨てられたのはわかった。
痛い。地味に痛いんだ、これが。

「むむっ」

「むむっ!」

「ミスラちゃん!
聞くまでもない事じゃが、賢者を連れてどこに行っておったのじゃ!」

「聞くまでもないなら聞かないでくださいよ」

「北の国まで連れて行きおって…
そなた、守護魔法をかけ忘れたのではないか?」

「ああ…そういえばそうだったかもしれません
北の国に着いたらやたら騒がしかったんですが、そういうことだったんですね
雪で顔色が白くなったのかと思いました」

「「「……」」」

「とにかくこのままでは賢者ちゃんが凍死してしまう」

「ミスラよ、せめてそなたが温めてやるのじゃ
フィガロや、何か薬は……いや、フィガロちゃんは前科があるしのう…」

「やだな、双子先生
これでも俺は、優しいお医者さまなんだから…」

「そう言うでない
ルチル、そなたがおって何よりじゃ
先程持っていたハーブを貸してはもらえんかのう?」

「は、はい!
私のものが力になれるのであれば、ぜひ使ってください!」

「こりゃとんでもねえことになったな…相変わらず苦労人だな…
まあ、急いで体があったまるシチューでも作ってくるか」

「じゃあ、薬に関しては双子先生に怒られちゃったし、毛布でも出してあげようかな
ポッシデオ」

「せめてこのハーブが、晶さんに癒しと少しでも早い回復をもたらしますように
オルトニク・セトマオージェ」

「スノウ、我らの魔法ならば今からでも遅くはない」

「そうじゃの、ホワイト
体内にまで北の国の氷が侵蝕しているようじゃからの
せーのっ」

「「ノスコムニア」」

だんだんと体がじんわりと温かくなってきた。
ソファーに横たわらされたのはわかったけれど、今はとても体が重い。
呼吸も苦しくなくなってきた。
体には毛布がかけられていて、空間にとてもリラックスする香りが広がっていた。

『……』

ゆったりとした癒しの空間に、そっといつもの香りが近づいてきた。

「あなた、か弱いんですからちゃんと言ってください
俺が殺すところだったじゃないですか」

いや、言いかけましたよ!?
呼びとめたよね!?

『き、北の国に着いてちゃんと……あ!声が、戻ってる…』

「あ、そんなに回復したなら安心して今夜オズを殺せます」

『いやいやいや、そのために寝かせたわけじゃないから…
物騒なことは一旦…っけほ』

「…あなた、俺の匂いが一番でしたよね?
こうするのが手っ取り早いですか?」

『ぐえっ』

後頭部を思いっきりミスラに押し付けられたので、確かにミスラの匂いで効果は敵面である。
しかしまあ、それでもまだ完全に回復はしていないしゆっくり休めそうであった。

『…あ、ありがとう
あの、ちょっと恥ずかしい…んだけど…』

「なんでですか?
あなた、俺の匂いが一番だと言ってましたよね?
まあ、この中で俺が一番強いのですぐ治ります
アルシム」

ガンッと頭に衝撃を喰らった気がした。

「うわ…容赦ねえな…
アイツ、力加減とか絶対わかってねえだろ…」

「あははっ、晶もミスラの玩具だね
まあ、今日はオズの寝込みを襲うの楽しそうだから僕も行ってこようかな
晶が蜂蜜たっぷりかけたパンケーキを食べさせてくれたらだけど」

「あっ…ミ、ミスラさん待ってください…!」

では、と立ち去っていったミスラを目だけで見送り、ミスラのことはルチルに任せることにした。
何が起きたのかが全くわからないし、頭の衝撃がすごいがとりあえず体は元の調子を取り戻している。
というか寧ろ暑いくらいだ。

『…あ、暑い…』

思わず一言溢してからソファーに横になっていた。

「しかし、ミスラちゃんには困ったのう
北の国に連れていったかと思えば…やれやれじゃ
これでは賢者も体がいくつあっても足りんじゃろう」

「我らが撫でてやろう」

よしよしとスノウとホワイトに頭を撫でられて慰められる。
いや、本当に体がいくつあっても足りない気がした。
ほよほよと冷たい匂いが漂ってきたかと思えば、腰に重さが加わった。

『うぐっ』

「おはよう、賢者様
どう?元気になった?
ねえ、晶、折角僕のことを怖がって逃げて出ていったかと思ったけど、結局ミスラに連れ去られてたなんてね
しかもいい気味
たっぷりの蜂蜜っていうのも嘘じゃなかったみたいだし、朝言っていた甘いパンケーキくれたら僕も優しくしてあげるよ」

横になっていた腰の辺りにオーエンが思いっきり座ってきて、これはこれでまたオーエンの玩具にされている。

『…嘘なんて言わないよ』

「うん、それは確認したからね
たっぷりの蜂蜜、部屋に隠してたの見た」

えっ…

「部屋から持ってきてあげたよ、これでしょ?」

オーエンがポンッと目の前に出したのは、確かに窓辺に置いておいたハニーポット。

『え、なんでそれ…』

「たくさんパンケーキ食べる」

「オーエンちゃん!
賢者ちゃんから降りるのじゃ…!」

「後で楽しみにしてるね」

ご丁寧にニコニコしながらご機嫌でスッと消えていったオーエンは、恐らくまた後で食堂に戻ってくるんだろう。
はあっとため息を吐き出して、とりあえず一命は取り留めたなと安堵した。

「晶、体はどうだ?
とりあえず体をあっためて…」

『…ネロ…暑い…』

「…は?」

いい匂いがする。
だんだんと食欲を思い出して目を向けたら、湯気のたったほかほかのクリームシチューがあった。

『あ…美味しそう…』

「あ、暑いんじゃないのか?
ん?さっきまで凍えてたなら…えーと…」

『匂いが良すぎて…お腹空いたの思い出した…』

とりあえず体を起こしたら、テーブルに皿を置かれた。
両隣にはスノウとホワイト。
向かい側にブラッドリーとフィガロがいる。

「と、それから双子先生にはチュロスだ」

「「わーい!ネロちゃん!ありがとう!」」

「ちゃん付けはやめてくれ…
そういや晶、ハニーポット使ったんだって?
オーエンがやたら騒いでてさ…」

『あー…うん、実は思ったよりも多くできちゃって…
ほら、最近皆パンケーキ食べてたからパンケーキブームなのかと思って少しでも足しになればと思ったんだけど…
それにしても多かったから、他に何に蜂蜜が使えるのか聞きに行こうと思ってたんだ』

いただきます、と手を合わせてからシチューを少しずついただくことにした。

「おい、俺様にも寄越せ」

「パン泥棒にゃ何もねえよ」

はあっとため息を吐き出しながら、ネロはハニーポットを手に取った。

「けどまあ、確かにこりゃ作りすぎだな
晶、どんだけ食い意地張ってるんだ」

ははっと笑われたのだが、久しぶりに屈託のないネロの笑顔を見て少し心がジン、とした。

「パンケーキにたっぷり使っても余るだろうな
例えば双子先生のチュロスに、ほら」

ネロはスプーンでポットの中から蜂蜜を掬ってスノウとホワイトのチュロスにさっとかけた。

「おお、蜂蜜味のチュロスじゃな!」

「なんとも気が利くのう!」

「喜んでもらえたなら何よりだ
それから、そこのパン泥棒
カナリアさんがこの頃肉ばっかで野菜を食べろって4日連続で出してるみたいだからな
仕方ねえ、今日はコイツを下味に染み込ませてフライドチキンでも作ってやるよ、そろそろうるせえしな」

「お!フライドチキンか!話がわかるじゃねえか
…ん?肉に蜂蜜だと?」

「ああ、下味ほど味も残らねえし一手間っちゃ一手間だが大袈裟なものでもねえ
蜂蜜を含ませるだけで肉が柔らかくなってジューシーに仕上がるんだ
ま、ちょっとしたことではあるけどな」

『あ、それ聞いたことあるかも…
俺のいた世界でも、ステーキとか肉料理にオレンジのジャムを塗ると肉が柔らかくなるとか…』

「なんだ、晶の世界にも同じような方法があるのか、驚いたな」

「美味しそうで俺までお腹が空いてきたけれど、俺は何かいただけるのかな?」

笑ったフィガロを見て、ネロは少し考えた。
よくよく考えてみたら、ここにいるのは全員北の国出身の魔法使いたちだ。
好みが一致していたりするのだろうか。

「あー…そうだな…
じゃあカルパッチョならすぐに作れそうだな…
あとは、それを作って晶がゆっくりしてる間に仕込む蜂蜜酒とか…」

「蜂蜜酒か、いいねえ」

ここにもしミチルがいたら、お酒没収になるところであった。
しかしよくもまあこんなに次から次へと蜂蜜だけで色々出てくるものだ。
改めてネロの料理の引き出しには感動した。

「じゃ、俺は仕込みに行ってくるかな
晶、このハニーポット、少し借りるからな」

『あ、うん、大丈夫
むしろたくさん使い道教えてもらっちゃって…』

「いや、俺も久しぶりに好きなもモンを好きに作ってるだけさ
気になさんな
今日も疲れただろ、本当に苦労人だな…お疲れさん」

…なんて優男だ…
あ、あ、甘やかされている…

『……』

こ、殺し文句だ…

暫くスローペースでシチューをいただいて、スノウとホワイトから、俺がいなかった間に起こっていたことを聞いた。
まあ、とりあえずミスラと出かけたところまでは想像がついたものの、そこから先は誰も追えなかったらしい。

まあ…まさか朝一で北の国に行くとは…うーん…考えないか
任務でもないのに北の魔法使いたちも全員では行きたがらないだろうし、スノウとホワイトが探しに行こう!と言ってくれたとしても、絶対オーエンもブラッドリーも嫌々だろうし簡単には着いてこなかっただろうな…

『…いや、死ぬかと思いました』

「北の大地の精霊たちはミスラがいたから大丈夫そうだっただろうけど、気性が荒いからね
しかし晶も大変だね、全く、北の魔法使いたちに遊ばれちゃって」

『ちょっと、フィガロがそれを言います!?
あの後色々大変で!
ネロともギクシャクして、わざわざカインやヒース、シノたちにまで迷惑をかけたんですからね?』

「…人のいない所で噂話か?」

ビクッとして振り返ると、食堂の入り口には皿を両手に持ったネロがいた。

「ったく…もうその話は終わりだって言ったろ
ほら、先生にはカルパッチョと……そこのパン泥棒にはフライドチキンだ」

「おっ、美味そうじゃねえか!」

「うん、美味しそうだ
後で蜂蜜酒が待っているのを考えるとまた楽しみだね」

いただきます、と各々食べ始めたが、ブラッドリーの食いつきの凄さに言葉を失った。
というか、本当に味わっているのかと思うほどの勢いでかぶりついているのだ。
それでも美味いだの天才だなと言っている辺り、大方お腹を空かせていてうえに久しぶりのたくさんのフライドチキンで嬉しかったんだろう。

「晶、どうだ?食べれたか?」

少し心配そうな声に、空っぽのスープマグを見せた。

『美味しかった!
皆のおかげで元気になったし、やっぱりあったかいもの食べると体の芯から温まるっていうか…
やっぱりネロのご飯、おかわりしたくなっちゃうよ、わかるなぁ…』

少し意外そうな顔をして髪をいじったネロは、少し考えてからそっぽを向いた。

「あー…そんなに欲しかったら少しだけ…な?
ま、まあ、あんまり無理させるわけにもいかねえから…ほら、まだ少し熱っぽいんだし」

随分あったまったと思ったが、体はまだ北の国にやられているらしい。
そっと額に手をやったネロはそのまま俺の頭を一撫ですると、空のスープマグを持ってキッチンに行ってしまった。

…もしかして、ネロのご飯…
あ、俺、取っちゃったのかも…

気付いた所で時すでに遅し。
そして談話室の賑わいを聞きつけたのか、ミチルがやってきた。
なんとなく冷たい匂いもするのだが。

「あ、フィガロ先生…!
レノさんと探してたんですよ!」

「見つかっちゃった
どうしたの?俺はこれから蜂蜜酒で晩酌……あ」

「あー!フィガロ先生、またお酒飲もうとしてましたね!?」

ダメですよ!と言われてミチルに引っ張られていくフィガロを見て苦笑。
本当にミチルのしっかりさには、何か強い信念や芯を感じるのだ。

「っはー!美味かったぜ
明日からもフライドチキンを死ぬほど食ってやる」

…なんて食欲ですか、ブラッドリーさん

「ほほほ、我らも満足じゃ」

「さて、ブラッドリーちゃんのお守りもあるしのう
晶、今日はミスラがすまなかったの」

「あれでも晶に懐いておるのは確かじゃ
あれほど人間に構うミスラは、長く生きる我らも見たことがないほどじゃ」

「今日はゆっくり休むが良い」

スノウとホワイトは俺の頭を撫でてから絵画の中へと収納され、ブラッドリーに部屋まで運ばせていた。
静かになった所で1人ため息を小さく吐き出した。

『オーエン、パンケーキは朝ごはんじゃないの?』

すると、度々聞く舌打ちと共にオーエンが俺の視線の高さで浮いていた。

「本当なんなの、人間のくせに…」

『ミチルと一緒に来てたんじゃないの?
オーエンの匂い、したよ』

「意味わかんない
それよりパンケーキちょうだい、早く
ふわふわの生地をドロドロのマグマみたいに這ってしなしなにさせるくらいたっぷり蜂蜜をかけたパンケーキ」

おーい、今の俺にはかなり難しいぞ…?
それにポットもネロが持っていったからな…

「ねえ、早く」

『うーん…ちょっと今は俺も料理ができないし、ハニーポットはネロが持ってるし…』

「キッチンに行けばあるんだね?」

『た、多分…
え、ちょっと、ネロに迷惑かけないように…』

と言った所であまり効果がないのもわかっている。
今度こそ長めの溜息を吐き出して、額に手を乗せて目を閉じる。

…うーん、なんか元気ではあるんだけど、やっぱりちょっと風邪っぽいのかな
少し頭が重いや…

少しの間だけ眠っていたらしい。
本当に魔法舎の椅子は気持ちよくて困る。
欠伸を落としたら、隣にはネロ、テーブルには空っぽになったハニーポット。

「起きたか」

『あ…うん
あの、ありがとう…本当は残りのシチュー、ネロが食べる予定だったんでしょ?
俺、そのまま寝ちゃって…』

「あー…まあ、どうせ明日まで残しててもな
それから、これ、ほら、返すぜ
ちゃんと洗っといたよ」

ハニーポットを指差されて思い出した。

『あっ…ネ、ネロ…オーエンが!』

「ああ…まあ、パンケーキは朝にするからってこっぴどく言って…とりあえず待ってもらうことにしたよ
それに蜂蜜酒を作るのに1/3くらい使っちまってさ
明日の朝の分が欲しけりゃ晶に作ってもらえって言っといたさ」

『えっ』

「大丈夫だ
オーエンなら、ポットで作った蜂蜜の味なんかじゃ満足できねえようなヤツだからな
前に言っただろ?
ポットだと少し味は落ちるって」

…それは、なんかお菓子セレブみたいな感じなんだろうか
本物じゃないと、みたいな…?

「蜂蜜酒、折角だから少し飲んでみないか?
風邪にはレモンと生姜と蜂蜜が付き物だろ
大丈夫、晶のにはお酒は入れてないから、蜂蜜ドリンクってとこか?
喉にはいいだろうし、最初声が出ないってミスラが言ってたから驚いたよ」

『あ…それは、なんか…本当にご心配をおかけしました…
じゃあ、ありがたくいただきます』

ほかほかの黄金色のとろみのある飲み物を一口分いただいただけで、疲労回復のように力がみなぎってくる。

『すごい…
美味しいし、甘さも丁度いい…
なんだか力が抜けちゃうっていうか、すごく眠れそう』

同時にリラックスもしている。

「そりゃ良かった
…しかしまあ、朝から大変だったな
死んでなくて良かったぜ…
本当に苦労人だな…」

いや、あなたもね…?

そう思いながらも、ネロのこの頭を撫でてもらうのは日課になりつつあるので黙って撫でられていた。

『…少し、眠たくなってきた…
部屋に戻ろうかな』

「ああ、その方がゆっくり休めるだろ
部屋なら知らない間に寝てても安全だし、いいんじゃねえか?」

ネロに連れられて2階の自室へ向かい、最初こそ遠慮されたものの、ネロを招き入れてベッドに寝かせてもらった。

「念のため、今日だけもっかい水張っとくからな?」

『あ、ありがとう…』

他人の部屋にはあまり行かなさそうなネロらしく、少し落ち着かなさそうな感じではあったけれど、ベッドで布団で温まりながら蜂蜜ドリンクをいただいていたらだんだんと眠くなってきて、そっと頭を撫でられた。

『…いい匂い…
ありがとう、ネロ…』

ネロの服を掴んだまま、いつの間にか寝ていて、朝起きたらネロの匂いが少し残っていたのでもしかして寝るまでいさせたのかと少し申し訳なくなった。
蜂蜜ドリンクの効果も含め、皆の優しさで熟睡したが、窓辺のポットはなくなっていた。
あの後どうしたのか、正直覚えていない。
ネロが置いていた気もするけれど、またなくなったとなれば大事件である。
若干焦りながら食堂に向かって目を疑った。

「 うん、おいしい
びちゃびちゃの洪水!」

そこには、嬉しそうに蜂蜜が皿から溢れそうなくらいかけられたパンケーキを食べているオーエンがいたので少し安心したようななんというか、なんとも言えない気分になった。

「おはよう」

『あ…おはよう、ネロ
なんだか酷く平和に見えるような、そうでもないような…』

ネロの顔がまた朝から疲れていたのだ。
それから少し、ポットのことを聞いてみた。

『あ、あの、ネロ…
起きた時に少しネロの匂いがして…あの、もしかして俺…またネロに甘えたんじゃないかと…
それからポットのことも…』

「あー…いや、まあ、ちゃんと寝るまでいたのは…そうだな、俺がなんだか安心したかっただけだから気にしないでくれ
それから昨日言ってたハニーポットは…その、実は晶が寝た後にオーエンが部屋に現れてさ…
あの手この手でハニーポットを取っていこうするもんだから、ほら、寝てる人の横でドタバタするわけにもいかねえだろ?
とはいえ蜂蜜も月の光に当てなきゃ意味ねえし、ポットは一旦俺が部屋に持って帰って朝キッチンで使っちまったよ
急になくなって不安だったよな、黙ってて悪かったよ」

あ、そうでしたか…
ドタバタされても多分…いや、気になるか…
またご迷惑をかけてしまったわけか…

『ポットのことまで…本当にありがとう
俺が寝てるのを気遣ってくれて、そんなの黙ってだなんて謝ることじゃないよ
オーエンもあんなに満足そうにしてるんだ、こうして見る分には可愛いんだけどなあ…
まあ、これもネロのおかげだし…いつもありがとう』

「俺は別に何も…それより晶が元気になってくれてよかったよ
俺らも朝飯にするか
晶は特別にこっちのサラダを」

仕上げたばかりに魔法を使ったネロはドレッシングとして黄色いものをかけた。
粒入りのマスタードもある。

『こ、これは…ミモザサラダに、ハニーマスタードのドレッシング…!』

「大正解
少しマスタードもピリッとしたのを使ってるんで、お子ちゃま達にはもう少しお預けってことだ
それに、このドレッシング用の蜂蜜以外は全部、オーエンに取られちまったからな…」

苦笑したネロを見て、やっぱり攻防戦を繰り広げていたんだと思い手を伸ばしたが、以前子供扱いされるのを嫌がっていたのを思い出して途中で止めた。

うーん、こういう時ってお疲れさまって頭撫でたくなる気持ちがわかったんだけど、きっと嫌なんだろうな…

「ん?俺の服に何かついてたか?」

『ううん、なんでもない』

ネロの手を掴んで頭に乗せてみたら、仕方ないなといあ顔をされてわしわしっと撫でられた。

「ほら、パンケーキも昨日1枚しか食ってねえって聞いて今日は多めに作ってんだ
冷めないうちに食べてくれよ?」

『ん、いい匂い
いただきます…!』

苦労人は大変だねえ、と言ってネロは笑っていたけど、十分あなたも苦労人だよと思いながら味わっていた。
ミモザサラダもいつもと違う大人の味がして、その美味しさには笑顔になってしまう。

『美味しい!
うん、ブラッドリーもネロに作らせたらどんどん食べるって、なんかわかる気がするな…
カインが言ってた、ネロならどんな食材でもっていうのも…
これは色々試してって言いたくなるなあ、おかわりしたくなるよ、うん…
朝からこんなの食べれるなんて、本当に幸せだな…』

はあぁ、とため息を吐き出したら、急にネロの手が止まったのでハッとして振り返った。

「…あ、あのさ、晶…」

しまった、あれだけ褒めすぎるのは勘弁と言われてたんだ…
あれ、感想だったはずなんだけど…
えっと…ちょっと照れてるけどその割にはなんだか空気が張ってる…?

すると大真面目な顔で見られたので思わず構えた。

「…もしかして晶、元の世界でろくな食生活してなかったのか?
ちゃんと飯は食えてたのか?」

…えっと…そんな、リケに聞いてたよね、そういうの…
一応普通にご飯そこそこに食べてそこそこの生活してたはずだったんだけど…

「ちゃんとした飯食わねえと力出ないぞ
ただでさえいつもあんな北の連中と色々やってんだ
せめてここにいる間は、ちゃんとした飯作ってやるからちゃんと食って寝ろ」

『…は、はい?』

「追加のパンケーキでも用意するか
食いたいモンあったらいつでも言ってくれ」

そのままキッチンに行ってしまったネロの後ろ姿を見て、そっと頭に手をやる。

…な、なんだか変な心配させてしまったというか…
まあ、ネロのご飯食べられるみたいだし、いいのかな…

そしたら今日は1人では食べきれないような量のご飯やら模範的な栄養バランスのご飯が色々出されてしまって、嬉しかった反面、ちょっと誤解を解くタイミングを見失ったことに頭を抱えた。

いや、美味しいし最高…嬉しいんだけど…
心配かけたままなのも、なんだか…
まあ、今はいいか…

「そういえば晶、なんで突然ハニーポットのんか持ち出してきたんだ?」

『ああ…
パンケーキブームに乗っかって何がいいかなって思って、ハニーポットをずっと戸棚に飾ってたのを思い出して…
まさか俺が使うなんて思っても見なかったけど、なんか、朝見た時に水が蜂蜜になってて、匂いも甘くて…すごく感動して30分くらい眺めてたんだ
…魔法使いの皆は、どうなのかな、魔法が使えることで便利なことも嫌な思いをしたことも、色々あるからきっと複雑だと思う
それでも俺は、蜂蜜を見て、魔法が使えるようになったみたいな気分になって…こんなものが世界にあるんだって、すごく…嬉しかったな、感動したんだ』

「……自分から聞いておいて悪いと思ったが、晶は感動屋か何かなのか?」

『えっ?』

「…まあ、こんなポット1つで喜ぶ人がいたなんて、俺には驚きだったよ」

頭を撫でる手が一層わしゃわしゃしてきたので、もう髪の乱れなど気にせずにネロに甘えっぱなしでいた。

『(…こ、こういうとこ、こういうとこだよ、ネロ…)』

「(…こういうとこなんだよなあ…感激屋っつーか、こんなにキラキラした目されちゃあな…)」







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