疲れは人間を甘えさせる

今日は日差しを浴びながら、まったりとした時間の流れる南の国での任務に同行していた。

よく言うお日様の匂いみたいなの、わかる気がするな…

任務後の休憩時間として自由時間となっていた。
大草原で横になっていると、やはりここはここで一つの世界なんだと思わされる。
空を見ながら深呼吸をしたら、少し薬のような匂いがして目を向けた。

「お疲れ様、晶」

『フィガロ…
お疲れ様です、皆は市場ですか?』

「ルチルとミチルは市場に行ったよ」

『あれ、レノックスは…』

「放牧の時間だってさ」

よいしょ、と隣に座ったフィガロはぽとりと俺の腹の上に何かを落とした。

「メエェェ」

『…え、レノックスの羊…?
いいんですか?勝手に持ってきてしまって…』

「んー、良くないかも」

ちょっと…
レノックスがまたあと1匹足りません、なんて困ってるかもしれないじゃないか…

「初めてじゃない?
レノの羊と遊ぶのは」

『え、ええ…
そうですね、なんだか…寝てしまいそうです
今日はお天気もいいので尚更、このサイズだと持ち歩けていいですね
枕元に置いておきたいくらいです』

可愛いなあ、と羊を撫でてやる。

「その状態で元の大きさに戻ると大変だけれどね」

戻してあげようか、と言い出しそうだったフィガロを見て慌てて上半身を起こした。

「それにしても毎日大変だねぇ、北の魔法使いに懐かれちゃって
ある意味すごいことだけど」

『な、懐かれるなんてそんな…うーん…その領域にはまだ達していないと思います
やっぱり彼らにとって俺は人間ですし、弱肉強食の世界で生きてきたからこそ…自分の軸があるからこそマイペースなのかなとか…
俺の印象で喋るのはよくないとわかってますが…理解しているというにはまだ足りないなと…』

「謙虚だねぇ、あれだけ毎日振り回されておいて
それで久しぶりに南の国で休んでもらおうと思ってたのに」

『フィガロ…
任務は任務ですよ、休暇ですか?』

「おっと、こんなに真面目さんだったかな…」

『いや、俺的には相当有難いですが…
とりあえず魔法舎を離れるときはミスラに伝言を残しておかないと後が大変なので
突然寝たくなったと追いかけられるんです…』

「枕さんも大変だ」

レノックスの羊を撫でながら、はあぁぁと溜息を吐き出す。

「まあ、ミスラも気分屋だからね」

『そういえば…』

周囲を確認してから少しだけ声のトーンを落とした。

『フィガロは元々北の国出身ですよね…
ミスラやオーエン達とも付き合いは長いんですか?
オズやスノウとホワイトとはともかく…』

「まあ、どちらでもないのかな
確かに双子先生やオズよりかは短いけれど、これだけ長生きしてるからね
どうしたの、何か気になることでも?」

『あ…いえ、ミスラやオーエン、まあ、ブラッドリーもですがやはりフィガロに対してもこう、ピリピリとした空気をチラつかせることがあったので…
なんとなく北の出身ということもあるのかな、と…』

「彼らもまだお子様だからねぇ」

お、お子様…
1000歳以上の彼らがお子様だったら俺は一体何になってしまうんだ…

苦笑しながらも、なんとなくまたフィガロにははぐらかされたなと思った。
そこがまたフィガロの掴めないところである。
レノックスの羊をを撫でているうちに少しうたた寝してしまい、ハッと気付いたらフィガロの肩によっかかっていた。

『わ、すみません!』

「もっとそうしてくれててもいいんだけどな」

『そ、そんな…こんな気の緩んだ所を見せられません…!
今日はお仕事で来ているのに…すみません』

「晶さーん!」

「おや、ルチルもミチルも戻ってきたようだね
レノもそろそろ戻ってくるんじゃないかな」

一足先に立ち上がったフィガロに手を差し出され、ここは素直に甘えることにした。
手を握ったら思いの外強い力で引っ張られて立たされた。

『わっ…』

「おっと、ごめんね」

ぶつかったのはフィガロの体。
医者というだけあってやはりなんとなく薬の匂いはするものの、落ち着いた貫禄のある匂いが混ざっている。

「晶さん、フィガロ先生!」

「晶さん、フィガロ先生と一緒だったんですね!
ミチルと一緒に市場で面白い物を見つけたので、薬草など色々と…あ、これとか、これとかも!」

ウキウキとしたルチルとミチルの袋には、見たことのないものがたくさんあった。
薬草などはミチルがきっと魔法の練習で使うのだろう。

『すごい、初めて見る物がたくさん…
他の国の市場でも見たことがないものばかりだな…』

「これは南の国の特産品なんです!
ラスティカに渡す紅茶の茶葉も買ってきたんです、あ、もちろん晶さんにも!
あとでまたお裾分けもしますね」

「晶さん、フィガロ先生、レノさんは一緒じゃないんですか?」

『放牧みたいだよ
時間も余裕があるし、レノックスが戻ったらゆっくり魔法舎に戻ろうか
ミチルの薬草も本当に色々だな…また色んな魔法薬が作れたら見せてくれると嬉しいな』

「はい!
これでたくさん練習します!」

ミチルの頭をそっと撫でてから、ルチルとミチルの買い物袋を眺めていたら突然羊がメエェと鳴いた。

「もしかしたらレノが戻ってきたのかな」

「すみません、遅くなりました」

『いえ、皆今戻ってきたんです
何かあったんですか?』

戻ってきたレノックスは少し焦ったような感じがしたのだが、俺の腕の中でメエメエ鳴いている羊を見てふっと小さく微笑んだ。

「賢者様の腕が余程心地よかったのか…」

『あ…!
もしかしてレノックス、この子をずっと探して…』

「はい、実は何度数えても1匹足りなくて…」

お騒がせしてすみませんと言うレノックスに羊を返しながら、フィガロをジロリと振り返る。

『フィガロ…
だから言ったじゃないですか…』

「うーん、ごめんね」

絶対反省してない…

苦笑したらルチルに問い詰められたので少しはしょって話したら、ミチルがフィガロにもう!と怒った。

「いえ、大丈夫です
俺の羊も賢者様にすっかり懐いていますし、賢者様に撫でてもらえて羊も幸せそうです」

「晶もこのところ疲れていたようだったし、レノの羊のおかげでうたた寝していたよ」

「そうでしたか
お役に立てて良かったです」

『フィガロ…!
べ、別に疲れていたわけではなく…!
それにそうやって正当化しようとしないでください、レノックスを困らせてどうするんですか…!』

もう、と俺までミチルと同じように怒ってしまい、レノックスとルチルに宥められた。
しかし北の皆や西の皆、中央の皆、そして東の皆とはまた全然違う空気感がある。
それぞれの魔法使いたちの空気感はやはり国ごとに違いを感じるのだ。

『綺麗な夕焼け…』

今日はいい1日だった。
ルチルが気を利かせてくれて、折角だからエレベーターではなく箒で帰ろうと提案してくれたのである。
レノックスの箒に乗せてもらったのは、ルチルの箒が恐ろしく速くてちょっと気が引けたからというのは内緒の話である。

『ただいま戻りました』

魔法舎に戻って、ミチルはリケにお土産を渡してくると言ってルチルもついていった。
レノックスは羊たちのケアがあるようで部屋に戻り、フィガロと談話室に一度顔を覗かせたらそれはそれは不機嫌な人間の形をした獣が長い足を投げ出していたので苦笑した。

「賢者ちゃん!」

「賢者ちゃんが戻ってきたぞ!
喜ぶがよい、ミスラ」

「帰ってきて早々に双子先生とミスラがお呼びだなんて、晶も大変だね…
俺とお茶でもする?」

この時ばかりはフィガロに素直に感謝した。
しますと即答し、フィガロがスノウとホワイトに話をつけてくれてフィガロの部屋に行くことになった。

「さ、どうぞ」

『お邪魔します
久しぶりですね、フィガロの部屋にお邪魔するのも』

「そうだね
今日は疲れただろうし、僕の愛情がたっぷりこもったお茶でも…」

『それはなんとなく遠慮しておきます』

「ひどいなあ、そんなに口に合わないものじゃないはずなんだけど」

う…そこまで言われると…
まあ、フィガロは医者だし変なものは出さないだろうし…

『じゃ、じゃあ…はい、いただきます…』

「うん、そうこなくっちゃ」

と淹れてもらったのは、なんだか元の世界で言うローズヒップティーのような赤みの強いハーブティーだろうか。
名前はよくわからない。
匂い的には少し薬草の感じもするので、魔法薬の賜物だろう。

「なかなか晶は疲れた時も疲れたとは素直に口にしないところがあるからね
それなのに彼らの世話もしようとするし、たまにはちゃんと断ったり、ちゃんと自分に素直にならないと」

『そ、そうですね…
わかってはいるんですが…やはり厄災の傷はどうしても気がかりで…』

うーん、と唸ってしまう。
フィガロにはお茶を催促される。

「それは自分に素直になるお茶だから、もしそれで寝てしまってもいいんだよ
疲れていたら眠るのは自然なことだからね」

『えっ』

「そんなに警戒しないで
ほら、ルチルのハーブティーだってリラックスできるてしょう?」

『た、確かにそれはそうですが…』

しかし素直になる、とは…

全く想像がつかなかったので、恐る恐る一口飲んでみた。

『……』

ん?
思ってた味と違う…なんか、もっと酸味が強いかと思ったけどこれ、なんだか甘いというか…

『…お、おいしい…』

「口に合ったみたいで何よりだよ
まあ、素直なるというか、自分に正直になれるから日頃の疲れも癒やして素直に寝てしまうのが一番かもしれないね
ほら、ファウストからも聞いたよ、毎日大変そうだって……晶?」

美味しい。
非常に美味しいお茶である。
しかし同時に胸が熱くなって、なんだか寂しさも思い出してしまったのかもしれない。
全然苦ではないはずの生活なのに。

『……』

気付いたら涙が落ちていた。

「疲れ以上のものが、どうやらあったみたいだね…」

フィガロの声は優しかった。
それでもお茶は美味しかったので泣きながら一気飲みしてしまって、ご馳走様でした、と言うだけ言って部屋を出てきてしまった。

「おーい、晶
俺の腕の中じゃダメかな、どこに行くの?」

フィガロがゆったりと追いかけてきたことも知らず、自分でもどこに足を向けているのか自覚はなく、ただ感情のままに動いていた。
いい匂いが近づいてくる。

「テメェ…!また…何度言っても懲りねぇな!」

聞こえてきた声で足は更に速くなり、知らぬ間に走っていた。
思わずその戸口で足を止め、一度涙を拭ってその姿を確認する。

「ん?あれ、晶?
こんな時間にどうしたんだ?」

『っ…』

その声で名前を呼ばれただけでも過剰反応してしまうほど、今の自分は飢えていたんだと思う。

『ネロ…』

ぶわっと溢れ出した涙を見て慌てたネロは、首根っこを掴んでいたブラッドリーを捨てた。
思わず駆け寄ってしまった。

『ネロ…ネロ、会いたかった…』

「え…え?
お、おい、大丈夫か?」

抱きついてしまって、麦の香ばしさと料理のいい香りがしてその服を掴む。
驚いたネロに支えられながら床に座らされ、更に服を握り込む。

「おい、晶…?
いきなり何だってんだ…?」

『ネロ…』

「…あれ、意外だったな、まさかここに辿り着くなんて」

「あ…南の先生…
え、えーと…あー、これ、どうなって…」

「あー…ごめんごめん、ちょっと日頃の疲れが溜まってるのかと思って素直になるお茶を淹れてあげたんだけど…
疲れて寝るかと思ったら、突然泣き出して部屋を出て行っちゃって
まさかキッチンに来るとは思わなかったな
まあ…俺のせいなのかな…?」

「お、お茶って…何を飲ませたらこうなるんだ…
おい、晶、どうしたんだ本当に…」

『…ネロ、頭撫でて…』

「は…?」

「うーん、自分に正直になるお茶だから、多分本能的に求めてるんだと思うよ
俺の腕の中に来てもらえるかと思ったけど、残念」

「ほ、本能的って…今の晶には…」

「うん、理性が働いてないだろうね
衝動的に走ってネロのいるキッチンまで一目散!
普段の緊張感をとって欲しかっただけなのに、無意識に君のところに行って甘えてるんだ
滅多に見られないじゃないか、晶のこんな所」

「あー…なんとなくわかってきたっていうか…
アンタ、結構楽しんでないか…?」

「そう言われると…まあ…否定はしないかな」

「ったく…
仕方ねぇな…いつも苦労してんのも皆わかってるだろうし、特に北の連中には振り回されてる
疲れよりも甘えに来るってのがよくわかんねえしなんで俺なのかもわかんねえけど…
いつも淡々としながらも気遣ってくれてるし、今日はとびっきりの夕飯作ってやるかな…

ほら、晶」

わしっと頭を撫でられて体が温かくなる。

『ん…もっと』

「はは…
こんな晶、確かに珍しいかもしれないな
ほら、しっかりしろって…」

「おい、東の飯屋
なんでテメェこんなに懐かれたんだよ?」

「お前ら北の連中が振り回してんだろ…」

「あ?俺様じゃなくてどうせミスラとオーエンだろ」

「テメェだって入ってる
晶から話はよく聞くぜ」

「は?
だからってなんでテメェが…
俺様だってこの前ちゃんと世話してやったんだぜ
ミスラとオーエンより俺様に懐いてるはずだろーが」

「知るかよ、こっちはいつも北の連中のとんでもねぇ話ばっか聞かされてんだ
そりゃ、テメェなんかには甘えらんねえよな…あ、こら、そんなに抱き着きなさんな…」

頭をぽんぽんとされてこのいい匂いを存分に吸い込んで、丁度いい体温に体を委ねる。

『ネロ…』

寂しい…

ぽつんと、掠れるような声が落ちた。
そこへパタパタと足音が近付いてきた。

「ネロ、ネロはいますか?
見てください、ミチルからお土産を…あっ」

「ネロ、見てください、今日南の国の市場で…あれ?」

「リケ、ミチル…」

「あ…あの、晶さんはどうしたのでしょうか…?
何かあったのですか?」

「あー…いや、その…」

「さっきまで僕達と一緒でしたし、あんなに元気だったのに…」

「あー…それはね、ミチル
お茶を淹れてあげたんだけど、魔法が効きすぎてしまったみたいでね…」

「フィガロ先生…!
もう!晶さんに迷惑をかけるなんて、お酒だけじゃなくて今度からお茶もダメにしますよ?」

「ごめんごめん
まさかこんな事になるなんて思わなくて」

「こんなに人が集まってきちゃ夕飯も作れないな…
リケもミチルもそんな顔しなさんな、晶も少し…強い魔法に当てられただけだ
もし良かったら、晶を部屋まで送ってくるからその後でもいいか?」

「僕は急いでいないので大丈夫です
ですが晶さんが心配です…いつも僕達に笑顔で接してくださって、こんな悲しそうな顔は見たことがありません」

「まあ、少し疲れが溜まってるんだろうさ
ちょっとだけ待っててくれ

晶、立てるか?」

グッと腕を持ち上げられたが、離れるんじゃないかと怖くなってイヤイヤと抵抗する。

『いや…1人に、しないで…』

「しないさ、ほら、とりあえず立ってくれ
部屋まで送るから…」

「俺が送ろうか?」

「いや、いい
アンタが言うように無意識っていうか、今の晶に理性が働いていないならアンタに擦り寄ることすらしないだろうし、そのまま責任取りを気取る必要はないだろ?」

「手厳しいな、折角僕の愛情で介抱してあげようと思ったんだけどな」

『ネロ…ごめんね、いつもごめん…
迷惑かけてごめんね…お皿割っちゃってごめんね
大切なものなのに、魔法舎のもの壊して…いつもお菓子も…皆がここで暮らしてくれてるの、本当に大変なこともたくさんあるのに、オーエンのためのお菓子も…わざわざごめんね…
北の任務の日にフライドチキン多めに頼んでごめんね…デザートのチュロスも、サヴァランも…トレスチェスも、俺がちゃんと作れるようになるから…もっと、負担減らせるように頑張るから…ごめんね…』

「「「……」」」

「おい、なんで俺様の方見るんだよ」

「…いや、完全にこれ、お前らだろ
なんで北の連中のことで晶が俺に謝ってるんだ…」

その場にいた全員の視線がブラッドリーに向けられた後、溜息を吐き出したネロの手が頭に触れた。

「…アンタが謝ることじゃねえだろうに」

「ネロ…!
ブラッドリーはおらぬか?」

「ネロや!
賢者は無事か?」

「今日はやけに客が多いな…」

「ネロや、フィガロちゃんが何やら薬草を盛ったと聞いてのう」

「あー…とりあえず部屋に送ってこようかと…」

「そうじゃな、それが良い
すまんのう、我ら北のことも賢者にはいつも苦労をかけておるのはわかってはいるのじゃ」

「フィガロちゃんにもお仕置きせねばのう」

「…はあ、とりあえずダイニングで待っててもらえればクッキーくらい出すんで…紅茶も…
詳しい話は後で聞きますから」

よっこらせと立ち上がったネロの服を掴んだままでいたら、仕方なさそうな溜め息が落ちてきた。

「アドノディス・オムニス」

ふっと体から力が抜け、それから随分ぐっすりと眠ったような気がした。




ゆっくりと、明るい光を感じて目が覚めてくる。
いつもと違う部屋の匂いだけれど、嗅いだことのある香ばしさ、スパイス、いい匂いに囲まれているのを感じてぼんやりと目を開けた。

お、俺…あれ?フィガロの部屋に行って、それから…?

トントンと一定のリズムが聞こえてガバッと体を起こした。
鼻歌を歌いながら何か同時進行で鍋を掻き回しているネロの後ろ姿が見えた。

え…?
ここって…ネロの部屋…?なんで…?
待て待て待て、昨日南の任務があって、帰ってきてすぐに北の…特にミスラの不機嫌にちょっと巻き込まれそうで一旦フィガロのお茶に誘われて…それから、俺…

「起きたか?」

ビクッとした。
こちらを振り向いたネロはなんとも言えない顔をしていたからだ。

『あ…えっと…』

言葉を探してもなんと答えていいのかわからず、とりあえず無難に小さく頷いてから再び言葉に詰まった。

『…あの、俺…』

「よく寝てたから安心した
気分はどうだ?昨日あれだけ泣いたんだ、少し…疲れもそうだが体にこたえたんじゃないか?」

泣いた…?俺が…?
昨日…

『…えっと、俺…』

「何も言わなくていいさ
アンタのこと、皆心配してたから
少し遅い朝飯になるが、食べられそうか?
元気の出るスープを今温めてる」

周りを見てわかったけれど、どうやらネロのベッドで熟睡していたらしい。
昨日ネロはどこで寝たのだろうか。
申し訳なさと焦りと、色々と混乱したまま慌ててベッドを降りようとしたら止められた。

『…俺、どうして…
ネロ、昨日の夜どこで…』

「俺のことは気にすんな
そうは言っても気にするのかな、アンタは
少し魔力の強い薬草茶を飲んだらしいな
泣きながら来た時は何事かと思ったが…晶があんなに甘えてくるのも珍しかったし…あんなに怯えた目で寂しいだなんて言われてほっとけるほど俺は器用でもねえしな」

…待て待て待て
なんだかすごい、甘えていた…?俺が…?
ていうか魔力の強いお茶…?

「まあ、アンタのそんな所は他の魔法使いたちも一度も見たことがなかったし、心配してたから少し…回復したらでいい、会ってやったらどうかな
リケとミチルは何かあったんじゃないかって、目が覚めたら一番に教えてくれって頼み込んできたくらいだ」

『…そんなに皆に心配を…
なんだか、取り乱していたみたいで情けないな…
その、俺は何を…』

「…いや、まあ、気にすんな
ほら、このスープでも食って元気になってくれよ
ここにはアンタを必要としてるやつはたくさんいるんだ」

差し出されたスープカップからは優しい香りがした。

『ネロ』

「ん?」

『……』

本当にこのカップを受け取っていいのか、少し戸惑った。
なかなか受け取らなかったからか、ネロは仕方なさそうに溜息を吐き出してから俺の頭にぽんと手を乗せた。

「俺は迷惑だなんて思ったことは一度もないさ
まあ、ここの連中はクセが強いし寧ろそっちに驚くことは多いが、晶が謝ることなんかねえ
俺にできることも限られてるし、そんなに期待されても困る
それでも…それで、晶が笑ってくれたらそれでいい
だから寂しいって言うのはさ、せめて俺の前でだけにしてくれよ」

ネロ…
俺、そんなこと言ってしまったんだね…

「元の世界の事もあるだろうし、不安なのかもしれない
俺には人の気持ちを押し測るなんて難しい
けど、突然賢者として召喚されて、俺だって賢者の魔法使いとして召喚されて驚いたが、それ以上に不安もあった筈だ
……あんまり、慰めるのも苦手なんだけどな」

少しはにかんで許してくれと続けたネロの手が、そっと髪を滑っていった。
それからまだホカホカと湯気を出しているスープのカップを握らされた。

『…皆の前で寂しいだなんて…賢者失格だな
そんなつもりなかったのに…』

「それは…いや、疲れが余程溜まってたんだろうとは思うぜ」

『え?』

「その…最初こそ甘えてきたが、だんだん泣いてる理由がわかってきて…
北の連中の食事の話とか、デザートの注文だったり、もっと手伝うとか…あー…とりあえず色んなことに対してめちゃくちゃ謝り倒してきて…
双子先生まで出てきたもんだから収拾がつかなくて魔法で眠らせたんだ…
夜中も何度か目が覚めて泣いてたから相当な魔力だったみたいで驚いたけどな…さすが年長組の魔力は凄いっつーか…」

え…
まさかフィガロのお茶…?
自分に素直になるとは、正直になるとは…

『……』

「まさか北の連中だけじゃなくて南の先生にまで振り回されるとは…
本当に苦労人だな…」

『……本当にご迷惑をおかけしてすみません』

「いや、俺に謝られても…」

なんとなく経緯がわかってきたので、お腹が空いてきたことも感じ始めて素直に一口スープをいただいた。

『わ、美味しい…』

「そうか?
…良かった、アンタ、いつも美味そうに食べてくれるから作り甲斐もあるしな
少しでも元気になってくれたら俺はそれだけでいいさ」

ネロ…やっぱり癒しだ…
お兄ちゃんみたいだし、なんか、うん…またネロに甘えてしまった…
ん?昨日甘えてきたってことは、俺、ネロに甘えた…?

『ネロ…』

「ん?」

『お、俺は…昨日どんな風にネロに甘えたんでしょうか…』

思わず敬語になってしまった。
そしたらネロはビクッとして、部屋のキッチンに向かって作業を再開してしまった。

『ま、まさか口にはできないようなことでも…』

「そ、そんなことは…ねえから…」

『え、あ、うん…はい…』

「……」

作業する音と、静かにスープを啜る音だけが暫く部屋に響いた。
その沈黙を破ったのはオーブンの音で、丁度俺がスープを飲み干した頃だった。
綺麗な皿に乗せられた小さめのカーケンメテオルをそっと差し出され、ネロの表情をチラリと盗み見る。

「…ものすごい勢いで抱きついてきた
頭撫でてやったらすごく嬉しそうで…子犬みたいにさ
なんで俺なんだろうってずっと考えてたが…夜中も同じようにしてやったら、その、色々言われて…
あー…まあ、アンタみたいに素直に自分の気持ちを言えるのは少し羨ましいな…」

『……』

グイッと皿を押しつけられるようにされたのでとりあえず、ありがとうと受け取った。
それから顔を少し赤らめて背けたままのネロを見つめた。

『…俺、ネロに頭撫でられるのが好きなんだと思う
苦労人だなって、呆れたように言いながら…
キッチンに行くのも、手伝いが好きだけどネロと話せるのは嬉しいし、カナリアさんと一緒にネロのこと、魔法使いのことを知れるのは楽しい時間なんだ
確かに北の3人には少し振り回されたり、頑張ってもやっぱり彼らに比べたら数年しか生きてないような俺には何もできないことの方が多かったりするけれど…お疲れ様って、そう言って労ってくれるネロに甘えてるんだ…
もっと俺がしっかりしなきゃいけないのに…
しっかりしなきゃって、自信がなくなる時ほどネロがいつも励ましてくれる
だから甘えちゃったのかな…
ごめん、ネロだって適度な距離感があるのにこんなズカズカ入り込まれたら困るだろうに…』

何度目かの溜息が聞こえて手元のカーケンメテオルをじっと見つめる。

『ありがとう、たくさん
これ折角だからいただくね、そしたら部屋戻るから…
もう、大丈夫
ネロにたくさん元気もらったよ
皆に心配かけてしまったみたいだし…』

「まだ」

『え…?』

「…まだ、もう少しいてくれ」

『…ネロ…?』

「昨日リケとミチルが持ってきてくれた市場の果物がたくさんあるんだ
それで新しいデザートの試作品を作ってる
一番に晶に食べてほしいんだ
焼き上がりまでいてくれると焼きたてを提供できる
一番最初に感想を聞かせてくれよ」

いつもより柔らかい空気の流れるブランチタイム。
甘酸っぱい香りが部屋の中に充満している。

『…俺が、最初でいいの?』

「晶がいいんだ」

さりげなく言ってしまうあたり、こういうところだよ…と思ってしまう。
やっぱり頼りがいのあるのに少し口下手で、だけどこうして甘やかされて、少しだけ甘えてしまう自分を許せてしまう。

『…じゃあ、ありがたく』

「ここでくらい、ゆっくりしてくれ
どうせいつもなら邪魔されちまうだろうし」

『…ありがとう』

そう返したら、やっとネロはこっちを向いてから満足そうに笑って俺の頭をまた撫でた。
すると匂いにでも誘われたのか、ネロの部屋をノックする音がした。

「っと、誰だ?こんな時間に…」

ネロは一旦オーブンの中の状態を確認してからドアへ向かっていった。

「ああ、シノにヒース、どうした?
間食でももらいに来たのか?」

「いや、まあ、それもあるが昨日ファウストから賢者がここにいると聞いた」

「シノ…!
いえ、あの…先生からその、晶さんが魔力にあてられたようだと聞いて少し心配で…」

「おい、ファウストはそんな言い方してなかったぞ
フィガロが薬を盛ったとか言ってたが…」

「え?薬草を煎じたお茶じゃなかった?」

「まあ…とりあえず晶ならさっき起きて食事も出来てたし、本当に疲れが溜まってたんだろうがもう大丈夫だ
そんなに心配なら…新しいデザートの味見役も兼ねて休んでもらってるんだ、一緒に食べていくか?」

「やった、来た甲斐があったな」

「ちょっと、シノ、それじゃ心配してるのかお腹が空いてるのかわからないじゃないか…!」

それにしてもいい匂い…
頼りがいのあるネロらしい香ばしくて、俺を甘やかしてくれる大らかな気分になる匂いで癒される…

暫くネロのベッドの匂いでほこほこと癒しに癒されていたのだが、そっとドアの方に目をやればシノとヒースがいた。
お菓子でももらいに来たのだろうかと察し、少し先客としてこんなにだらけてしまったことが申し訳なくなった。
と同時に嫌な予感がして背筋が伸びた。

「…で、後ろのお客さんは?」

「ああ、ミスラなら朝にはもうここで横になってたみたいだぜ
やたらいい匂いがするってずっと言ってるんだ」

「ミスラ…
昼飯のリクエストか?だったらキッチンで…」

「ああ、それなら肉をお願いします
それよりいるんでしょう?あの人
俺の枕、返してもらえますか?」

え…と…

開いたドアの、シノの後ろに立っているミスラは気怠げな視線で俺を捉えると、手を上げて何か魔法を使いかけた。
慌ててカーケンメテオルを掴んだ瞬間、俺は部屋の外にいた。

『ちょっ…ミスラ…あのー…』

「随分いい匂いがしますね、腹が減ってきました…
それからここ数日寝ていないのでそろそろ寝たいんです」

『え、ちょっと、俺、まだネロのお菓子…』

「はあ?お菓子なんて今手に持ってるじゃないですか
ほら、行きますよ
どれだけ俺がここで待っていたと思ってるんですか」

『ちょっと、え、ネロの新作…』

ガシッとミスラに担ぎ上げられてしまい、ネロに手を伸ばしつつも東の魔法使い3人は何が何だかという表情で固まっていた。

「暴れないでください、落としますよ」

『え、やだ!それはやめて!
待って、せめてネロにお礼くらいさせて、ちょっと、ミスラ止まって、ネロ、ネロー…!』

抵抗虚しくミスラの部屋に連行されてしまい、手元のカーケンメテオルを愛ながら、なぜこうなるんだと涙ながらに食した。

「さあ、今日はたくさん寝ますよ」

本当にマイペースで羨ましいな!

その一文を飲み込んで、そっと手を握ってやった。




「…折角ゆっくりしていけって言ったばっかりだったんだが…」

「嵐みたいだったな」

「晶さん、大丈夫かな…
昨日の話だとすごく疲れてそうだったけれど…」

「…ありゃ、疲れるのも無理ないな
本当苦労人だな…後で昼飯大盛りにしてやるか
ついでに2人のお墨付きを貰えたら新作のデザートを持って行ってやろう」

「君たち、廊下で何をしてるんだ?」

「ファウスト先生…!」

「なんだ、ファウストか」

「先生…」

そこへ合流したファウストは、一連の話を聞いて気の毒にと一言漏らした。
4人とも部屋の中に入り、東の国の小さな談話室のような空間ができた。

「そういえばネロ、賢者に何を言われた?
随分と賢者の話題になると照れているようだが」

「えっ…?いや、そんな、大したことは何も…」

「なんだ、何か言われたのか?」

「いや、そういうんじゃなくて…
その、なんだ…まあ、ありゃ北の連中にも振り回されるっていうか、懐かれるのもわかるような気がして…
世辞でも構わないんだが…やたら褒めてくるんで、もういい加減にしてくれと…」

「晶さんがネロを?
いつも感謝してるって話なら、俺も直接聞いたことがあったな…」

「ああ、俺もあるぜ
飯がうまいのは勿論、包…なんだか難しい言葉だったがあったかくなるとか…」

「シノ、俺もいた時の話ならそれは包容力じゃない?
だけど、ネロは丁度良く自分と他人の距離感を取るからあんまり本人に言うと困らせてしまうんじゃないか心配だから内緒にって言われたじゃないか…」

「別にいいだろ、頼りがいがあるし甘えられるってあんなに嬉しそうにしてたんだ
東の魔法使いが頼られてるんだ、誇りに思えばいい」

「確か僕の部屋に来た時、ネロに何かお返しができたらと相談されたことがある
僕にはあまり気の利いた返答はできないからと断ったが、ネロの好きなところをたくさん挙げていたな
本人に伝えるときっと混乱させてしまうだろうし、それこそやめてくれって言われそうだから内緒にしてくれと…
いつも笑っていられるのもネロのおかげだと、そう言っていたのは僕も聞いた」

「……」

「あ、ネロ、ごめん、内緒にって言われてたことなのに…
でも昨日の話を聞いて晶さんからネロに助けを求めに行ったって聞いて、つい…」

「フィガロの煎じ薬の効果も効果だったからな
それでネロの所と聞いて少しどうしたかと思ったがある意味、想定内ではあったな
図星なんだろう?」

「……ったく、俺のいない所でもそんなこと…まあ、その気遣いには感謝するが…
確かに昨日の状態でなければ俺もそんな…自分の長所とも思ってないことを次から次へと…小っ恥ずかしいことを晶はなんであんなに言えるんだか…
夜中に泣きながら、目が覚める度にそういうところが好きだの何回も言われちゃ…こっちも…どうしたらいいのか…」

「「「(でた、賢者の必殺技、誉め殺し…思い出して照れてる)」」」








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