猫の散歩と救世主たち

AM 11:30。

『…朝…』

溜め息を吐き出してからゆっくりと起き上がる。
少し前からなんとなく目覚めていたけれど、起きれない。
先日仕事を失った。
無職ではない。
所謂過労でぶっ倒れたので休職という、なんだかすっかり俺も日本に馴染んできたように思える。

…耳は大丈夫
最近10時間も寝てる…
ダメだなあ…休んでも仕事がないからなあ…

毎朝起きる時間は10時とかが普通になりつつある。
1日2食、食欲もないし起きたら大抵シャワー前にトイレに立ち寄って吐いているような生活だ。
だけど仕事が欲しい。
本部からの仕事は止まったので、基本的に組織のことはやっているがジン様にも近況は逐一報告しているのでなんだかんだわかっているようだが、いつ首を撥ねられるかはわからない。

今日のタスクは…まず1食、それから散歩30分?あー…今日は警察庁にいらっしゃるのね…
夜には来るけどって、それだけ仕事忙しいなら来なくていいよ、なんとかなりますって
ええと…薬は持って出掛けるように、っていつもと一緒だね…

安室さんは毎朝8時きっかりにタスクリストとしてメールを寄越してくるし、考えたら散歩の時間も前に比べたら5分ずつの単位ではあるけれど長くなっている。

…とりあえず、散歩は夕方にしよう

組織の仕事だけはチェックしておいて、トイレに向かって全て吐き出してからシャワーを浴びてキッチンに向かう。
諜報員なのだから感情くらい殺せて当然なのだが、意図しない感情殺害はどうも気味が悪い。
そして仕事をしないことで、無能なんじゃないかと懐疑心を持つことも最近知った。
つまり俺から仕事を取ったら何も残らないということ。
そう思うと虚しくなって、安室さんに病院に連行されてからすぐは毎日泣いて過ごした。
毎日何も出来なかった。

まあ、それに比べたらマシかな…
最近秀一から連絡もきたな、そういえば…あの時はそれどころじゃなかったから電話もメールも、音信不通状態だったっけ…

キッチンに座り込んでから暫くして、ようやく朝食に取り掛かる。
毎日がスローペースだ。
食後の薬もあるし、よく安室さんも俺を見捨てないでいるなと思うくらいだ。
一通りのローテーションを終えて、ソファーで電話をかけてみた。

『……』

あー…忙しいかな、仕事か?
まあ、仕方ないか…

[蛍か、あれから連絡が取れなくて心配していた
彼から軽く状況は聞いているが、大丈夫なのか?]

『あ…出た』

[少し様子を見に行きたいんだが今から行ってもいいか?]

『あの、会話になってないような気がするんだけど…』

[確かに声に覇気もないな
今から行く、丁度…5分で行く]

『え?ちょっと待っ…』

切れました。
電話、切れてしまいました。
何を話す時間もなく、という感じで一方的に会話が終わりました。
そして案の定5分後には呼び鈴を連打されました。
恐ろしい男です。

『…あの、呼び鈴、うるさ…』

溜め息を吐き出してドアを開けた瞬間に体を引き寄せられてタバコの匂いがダイレクトに鼻に届いた。
おい、ついさっきまでおタバコドライブしてましたよね。

「随分細くなったな、筋肉量も落ちてるんじゃないのか?」

『…まあ、この前組織の仕事行ったけどちゃんと肉体労働はできるよ』

とりあえず玄関先でハグされても彼氏に見つかったら大変なことになるし、まあ、相手も相手なので、中に入れた。
たどたどしくカフェを淹れてソファーに座った秀一にお出しした。

「…お前は飲まないのか?」

『あー…今は、うん、いいかな
あの、急に連絡取れなくなってごめん…その、まあ、今実は正式な休職になってしまいまして…無職、みたいな…』

「今の件は本部から推薦を受けたらしいお前の部下が引き継いでいるが何せ仕事が遅くてな
お前の処理能力がいかに優秀か…」

『まあ…仕事を取ったら何もない人間だからね
だから休職なんてことになって、何もすることもなくて…ちょっと参ってるくらいかな…仕事はしたいし…』

「彼とはどうしてる?」

『安室さん?
ん…なんか甲斐甲斐しくてね、いつも朝8時にメールが来てる
タスクリスト、散歩とか、俺が引きこもりにならないようにとか…多分だけど、俺の端末ハッキングして起床時間とかもチェックしてるんじゃないかな…わかんないけど
…バイトの時は基本的に目の届く範囲にいてほしいって言われて、外出も兼ねてバイト先で本読んだりしてるけど…疲れて寝ちゃうこともあるし…
出先で少し発作みたいになると…ちょっと、ダメかな…薬飲んで…突然左耳聞こえなくなることもあるし、なんかパニック起こしちゃったりとか…
なんかもう、最近自分で自分がわかんないっていうか…』

ぽつりぽつりと話しているスピードすら遅い。

『さ、最初は…ただのホームシックかと思って…でもフランスに戻ったところでどこにも居場所もないし意味もないし…
どんどんダメになって…その…病院に連行されちゃった…』

苦笑して続けたら、カフェを一口飲んで秀一はタバコを取り出したのでテーブルの下に隠していた灰皿を取り出す。
すまん、と一言断った秀一はマッチを擦った。

「…お前のことだ、仕事ができるうちにとでも躍起になって詰め込んだんだろう
確かにお前の場合はそうなんだろうが、あんな休憩は休憩とは言えん
お前の仕事のスケジュールを見た時は俺ですら苦笑した
それだけの仕事を詰め込んでいたということだ、わかるか?」

『…でも秀一だって、たくさん仕事して…』

「俺は自分のペースでやっているだけだ
お前と俺ではペースも違うし環境や体調も違う
誰かの背中を追いかける気持ちもわかる、特に若い時はやりがちだ
だがどれだけ追いかけようが憧れようが仕事の内容も所属もやり方も違う
全てを当てはめるな
お前のペースでやれることをやればいいだけだ、参考にするのは結構だが…猫らしく気ままにやればいいんじゃないのか?
もう、誰かの背中を追いかける歳でもないだろう?」

…人生の先輩って言って、秀一にまた甘えてたってことか…
確かにFBIとの仕事が多かったから憧れと一緒に、目標にして追いかけて、いたのかな…

「…ちゃんと寝られてるのか?」

『え?あ、うん…睡眠導入剤もあるし…疲れるとすぐ寝落ちしちゃって…
さっきも起きたばかりなの
…毎朝、起きると吐くから本当は寝たくないんだけどね…』

「…そうか」

秀一は多くを語らない。
もしかしたら、ちゃんと食べろとか思っているのかもしれないけれど、今の俺に言ったところで負担になると思っているんだろう。
適格なことだけは言うし、余計だと思ったら言わない。
そんな彼に、俺が憧れを抱いたのも事実だ。

「蛍」

『ん…?』

「お前はもう俺の後輩じゃないが、ビジネスパートナーならいくらでも引き受けよう
だが俺を追いかけても何の意味もない
お前は猫だ」

『はい…?』

前半はわかる。
非常に理解できる。
しかも真剣な顔で言ってるのだから、恐らく本気でそう思ってくれているんだろう。
だがなんだ、最後の一文は。

「もっと猫らしくすればいいだろう、好きなように」

フッと笑ってタバコを灰皿に押し付けた秀一は立ち上がる。

『あ…秀一、仕事…?』

「ああ、そろそろ行く
お前の顔を見ておきたかったんだ」

『ちょっと待って、俺も、その…散歩行くから…』

夕方にしようと思っていたのに、なんだかフラフラしたくなってしまった。
猫になりたいと思っていたのだから猫になってしまえばいいのか。
簡単な話だった。
秀一は少し意外そうな顔で俺を見てから、もう一度ソファーに腰を下ろしてカフェを啜った。

えっと…薬と、端末は最小限て言われてるから…
まあ、何をするわけでもなく散歩するだけだしね…
財布は持って行こうかな

支度を済ませてから、ゆっくりとソファーの所に向かうと誰もいなかった。

『…秀一?』

「朝食、食べかけか」

『あ…まあ…あんまり食欲なくて…』

「カロリーだけは摂っておけ」

マグカップを洗っていたらしい秀一はキッチンから出てきた。
突っ立っていた俺の手を引いて抱き込むと、頭をガシガシと少し乱暴気味に髪を掻き乱された。

『秀一、ありがとう…』

「…礼を言われるようなことをした覚えはないな」

『今日から猫になってみる…』

「ということは俺が餌付けしてもいいということか
知らんぞ、ヤツに何か言われても」

そう言いながら面白そうにしていたから少し気が紛れたのか、たまには人と話したのが良かったのか。
それとも、自分らしくあれという言葉を投げかけられたからなのか。
一緒に家を出て、太陽光が眩しくて少し目を細める。

『いい天気…』

「今度は鰹節でも持ってきてやる」

『いや、あの…』

「なんだ、ツナ缶だとアイツと変わらんだろう
それとも生魚がいいのか?贅沢者だな」

いや、そうではなくて何故鰹節…しかも塊の方?

ポカンとしている間に秀一はマスタングに乗り込んでしまってわけがわからない。
窓が空いて、奥の秀一から何かを放られた。

「悪いが今はそれで我慢してくれ
鰹節じゃなくて悪かったな」

受け取って手を開いてみれば、檸檬の色をした飴だった。
珍しい、と思いながら呆気に取られていると、エンジン音が響いて一歩後ろに下がる。
片手を軽く上げた秀一は窓を閉めると発進していき、その赤いマスタングを見送りながら飴を指で弄りながら、何日かぶりに小さく笑った。

『飴だなんて…秀一だって、らしくないね』

それからふらりと行先も決めずに歩いてみた。
米花町の商店街の方まで来たら、とうに30分を超えていたので驚いた。

「あれ、ルイさん?」

不意に声を掛けられて驚き、振り向いた。

『あ…蘭さん、お久しぶりです』

「お久しぶりです
安室さんがポアロで梓さんとお話ししていたので日本にいらっしゃるのは知ってましたが、全然お会いしなかったので…」

『そうですね…ポアロに足を運べるようになったのもここ最近のことなので…
それまでは少し仕事が立て込んでいたんです』

「そうだったんですね
なんだかルイさん、痩せました?」

『そ、そうですかね…
まあ、仕事で少し食生活が疎かになってたんですかね…』

苦笑して回避しておく。
少し疲れてきた。

『少し休憩で仕事を抜けてきたので、また…』

「えっ、お仕事中にすみません…!」

『いえ、お気になさらないでください』

では、と失礼して裏路地に入り、少し歩いてから足を止めてその場にしゃがみ込んだ。
呼吸は速い。
動悸もするし、吐き気すらしてきた。

調子に乗るんじゃなかった…
秀一に助けられて、大丈夫かもって思いあがって…
1時間もろくに外出できないのに…

いつまでそうしていただろうか。

「雪白さん」

動悸や呼吸は落ち着いていた。
けれどもその場を動けずにいただけで、また寝ていたのかもしれない。
顔を上げたら、ペットボトルの水を持っていた大家さんでした。

『…コナン君、久しぶりだね』

「仕事、どんだけ詰めれば気が済むわけ?」

『えっと…』

「安室さんから聞いてるしこの前の家賃の話で仕事中毒って話もされた
さっき帰ってきた蘭姉ちゃん、雪白さんが凄い痩せたって心配してたし顔色悪いって言ってたから来てみたけど
薬、飲んだら?」

どうせ逃げてそこにいたんでしょ、と言い当てられてしまい、水を受け取ってしまった。
隣に立っているコナン君はまっすぐ前を向いていた。

『…ごめんね、家賃滞納』

「別に
家具壊されるより全然マシだぜ…」

『それは…』

そうでした…
以前安室さんと秀一のことでリビングが毎度毎度大惨事になっていたのでした。

「安室さんから少し聞いてるけど」

『…無職だよ
ていうか、そろそろ仕事したいけど…この体じゃダメだね、さっき思った…
とりあえず3ヶ月の休職、全部俺への仕事はストップしてるから組織のことしかしてないかな…
ジンも俺の状態はよく思ってないと思うから早く元に戻したいんだけど…焦るのも良くないのかな
人生の先輩に、お前らしく猫でいればって言われちゃった』

「まあ、雪白さんに時間通りとかノルマとか、そういうの似合いそうにねーもんな」

おい。
高校生の分際で大人に言うことか。
苦笑しながら鞄に手を伸ばし、ピルケースから頓服を取り出す。

『…結局、仕事のノルマだったり時間を守るっていうのは難しいからな…
体に負担かけてたなんて思ってもなかったし、寧ろできる時にしたかったからなあ…
俺、猫になりたい…』

苦笑された。
割と真剣だったんだけど。
ちょっと失礼じゃないか、君ねえ。
水を持ってきてくれたのには感謝してるけど。

『ねえ、ここからポアロ近い?』

「え?まあ、そうだな…
けど今日は安室さんいないって梓姉ちゃんが言ってた気がするけど」

『うん、シフト入ってないのは知ってる
とりあえずポアロにたどり着ければ車手配できるかと思って』

「だったらタクシー乗ればいいだろ」

『知らない人のいる閉鎖空間にいたくないんだよね…』

「なら電話で呼べば?」

『あの人仕事中だよ
ポアロだったら仕事終わりとか、それまで時間潰せるし梓さんもいるから安心』

「あ、そう…
なら今電話しとくぜ」

『ポアロに?あー、ごめんね、その間にじゃあ薬飲ん…』

「あ、もしもし、安室さん?
今…そっか、ルイさんのことなんだけどね…」

『ちょちょちょちょちょ、電話ってそっち!?
ねえ、ポアロに…ダメだって、仕事してるんだから…!』

「うん、うん、わかった!ありがとう!」

ちょっと…何してくれてるんですか、この子は…

睨んだらしたり顔をされましたよ。
もうお手上げです。
末恐ろしい小学生です。
これ以上色々考えると面倒くさいのでやめます。
少し手が震えていて、発作をまた起こしそうになったのでコナン君に宥められながら薬を飲んで暫く死んでいました。

「雪白さん、ゆっくり息をして…大丈夫だから」

深呼吸をして手の震えを止めようと思わず力んでいたらしい。
ギュッと握り込んだ手を開かれたら爪痕が残っていた。

「コナン君、連絡ありがとう」

「安室さん…!」

え…?

足音が近付いて正面に人の気配を感じてそっと顔を上げると、安室さんの手が背中に触れて優しく摩られた。

『ど、して…仕事…』

「散歩でこんな遠くまで来るなんて思ってもいませんでした
表通りに車を停めてます」

「じゃあ、安室さん、ルイさんのこと任せるね」

「ああ、ありがとう、助かったよ」

えええ…
君は俺に家賃の上乗せを狙ってるのか…?
ねえ、ちょっと、救世主かよ…

とりあえずコナン君には心の中で感謝して、2人になった路地裏でまず安室さんに凭れかかった。

『…仕事、いいんですか?』

「僕のことを心配している場合ですか
今日はずいぶん遠くまで歩いてこられたんですね
ここまで来られるようになったのは褒めるところですが、焦らず帰り道の分も今度からは考えてください」

『…夕方にと、思っていたんですが…今日は少し行けそうな気がして…』

「そうですか、何かきっかけでもあったんです?
すごい進歩ですね
とりあえず落ち着いたら家まで送りますがら」

『大丈夫です、薬もさっき飲んだので…』

ゆっくり立ち上がって表通りにあったいつもの白いRX-7に乗り込んだら後部座席にスーツが畳まれているのを見つけてしまって少し胸が痛んだ。

仕事中だったのに…
また迷惑かけちゃった…
でも珍しい…普段の完璧ぶりならいつもあのスーツだって見せない筈なのに…

微睡みながら家まで連れられ、家に着いてからなんとなく嫌な予感がした。
玄関で立ち止まった安室さんの顔つきが一瞬で変わった。

『あ、むろ、さん…?』

「蛍さん…」

『は、はい…』

「ちょっと失礼します」

そう言って家に上がった安室さんはリビングで立ち尽くし、それから灰皿を見つけてそれごとゴミ箱へ入れてしまった。

あ…
もしかして玄関で立ち止まったのって……匂い?

すると足早に車へ戻ってはまたリビングへ来て、消臭スプレーをソファーがビシャビシャに濡れるまでぶっ掛けていたので座れなくなってしまった。

あああ…やってしまった…
せめて灰皿を片付けておけばこんな事には…

「蛍さん」

『は、はい…』

「あの男が来たんですね?」

『えっと…』

「来たんですね…
また何か蛍さんに吹き込んで…そうですか、散歩の長距離化もあの男の影響ですか」

『や、あの、それは違…』

「とりあえず寝てください
どうせまだ本調子じゃないんですから」

ベッドに俺を押し込んだ安室さんは静かに怒ったままで、それはそれはもう空気が物語っていました。

「夕食はまだ作り置きが残っているので食欲があれば少し口にしてください
朝は吐いても誰も文句はいいませんが、貴方の体に負担が掛かるだけなのでなるべく吐き癖がつかないように気をつけてください
今は少し抜けてきただけなので、今夜もう一度来ます
夜中は徹底的に掃除しますから、気にせずゆっくり寝ていてくださいね」

そんなニッコリと言われましても、目が笑っていないので恐ろしいです。
これは相当お怒りです。
そして徹底的にお掃除だそうですよ。
もう、面倒な考え事はしたくないので寝る事にします。

『…すみません、寝ますね』

あと1秒で眠りに落ちるその直前、唇が重なった。

「お休みなさい」

…なんて幸せなお昼寝でしょうか

次に目が覚めた時、日付が変わる直前でしたが物音がしたのでちょっと覗いてみたら本当に大掃除をされている方がいらしたので苦笑してまたベッドに静かに戻りました。

今度、秀一が来たときにはちゃんと後片付けをしてから出掛けますね…




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