尋常ではない日常

『お、美味しいです…
さすがです…んー、これです』

家に着いたら、同居人はすでにいませんでした。
車はあったので散歩ですかね、と言っておいた。
その時の残念です、と言った安室さんの顔は直視できませんでした。
凍りそうでした。

「お口に合って何よりです
こうしてゆっくりするのも久しぶりですから」

ほら、またそうやって俺の喜ぶことばっかり言っちゃって…

あったかいほかほかのお粥です。
お粥と言うにはあれです、別種のものと聞きました。
確かおじやか何かです。

『それはそうと、良かったんです?
先日のカフェの件、店員になりすましてまでベルモットが張っていたのに…』

「貴方の名演技で撒けましたよ
あの距離でちゃんと発作に見えていたようですからね、いつの間にそんなことまで覚えられたんです?
それに僕が質問攻めにしていたというシチュエーションも十分だったかと
あとは貴方がどの程度のことまでジンに報告したかですよ」

『そうですねー…
とりあえずベルモットからの圧は今感じているので、そちらをメインにしておきました
バーボンはあくまでベルモットと組んでるだけですからねぇ
ベルモットの指示で、確認役として自分がその場にいるなら俺に尋問をかけるのは当然バーボンの役目ですし
ですのでまあ、それなりの報告です』

「そうですか」

ふう、と一息ついてから小さく欠伸をこぼす。
なんだか色々と疲れた一日だった。
突然引きこもりがこんなに運動すると疲れるものなんですね。

『そしたらやっと、貴方と接触もできる…
長かったです』

「ええ、本当に」

そういえば端末の件を聞き損ねていました。
そして取り出した端末には、一件のメール。

え…な、何…
昴さん、まさかおんなじショッピングモールにいたんですか…!
なんて危ない…
いや、デザート?え、時間調整ってことは…
待てよ…

[あの、もしかしたら今夜帰らないかもしれませんが…]

[だからといって俺が家に戻らないのも不自然でしょう]

[ですが…]

[22時を目処に戻ります]

なんてこった…

『…安室さん』

「はい」

『同居人に一応、出かけたのか聞いていたのですが22時頃戻られるそうです
なんだか必要な史料をまとめる文房具がどうとかで買いに行っていたみたいです』

「大学院生でしたよね
彼のご専門は?」

『あー…そこまで混み入った関係でもないので聞いてなくて…』

「後で僕が聞いておきますね」

『いえいえ、そんなお手を煩わせるほどのことでは…!
そ、それよりあの…折角のごはんですし今日はゆっくりしましょう』

疲れました、と付け加えておく。

「それで…近況は伺っても?」

『…まあ、引きこもりです
とりあえず安室さんに接触できないことには下手に外も出歩けなかったもので…
適度に仕事はしてますよ
食欲もようやく戻ってきたくらいなので…』

「ログ通りですか…
あまりそんな状態でと言っても聞かないのでしょうが、無理は禁物ですよ
仮にも突発性難聴の治療中なんですから」

『まあ、そうですね…
このところゆっくりしすぎてるので大丈夫かと…』

やはり最近のアクセス履歴、外部からのは安室さんだったわけね

『それで端末の番号も?』

「ああ、新しいものでしたら家主を経由して得体の知れない男からいただきました」

『はい!?』

え、なんで?
昴さーん、ちょっといいかな?

「恐らく僕と直接連絡を取るのは配慮されてのことでしょうし、まあ…端末を使い捨てるくらいの仕事内容だということは重々承知していますからね
一応予測の範囲内です」

『本当につい最近なのに…また変えようかな…』

はあ、とため息を吐き出したら玄関の方で音がした。
慌てて時計を見たら22時過ぎ。
しまった。
のんびりして油断していた。

「もしかして戻られたんですかね?」

『あ、た、多分…
ちょっと見てきます』

「いえ、ご挨拶も兼ねて僕が行きますよ」

『いえいえいえ、そんな!』

慌てて国境ギリギリの所に行ってみる。

『あ…お、おかえりなさい』

「雪白さん、帰っていらしてたんですね
あまりにも遅かったので先に夕食はいただきました」

『あ…はい、ちょっと急遽仕事が入りまして…
遅かったですね、買い出しですか?』

「ええ
それからついでと言ってはなんですが、貴方が行きたがっていたカフェの前を通りがかったので…」

『ありがとうございます
あの、実はちょうどそちらのカフェに行ったばかりで同じものがあって…』

「奇遇ですね
お仕事ばかりでまど行かれていらっしゃらないかと思っていたので、すみません」

『いえ、ありがとうございます
えっと…あの…ちょっと来客中でして…』

「それはすみません
朝にしかキッチンへは立ち寄りませんので、今夜はゆっくりしてください」

『あ、りがとうございます…ああ、あと後日端末のことでお話があります
じゃあ、おやすみなさい…』

昴さんの入国審査を受けさせずに部屋に帰しました。
なんとか無事です。
受け取った袋には、さっき行ったのと同じ店のロゴマーク。

…なーんか、視線感じると思ったんだよね
そういうことか

ダイニングに戻ってテーブルに袋を置く。

『なんだか同じカフェに立ち寄ったらしくてデセールいただきました』

「珍しいこともあるんですね
それで彼はどちらに?」

『あ、明日が早いみたいでもう寝ると寝室へ…』

「そうですか」

これは…早朝の誘導尋問だな…?
昴さん、頑張ってね…

念のため袋を開けたらお昼にこっそり買おうとして諦めていたお仕事道具が入っていました。
こういう所、流石すぎます。というかまた勝手に国境を越えたようです。

「蛍さん、気になることがあるようでしたらご遠慮なく」

『あ、いえ…
ちょっと仕事の差し入れみたいだったので部屋に置いてきますね』

さっとそれを部屋に置いてきてからダイニングに戻り、再びゆっくりとおじやを口にした。

『話を戻しますが…
まあ、そのお伝えしたか記憶が曖昧で申し訳ないのですがなんかまだダメージを無意識に引き摺っておりましてそろそろ回復してもいい頃なんですが』

「焦っていませんか?」

『その節はあるかもしれませんね…
きちんと葬儀も済ませているのでそういつまでもグダグダしてられないのは事実です
なんだろう、なんてですかね…なんか感情が一個抜け落ちたみたいな…そんな感じです
自分の情報が国の利益になったのに、守ることになったのに結果として父を殺すことになり表面上は殉職ですがあれは…
父の性格からすれば無理にでも自分から出たんでしょう
家が爆破されて母が先に死んでたんです、そして軍警察の立場と過去に組織にいたとなれば、真っ当な理由です
国を救ったのか親を殺したのか…それがもしかしたらずっと気がかりだったのかもしれません
ただ、父は厳しくても立場はわかっていました
その場その場での臨機応変な対応をしろとは言っていたので』

恨まれはしないかな、と続けてからスプーンを置いた。

『でも残念です、もうママンから日本の話が…聞けなくなるので』

心残りはわりとそんな感じだ。
それなりに愛してもらったしそれなり好きなこともやらせてもらった。
ただ、あんな風にママンを笑顔にする日本の文化のお話はとても聞いてて嬉しかったし日本にいる今となっては、これかという発見や何やらの連続だ。
それを報告したくてもできなくなったし、新たな知識はもうなくなった。

「でしたら僕がお教えします」

『…え?』

「蛍さんが日本の文化に触れるたびに嬉しそうにしていたのは、見ていてわかりました
決して蛍さんのお母さんの目線では語れません
それでも僕は日本人ですし、命を賭けても守りたい場所を愛してくれるのでしたらこの上なく誇らしいです
少しは僕と一緒にいる理由になりませんか?」

『……』

固まってしまった…
どうしよう、イケメンがイケメンなことを普通に言ってのけている…
な、なんでイケメンてイケメンなんですか?
ねえ、ママン…多分俺、もっと日本のこと好きになりそう…

静かに小さく首を横に振ってしまった。
不可抗力です。

「あ、ならないようでしたら別に…」

『え?十分、理由になってます』

なんだ?
不可抗力で認めてしまったけど…

『…え、え?』

「否定されましたよね?」

『いえ、肯定しました…
ちょっと、そんな、言わせないでくださいよ!』

恥ずかしい…と呟いてからチラッと見たらなんか驚かれています。
驚きたいのはこっちです。
こんなの珍しいです。

「否定疑問文にNoと答えただけですよ」

穏やかながらピリッとした空気がしてなんとなく嫌な予感です。

『昴さん…あ、あの、どうしたんですか…』

「すみません、コーヒーを入れに来ただけです
つい微笑ましいところに遭遇してしまったもので」

『は、はい…?』

「先日はどうも、引越しの作業中にお声がけしてすみませんでした」

「いえ、こちらこそバタついてしまい、きちんともてなしを出来ずにすみませんてした」

…な、何だ、この空気は
というかさっき昴さんなんて…?
安室さんと俺の中で何が違ったかな?

安室さんが口を開こうとしたので口を挟んでしまった。

『カ、カフェなら持って行きます!
あの後ほどお話もと申したのでついでに持って行きますから…』

「いえ、来客中なのに雪白さんのお手を煩わせるわけにはいきませんよ
自分の分だけなので大丈夫です」

そのままキッチンへと素直に行ってくれたので少し助かりました。

「随分と穏やかな同居人ですね」

『え?
あ…はい、わりと…落ち着いた方ですね
あれ?先日引越しの時にお会いしたことは伺いましたが…』

「今の穏やかさが嘘のように警戒されましたよ」

『え…昴さんてそんなだったかな…』

そうでしょうねとしか言いようがないのですが、ここは仕方ありません。
俺の彼氏のことです。
余り後ろ姿でさえ昴さんを見せると歩き方やら骨格などを分析しかねないので早めに退散していただきました。

「少々悔しいですが、腑に落ちたのは事実です」

『あ、な、何でしょう?』

「先ほどの話です
確かに否定疑問文で僕は聞いてしまいました
それなら最初から肯定文で聞くべきでした
日本人も英語をはじめとする外国語を学ぶ時に躓きやすい箇所ですが、否定文て聞かれたのですから否定で返すのはフランス語圏の蛍は当然です」

『…ああ、なんとかってやつですね』

「否定疑問文です」

『それです
いえ…えっと、なりませんかと否定で入られたので…えっと…なりますと…ん?
あれ、なるからOuiってことで…あれ?』

「…なりますと言いたくて、まさかいいえの部分だけフランス語での解釈をされたんです…?」

『いいえ…ん?
なりませんか?なります…いいえ、なります
あ、そうです!意味的にはouiなんですが、日本語はいいえと先に答えますよね…
なんだ、難しい…なんだこれ…』

「…貴方ってたまに変なところでフランス人に戻りますね」

『元々フランス人です』

「とにかく誤解は解けたのでそう解釈します
そういえば以前沼ですと、そんな言葉まで覚えてきた抹茶はどうしました?」

『…あ、ホンモノの抹茶はまだ…
ですがその前に食べたいものが…』

今日はこれだけ食べられたんだから明日絶対食べてやるんだ。
覚えてますよね、貴方なら。

「ああ、アンチョビのパスタですね
蛍さんの体調がよろしけれは明日にでも作りますよ」

『Ça y est!』
(やった!)

「何度も試作はしたので、あとは貴方の舌に合うかどうかだけです」

どれだけ試作したんですか…

『あの、ど、どのくらい…』

「蛍さんと仕事で会わなくなって以降ですね
毎日色々アレンジを加えてこれまで蛍さんの好みの味に調整していました」

な、なんでそうなるの…

「ようやく腕を振えるので僕も楽しみですよ
まあ、1人分しか作りませんが」

これは明日も昴さんを追い出さないといけないということですね。
理解しました。
でもアンチョビパスタのためです。
人生の先輩を食べ物と天秤にかけるのは大変恐縮なのですが、俺だってずっと我慢してたんですから。

『ちょっと国境を越えてきます』

「はい?」

『昴さーん!
すみません!明日パスタ食べたいので出てってください!』

「何もそこまで言ってませんが…」

台所からカフェのテイクアウト用品を持ってくる。

「…今日はやけに食欲がありますね」

『ええ、なんかなんでも食べられそうです
明日のパスタもこの調子ならヨユーですね!』

「そういう時は危ないのでデザートは明日にしましょうか」

『え!折角の…』

「今日急に食事をしたんですよね?
パンケーキ、どうされたんです?」

『…そ、それは…綺麗さっぱりいなくなっちゃいました』

「では明日にしましょう
今日はこれでおしまいです」

『…デ、デセール!』

「今日はもうおしまいです」

そんな話があってたまるか…
折角一緒に選んだというのに…
後で食べましょうとか言って、これで明日の朝なくなってたら恨みますからね…

『じゃあ寝ます
一応言っておきますが、明日の朝確認してなくなってたらそれはもう、覚悟しておいてくださいね』

「はい」

一旦部屋に戻ったら今日の疲労がどっと溢れた。
とりあえず服は脱いでベッドにダイブ。
そのまま寝てしまったのだけれど、あまりに疲れたのか起きたのは昼過ぎだった。

なんか、音がする…
昴さん今日やけにうるさいね

ドアを開けて部屋を出た。

『昴さん、何したらそんな音が…』

固まりました。
リビングに向かったら半壊していました。

な、な、何があったらこんな…え…?

ソファーの両端には同居人とまさかの彼氏が座っています。
え、イケメンが2人もいる。

『何がどういう…』

「僕は止めましたから」

「忠告だったんですか
それにしては遅すぎましたよ」

「恨まれるのは僕ですよ?」

「説明すればわかってくださるはずですから」

「わかったようなことを…」

「わかってますよ、食べ物の恨みは怖いということくらい」

あの…なんでしょう、これは…
半壊したテーブルには昨日のカフェの袋が転がっています…

『あの…俺、昨日確認したはずですが…』

「ええ、今朝までありました」

『…今朝?』

「今日の朝までになくなっていたら、という話でした
朝この男が手を出したので忠告したんですよ」

「あれは忠告ではなくただの声掛けでは?
そうでなければ昨日自分で買ってきたものの残り物かと思いますよ」

「ですから最初から説明しましたよね?
蛍さんのです、と」

ぷつんと音がしました。

『なんでもいいです
俺のそのミルクレープを食べたのはどなたですか?』

「すみません、雪白さん
消費期限が今日の朝10時でしたのでてっきり自分で買ってきたものかと思って俺が食べてしまいました」

「なぜ起こしてくれなかったか怒られますよとは忠告しました
昨日蛍さんが食べなかったことと、朝まで取っておいたことも伝えました」

「しかしこの頃働き詰めでまともに寝ていなかったのですから、寝かせてあげて良かったと思いますがね
睡眠の質は大事ですから」

「…貴方、蛍さんの睡眠状況をなぜご存知なんです?
勝手に部屋に入ったんですか?」

「様子見です」

「不法侵入ですよ」

なんか、もういい…
もういいよ、この人たちいつもそう…
なんで貴方…昴さん…貴方、今昴さんですよね!?

『もういいです…』

なんか、面倒になってきました
それでもなんとなくいつもっぽいような気がしてきました…
これは、もしかして…日常…?
帰ってきた…?

「すみません、蛍さん
僕がいながら貴方が楽しみにしていたミルクレープを守れませんでした」

「俺の不手際ですみません、雪白さん
これから車を出して来ますので、少々お待ちいただけますか?」

な、なんなんだ、これ…
イケメンが執事になっていないか…

『…じ、じ、尋常じゃない…!』

やっぱり俺の日常生活は尋常ではなかった…
イケメンと付き合ってる時点でそうだった…!
わかってたのに…!

『…幸せだなあ』

「「え…」」

『幸せ物でまいっちゃうなぁ…
んー…今日はどうしよっかな、仕事片付けたらショッピングモールまでひとっ走りするかな』

「…ひとっ走り?」

「蛍さん、僕が車を出しますので…」

「雪白さん、俺の不手際ですので…」

『2人とも自分のお仕事しなくていいんてすか?
なんか、いつものお2人らしくて安心しました
あ、いつも通り修繕費は折半で、それぞれ領収書はお願いします
じゃ、シャワーしてくるんで』

Tシャツを脱ぎながらシャワー室に向かう。

「…いつも通り?」

「…君との修繕費の折半は初めてなんですが?」

「俺は似たようなことをしたことはありますが…貴方とは流石に初めてですよ」

「貴方、穏やかそうに見えてなかなか過激なんですね
まあ、僕の勘が正しければ、確かに蛍さんには日常が戻って来たのかもしれませんね
あんな上機嫌で…
しかもお昼まで寝坊とは…」

これはこれでいい朝です。
弁償はさせたし、いつもっぽい朝です。
人生の先輩も彼氏も今日もイケメンでした。
この調子で返してもらいますね、俺の日常生活。





第三部完。
長らくお付き合いくださりありがとうございます。
2023.05.18 七戸てふ

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