ボーダーライン

『……』

「貴方って本当にどうしてここまで…」

21:30。
どこにいるかって?
警察庁です。
おかしな話です。
午後、仕事に呼ばれたので行ったら会いたかったと言われたのにそのまま部屋に軟禁されてそのままです。
ここに勤務している彼氏が戻ってきたのはつい5分ほど前です。
その彼氏の眼前に、ミュールを突きつけています。
その鋒にあるのは仕込みナイフです。
しかし右手はなぜか手錠で繋がれてるので、デスクに座ったままです。

「まさか爪研ぎまで済んでいたとは驚きました」

『なんのつもりですか
勝手に仕事だと呼んでおいて会いたかったとかほざいた挙句に人で遊んで容疑者扱いですか、手錠だなんてなんなんですか』

「たまには余裕のない貴方を見るのも一興かと」

うわ、なんか余裕をかましています。
年上だからってやっていいことと悪いことがあります。
年上の余裕とでも言いたいのですか。

『…チョッキン(去勢)します?』

「怖いことを言わないでくださいよ
それに、そういった処置は貴方の方が必要かと思っていました」

人のことをなんだと思って…

「さて、ディナーにでもお誘いしたかったんですがあまり食事も固形物が良くないようなので…」

『いや、食事とかの前に帰ってきたなら外してくれません?
それとも引っ掻きますよ?』

「引っ掻かれるのが嫌で繋ぎ止めていることくらいわかっていらっしゃるでしょう」

『そうじゃないかもしれませんよ』

「蛍さんは口が上手なのでその手には乗りませんよ」

『あ、恋人のこと信頼してないんですね』

なんだ、もう。
拗ねました。
完全に拗ねたので仕込みナイフをしまってデスクの上で脚を組み直そうとした瞬間だった。

『っ…!?』

「一瞬でも隙が突ければこちらのものです」

左腕を掴まれ、脚の間に体があります。
これは、なんなんだ。
なんだかアブナイ匂いがする。
大人の匂いがしています。
しかしここは彼の勤務先ですし、一応部下さんとは顔見知りでもあります。

「…可愛いですよ、今日の貴方は」

顎をそっと持ち上げられて親指がゆっくりと唇をなぞる。
それだけでカタカタと震えてしまう体が憎い。
久しぶりの体温がすぐ近くにある。
忘れるわけもない。
どれだけあんな仕事をしていようと、これだけは忘れない。

「どうしてこんな格好で、僕以外の人がいる場所に来るんですか
そろそろお仕置きしますよ?」

『…も、もう、してますよね…?』

「僕、何かしました?」

なんて白々しい!
こ、この人、あの…もしかしてドSというやつですか!?
話には聞いていたドSというものはこういうことを言うんでしょうか…
こっちはもう、こういうのどうでもいいんで早くキスの1つくらいして謝ってもらいたいですね
…ん?
キス?

『……』

「そんな顔をされても困ります」

『…お預け、くらいました…?』

もしかして。
そう付け加えたら、意外だったようです。
少しドSのオーラが消えました。

「…ええ」

『…あ、そっか、そういうことなんですね
なんかキスの1つも謝罪もないし、なんかおかしいと思ったんですよね
わざとそうしてたとは、なかなか罪深いですね、これ』

うーん、してほしいと自分から言うのもなんかおかしい…
別にしてほしい、というわけでもなくて…
でもなーんか口寂しいというか、物足りないというか…

『…なんか変です
降谷さんに会えたのに、やっとちょっとこういうことできそうなのに、なんか、全然嬉しくないです…』

うわ、俺、なんか我慢してたっぽい…
え、自分でも引くんだけどなんで泣いてるのー!?

『いや、別に、その…なんでもないんです
なんでもないんですけど、なんか…おかしくないですか?
こんな、嬉しくないなんて自分がおかしいっていうか…会いたくなかったわけじゃないんです、信じてください…!
会いたかったんです、でも…嬉しくない自分を認めてしまうのは、もっとおかしいです』

「蛍さん」

うわ、うわ…極上の撫で…
これは、泣いちゃう…
これこそ泣いちゃうやつ…

「焦らされるのが得意じゃないところまで猫と一緒ですか」

『え…』

「わかりました
少しものは試しだと思って部下の助言も聞き入れてみたんですが僕から何も効果は得られなかったことを伝えておきます
すみません、少し意地悪がすぎました」

え、え、何…?
なんなの?
同居人もそうだけど、なんで皆俺のことを実験台か何かだと思ってるの?

手錠が外れて頭を撫でられて、極上の癒し空間です。
お、おスーツなんです。
彼氏のおスーツ姿でこんなの、滅多にないんです。

あ、嬉しい…
こういうの、これが嬉しい…

『幸せ…』

んふふ、と癒されしまいました。

「こっちの方がよほど可愛らしい
蛍さん、試すようなことをしてすみませんでした
これからディナーと言っては何ですが、胃に優しいものなら作りますけどいかがですか?」

『え、い、いいんですか!
でも、あの、居候の方…』

「それはその時です
まあ、蛍さんに何かしたのであれば事情聴取をするまでですから…」

絶対にするつもりです、この人。
そのために家に来ようとしてるのではとさえ疑ってしまいます。

「それから今朝の注文のこともありますし、近況も直接は取り合っていなかったんですから少し…」

『……』

なんとなく廊下の方で物音がしたのを聞き逃しませんでした。
それは彼も同じだったようです。

『…部下さんですか?』

「ここには今日はもう誰も来ない筈ですが」

まあ、ならばよし。
降谷さんタイムは意外とレアなので、少しでも堪能しておきたいのが本音です。
そっとネクタイを引っ張ったらちょっと笑顔で怒られましたが後頭部をそっと引き寄せられて久しぶりの、何日…いや、何週間ぶりかのキスです。

『ん…』

しかもなっがいです。
恐ろしく長い。
ちょっとクタクタになりそうなほどです。
思わずワイシャツを掴んでしまったのですが、呼吸さえ乱してくるほどもう、久しぶりって怖いです。
そっと酸素を取り込んだ時に息が漏れる。

「…そんな声を出さないでください」

『っ、無茶ばっかり…』

「貴方がそうさせてるんです」

どういう意味ですか。
もはや日本語がわかりません。
こっちは息をするのも必死なのに、向こうはそんなでもないのがちょっと悔しいです。
そっとTシャツの裾に手が触れています。

『っ…?』

職場です、貴方の職場ですよ、降谷さん…
ねえ、ちょっと、なんだか大人の…階段のぼってますよね…?

『ふ、る…』

「降谷さん!」

え!何ですか!

廊下の外で声がしたかと思ったら鍵をガチャガチャ回されています。
ため息を吐き出した目の前の彼氏ですが、とっても真顔です。
これは一番怖い部類の真顔です。

『……あの、誰も、来ないのでは…』

「怯えててくださいね」

その声色に怯えますよ…

真顔のままそう言われてしまったのでこっちは興醒めもいいところです。
逆にこのドアを開ける人物に何が起こるのか、そちらの方が恐ろしくて怯えています。

「降谷さん!見つかりません!」

「クロードさんならさっき保護した
状況説明と少し落ち着いてもらうために一瞬鍵をかけただけだ」

あちゃー。
ワンコです。
部下さんというか、降谷さんのワンコでした。
これは、恐ろしい展開です。
完全に恐怖です。

「なっ…だ、大丈夫なんですか、クロードさんは…」

「余計に刺激しないでくれ、やっと今落ち着いたところなんだ
クロードさん、立てますか?」

え、何…?
何の寸劇始めたの…?

もうわかりません。
状況がわからないのでもう涙目です。
とりあえず立とうとはしました。

あ、あれ…待って…
ちょっと待ってくれ、これは…
こ、こ、腰が…抜けている…キスで、腰が、抜けただと…

『…あ、足、あれ…』

自分でも笑えません。
ガクガクしております。

「無理はなさらないでください
こんな場所で監禁されていたとなれば、こちらもきちんと対応させていただきます
とりあえずこの部屋は出ましょう」

か、監禁?
い、いつの間にそんな設定になってたんですか?
ていうか貴方ですよね?

「庁内でこんな…」

「発覚次第、僕が直接逮捕する
風見、戸締りを頼む」

「は、はい…!」

いや、それは…貴方ですよね?
絶対捕まりませんよ?

「それから」

「はい?」

「前に教えてもらったことだが、猫に効き目はないみたいだな
そういうのはきちんと待てや言うことが聞ける従順な犬にでもさせておけ」

ひええ!
流れで彼氏に、おスーツの彼氏にお姫様抱っこされています!
だめです!
心臓がそろそろダメになります!
腰がやられたのに心臓ももう手遅れかもしれません!
誰か…AEDを…

「貴方も、突然の呼び出しで申し訳ないとは思っていますがそんな格好をしてくるからです」

あれ、なんで俺、怒られてるんですか…

下ろされた時にはいつものお部屋でした。
おスーツの彼氏はまだ少しご機嫌斜めです。
さっきのお話、もしかしてものは試しだと仰ったのはあのワンコかもしれません。

「…すみません、どうも邪魔が入って」

コーヒーいりますか、と聞かれたけれど流石にそんな気分ではない。
丁重にお断りしたら駐車場まで案内されました。

「あの」

『…はい』

「今夜外食は…」

『えっ…
完全に降谷さんの口になってました』

「はい?」

『あれ?日本語違ったかな…
えっと、あの、完全に降谷さんの仰ってたモードに口がそうなってたので…
いえ、別に、あー…固形物はまだわかりませんが…』

「考えてみたんですが、車以外になくなりました」

『何がです?』

少し真剣なおスーツの彼氏がイケメンです。
心の中で拝み倒しています。

「蛍さんと誰にも邪魔されずに2人で食事が可能な場所です」

えぇー!?
こんな真顔でそんな事言います!?

「こうして会ってみたはいいものの、僕が伺ったところで家には同居人の男がいますからね…」

『い、一応国境は…』

「パスポートは?」

『あ、いえそこはまだ…』

「ビザの発行は?
長期滞在でしたらフランスにもビザが必要ですよね?」

『あ…は、はい…まあ、検討中です…』

ちょっと待って、この人…
貴方、降谷さん…エリートでしたよね!?
貴方、とってもすごいスマートな方ですよね!?
のんで俺と同じレベルのことを本気で考えていらっしゃったんですか!?
一瞬ディスティニー!?とか思っちゃった自分は置いておいて、家の中に国境を設けることにこんなに積極的だったとは…!

「キッチンとダイニングはどちらに?」

『え…と、一応共有なので空港扱いでしょうか…』

「ダイニングも?
それは…完全にとなると蛍さんの部屋で食事をするしかないようですね」

いやいや、ちょっと待って…
仕事場…機密情報前より増えましたって…
それに貴方の国境問題はどうなるんですか…

『あ、あの追い出すのできちんとキッチンとダイニングを使いませんかね…』

「追い出す?
こんな夜に申し訳ありませんよ
居候の男を夜に追い出すほど僕も鬼ではありません
代わりといってはなんですが、少々談話でも…」

うわ、絶対取り調べだ…

どうぞ、と助手席のドアを開けてくださったので素直に乗り込みました。
久しぶりのお車です。
そして少し考えてから、降谷さんは俺の頭を一撫でして建物に戻っていきました。

『…いまのうちに知らせておくか』

[昴さん
お疲れ様です
そろそろ帰宅するのですが、どうやら彼氏がきます
キッチンとダイニングの明け渡しを要求します
それと、もし鉢合わせか家にいるとわかったら昴さんに取り調べが行われる可能性が高いです
速やかに逃げてください]

[承知しました]

なんて物分かりのいい…!
助かります!

「お待たせしました」

車にやってきたのは安室さんでした。

『お疲れ様です』

「あの、今日は…」

『約束破るんですか
あんなことまでしておいて
恋人泣かせて一芝居打ったというのに…』

「わ、わかりました…
その件については申し訳ないと思っていますから…
先ほど部下にも小言を少しばかり言っておきましたので」

うわ、目が笑ってない…!

「久しぶりなので買い出しからします?」

『あ、そうですね
ちょっと冷蔵庫に何があるか忘れました』

「では近くのショッピングモールに寄ってからにしましょう
最近できたカフェのテイクアウトもできそうですし」

『あ、気になってたところです』

エンジンがかかって、今日も出発前のキスももちろん忘れません。
しかし、何か嫌な予感もしていました。
まあ、いっか。

[雪白さん、沖矢です
この前ずっと眺めていらした新しいカフェで何かテイクアウトしようと思います
ご希望のものがあれば返信してください
すぐにとは言いませんが、デザートなので時間を調整しようと思っています]








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