猫の餌やり

翌日、本当にいらっしゃいました。
国民的イケメンです。
頼みもしないのに、久しぶりのパン屋さんのバタールを抱えてやってきたのでアメリカ人なのに一瞬フランスかと思ってしまったじゃないか。

「……」

『……』

ゆったりとリビングでタバコを吸いながら、カフェを時折口にしてはこちらを見てきた。
俺はといえば、ソファーの上でふにゃふにゃしています。
思ったより朝早くに来られたので眠いのです。

「猫にしか見えなくなってきたな」

終いにはこんなことを言われています。
立ち上がった秀一は隣にやってくると、徐に頭を撫でてきたので思わず欠伸を落としました。

「彼に連絡をしなくて本当に良かったのか?
こんな状態のお前でも、介抱してくれるだろうに」

『いいんですー…
まだ、会いたくない…』

ふにゃっとしたまま、秀一の膝の上に頭をごとんと乗せる。
頭を撫でる手付きはやや乱暴。
慣れてないのは知っている。
それでも基本的に自分もタバコとカフェで手一杯なのでたまにしか撫でてこないので丁度いい。

「……」

『くぁ』

小さく欠伸をもう一つ落として目を閉じる。

「おい、あくまで仕事を放り出してるんだ」

『…勝手に来たのはそっちでしょ、全く…
昨日は休めだのなんだの言って、明日来るだなんて言って本当に今日来ちゃうし…朝も早いし…』

「ジョディが心配するのでな
俺としてはもう少し待ってから会いに行ってやっても良かったが…」

『マダム・ジョディが?
ベルモットのことだけじゃなかったの?』

「わからんでもない」

まあ、そうだよね…

はあっとため息を吐き出したら指先が近付いて来たので思わず噛んだ。

「…猫としか言いようがないな、今の蛍は
ジョディにも無事に猫になっていたと言っておこう」

『そうしといて』

それから少し考えた。

「…悪い顔をするな」

『いや、別に…?』

「俺を利用しようと?」

『まあ、それも考えてみた』

「やめておけ、厄介なことになる」

『あれ、意外、やめてくれの間違いじゃないんだ?』

「厄介なことになるのは俺だけではなく君も、ということだとわかるだろう」

ああ、まあ、そうだね…
ジンに何か仕掛けようかと思ったけど…今更秀一の話持ち出したってダメか…
上手くいけばと思ったんだけど

『じゃあ、ライの履歴書』

「無理だな」

『…俺が全部あさって提出してやったっていいんだよ?』

「仕事を増やすと蛍も疲れるだろう
帰ってきたばかりでやめておけ」

『じゃあ……んんっ』

口に指を突っ込まれました。
噛んでもビクともしません。
寧ろ涼しい顔をしたままタバコを吸って、俺を見下ろしてきたくらい余裕綽々である。

…下から見上げてもイケメンだねぇ
そのモスグリーンの眼に、俺が今どう映ってるの…?
哀れな馬鹿猫?
それとも復讐しようと躍起になってる考えなしの阿呆?
両親を失って動揺してる、情けない諜報員…?

『っ…』

閉じさせてくれない口から息が漏れていく。
抑えきれなかった嗚咽は、リビングに小さく響いた。

「壊れても直せないものがあると、伝えたはずだ」

Tシャツ一枚で家の中をごろごろしてる怠惰な猫に、こんなに構わないでくれ…
仕事の時間だなんて、そんなことでも言ってさっさと出かけてってよ…

頭をわしっと撫でつけられ、そっと指が外れてようやく口を閉じた。

「鬱血しそうな馬鹿力だな、これではジョディに問い詰められかねん
こんな力で噛み締めると、顎の骨が歪むぞ」

なんだその脅しは。
ただ、無意識のうちに力んでいたのは確かだ。
流れ落ちる涙も重力に従わせたまま、向きを反転させて秀一の服に顔を押し付けて隠す。

「気が済むまでそうしていろ」

『…仕事、は』

「構わん
ここでコーヒーを飲むことが今の俺の仕事だ
でなければ報告することもなくなってしまうからな」

本当、できた人…
多分マダム・ジョディも俺のことを気にかけてたはず
だけど様子見を自分で買って出たんだろうね、俺の元バディって立場を利用して…全くいい度胸だよ、職権濫用め…


「…俺だ
猫ならここで泣き寝入りをしているので動けなくなってな、午後にでも合流しようかと思ったが…

そうだな、だがFBI(こちら)の話は受けないだろう
彼もまだ国に保護される身分でバックにはフランスがついているさ
俺も少々気にかけているのは同じだ、ジョディ
そこで彼の家主に少し掛け合ってみようと思ってな
あまり心配しすぎるな
猫は意外と敏感だ、周りの人間の感情はよく伝播する」

チャリ、と音がして指輪が擦れる。
電話を切った後の静寂には、あまりにも凛とした音だった。
それを掻き消すまいと、タバコの煙が静かに漂った。
夕方頃になって、やっと自分が寝ていたことに気がついて片目を開けた。

…誰もいない
流石に帰ったか…折角来てくれたのに申し訳ないことしたな…

ぐっと背中を伸ばしてから上半身を起こす。

…ん?
なんか、匂うんだけど…

「なんだ、起きたのか」

『え、まだいたの…』

驚いた。
しかもなんか持ってるけどどうしたんでしょうか。
それは、何度も見たことがある、この家の鍋かと思われます。
なんか匂いの元凶の予感がします。

『…まさかとは思うけど、何かした?』

「見ての通りだ」

『お、お、こ、これは…ぅ…』

な、な、なんてことだ…
この匂い…なんとなく、カレーみたいな、カレー?
え、カレーなの?
なんかそれに似た匂いはしてるんだけど、え?え?
この、スパイス混ぜた感じ…多分そうなんだけど…ちょっ、これは…

「とりあえず簡単そうなものからと思ったんだが」

『あの…貴方…いつから料理できると思ってたんですか…』

知っている…
知っているぞ、俺は…!
秀一、この国民的イケメンは自炊をしたことがないというとても最高のギャップを持っているということを…!!

「悪くはないだろう
朝も食べずじまいなのだからそろそろ…」

『いやいやいや、ちょっと待った、あの、まさかそれ食べるんじゃ…』

う、そ、そんな毒味みたいなことを…

サアーッと血の気が引いていきます。
嫌な予感しかしません。
そしてカレーは普段嫌いではないのですが、今のこの状態でなかなか、元々食欲もないのに刺激物は口にしたくないのが本音です。
ですが逃げられそうにもありません。
最早、半泣き。

『た、た、助けて…』

誰か…
やばい、来てしまうぞ…

散々迷って、ついに耐えきれなかった。
この際プライドもクソもないと、ヤケクソになっていた。

『も、も、もしもし!助けてください!』

[…蛍…さん?
いきなりどうしたんですか、あの、こちらも色々と伺いたいことはあるのですが…]

『早く、早く…俺、死にます…!
あの、助けてください!
カレーが…悪魔のカレーが…』

[は、はい…?]

『…あの、俺の状態わかってるのを信用して今プライドも投げ捨てて貴方に連絡してるんです!
食欲もクソもないです、食べられません!
カレーが…カレーが俺を…殺しにきます…』

[とりあえず今から向かいます、嫌な予感がします]

そのまま電話はブツッと切れた。

で、で、電話しちゃったー!
やばい、連絡してなかったし帰国したことも教えてなかったのに絶対怒られるー!
でもこのカレーは俺、多分、今全然食欲もないのに食べたら死んじゃう!
だって、だって…あの秀一のお料理ですよ…!
いやぁぁぁぁぁあ!想像しただけでダメだ、俺…

「蛍、そろそろ準備は整うんだが…」

『いいぃぃえ!結構です!』

「君はわりと失礼だな」

『秀一さ、あの、自分が料理できないの知ってますか?』

「昔、とりあえず煮込めばなんとかなると教えてくれたフランス人がいたじゃないか」

『俺か…いや、あの、状況的にも…その、技量的にも…』

と、とにかくこんなんで、このカレーみたいなの、無理…!

ソファーから動くまいと必死で抵抗。
早く助けが来るのを待つのみです。
俺は逃げられません。
精神的にもクタクタです。
折角寝て回復したかと思えばすぐこれです。

「蛍、食欲がないのもわかるが…」

貴方のカレーに一番食欲を持っていかれましたよ!

「まだ具合が悪いならともかく、何か食わねば…」

カレーの匂いのするイケメンです。
ダイニングに連行されそうになっております。
国民的イケメンにはこんなギャップもあって素敵なんだけど、そんなことを言っていられる状況ではありません。
イヤイヤと攻防戦を繰り広げ、丁度片腕が捕まった時だった。

「蛍さん、無事ですか?」

呼び鈴もなしにピッキングですか。
貴方も大概ですね。
しかし助かったと思って顔を向けたのが間違いだった。

「…赤井?
なぜお前がここに?蛍さんに何を?」

うわぁぁぁぁ!
完全にカレーに気を取られて久しぶりの因縁のお二人のことを忘れていました!
やばい!
殺気が、すごいです!彼氏が!怒っています…!
俺が殺されそうです!

一瞬で修羅場になってしまいました。

「おや、安室くん…いや、降谷零くんか
丁度いい、少し余っていたのでな、夕食でもと思ったんだが…」

「誰がお前の作ったものなど……ん?
この匂い、まさかカレーって…」

すると、安室さんはドアを閉めるなりキッチンに向かってからヨロヨロと出てきた。

「…あの、黒いドロドロしたものは何だ、赤井…
まさかアレを蛍さんに食べさせようとでも思っていたのか…?」

「あれはカレーだ
昔そこにいる俺のフランス人の友人から、煮込めば大体なんとかなると聞いていたのでな」

「煮込めばいいという問題か?
カレーに殺されるという蛍さんが仰っていた意味をようやく理解した…
それに見たところ蛍さんはやや脱水気味だ
まあ、まともに食事をしていなさそうなのは想像していたが、それにしてもそんな刺激物をいきなり食べさせるとは非常識極まりないな
まずはゼリー飲料や固形物ではなくとも、せめてお粥くらい手はあっただろう…」

ため息を吐き出した安室さんはスーパーの袋を持ってきてリビングのテーブルの上にドサリと置いた。

「ほう、準備がいいじゃないか
だが、昨日の話からしてそこの猫なら食べ物は口にしていなさそうだ
猫ならば24時間以上食べていないとなると肝硬変の…」

「猫はスパイスや刺激物を嫌う
とくに好き嫌いは把握していないと、きちんと餌は食べないからな…
この数ヶ月、僕がただ彼の夕食を作って満足していたとでも思ってるのか?
データベース化してフィードバックを元に好みの傾向からマンネリ化しないよう調整してご飯を作っている
猫は飽き性だし舌は肥えている」

「流石は蛍の準飼い主じゃないか
まさか蛍のためにそこまで猫の生態を調べたとは、驚いたな」

「何が驚いただ…
無理やり食べさせようとしても猫は抵抗するだけだ、その手も離してもらおうか」

…あれ、なんか…何の話?
なんで飼い猫の話してるの…?
カレーの救世主だったはずだよね…?

『……』

「どけ!赤井秀一!」

「嫌だ、と言ったら?」

「どかせるまで…」

そっとスーパーのビニール袋から覗いていたものを見ました。
お仕事繁忙期にお世話になった日本の素晴らしい10秒でご飯が食べられるものも入っていました。
これなら胃にはするっといくのでとりあえず摂取するだけ摂取できそうです。

『…あ、お粥もある』

ありがたい…
しかもお塩…!
このシンプルなのが一番…うん、こんな時にカレーじゃなくてよかった…
本当に気の利く彼氏ですこと…

とりあえず10秒のなんとかごはんとやらに手を伸ばして咥えてそのままソファーにゴロリとしました。
もう2人はなんだかんだで対応したら疲れそうなことをしているので放っておきます。
何か壊したら請求します。

「全く…人に出せないものを…
カレーに申し訳ないレベルだな、蛍さんが僕に助けを求めるのも納得というか…」

「そういえば蛍が静かだな…」

しまった…
ふにゃふにゃしていたらゼリーの容器を落とした…
なんたる不覚…
このままソファーから降りるのは怠いけど手は届かない…
うわー、もういいかな、もう、諦めようかな…
半分絶望していたところで、ふと口に何かを差し込まれました。

「…以前の繁忙期もそうでしたが、貴方ってこういう猫の餌も好きなんですね」

目の前にはイケメンが2人。
なんて眼福。
彼氏に餌付けされています。
これは文字通りの餌付けです。

「ここ数日猫らしさが増していてな…」

「無理もない…
僕には尻尾の幻覚が見えそうだ」

「君がそうならあながち間違いではなさそうだ」

「お前に何がわかる、赤井」

「時々頭を撫でてやると嬉しそうにする所くらいか…」

「何?」

あ、ちょっと、餌が…

口から外れたのでご飯を求めて手を伸ばして、ソファーから落ちかけました。
イケメンです。
国民的イケメンの素晴らしい対応力。

「餌に夢中の猫を邪魔すると怒られかねんぞ」

「貴様…」

『あの、ご飯返してください』

「蛍さん、この男と何をしていたんですか」

『…寝てました』

「はい?」

「蛍…
誤解を招く表現はよせ、俺も巻き込まれたくはない」

「どういうことですか?」

『いや、寝てました
まあ、ちょっと、その…色々ありましてそのまま寝落ちというか…』

「赤井…貴様、蛍さんに何をした!?」

「普通は発言者である蛍を問い詰めるべきじゃないのか?」

ご飯…と手を追っかけていったら彼氏に捕まりました。
これはとても綺麗な手です。
国民的イケメンとはまた別種の緊張です。

「蛍さん、真っ先に助けを呼んでいただいたことには感謝します
しかしあの男と一体何をしたのか、きちんと説明してくださいますか?
でなければこのご飯はお預かりします」

『…食欲ないのでどうぞ』

ぷいっとソファーにごろりとしたら無理やり正面を向かされた。

「とりあえず食べられるものでいいので胃に何か入れてください」

『今ご飯取り上げたの誰ですか』

「それとこれとは話が違います」

『だから説明しましたよね、寝てただけです
昨日から疲れてずっと寝てるだけです』

もう、とムスムスしていたら秀一は電話に出て、安室さんはジロリと見ていました。

「そうか、感謝する」

電話を切った秀一は、なんでもないように爆弾を落としてきた。

「ここの家主と交渉成立だ
明日から暫く俺もここに住まわせてもらうことにした」

『「……はい?」』

無情にもご飯は再び床に落ちました。
俺のご飯、今日は諦めるしかないのかもしれません。







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