余白のグレーゾーン

「大変だったね
どうだい、少しは落ち着いたかい?」

オペラ座の近くのカフェで、DGSEの局長と密会をしていた。

『……ええ、少しは』

正直頭の整理はまだついていない。
あれからとりあえず父親の職場へ顔を出して、真っ先に見させられたのは穴の空いた父親の遺体と母親の残骸だった。
所持品やその場の遺品として、2人の結婚指輪を受け取り、父親の警察手帳を渡されてようやく思考回路が繋がってきたようなものだった。
そこからの手続きや葬儀、アパルトマンの退去は爆発での破壊によって被害届が出たものの、色々ありすぎて未だにまともに食事が喉を通らなかった。

「ルイ、私が言うことでもないが、自分を責めているんじゃないだろうね?」

『…どうでしょう
ようやく記憶が戻ってきましたけど、父も本部への情報提供で軍警察が動けたとのことだったので…
結局加担したのか被害者と呼ばれているのか未だにわかりません
ただ、親を見殺しにしたのは事実です』

「危険な仕事だからと、ルイのお父さんが組織にいた頃から聞いていた
だからこそ私にルイを止めろと、何度も怒られたよ」

『…そんなことを…』

2人の結婚指輪は、チェーンに繋いで今は俺の首元にある。
ネックレスにしてしまえば落とさないと思ったからだ。
首輪としても、効果的だろうと。

「事実、あの環境下で組織の仕事をしながら我々に逐一動向を送ってくれたおかげで我々も迅速に動けた
それは確かだ」

『結果的に、犯人は生け捕りではなく射殺
父親は見殺し、母親には…』

カフェもなかなか、いつもより飲むペースが遅かった。
こんなになって俺は何を追っていたのだろう。
何を掴もうとしていたのだろう。







「え!?雪白さんの両親が…?」

[そう大きな声を出されると困る
彼もまだ後片付けでパリに残っているし、ログを漁ったけれどどうやらここ数日はあまり仕事が出来ていないと見た方がいい]

「そ、それって…」

[直前にキールが接触していたみたいだから、何か知っているかもしれない]

「…キールとの、共通点?」

[僕なりの推測だから当てにはならない
君だったら、知っているのかもしれないと思っただけだよ]

「あっ、ちょ、安室さん…!」

切れた電話を見て少し神妙な面持ちになったのは、彼だけではなかった。

「今の電話、何かあったの?」

「は、灰原…」

「…まさか、今留守にしてる馬鹿猫に何かあったんじゃないでしょうね!?」

「雪白さん本人というよりかは…いや、本人か?
…両親を殺されたって、しかも父親は目の前で
自分の仕事として、DGSEとのやりとりをしていたからこそ起こったことらしい
それも全ては両親の結婚式でのことが発端、雪白さんが生まれる前の事件のことで、雪白さんが巻き込まれた」

「そんな…」

「灰原、知ってるのか?」

「知ってるも何も…あの馬鹿猫の父親は元々構成員として組織にいたのよ?
それも、蛍と同じダブルスパイ…私の母とは親しかった
身の危険を感じて、蛍を家庭に迎えるからと組織から身を引いたのに…
そんな…彼が…」

「…最後の口封じって聞いたぜ
まだ本人から連絡は取れないらしいが…雪白さんの両親の結婚式での爆発事故と見せかけた奴らの襲撃事件が発端とかなんとかって聞いたぜ」

「その事件こそ、あの馬鹿猫が組織に潜入するきっかけになった事件なのよ…
蛍の父も、軍警察に戻った後で極秘で単独捜査をしてたことは蛍から聞いていたわ
あの結婚式で生き延びたのは蛍の両親だけ、目撃者として生き残ったのよ
最後の2人が…まさかこんなに長い時間を使って…」

「結婚式って、雪白さんの生まれる前のことだろ?
そんな時間をかけてなんで今更…」

「…そういうやり方も十分あり得る話よ
もしかしたら組織はあの馬鹿猫の両親とのことも勘づいてる可能性だってあるわ
そうやって敢えて染まらせて組織に留めたところで反抗させる気を失わせる…自分が家族を手にかけるなんて流石にあの馬鹿猫も想定してなかったでしょうね…
まさか自分の本業が、父親の所属機関へと応援要請をしてしまうなんて皮肉な話…
もしも組織が馬鹿猫と今回のターゲットを生け捕りにするために国が警察を動かすことや、そこにいる父との関係を知らなかったとしても、明らかに組織への何かを知ったんでしょうね…
でなければ、彼は現場に赴かなかったはずよ
自分の息子から国を救うための情報をリアルタイムで受け取って、組織のことだとわかってなければその場に出向かなかった
…馬鹿ね、ちゃんとご飯食べてるといいけど」








「ルイ、このままフランスに残ったっていいんだ
もうそこまでして組織への潜入をする理由は?
また本部に戻ってきてくれたら私は嬉しいし、皆も…」

静かに首を横に振る。

『これ以上俺が誰かとつるんだり組織に所属すること自体、誰かを巻き込むことになります
本部に所属しているのは、あくまで上層部しか知らないことじゃないですか
もう、誰も巻き込めません』

ぼんやりとしたままだった。
ここ数日のことはとても疲れたのだ。
ここに家はないのでとりあえず局長が用意してくれたホテルに泊まっているが、そろそろ経費も限界だろう。

「それからこれを
預かっていた君のパスポートだ
8日前の日付で入国処理済だ」

『あ…ありがとうございます』

それを受け取ってから鞄にしまい込む。

『…局長、シガレット1本だけもらってもいいですか?』

久しぶりにタバコの葉とフィルターに盛って紙に巻きつけ、舌で濡らして筒にする。
火を灯してから煙を吸い込む。

『局長は、これからも俺が組織にいることは反対ですか?
それとも隠し通して本部でまたいつも通り振舞いますか?』

「私の返答次第、というのも気が重くて嫌だね
そんな質問…」

『まあ、俺の中では答えは1つしかないんですけど一応ってところですかね』

「なんだ、決まってるなら…
いや、そういうことをわざわざ聞くくらいだ
私なりの覚悟を試していると言ったところかな、ずるいね、ルイ」

『…もう、俺には身寄りがいないので』

仕方ないね、と笑ってみせた。
キャメルの香りは実によく馴染む。
局長は少しだけ寂しそうにした。

「私は、そのままでいてほしいと思っているさ
我々みたいなところが動かなくてあのカラス達をどうにかできる人材も不足しているからね」

はあ、なるほど。
曖昧に頷いてから煙をゆっくりと吐き出す。

『俺の身内がこんな風に死んでもですか』

「…それを言わせるなよ」

『…あ、意外と覚悟決まってないんじゃ…』

「ルイ…」

『いや、すみません
別にからかったわけじゃないんですけど、局長がそういうスタンスなら良かったです』

ちょっと安心した。
人間らしいところはあるけれど、所詮諜報員だ。
それを束ねているトップなのだから。

『ますますというか、俄然興味が沸きましたからねー…
何をもってここまで動くのか、俺にしかこの立場でできないなら俺が動くしかない
そんなことをさせてくれる上司なんて普通います?
父親にも最後は認めてもらえたようなんで、とりあえず一人前ってことで』

一度タバコを灰皿に立てかけてからカフェを口に含んだ。

『今、組織のなかだとなかなか立場が悪いんですよね
俺の耳、使い物にならなさそうでこのままだと殺処分みたいな雰囲気くらいは嫌でも感じますよ』

「これ以上潜入するのは難しいと?」

『いえ、逆です
彼らはまだ俺の耳の状態が不安定だと思っている
ならばこうです

この前日本で体調を崩した時がありましたよね?
その時の聴力検査の結果も悪かった
そして何度も左耳ですら聞こえにくくなっていました
ただ、確実に音が消えたのは一週間前です
仕事の後、移動中に…あれは今まで感じたことのない世界でした
つまりあの時は本当に俺の左耳は突発性難聴になったんです』

机の上にステロイド剤を転がした。

「な…いつの間に…?」

『これまで、右耳は生まれつきでした
ですが左耳は生きていたし度々聴力が落ちていたのはストレスや過労
突発性難聴は、たった一度しか発症しないんです
なので翌日、軍警察からの帰り道に子供の頃に通っていたところで診てもらったんです
やはり今回のは突発性難聴、でも俺が異変に気づくのが早かった
とりあえずステロイド剤でなんとかなってます
あと少しでも遅かったら暫く入院して点滴でした』

「…これで、左耳は治るのかい?」

『…どうでしょう
そこは俺にもまだ…まだ頭の整理がついていないままではあるので少し休養は取ろうかと思いますが、マシにはなると思ってます』

「そこまでして、組織になぜ…」

『そこまでしなければ、俺に価値はないんですよ
ご存知でしょう?
ディスアドバンテージのある猫など、本来飼われるはずがない
あの飼い主なら尚更、使えなくなれば遠慮なく殺してくれる
しかし飼い主がある程度の幹部である以上、それなりの覚悟で挑む必要はこちらにもあるんです
使えなくなりそうなフリでもして、機を見計らうしかないんです
そこで俺がこれまで左耳の不調がフェイクであったことの加工くらいしておかないと…念には念を入れておくんです
あの人は怖い、だからこそ愛おしい
あそこまで冷酷でいられるなら、その心理までも傍で観察しないとその人物には近寄れず、理解は及ばずとも行動の推測にまでは及びません
まだ俺は、あの人の行動を探るに至っただけなんです
組織の中枢にも入り込めるのならこれからの話です
そのためには一度でも隙を作っておく
余裕のない計画性はすぐに崩落することくらい、これまで経験しましたよ…ほら、調教室に俺が何度入ったと思ってるんです?』

再びタバコを手に取る。
昼下がりのカフェでジャズと一般人のおしゃべりをBGMに、穏やかな顔で穏やかではない話をする。
こんな日常茶飯事を局長とは何度もしてきた。
だから局長も穏やかだった。

「日本での病院は頼れるのだね?」

『ええ、先日フランスに味方してくださった彼なら警察病院にも紹介してくださいますから』

「それなら構わん
すぐにでも治療ができる環境であるならば」

『問題は、いつ日本に行くかって話ですかね…』

まず、ああ、家主に相談しなきゃな
バタバタしててまだ何も連絡してなかったから申し訳なかった…
それから秀一にはキールのこともある、報告も兼ねて連絡しておくか…

『一番厄介なのは、4区のバーで働いていたことになってるんで、それを転職したことにしないといけませんね
んー、個人的にはソルボンヌの大学図書館で司書でもやってますなんて言っておいて欲しいですね
デジタルアーカイブをせっせとやってますとか…』

そんな感じでよろしく、とタバコを灰皿に押し付けた。
カフェをグイッと飲み干して5ユーロ札だけ置いて立ち上がる。

『もちろん日本に渡航する時は連絡します
暫く役作りのためにソルボンヌに行ってきます
じゃあ、また連絡しますね』

「去り際も全く猫だねえ、ルイは」

ふふっと笑ってからカフェを出た。
ホテルはその日に撤収してもう少し込み入ったところへ場所を移して今日もまた夜を迎える。
そこでの暮らしも静かで、血の匂いが鼻にまだこびりついては吐き気と戦っていた。


─アンジュ、また私の言いつけを守れなかったようですね

─ジン様の命令以外、聞かないことになってるので…

─貴方が警戒しているウォッカのことですが、彼の不注意でしたからね
ジンも貴方を手にしてからやたらとキュラソーを目の敵にしていたようですから、ほんのささやかな置き土産です

─キュラソーから、何を…

─ウォッカが仕留め損ねたネズミが2匹いましてね、その住処が今回の仕事の近くでしたので…丁度今回の計画に乗じて消すことにしたんです



『っ……』

耳鳴りがする。
机にはステロイド剤。
端末の電源は切ったまま。
3日前に買ってきた惣菜には蠅が集っていた。






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