花の都の夜

朝焼けを見たのは、ポルシェの車窓からだった。

「ジンの兄貴はなんでまたテメェなんかを…」

飼い主がお煙草に行っている間、出会って早々にウォッカにそんなことを言われて不機嫌です。
大変不機嫌です。

「…殺気をしまえ」

おっと、飼い主には筒抜けでした。
前を向いたままの飼い主に、ちょっと乱暴にわしっと髪を撫でつけられたので少し穏やかになりました。

『そこ左です』

「ウォッカ、左だ」

「へ、へい」

飼い主は未だに俺がウォッカと直接話すことを許可しないのです。
ある意味すごいです。
まあ、直接俺がウォッカに伝えてもまともに取り合ってもらえなかっただろうことは明白なので。

『ポイントまで5分少々です
キャンティから蜂の巣にしたいとの連絡がありました』

「フン、悪くねぇ
状況次第だ、その時に殺ればいい話だ」

そろそろ合流ポイントに到着するのですが、どこに向かってるのかはよくわかっていません。
というか、どこに連れて行かれるのかがわかっていません。
そしたら久しぶりにアンプルを放られました。

『……』

「……アンジュ、早くしろ」

『…はい』

「テメェを使える時間は俺だって手放したくねぇ」

負けました。
飼い主の眼力には負けます。
圧です。
仕方なく、アンプルを手に取ってから歯で折って一気に流し込みました。
久しぶりのこの感覚。
意識が溶けていく。





「時間だ、起きろ」

グッと胸倉辺りから持ち上げられて意識が戻った。
まだ少し頭がグラついている。

『…ジン、様?』

「昼を過ぎた
すぐに動けるようにしておけ」

『はい
あの、ここ…あれ…?』

「フン、ラムも俺のペットに随分と手を出したもんだ」

小部屋。
一瞬調教室かと思ったほどに似ていて驚きました。
大型端末も2台、モニターもそれなり。
完全に個室の管制室状態だった。

『あの、これって…』

「兄貴…こりゃまたすげぇモンをこんな奴に…
ラムも何を考えて…」

「ラムからの言付けだ、アンジュ
テメェは檻から出さねぇ」

なるほど、これが俺を先に合流させたかったワケか…
まあ、ベルモットとバーボンは単独で動くとして、この檻から出たらその時点で殺処分…

「俺としては、テメェを単体で動かせないのは癪だがな
なんで俺がわざわざラムの指図なんざ受けなきゃならねぇんだ
俺のアンジュだ…」

ん?
ジン様、それはつまりとてもこれはジン様にとって不本意な状況?なぜ?
こんなにも俺は格好の餌食ですよ?
まあ…これだけ環境良かったらいっかとか思い始めてる辺り俺もやられたかな…

『…ジン様、これはラムからの指定の機材ということになりますか?』

「ああ」

『でしたらラムも相当厄介ですね
これよりも、いつも稼働させている自分の端末の方が俺には…』

そこで突然画面が切り替わった。

『っ…!』

血の気が引いていく。
ほとんど無意識のうちに飼い主のコートを引っ掴んでいました。
そっと体を引っ張られた。

[こんにちは、アンジュ
お久しぶりですね、体調はいかがですか?]

『ぁ…ラム…』

[貴方には、この前のこともありましたからこちらの機材を使っていただこうかと思いました
腕が立つなら問題はないかと思います
弘法筆を選ばずといいますでしょう、今更機材の一つや二つで何を嘆くのです?
貴方のことです
一つ餌場を見つけたら、百まで見つけて帰ってきてしまう
それだけのお土産を持って帰られても困りますよ
わかるでしょう、アンジュ]

言わずとも、わかっていた。
それが意図することは。

[持って帰る餌を選別してこそ飼い主に忠実な猫だと思いませんか?]

だろうな…
俺に全てを持って帰らすわけにはいかないと踏んでのこと…
それだけ俺がそこまでやるという可能性を?

[期待していますよ、ジン、貴方の猫に]

プツッと音声が切れた後で、ジンは舌打ちをして俺の手を仕方なさそうにらゆっくり解いた。

「ラム以上の情報源を握ってるってのに使わせねぇつもりか」

「あ、兄貴…それはどういう…?」

「アンジュに使わせるこの端末には、何かしらの制限をつけてるって事だ
でなけりゃアンジュは全ての餌を掻っ攫ってくる
それがラムとあの人を繋ぐ蜘蛛の糸でさえな…
それに引っかかればアンジュもそのままラムの餌食、餌を選べば俺の所に無傷で戻ることはできる
フン、キュラソーを失ったことがそこまで脅威か」

直接のラムの接触は、警告には十分すぎるほどの効力を持っていた。
ジンにようやくお昼ご飯をもらってやっと生き返ったほどである。
端末の前で徘徊作業をとりあえずして、とりあえず檻の中。
飼い主もお仕事。
ウォッカはどこか。

『……暇』

遊び相手もいない。
とりあえず、信号を探知したのでそれは連絡しておいた。

「兄貴、そろそろバーボンとベルモットが来やすぜ」

「キールは?」

「あら、もういるわよ、失礼ね」

廊下の方では何やら声がします。
楽しそうです。
そこそこ端末を弄っているだけで暇つぶしにはなります。

「久しぶりね、ジン」

女の人の声も増えた。
賑やかでよろしいこと。
ただ、ここだと誰にも邪魔されずに色々とアクセスし放題なので楽しいは楽しいです。
まあ、監視はされていると思うのでラムの逆鱗に触れない範囲ですが。

「ところでジン
今日はいないのね、貴方がとっても可愛がってるペット」

「ペット?」

「無駄口叩くんじゃねえ、ベルモット」

「あら残念
今日はお留守番なのね」

「いや、いやすぜ
ただラムの言付けで檻の中、兄貴しか…」

「ウォッカ」

「へ、へい」

「わざわざ教えてやる義理はねぇ
ラムが干渉してんだ、思ってるより分は悪い
アンジュには後で俺が直接やらせる」

「あら、やっぱり連れてきてたんじゃない
それにしても檻の中なんて、また調教でもしてるの?
ラムも悪趣味ね」

「フン、ラムが欲しがってんのはアンジュじゃねえ
奴が持ってるネットワークだ
アンジュは中枢まで辿り着ける
だが噛みついた餌はカラスの残飯、ただの食あたりだ」

「この前の調教が食あたりだなんて
貴方、あの子のこと可愛がってるのか手懐けてるだけなのか…」

「長話は必要ねぇ」

おっと…ベルモットがいらしてるみたいですね…
覚えてはいます、声だけは

バックアップのお仕事は嫌いじゃないのですが、こうも隔離状態だと流石に俺も寂しいというか。
いつものようにジン様と行動とか、お仕事とか、そういう体力的な方も準備してきたので少しモヤモヤします。

『…暇』

もう何度そう言ったかわかりません。
誰も来ないし、熱反応からしてウォッカが見張りのようにいるので少し厄介です。

[暇ですか]

急に来るのは流石に心臓に悪い。
思わず壁まで後ずさってしまった。

『ラム…なんで…』

やば…この声聞いてるだけで頭が…

[貴方が暇を持て余しているようですから、話し相手になりますと]

『っ…ジン様、おねが…ラム、ラムが…』

[そんなに警戒しないでください
前回私とあの方の巧妙なネットワークに気付いてしまった罰だったのですから]

『ジン様…ねえ、ジン様…』

後ろ手でドアを叩く。
ウォッカがいるはずだ。
でもウォッカじゃ俺は、話しかけられない。
ウォッカが気づいてくれるのに賭けるしかない。

『こ、これ以上何か…俺に…何をしたいの…
ジン様にしか、俺は…』

[ええ、そうでしょうね]

『どうして俺にこんな…別に誰とも接触しないで仕事することくらい、檻に入れなくてもできるのに…』

[それはどうでしょうか
貴方はまだ前回の反省を、していないのですか?]

その言葉が全ての調教室という場所の記憶を全部引き摺り出した。

『いや…もう、これ以上…ジン様、ジン様…おねがい…』

ジン様、貴方しか、俺には…

ガッとドアが開いて後ろを振り向く。

「どうも音がすると思ったらこんな所にいたのね、貴方が噂のジンの…」

『え…』

「あら、初めましてだったかしら」

既に右手にはUSPを握りしめていた。
女の額に銃口を向ける。

「手が震えて、そんな状態で私を撃てるの?」

『ジン様を呼んで
これ以上、ラムと話したくない…』

「…わかったわよ
どうも一部屋だけ離れていると思ったらそういうことだったのね
組織の随一の裏道を知る白猫、アンジュ…
ジンに報告しておくわ、貴方の猫が死にかけてるとでも」

『…早く』

わかったから、と続けた女は廊下から立ち去った。

『一部屋だけ、離れて…?』

さっき、そう言った…?
本当に俺だけ、隔離されて…
調教室だ…ここは…
本部じゃない、だけど、任務と並行している俺の、調教…
だからラムがやたら干渉してくるのか…クソ…

[キールでしたか、意外ですね
そこまでジンに縋り付く理由は?]

『キール…?誰だ、それは』

[素知らぬフリをしても、貴方は知っている筈です
私が忘れさせた構成員でも、それは次第に蘇る
記憶を操作すること、何かのきっかけがあればそれは簡単に思い出される
ジンは貴方に、ベルモットやウォッカのことを思い出させたようですね]

…ジンが俺に最低限の構成員を思い出させたのを、なんで知ってる…?
けど、それだけじゃ…

[いずれ、また貴方は思い出すでしょう
ですからこれは予防です
貴方はジンの猫ですから]

そういう、再調教…

愕然とした。
また組織の中枢に近付いた罰や何やらでのラムからの接触だと思っていた。
単なる記憶操作だけで、ここまでとは。

厄介なことになったな…せっかくここまで思い出したってのに…

「アンジュ」

バサッと音を立ててドアの所に現れたのは飼い主でした。
黒いコートに銀髪がとても綺麗です。
安堵感でその場に崩れ落ちながら手を伸ばした。

「面貸せ」

[ジン、アンジュをこの部屋から出すのですか]

「勝手に猫を壊されても困るんでな
せっかくの嗅覚が鈍ればそれこそ腐ったネズミしか持って帰らねぇ」

来い、と引っ張られたかと思うと目隠しをされてどこかを歩かされて外の匂いを感じた。
乱暴に座らされて、カチンと金属音がしてようやく視界に光が差し込む。
どこかのビルの屋上のようだ。

『……ここ、外…?』

「…ラムとの回線を切れ」

『え?』

長めに煙を吐き出した飼い主は、遠くを眺めたままだった。
スッと細まった目は鋭くて沈黙が続いたら、もう次にされることはわかっている。
こめかみに金属が触れた。

「いつからラムの言いなりになった」

『…ジン様しかいないのに、また試すようなことして酷いですね』

「必要以上にラムと関わるな」

『向こうが勝手に…』

グイッと銃口を押し付けられる。

『…ラム、知ってました
ジン様が俺に最低限の幹部を思い出させたこと
また忘れさせたら、ジン様の力になるのに時間がかかります』

「何?」

『えっ、ジン様がラムに言ったわけでは、なく…?』

「俺がそんなことをわざわざラムに言って何の得になる?」

『あ…いえ、別に…そ、そうですよね…』

舌打ちが聞こえた。
銃口はやっと離れて、代わりに口に吸いかけのタバコを押し込まれた。

『ケホッ…』

「クソ、面倒なことをしやがって…ラム…」

片手でそっとタバコを挟み、そっと紫煙をくぐらせる。
飼い主の足元で擦り寄っていれば、だいぶ息が詰まる感じは取れてきました。

…ラムに誰かが密告したってこと?
ジン様がするわけないし、だったら一番怪しいのは…

『…ベルモット、とか』

ジロリと飼い主の目がこちらを見た。

「…だろうな」

あれ、珍しく一致しました…!
飼い主が俺の発言に人権を持たせてくれています!
なんてことだ…

「これ以上ラムに掻き回されるのも面倒臭え
猫なら猫らしく夜道を徘徊でもしてるんだな」

『…はい』

「昨日もラムと接触したのか」

『え…?
あ…いえ、なんでもないです
ジン様に会いたかっただけですよ』

そっと立ち上がったら、腕を掴まれた。

「これ以上ラムと接触するんじゃねえ
時間の無駄だ、テメェは俺の猫だ」

小さく頷く。

「あ、兄貴…!大変ですぜ、アンジュが…って、え?」

「なんだ、ウォッカ」

「あ、い、いえ…その、アンジュが部屋にいねぇって言われたもんで逃げやがったのかと…」

「誰が逃げられると思ってる、この檻から」

随分と目の敵にされていたようです。
口にしていたタバコをウォッカに向けて飛ばした。

「テメェ…!」

『ジン様、先に戻ってます
どうやら部屋にいないといけないみたいなので』

「…アンジュ」

『はい?』

「部屋に戻って一番にやれ」

…ああ、回線のことか

『はい
あと…あんまり寂しくさせないでくださいね』

よっ、とウォッカを飛び越えてから建物の中に入る。
しかし連れてこられたので部屋もどこに戻ったらいいのかがわからない。

「アンジュ、こっち」

『…!?』

さっきの女だった。

「…la nuit noire
貴方の最初の担当した仕事よね」

…ああ、そのメールを寄越したのはキール…
まさかあんな所見られるとは思ってなかったな

はあ、と小さくため息を吐き出してから頷いた。

「部屋まで案内するわ」

仕方ないので着いていく。

「その反応だと、メールが無事に届いていたみたいで安心したわ
本当にジン以外と話さないなんて驚いたけど

…流石ね、元DGSEも」

あ、知ってたんだ
意外…じゃあ俺にコンタクト取ってきたのもそういうことだったんだ…

「随分と厄介よ、今回の仕事は」

と言いますと…?
わざわざ俺に警告まで事前にしてきたもんね

「パリに夜明けが来るといいわね」

それで理解した。
今度のターゲットは、パリ。
そして俺の故郷で、家族の、いる場所。

『……』

「さあ、この部屋よ
少し離れてるけど心配しないで
さっきベルモットが色々して、貴方の状況がすぐにジンに伝わるようにはしてくれたみたいよ」

嗚呼、嫌な予感は当たる…
胸騒ぎも、あの沈黙は嵐の前の静かさだったことも…

ゆっくりと部屋に入り、それから振り返ってキールに向き直る。

『…la nuit blanche
俺が関わった全ての案件は、白と化す』

「お手並み拝見、てところね
ベルモットとバーボンは既に別行動、それから奥の端末は外部の回線が繋がる仕組みになってるわ
貴方でなければ使いこなせない、履歴も全てシロになる漂白剤が入ったもの」

『痕跡は無に返す
それが俺のポリシーなんで』

ご忠告ありがとう。
一言だけそう伝えたら、キールは何か察したんだろう。
アイコンタクトで俺に合図をしてからわざとらしくバタンとドアを閉めた。

さて、まずはラムとの接触を断つか…
飼い主命令なのでそれはよくて…向こうの端末で本部と一度連絡を取れってことね、こんな閉鎖空間で…
キールもなかなかギリギリのお情けをくれるねぇ…

まずオートモードにしていた端末を弄ってから、ラムが接触してきたアドレスを辿ってブロックしておく。
そこから考えられる回線は全て断絶した。
奥の端末で一度本部に暗号化したメールを送ってから履歴を全て消し、再び端末の前に戻ってきた。

…パリが、闇に包まれる前に…
どうか、どうか上手く逃げてね、パパ…ママ…

初めて仕事をしたパリの夜。
そういえばあの日も、新月の日。
ジンからタバコをもらった日。

今思えば、全てが同じじゃないか…
状況も、手段も…

『火のない所に煙は立たない
日のない所には、影を見出せないんだ…』

俺らのような黒い人間を、暗い視界で捉えることの方が難しい。
どうして俺は今、自分の国を守る立場にいながら壊そうとしているのだろう。
考えるのも少し疲れた頃だ。

静かな部屋…
嫌だなあ、こういうの

そっと指を動かして、キーボードを叩き始めた。






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