極夜の前日

昼下がりのポカポカした、いいお天気です。
これが小春日和というやつらしいです。
カチャリとした陶器の音、話し声、レジの音。
窓から差し込む太陽の光は少しだけ眩しい。

「梓さん、パンケーキが2つ入りました」

「あ、先ほどのお客さまのブレンドをお願いします」

なんだか今日は梓さんもお忙しそうです。
決して彼氏に会いにきたわけではありません。
お店に顔を出したらたまたま彼氏のバイトというもののシフトが入っていただけです。
決してシフトを把握していたわけではありません。
そんなのを知ってるくらいなら、降谷さんの登庁時刻を把握しておスーツを拝み倒したいものです。

…いや、エプロン姿も素敵だけどね
あとこの前の潜入捜査でされていたという係員とか、あと清掃員も様になっていて…
なんだ?
イケメンはなんでも似合うのか?
イケメンはなんでも着こなせるのか?

『…わ、わからない』

「頭を抱えてるようでしたらこちらのお皿下げますよ?」

『ひぇっ』

例のイケメンです。
彼氏でした。
色々考えていたら1時間くらいかけて食べていたというサンドイッチのお皿を、スーッとゆっくり丁寧に下げられました。

「あの、僕に何か」

『えっ、いや、そんな滅相もございません…バイトですよね?
早く戻ったらどうなんですか
あ、カフェも……いや、今日はやめとこう、うん
あの、ブラックティーを』

「珍しいですね
何かありましたか?」

『ただの考え事です』

そうだ、これはただの考え事だ…
イケメンはいつだってイケメンだったことを知らなかったわけではない…
しかしわからない、今日はいい天気だからと最高のシチュエーションでお散歩代わりにカフェに顔を出したら、なぜ今日お仕事が入っているはずの彼氏がいるんだ…

「あの、来店してからずっと僕の方を見ていますが、また発情期じゃないでしょうね?」

『はぇ!?』

イケメンが変な言葉を口にしたので思わずびっくりしちゃったじゃないですか。
ズイッと顔が近付いて心臓が過活動を始めています。
AEDが欲しいです。

「…この前あれだけ貴方のお相手をしたというのに」

ボソッとそう言われたので思わず、先日仕事の疲れでなんかムラムラしていた時に腰砕けにさせられた夜のことを思い出してしまった。

『ちょ、あっ、あの!セ、セクハラ…!ですよね?』

「そんな言葉、またどこで覚えてきたんですか
熱もなさそうで安心しましたが、どうしてまたこんな…
貴方が家以外の場所でボーッとしていると、嫌な予感がするんですよ」

『…嫌な、予感?』

え?
なんのことだ…?

イケメンは少し離れてから伝票に何か書きつけ始めた。
それから少し周りを窺ってから、もう一度声を潜めてきた。

「今日は店内で通話をしないでください」

『……』

「その顔だと、当たっていたようですね」

ギクリとして顔が少しだけ引き攣る。
そうなんです。
お仕事ではないにしろ、先日のお礼や少し時間もできたことだしと人生の先輩である国民的イケメンと息抜きの電話をしようとしていたのです。
それをする前から見抜かれるとは、さすが警察の方です。
いや、この場合はもしかしたら嫉妬やら因縁やらの秀一センサーが発動しているのかもしれません。

「ともかく、今日あの男と連絡するのは控えてください
そんなに彼氏を怒らせたいんですか?
僕たち、一応お付き合いしてましたよね?
それともそういったことは僕の一方的な思い込みで、勘違いだったと…」

『なっ、ま、待ってください、一応ってなんですか!
え、あ、その、お付き合い…してなかったんでしょうか…?』

「……ハイ?」

『…あ、安室さんがそこまで思われるということは、えっと…恐らく俺の経験値のなさが要因でまだお付き合いのレベルに達していなかったんでしょうか
もしくはお付き合いのレベルは、これよりももっと高くて…まだ序の口のような、そんなところで俺はまた何かやらかしたのでしょうか…
あの、お付き合いをしていたと思っていたのは俺の方だったのかもしれません…
もしかしたら安室さんの仰るお付き合いとはレベルが違ったのかもしれず…』

うわ、どうしよう…
男運のなさ、こんなとこで仇になるとは…!
だから怒ってるの?
ねえ、俺があまりにえっと、奥手?遠慮してるってこと?
一般的な"お付き合い"レベルが、わ、わからない…
安室さんの求めるレベルって、なんだ…

オロオロしていたら、いつのまにかイケメンがいなくなっていたので絶望的でした。
そしたら目の前には一枚の伝票。

[紅茶をお持ちします
あまりプライベートのことを外で言わせないでください
貴方が僕のことで骨抜きになるのは僕の前だけではいけませんか?]

…ん?
なんか、難しいことが書いてある…
骨抜き?あの魚を最初から骨を取ってくださる日本のサービス精神のことでしょうか?

しばらくして外に目をやって、伝票を見返して、イケメンを眺めてまた頭を抱えた。

わ、わ、わかんない…!
なに、なに!?
え、どういうこと!?
たまにさあ、飼い主もそうだけど比喩ばっかりのポエム、暗号だとでも思ってるの!?

『Qu’est-ce t’a dit, toi…』
(なんだってんだよ…)

ちょっとむすっとしました。
こうやって日本語の高尚なお遊びをしてくるのです。
そして謎が解けません。
今日、朝から俺の彼氏は警察でお仕事のはずです。
あ、もちろんおスーツでの。

なぜ…
絶対ここなら鉢合わせしないと思って来たのに…!
通話禁止令出されたうえに、意味のわからないメモを置いていかれて…!
こっちの身にもなっていただきたいのですが

「ストレートの紅茶です
また魂が抜けかけているんですか、起きてください」

『…こっちの気も知らないで』

「…こちらのセリフですよね」

なんで!?

ガバッと体を起こしました。
イケメンは少し考えてから、ティーカップに付箋を貼って帰って行きました。

『……』

[先程は言いすぎましたが、そう思わせる貴方も貴方です
それはそうと、仕事のことでしたら今しているので]

な、なんだって…!?

そういえばやたらとあの角のムッシュの接客をしておりますね。
なるほど、そういうことでしたか。
ですが、お、お、スーツだと思っていただけに少し、ほんの少しだけ何かを堪えています。
そしてここにいることも予定外のため、何かが起きたのだと思います。

…それにしても、なんか不気味な人だな

少し厄介ごとの予感もしました。
梓さんと目が合ったので、注文としてちょっとお呼びしました。

「はい、おかわりですか?」

『梓さん、ちょっとよろしいですか?』

「はい?」

『…今日安室さん、シフトは…』

「ああ!そのことですか
たしか…朝イチで電話が入って、明日のシフトと入れ替えたいとのことで今日入っていただいたんですよね
まあ、今日は祝日でいつもより混むので助かりました」

『…祝日?』

なんと、今日はお休みだそうです。
道理でお客さんがランチにサラリーマンの方が少なかったわけです。

『そうだったんてすね
ちなみに明日は何時からの予定だったんですか?』

「確か…朝から昼くらいまでだったかしら…
ただ、今日は直前に変更した代わりに1日入れますって」

…ほーん、明日何もなかったら午後から組織のお仕事に合流するおつもりだったんですね?
まあ、俺は午前から呼ばれてる時点で恐らく…うん、ジン様との行動でバーボンとベルモットとの合流は午後、その間…え、俺なんの仕事?

『……』

「蛍さん…?」

なんだか、とても前準備をしておいた方がいい気がしてきた。
色々、である。
ふとこんなことをしている場合ではと少し気が急いたのか、それとも念入りにとのことだったのか。

『…仕事を思い出したので一旦帰りますね
その、また夜参ります!』

荷物を纏めてお会計。
そうして慌ててポアロを出て足を早めた瞬間だった。

っ…!?この、感じ…?

ゾクリとして足が止まる。
頭が真っ白になって、その後に頭の中が黒く蝕まれていく。

嫌な、予感…
安室さんが言ったのって…いや、違う、それじゃなくて…
この感じ…

『っ…』

「蛍さん!」

頭が…
クソ…こんな時にラムの、声が…

頭が軋む。
声が響く。
反響する。
機会的な声と洗脳。

『…non…arrête, s’il vous plaît…』
(お願い、やめて…)

「梓さん、どうしたんですか!?」

「蛍さんが急に…発作でしょうか…?」

「…いや、"そちら"ではないと思います
蛍さん、戻ってきてください」

『Non…arrête, ne laisse pas moi…s’il vous plaît, mon maître…』
(いや…やめて、置いてかないで…お願いします、ご主人様…)

「蛍さん!僕です、ここにあの人はいません
落ち着いてください!」

息が詰まる。
暫く意識というか、記憶がない。
気付いたら、外に出たはずのポアロの店内。

『…Rum, vous êtes…』
(…ラム、貴方は…)

「Il n’est pas ici.」
(ここにはいません)

突然聞こえた声にビクッとして体を起こし、鈍痛の残る頭を押さえた。
そっと差し出されたのはティーカップに入った常温の水だった。
頭の中がぐちゃぐちゃのままでも、することは自然とわかっていた。
頓服を鞄から掴んで水で流し込む。

…息が、苦しい
頭の中がうるさい…
こんな副作用…ラム…アンタはどうして俺を…
ジン様でもないのにこんなに俺を苦しめて、何をしたい…?

『……』

次第に呼吸が落ち着いてきた。

「大丈夫ですか?」

声をかけてきた安室さんを見てまたビクッと過剰反応してしまったのは、まだ頭の中の整理がついていなかったからかもしれない。

「もう少し水を飲んで落ち着いてください
それとも、僕が目の前にいた方が厄介ですか?」

『……』

それには小さく頷いた。

「わかりました
戻ったら声をかけてください
そしたら温かいものをお持ちします」

気が動転していたのは確かだ。
事実、記憶が飛んでいるし、何より手の震えが止まらない。
俺がまだあの人をバーボンだと意識してしまっている証拠だ。

…明日までに記憶を消しておかないと

小さく溜め息を吐き出してから水を少しずつ口にする。
外でこんなに緊張感を感じたのは初めてかもしれない。
なぜか感じた。
視線のような、気配のような。
ラムの匂いが確かに一瞬だったとしても、あった。

…ダメだ、やめとこう
これ以上こんな事を考える方が無駄
ジン様に何をされるかわからないし、ラムのことも今の俺の口から名前を出す方が危険すぎる…
俺は、ジン様の飼い猫…

ようやく少し落ち着いてきたので梓さんを見つけて、お世話になったので謝罪を入れようとしたら逆にティーカップが運ばれてきた。

『梓さん…?』

「蛍さん、また仕事仕事って…
前もそれで体を壊したのに働きすぎです!」

もう、と言った梓さんは透き通ったお茶を淹れてくださっていたようです。

「安室さんから、仕事詰めとのこと聞いてます
リラックス系のハーブティーです
びっくりしちゃいましたよ、仕事って急いでお店を出たかと思ったら倒れちゃうんですから…」

仕事のしすぎですよ、と言った梓さんは少し不安そうな顔をしていました。
少し反省しています。
マドモアゼルにこんな顔をさせてしまいました。

『…すみません、ご心配をおかけして…
あの、それで申し訳ないのですが、一体何が…
俺、お店を出たはずだったんですが、何が一体どうしてこんなことに…』

「お店を出て、ちょうどそこの窓を横切ったあたりで姿が見えなくなったので驚いて…お店を出てみたら蛍さん、過呼吸だったんでしょうか?
とても苦しそうにされていたので、以前から聞いていた発作かと思ったんです
安室さんは発作ではないと言っていたんですが、お店で休んでいただいてたんです
病院とか…」

『あ、いえ…それは大丈夫です、すみません
店先で…それは大変失礼しました
ですが仕事なんてこの前ほどのことはしてないので、本当に……ん?』

あれ…?
俺、何かを見て何かを感じたよね?

『あ、あの、梓さん
ここの近くにはどんな建物があります?』

「え?建物ですか?
えっと…ここの上は毛利先生の事務所、お隣はいろは寿しさんで、それからお向かいは…」

…お寿司のお店…
そうだ、そこに何か…妙だな
なんでよりによってお魚の店でラムを思い出した…?

「…って、蛍さん?」

『…あ、ああ、ありがとうございます
どうやら道に迷ったのか、何か…ちょっと本当に発作だったのかもしれません
もう大丈夫です、頓服も飲んだので』

ご心配をおかけしました、梓さん
貴方には勘付かれたくないのです…
踏み込まないでくださいね
素敵なマドモアゼルのままで、どうかそのままで

お茶を少しいただいてから端末を確認する。

…ジン様に、連絡しとくかな
今どこにいるんだろ

[明日、楽しみにしてます
満たしてくださいね]

ラムの気配を、匂いを感じられなくなるほどに

少しお店でボーッとしていました。
そしたら暫くしてイケメンと目が合って、ようやく体は何も反応しませんでした。

「そろそろ戻られましたか?」

小さく頷く。

「もう少しで上がりますが、その後少し貴方の時間をいただいても?」

『…10分なら可能です
それ以上は明日に影響が出ます』

「夜もお会いできないほど?」

『貴方と違って俺は明日の夜明けとともに合流です
なるべく12時間前からは外界と断絶したいだけです
もちろん、ネズミの匂いなんかつけて帰れませんから』

「わかりました
でしたら10分だけ、僕にください」

そのまま新しい伝票を置いていったイケメンを目で追ったら、梓さんにお疲れ様ですと言っていた。
それを見て伝票をレジに持っていって、先に駐車場の近くで少しだけ、ほんの少しだけ哀愁を感じたんだ。

「お待たせしてすみません」

その声でハッと我に返ったような気分だった。
今は、プライベートだからいい。

『いえ、全然…
今日も送ってくださるんです?』

「暫く蛍さんとは会えなくなりそうでしたので、そのままディナーでもと思ったのですが
生憎そんな時間はなさそうですね
手短に済ませましょう」

『…感傷に浸る時間もくれないなんて』

「今更感傷に浸るような方でした?」

『いえ、これでも諜報員なので』

夕日が差す。
金髪が眩しいくらいだ。
少しだけ空を見上げてから、日陰にいた自分の足元に視線を落とす。
それから隣に来た肩にそっと頭を乗せてみた。

『……』

「……」

好きだな、こういう時間も
気を遣わせて申し訳ないね、何も聞かないなんて…

「蛍さん」

『はい?』

「今日のアレはなんですか」

『え…』

ま、まさかラムのこと…
いやいやいや、それここでお説教される筋合いあります?
確かにお外でまさかこんなことになるとは、と自分でも反省してますけどあれは流石に…

「僕との付き合いを、貴方はどうもまた勘違いしている気がしたのでお聞きしました
セクハラとは、どう言うことですか」

『…え?そっち?』

あれ。
何か違う話だったようです。
そしてすっかりラムと明日のお仕事のことで忘れていましたが、俺、そういえばこのイケメンに視線を奪われてやろうと思っていた仕事を一件ほったらかしたのでした。
そして先日の夜のことやらを、暴露されるかと思ったのです。

『え、あ、いや…えっと…』

「…蛍さんがそこまで初心だとは思いませんでした
まあ、これまでのことを踏まえるとなぜここまで順調に進展できたのか疑問に思うほどですが」

ええええ!
なんか、すごい言われようじゃない!?
え、俺、彼氏とこんなことまでしたことないから、本当に、本当に…

『っ、わかんなかっただけなのに…
だ、だって…そんな、あんなとこ、安室さんにしか見せたことないし恥ずかしいのにバラされるかもとか思ったし梓さんに聞かれたらどうしようとかなんかよくわかんないし、お付き合いってどこまでが、どれが、どんなのが正解かなんて俺には全然わかんな…』

言葉を、盗られた。
震えていた腕を掴まれたかと思ったら、唇を塞がれていて、なぜか涙が出そうになった。

「わからなくて当然です
それから、正解なんてありません
貴方はまたそうやってすぐに白黒つけたがる…そして計算高いのに鈍感
可愛いですよ、子猫みたいに震えて
僕の前だけでこんなことをしてくれるなんて」

ひ…ひえぇ、なんか、口説かれています…
いや、慰められてる?フォローされてるのか…?
俺の男運のなさを…

『あ、ど、同情とかは別に…』

「同情?笑わせないでください
言いましたよね、貴方が可愛くあればいいのは僕の前だけだと
あんなに飄々としている貴方がこんなことで、僕の言葉一つで焦ったり必死になってくれたり、そういうところが可愛らしいと言ってるんです」

ちょっ…待っ…
お、お外、お外でこんな連続でキ、キスされたら…俺死んじゃう…!
し、心臓が、ねえ!やばいやばいやばい!
死んじゃう!イケメンが近い!うわあ、イケメン!

『…n…assez, c'est…ah, Rei, c’est assez…』
(ん…ダメ、これ…あの、零、もう限界…)

くたくたです。
腰が抜けかけています。
口を離されたらもう、ほら腕の中じゃないですか。

『…poseur.』
(気障なんだから…)

「明日から暫く貴方に会えないのは僕だって寂しいんですから、これくらいはフェアでしょう」

えっ…

『…さ、寂しいとか思ってたんですか!?』

「…僕のことなんだと思ってるんですか?」

『…とてもすごい彼氏…』

「曖昧すぎます」

あ、ちょっと照れてる…
うわ、レア!レアすぎる!
照れたイケメン、か、か、可愛い…!
え?イケメンなのに可愛い?
可愛いって言う?これ日本語合ってる?
でもなんか、かっこいいじゃないし綺麗も少し違う…

『T’es “kawaii,” Rei…! C’est la que je t’aime. Toi, tellement injuste.』
(零、本当、カワイイ…そういうとこ、もう、そういうとこが好きなの。ほんと、ずるい人)

わかんなかったけど、素直に笑うしかなかった。
こんなに嬉しくなったのは久しぶりで、素直に笑みが溢れたのもいつぶりだったのか。
そして自分をこんな風にしてしまう貴方が、一番ずるい。

惚れた弱みって言うのかな、もう敵わないな…
きっと、もう…

ひとしきり笑った後で、そっと頭を撫でられた。

「ずるいのは貴方ですよ
そうやってどさくさに紛れてまた言いたいことだけ言って、僕に反論の余地をなくす
久しぶりに蛍さんの笑顔が見られて安心しました
これで心置きなく仕事をこなせそうですね」

『え?俺は心残りばっかりですよ?
俺は今から貴方を忘れなきゃいけないんですから』

「そうでした」

うん、この撫で心地は最高
これが暫く味わえないのは寂しい
イケメン夜ご飯もない
多分、餌かな…まあ、飼い主がいるだけ、野良よりマシなのかな

「それからまた僕が何もできない時に思い切り好きと言ってくれたものです
こういうところだけフランス人に戻るんですか?」

『あのですね、俺は元々フランス人です
そういう日本語のまどろっこしいのは苦手なんです』

「これまでストレートな表現の国でばかり男運のなかった貴方が、まどろっこしい言葉を使う日本人に捕まってるんですよ?」

『うっ…そ、それは…』

「ですが、日本人だって誰もがそういうわけではありません
誰だってTPOを弁えるものです、まどろっこしくするか否か
だからこそ、ですよ
何回でも僕はちゃんと言いますからね、貴方が好きだと」

『……え、AEDを…そろそろ…持ってきてもらえますか…』

「腰が抜けたままですか」

『あの、ご自分の破壊力をご存知ないようなので…あの、お腹いっぱいです…』

だめだ、これ以上イケメンの何かを喰らうと俺が、心臓が、頑張りすぎて死にそう…!

「さあ、10分が経ちますよ
しっかりしてください」

『こんなになったのは誰のせいだと思ってるんですか!』

「多少は耐性のない貴方にも原因があるかと…」

『イケメンの耐性ってなんだ…知りたい…どうしたらいいんだ…』

「それはそうと、彼氏だと認識していながら恋人に目の前で死ぬだの言われるとそろそろ僕も怒りますよ?」

『いや、これは…!』

「でしたら…」

それとこれとは、話が…

はあ、と小さくため息を吐き出しながらちゃんと自分の足を立たせる。
さあ、頑張っておくれ、体よ。

「今日はしっかり洗って匂いを落としてください」

『え?まあ、シャワーくらいは…』

グッと引き込まれた。
近い。
そしていい匂いがする。
腰とか、なんだか腕を感じる。

「こんなに僕の匂いがついていたら、飼い主に怒られますよ」

『っ…』

この人、イケメンでこんなこと言って、ずるいです…
ずるい…ずるい…イケメンてずるい…
うわー、もう、好きだよ…
あ、なんか泣きそう…

『……好きすぎて、なんか、涙出てきました』

「…今だけですよ」

小さく頷いて、その胸の中にすっぽり埋もれるようにしてちょつとだけ、いつもよりちょっとだけ痛い胸を慰めるように泣いた。
その間ずっと頭を撫でては、聞こえない右耳のそばで何か唇を這わされたのでやっぱりイケメンは用法容量を間違えると自分がやられます。




『では、また今度ですね
そしたら前に考えてくださってたアンチョビのパスタ、作ってください』

「ええ、一応レシピ自体は考えていたのであとは機会に恵まれることを願っていますよ
…貴方が無事で戻ってきてくれるなら」

大丈夫、違わない。
別れ際に一度背を向けたけれど、やっぱり少しだけ心残りだったのかもしれない。
振り返ってから、小さく背伸びをして、初めて自分からキスをした。
ほんの一瞬だったけれど、見送りの視線を外すのには丁度良い油断だった。

好きって気持ちだけは、忘れないから…

近くの塀から屋根に上がって帰路へつく。
明日の俺は、データの中。
ブラックボックスの中に潜んで外界から逃れる。
明日からは、零と一のデジタル世界にいるのだから何も不安はない。
久しぶりだね、黒い夜のお仕事なんて。






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