宿敵

「……」

『……』

「……」

「あの、いつまでそうしているつもりですか?
僕だって元々此処へは来させたくありませんでしたし、どうして僕達は玄関で30分も睨めっこしなければならないんですか」

『……』

「……」

「あの、蛍さん、聞いてますか?」

『……帰ります!』

「はい?」

「ワンッ」

『安室さん、聞いていません
やけに動物の扱いに慣れてらっしゃるとは思っていましたが、犬だなんて聞いていません』

目の前で此方を見ては怯えている子犬を見下ろし、キッと睨んでみる。

『…ああ、そう、そうですか、犬ですか、犬でしたか』

「…あ、あのですね、蛍さん」

『いいですよ
ペットのお世話はちゃんとしないと今時すぐに動物愛護団体からどうのこうの言われるご時世ですし?
仕事だってお忙しいのに、ちゃんと遊んであげてるんですか?
犬なら散歩だって必要ですよ?
貴方、忙しいんですよね?
折角の休日ですし、ちゃんとその犬と遊んでやってください、では失礼します』

ドアノブに手をかけて玄関を出ようとしたらドアを開けた所で腕を掴まれて逆戻り。

「…玄関で30分も僕を放っておいて帰るとは身勝手すぎますよ
自分の家には来るくせに僕の家には上がらせてくれないとあれだけ駄々を捏ねたのは貴方ですよね?」

『それは…』

「こういう事になるとわかっていたので僕も来させたくはなかったんです」

『こういう事?
どういう事か分かりかねますね』

もう一度帰ります、と宣言してドアを開けたらまた腕をグイッと引っ張られてドアが閉まる。

「ですから…」

『帰って仕事します』

「蛍さん、今日は休日にした筈です」

『今日が休日かどうかを決めるのは俺ですよね?』

「困りましたね、折角だからと連れてきてみれば30分も犬と睨めっこをして帰ると言い出して…」

ん?
腰に何か触れたぞ…

そっと横目で見てみれば、指です。
イケメンの指が何故かTシャツの裾辺りを弄っています。

『あの、セクハラですか』

「こうでもしないと、貴方、すぐ何処かへ行ってしまうでしょう?」

ズイッと近付いたイケメン。
目と目が近いです、目の前にあります。
これは危険。
非常に危険です、心臓の過活動により救急車を要請します。

『ど、何処かって言ったって俺には帰る場所なんてどこにもありませんから…!』

ムッとして押し返し、ドアノブをまた掴む。

「お茶の一口でも飲んでからにしてください」

パタン。

『いえ、帰ります』

キィ。

「蛍さん、いい加減にしてください」

パタン。

『お茶くらい仕事しながらでも飲めます…!
それより犬なんてアパルトマンで飼っていいんですか…!
近所迷惑と言われても知りませんよ!』

キィ。

「どちらかといえば、今の押し問答でドアを開け閉めしている方が近所迷惑です!
それに僕も飼えないと思っていましたが飼える物件だったことがわかったので問題ありません」

パタン。

『とにかく、帰ります…!』

「帰しません」

カチャリと鍵が閉まってしまった。
万事休す。

いい歳して大人2人で何をやっているんだか…

溜息を吐き出して、仕方なく玄関に留まる。

「ハロ、少し向こうに行っておいで」

「ワンッ」

「すぐに行くよ、ほら先に行って待っててくれ」

安室さんはイケメンを小動物にも安売りしているのか…!
本当にけしからんイケメンだな!
ここまでくると罪だぞ、罪人だぞ!

本当にリビングの方へ行ってしまった子犬に思いっきり威嚇してたら、頭をポンと軽く叩かれました。

「小動物相手に大人気ないですね」

『…なんで犬がいるんですか
全く、いるなら最初に言ってください
いいですね、犬は従順で
全然言うことを聞かない気まぐれ猫とは大違いで』

安室さんは長めの溜息を吐き出してからに俺の眼前に迫った。

「…珍しく貴方が僕に駄々を捏ねる程興味があるかと思えば僕の家でしたか
ただ、蛍さんが来たら犬が怯えることもあなたが嫉妬されるのも目に見えていましたから」

『俺は嫉妬なんかしてません』

「してるじゃないですか…
それとも、ガッカリしました?
公安警察の者がこういう家に住んでるなんて」

『公安警察だからこそこういったアパルトマンで暮らしているんじゃないんですか?
そういう諜報員の基礎も分からない程馬鹿だと思われてたんですね』

「…そうではありません」

さっきまでの心臓の過活動も落ち着いて寧ろなんだか変な気分です。
嫉妬と言われましたが断じてそんな事はしません。
え、何故かって?
それは俺が安室さんのことが大好きだからです。

…ん?
いや、好きだから嫉妬するのか?
好きならいつものうわあ、大好きー!ってなるから多分嫉妬じゃない…
いや、でも、じゃあなんなんだろうか…この…あの、犬に対する嫌悪感…!

「蛍さん」

『……』

「蛍さん」

肩を叩かれて顔を向けた瞬間にグッと腰を引き寄せられて人工呼吸。
マウストゥマウスです。
ひえええええ、寧ろ酸素が足りません。
一瞬離れたので酸素を確保したと思ったら、今度はもっと骨抜きになる程の人工呼吸です。
最早酸素搾乳機である。

『っ…ん…』

あ、ちょ…あの、息、息、酸素…

咥内を滑るザラリとした熱は最後に唇を舐めて離れ、ようやくまともに呼吸が出来て咳き込んだ。
ヨロリとして咄嗟にイケメンのシャツを掴んでしまいました。

「こんな事で腰を抜かさないでください
いつになったら慣れるんですか」

『な、な、慣れるとかそういう問題じゃありませんよね…!?
ていうかキスに慣れるってどんなですか!
い、意味がわからない…やはり男という生き物は野獣…』

「貴方も男です」

『あっ、そうだった…でも俺は野獣じゃないから…』

「ともかく上がってください
いつまでも玄関にいるわけには…」

『い、いえ、結構…です』

「僕の家に上がり込みたいとさっきまで浮かれていたのは誰ですか…!」

『俺ですよ!
すいませんねえ!浮かれて!』

「でしたら上がってください」

『い!や!で!す!』

「今日の蛍さんは本当にわからないですね…
まあ、ハロに嫉妬してるだけだと思いますが
自分も猫という小動物ですからね…今日のハロは以前大尉とポアロで会ってから帰ってきた時と同じ反応ですよ」

『あのですねえ、俺はれっきとした人間で…』

不意に言葉を止めた。
安室さんの肩越しに小さな物体を見る。
それに気づいたのか安室さんは振り返り、その小物体を抱き上げてからまたリビングに戻していく。

…い、犬のくせに安室さんに抱き上げられて…なんて生意気な…!
も、もういいです、そんなに犬がいいなら…

『わかり、ました…』

「…はい?なんです?」

『…安室さんが犬をお好きだとは存じませんでした…
ですのでこれからは…い、犬として…』

「は、はい?
貴方は今自分で何を仰ってるかわかってます?」

『イエ、全く…』

「…とにかく上がってください
落ち着いてゆっくり話をしましょう」

あ、あ、ダメだ…
あの、アレですね…
神様、また俺に試練をお与えになったのですね…

「蛍さん…」

仕方なくゆっくりと靴を脱ぎかけて、止まった。

か、か、彼氏の、家…ですね…
初めての…訪問…
え、なにこれ、え、こんなに緊張する?
うわ、うわー、なんかすごい緊張するんだけど!

『や、や、やっぱり帰ります…!』

「だから帰しませんて」

『ですから俺ごときが安室さんの神聖な家に足を踏み入れるなんて…!』

「…ちょっと何を仰っているのかわからなくなってきました
一旦落ち着きましょう」

『…あの、安室さん、これは、その…』

「とりあえず落ち着いてください」

『い、いえ、その…』

「深呼吸!」

『は、はい!』

あ、思わず答えちゃった…

深呼吸をすると益々安室さんの匂いが鼻を通り抜けていきます。
駆け巡っています。
ああ、イケメンの匂い、素晴らしい。

『あ…あ…安室さんの匂い…』

充満しています。
心が洗われるようです、救われます。

「蛍さん、あの…」

『いい匂い…もう死んでもい…』

「禁句、でしたよね?」

平手打ちが飛んできて目が覚めました。
なんて反射神経。
しかし目が覚めたのでハッとしました。
あの小物体が見えて玄関のドアに張り付いて威嚇しました。
暫く睨めっこをしていたのですが、不意に溜息が聞こえた。

「わかりました、今日はもう外に行きましょう」

『…はい?』

「ハロの反応もそうですが,ハロを見てからの蛍さんの行動をどうやら勘違いしていたようです」

『えっと…』

「…蛍さん、犬、苦手なんですね」

う…

小さく笑った安室さんの笑顔が素敵なので許したいところですがそうも言っていられる状況ではありません。
図星です。
俺は犬という動物が大の苦手です。
子供の頃パリの広場で大型犬に追い回された事が何度もあります。

「…子犬でもダメですか?」

『……ど,どうせ安室さんにはわかりませんよ!』

「本当に苦手なんですね…
さっきから指先まで震えていますよ、気付いてました?」

あ…

さりげなく重なる手が温かくて少し緊張が解れた。

こ、これはイケメンの手…
あったかい…

結局安室さんは俺の手を握ったままドアを開け、暫くお互い何も話さずに米花町を歩いていた。
公園までやってきてそのままベンチに座り、なんとなくバツが悪くてそっぽを向いていた。
確かに、いつも俺の下宿先ばかりだから安室さんの家に行きたいと駄々を捏ねたのは俺だ。
確かに身勝手だったかもしれない。
ただ、小動物がいるなら先に言ってくれればとも思い、何をどう言おうか迷っていた。

「すみませんでした」

『…?』

「貴方とこうしてもう何ヶ月と経つというのに犬が苦手だったという基本的な情報を把握していませんでした、職務怠慢ですね
何も言わずに連れてきてしまってすみませんでした」

『あ、えっと…いえ…それは言わなかった俺が悪いかと…』

「いえ、聞かなかったり事前に調べておかなかった僕の落ち度です
猫もそうです、猫アレルギーの方もいらっしゃるくらいですから」

でた。
でたよ、ほら、イケメン。
すぐ先回りして謝っちゃう。
俺の我儘だっていうのに。

『……』

「わかってますよ、だから謝らないでください」

『…心の中でも読めるんですか』

「まあ、蛍さんは単純ですから」

あ、なんとなく馬鹿にされた気がする。
イケメンだからって言っていい事と悪いことかあります。

『大体ですね…』

「あ、犬ですよ」

『えっ!?』

咄嗟にイケメンの手を掴んでスライドしてしまった。
しかし安室さんが覗いた方に犬はいないし人すらいない。

『ちょ、ちょっと、どこですか』

すると安室さんは小さく笑って、それから密着してしまった俺の腰を更に引き寄せて額を重ねてきた。
おっと、近距離注意報です。

「すみません、冗談です
そんなに犬が苦手だったなんて…ちょっといい事を知ってしまいましたね」

な、な、なんて人だ…
おまわりさん…この人詐欺師です、嘘つきました…!
あ、この人警察だった…

『あ、安室さん…!」

「ハロを威嚇していた時の貴方、威嚇していたつもりなんでしょうけど今にも泣きそうで可愛らしかったですよ」

そのまま口を塞がれてしまって何も言い返せなかったけれど、なんだか最近この方大胆過ぎませんか。
今公園ですよ。
お外ですよ。

「貴方って本当に猫か人間かわかりませんね,ハロにまで猫扱いされて…動物にも通用するんですね
それから、あんな顔は僕以外の前でしないでくださいね」

…あんな顔って何ですか
全く、気障なんだから…

ムスッとしたままでいたら、なんだか更に犬に対してイライラが募ってきました。
立ち上がって安室さんに一礼。

『すみません、やっぱり帰って仕事します』

「はい?」

『…なんていうか,なんだか…どうもイライラするんですよね
あの犬、犬の分際で安室さんに抱き上げられたり抱きついたり…身分を弁えろって話ですよ
それとも犬ってあんなに発情期みたいに安室さんを襲ってくるものなんですか?
なんか…犬の頭撫でてる安室さん見てるのも、ものっっっすごくイライラしたんですよね
ちょっと精神統一して落ち着きたいので仕事してきます
折角の休日をすみません、是非犬と遊んであげてください』

よし、こういう時はやっぱり仕事だ。
仕事をしてればこんな気持ちも忘れるだろう。
公園から工藤邸まで歩いて帰り、途中ポアロの前で大尉に出会ったのでなんとなく安心して、それから心穏やかに仕事をしました。
いい事です。

……あれ?
結局俺、初めてできたまともな彼氏のお宅訪問、逃しちゃったんじゃ…

お仕事をする手が思わず止まりました。
折角あんなに頼んで連れてきてもらったのに、結局玄関しか彼氏の家を堪能できませんでした。

『…いや、全ては犬が原因だ、うん
そういうことにしておこう、そうしないと俺が自己嫌悪するだけ……
でも犬に罪はないよねえ?
あの子、パリの犬と違って大人しかったよね?
ちゃんと安室さんの言うこと聞いてたよね?』

やってしまった…
こうやって俺はどんどん機会を失っていくんですね、もうわかりましたよ…

『いや、でもあの犬は安室さんに飛びついたり媚び売ってたんだ、なんて罪深い犬…!
あー、もう!仕事だ仕事!』





「…結局嫉妬じゃないですか
僕は貴方の仕事に毎度嫉妬していることをご存知なんですかね、蛍さん…」







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