猫が骨抜きにされる話

カタカタとキーボードを鳴らし、リアルタイムで自動更新されるSNSの画面を見てはクラッキング先の垂れ流し情報をガッポリ頂いてウイルスを仕込み、撤収して依頼主であるFBIへとデータを送り、サイバーテロ犯としてリストを本部へ送りつけた。

『…ホント、物騒な世の中ですね』

「貴方が言います?」

物騒なことしながら…とデスクにカフェを置いてくださった安室さんは苦笑した。
あれから薬は飲んでいるものの、日によってかなり聞こえ方が違うことに気が付いた。
いかに今まで自分のことに無関心であったかを知ったくらいである。

『まあ、今日はちゃんと仕事もこなせたので休憩がてら散歩でもしたいところですが…』

「残念ながら雨ですね」

『……』

「そんなに落ち込みます…?」

ベッドに腰かけた安室さんは壁の端末で情報機関へとアクセスしていた。

『…安室さん』

「はい?」

『安室さん、先日はものは考えようみたいな話をしたじゃないですか』

「…解釈の話ですかね」

『…なんだかんだ、俺、表面上退職して良かったというか、その方が都合が良いんじゃないかと思うようになりました』

「退職のメリットを見出したんですか?」

『そうですね…
まず基本的に情報屋なんで画面上のやり取りじゃないですか
そしたら自ずと聴力に問題がある日でも仕事はこなせるということがわかりました
機関に所属していると、電話での取引もありますから…全て文字と暗号など聴覚を介さずに今までのペースで仕事ができるので
あとは以前の繋がりと付き合いで仕事は回っていますし、その仕事を介してペンネームというか、ネット上のIDネームでも各国の機関が情報を買っているという噂が情報屋界隈で話題になってくれています』

「まあ、国のお墨付きの情報屋というのは強いでしょうね
確かにネット上の顧客とのマーケットですから聴覚は仕事に支障ありませんね」

『あと勝手に取引をしておいて裏で各国家に高値で売りつけるんですよ、サイバーテロの犯罪集団の情報を
密告時にIDもIPアドレスも使い捨てにしているので摘発された側は俺が告発者とはバレないようにしています
案外楽しいですね、スパイも』

カフェを一口いただいてから、席を外して安室さんの隣に座った。
そしたら不意に頬を包むように撫でられてちょっと意地悪そうな顔をされた。

「可愛い顔をして、恐ろしい…
スパイが楽しいだなんて、貴方も大概こっち側の人間ですね」

『…こっち?』

「ええ、まあ諜報員ですからそれくらいは基本中の基本とわかっていらっしゃると思いますが…」

『そっち…』

「…はい?」

『どっち…あっち?』

「蛍さん?」

『こっち?』

「あの…」

『…この前、本屋で立ち読みした日本語検定の教科書で出てきた、こそあど言葉というやつですかね
あの、こっちというのは一体どっちのことで…あっちって、遠い方ですか?
どっちは所謂whereに当たるというのは理解しました
こっちとあっちと、そっち?え?
そっちってなんです?あっちとそっちって何が違うんです?
ていうか発音可愛いですよね、なになにっちみたいな小動物いそう…可愛いですね…』

考え込んでいたところ、大きな溜息が聞こえたのでゆっくりと顔を上げる。
呆れ顔の安室さんは俺を見下ろしていた。

…な、なんか呆れられてる
え、何、え?

突然グイッと胸倉を掴まれてバランスを崩し、安室さんの胸元へダイブしてそのまま沈没。

「僕のいる方が『こっち』です」

んーーーー?
Quoi?何?
どういうこと?
それはともかくこの体勢なんでしょう、最高です…

すーっと匂いを嗅げば安室さんの匂い。
こんなに安心する匂いは世界中どこを探してもありません。
ほわっと幸せになって、ぐりぐりと体を押しつけていたら頭を片手で掴まれて離された。

『あ…』

「あ、ではありません
貴方、本当に猫ですか、マーキングのつもりですか」

『…にゃー?』

冗談のつもりで言ったんだけどな。

「(本当ににゃーにゃー言い始める日が来るとは…)」

顔を逸らせてしまった安室さんの服の裾をギュッと掴んでおく。
一向にこっちを向いてくれないので拗ねそうです。

「…蛍さん、本当に…猫だったんですね…」

『えっと…』

胸元に押し付けられてしまって安室さんの表情が全く見えませんが、頭の撫で回しが尋常ではありません。
こんなにわしゃわしゃもふもふされたのは初めてです。

なんだろう、この感じ…
あ、でもなんか猫になったらこんな気分なのかな、飼い主に延々と撫で回されるの?
なんか最初のうちはおお、わしゃわしゃっ!て思ったけど、なんかずっと撫でられるのも…

『……んにゃっ!』

パンッと手を払いのけて威嚇。

「…猫、ですね」

『なんなんですか急に!
そりゃ最初くらいは嬉しいですよ!
頭撫でられるのも好きですもん、いいですよ!
長くないですか!?
長すぎません!?』

「…以前見た猫の態度あるあるみたいなまとめサイトのままの反応ですね
最初は撫でると喜んでいるのにだんだん不機嫌になって膝の上からいなくなるとか、自分から離れていくっていう猫の話…」

…なんですか、それ
確かに前、安室さんの端末をハッキングした時に検索履歴とか見てたら猫のまとめサイト見てましたよね?
知ってますけど、そんなこと調べてたんです?

『あのですね、流石に組織の猫と言えど本物の猫扱いされると…』

きゅっと首の後ろ、第七頸椎辺りを摘まれました。
俺の弱点です。

『う…』

パタリとその場に落ちたら安室さんの膝枕が待っていました。
なんたる極上まくら。

「弱点が首の後ろというのも猫と一緒ですね
まあ、たまには飼い主に遊ばれてください」

緩急の付いた撫で方をされ、ふにゃふにゃとリラックスモードに突入していく。
睡魔も襲ってきてふっと意識が一瞬消えたのだが、極上まくらを伝って感じたバイブレーションでハッと目が覚めた。

「あ、すみません」

『……』

「ちょっと電話が…」

ねえ、行かせると思ってます?
ここまでしておいて?
貴方ですよ、俺をここまで誘導したのも
それで遊ばれろって言われて、急に電話だからって行かせると思ってるんです?
そんな事が許されるとでも?

「わかりました、ここでしますから…」

ふん、どうせ電話なんてさっき上層部にリークした情報が回ってきたってくらいの内容でしょうね…

再び心穏やかにまったりしようとした。

「どうした、緊急か?

…ああ、それなら聞いている」

ん…?
これは降谷さんモード…で、この口調なら上司ではないし、色々指示してる辺り大体予想はつきます…

「ああ、そうしてくれ
今は別件で動けない、夜にでも合流する
また後で」

電話を切った安室さんは、俺を見て何か話しかけようとしたが、苦笑して言葉を変えた。

「……何をそんなに睨んでるんですか」

『……』

「蛍さん」

『…ワンコですね』

「はい?
ああ、電話の相手が風見だと…?」

コクコクと頷いてムッとしてたら、また溜息を吐き出された。

「…本当に風見とは反りが合わないですね
貴方の仕事っぷりときたら、本当に驚かされますよ
本部の上からの案件で、貴方からご提供いただいたというただのお知らせです」

『…またあのイヌに妨害されました
なんなんですか、降谷さんの部下でいいご身分ですね、全く
降谷さんの部下だからと降谷さん降谷さんと隙あらば自分が降谷さんの介添人のように立場を顕示してくる辺り、本当尊敬します』

「…今日の蛍さんは嫉妬の塊ですか」

『嫉妬なんてしてません
俺はまた幸せな休憩時間を妨害されて、しかもあのイヌに…』

「そういうの、嫉妬って言うんだと思いますけど…」

『違います
もういいです、お仕事します』

「さっきまで忙しい、死にそう、休みたいと言っていたのは誰ですか」

『記憶にございません』

ぷいっとそっぽを向いて、ベッドから降りようとしたらグンッと腕を引き戻されて何がなんだかわからないままベッドに仰向けに倒れていました。
目の前には、安室さん。

「…あれだけ僕を妨害しておいて、折角仕事から離れて寄り付いてきたというのに、僕が簡単に行かせると思ってます?」

あれ…なんかどっかで思った事があるフレーズだぞ…

「行かせませんよ」

ちょっと待った。
さっきと立場がまるで逆なんですが。
しかも結構力が入っていて身動きできないし、たまにこうして上から見下ろされるのって色気が凄くて反抗できないんですよね。
しかもなんか足の間に安室さんの下半身があるのですが。

『あ、の…』

「仕事の時間は終わりです
もう定時なんですから、僕とやっと、遊んでいただけますよね?
あれだけ嫉妬していたんですから…」

長い口付けの後に耳元でそっと言葉を囁かれた。

「足腰立たなくなるまで愛して差し上げますから」

ちょっと待ってくれ、この状況に一時停止ボタンを押したい。
おい。
俺は嫉妬などしていない。
あの風見というワンコがいつも降谷さん降谷さんってしてるのが気に入らないんだ。
あれ、これを嫉妬と呼ぶのか。

『……じゃあ、嫉妬しないようにしてください』

「…それ、嫉妬するかしないかは蛍さんの心持ちの問題ですよね?」

『ですから…』

「なるほど」

安室さんはふっと笑って額をくっつける。
至近距離で体温を感じる。

「ええ、いいですよ
貴方にしか見せない僕の姿も、部下が知ることのない貴方だけの僕を見てくださって結構です
そのかわり、貴方も僕にしか見せない貴方を見せてくださいね
優越感を与えるほどに、今日は僕も貴方も晒け出してくださいね」

今宵、俺だけがこの男の全てを見た。
全てを知った。
全てを感じた。
自分ですらこんな自分は初めてだというくらい晒け出した。

「それでは一度本部に戻るので、また明日ですかね…
明日はポアロにいますので」

『…ゼロ』

何もかもを抜き出され、空っぽになって、生まれた時の状態のまま布団に包まり、心も体も0の状態になった。

「これで嫉妬モードはリセットしましたからね
では、また」

『…ん』

行ってきますと口付けて部屋を出て行く安室さんをその場で見送る。
布団でもぞもぞとしていたら暫くして寝てしまい、そのまま朝を迎えて絶句した。

『…服が、散乱…
ちょっと待って、下着、見当たらないんだけど…』

見事に昨日の状況を物語っている部屋を見て青ざめた。
昨日の自分は本当に普段の自分じゃなかった。

『あ、あ、安室さんに…全部吸い取られちゃった…』

愕然としました。
よく映画のワンフレーズみたいなのであるじゃないですか、心を盗みましたみたいな。
やってくれましたね。
どうやら安室さんに心を盗まれたようです。

『あっ、なんか腰、痛い…』

はあ、と溜息を吐き出す。
やはりイケメンは用法用量を守らないと心を盗まれるようです。
イケメンはハート泥棒です、気をつけてください。





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