猫はなかなか啼いてくれない

『Ça y est…!』
(できた…!)

よしよし。
最高の環境だ。

「蛍さん、朝から宅急便が山のように来るから手伝ってくれと言われてみれば…これですか…」

懲りませんねえ…と溜息を吐き出した安室さんは部屋を眺め回した。

『まあまあまあ、いいじゃないですか
俺の退職金でこうしてきちんと情報収集に専念できるんですし?
組織のNOCリストからも外れますし?
フリーランスの情報屋とでもしておけばいいですし?
報酬だって歩合制ですから〜』

「そうお気楽そうに仰いますけど…
結局退職金は全てパソコンのサーバーやら機材、新規のモニター5台、電波干渉対策、Wi-Fi機器に…投資金として使うことしか頭になかったんですか?」

『ええ、そのつもりでしたよ?
これで仕事の概念も変わりましたし、上から押しつけられる仕事もなくのびのびと情報屋としてやっていけるんですから』

今までの部屋の内装を大幅に変更し、メインのモニター含め5台のモニターで常に情報を仕入れ、サーバーなど完全なるパソコンのためのお仕事部屋になった。
夢のような空間である。

「その退職金の一部に、僕とのデート代とかが含まれていなかったんですね
まあ、貴方らしいと言えば貴方らしいですけど」

少し拗ねたような言い方をされたので振り向くと、安室さんはスッと顔付きを変えた。
これは降谷さんの顔です。
もう完全にいつも安室さんのモードチェンジがわかってきました。
大進歩です。

「À propos, je suis heureux qu’on peut encore travailler ensemble.」
(それはいいとして、嬉しいですよ、また貴方と一緒に仕事ができるようになったので)

思わぬ言葉に嬉しくなって、ついヘラリと笑って頷いて答えた。

『Oui, moi aussi, Rei. Je ne pensais pas qu’il m’a proposé telle chose, j’avais de la chance. 』
(はい、俺もです。まさか所長があんなて提案をしてくださるなんて思いもしなかったですよ、幸運でしたね…)

退職金をこうして情報屋としての機材費に充てたのには勿論理由はあった。
俺はDGSEを脱退し、退職金を得て今こうして日本を拠点として世界中の今までのネットワークを頼りにフリーランスの情報屋をすることになった。
表面上の話である。
先日所長との交渉で、以外な程に交渉はトントン拍子で健康上の理由ということですぐに辞職と職場の上層部以外には伝えられた。
そのため同期からは色々と連絡があったのだが、話の根幹はと言うと俺は完全にDGSEを脱退していない。
つまり、表面上脱退したもののフリーランスの情報屋を名乗り、国同士の機関の利害関係を持たないDGSEのスパイであり、名簿からも俺の名は消されている。
そして今の日本滞在も、勿論上層部が極秘で出したワーキングビザのおかげだ。
事実上の退職、そしてフリーランスの情報屋として振る舞い各国に情報提供をしながら組織の猫としてネズミ捕りに徹し、最終的にDGSEの情報網へと回収される。
名簿に名のないDGSEの一員として活動してくれという所長の提案も、まあ、ここまでは俺の筋書き通りであり、誘導にきちんと成功して話し合いもうまく行ったのである。
そして、俺がDGSEの一員であることは降谷さんにしか伝えていない。

…秀一にも伝えておいた方がいいのかな
いや、秀一なら家に来たときに気づくだろう
それに、俺が世界を相手にフリーランスを名乗ってると聞いたらすぐにでも家に来そうだからな…

とりあえず機材の設置や模様替えは終わったので、安室さんと休憩をとカフェを煎れてリビングで寛いだ。

「貴方の筋書き通りにいったから良かったものの、最悪の結果だけ聞かされたんですから…」

『すみませんて…
だって6割くらいしか勝算はなかったんで、良くても退職までしか認めてもらえなかったでしょうし
フリーランスでやって契約を結ぶ、はかなりいい方の答でしたから、こういった扱いにさせていただけたのは本当にラッキーとしか言いようがありません』

「貴方のその普段の仕事馬鹿っぷりが評価されたんですね」

『……』

「たまには蛍さんの怒る顔を見るのも悪くないですね、かわいいですよ」

『どうせ仕事馬鹿としか思われてないんですね
これから貴方にももっといい情報提供ができると言ってるんですよ?』

「それは、諸外国の国家機密ということですし他国の機関への提供とも変わりません
我々公安への情報提供とも同等ということですから、僕を一見言葉で惑わせて喜ばせようとしても、そんな手には乗りませんよ」

『…ああ、そうですか
きちんとワーキングビザで日本の滞在期間も延長しましたし、貴方と縁を切ってフランスに帰国する必要もなくなったというのに』

「ですからそこは、十分喜んでいますし貴方の交渉力と実力を尊敬していますよ」

飾りのない抱擁。
ふわりと香るいつもの匂い。
一歩しくじったらこの匂いを二度と嗅ぐこともなくフランスにそのまま帰国することになっていたのだ。
毎回のことになっているが、小動物を扱うような頭の撫で方に気分がふわふわとしてくる。

『ん…』

「(これだけ猫らしいといつかニャーニャー言い出しそうなのが安易に想像できてしまうのが恐ろしいな…)」

機関に縛られずに仕事ができるのは幸せである。
各国の情報機関でいつも取引をしている最低限の仕事仲間にはフリーランスになったと連絡しておいた。
これで国の忖度なしに情報を得られるのだ。
そして最近また回復傾向にあるので少しずつリハビリをしていきたい。

『…とーるさん』

「たまにそう不意打ちをかけるのはどうかと思います」

『…いつも不意打ちをする安室さんはどうかと思います』

よいしょ、とソファーに乗り上がって安室さんに向かい合うようにして対面座位。

「…誘ってます?」

『いえ、別に
そういう考えが出てくるということは、安室さんこそ誘ってるんです?』

「仕事が忙しくなる前に、とは思っています」

『…ま、まだ仕事しませんよ』

ムッとして言い返したら口を塞がれ、片手は背筋を撫でてそのまま下へと下がって腰の辺りを弄られる。
ほら、やっぱりむっつりじゃないか。
ふ、と息を漏らしたら追い討ちをかけるようにディープキス。
ふにゃふにゃにさせられる程骨抜き状態になって、縋るように安室さんの胸板に頭を置く。

『…罪な人、俺をこんなにさせるなんて』

「貴方がより諜報員らしくなったので、素直な反応が見たいんですよ
僕だけに見せてくれる貴方が愛しい…」

き、き、気障…なのに…
どうしてこの人はこんな事をなんでもないように言えるんでしょうか…

『っ!?』

下半身に手が触れた。
そしたら安室さんは小さく笑って少し意地悪そうに、満足そうな顔をして俺の耳元に唇を寄せた。

「体は随分と素直じゃないですか…」

『な、な、何、突然触って…セクハラ…』

「セクハラも何も僕は貴方の彼氏ですし、去勢手術をしていない雄猫も野良では珍しいですよ」

『あの、な、何かいつも勘違いされてるようですが、俺は人間…っん…』

「もうその気になってますよね、体ばかり素直になって…
わかりやすい嘘で強がるなら…」

ドサッとソファーに押し倒された。

「愛してあげますよ、僕しか見えないように」

なんで…この人、気障な事ばっかり言っても様になるんですか…
聞いてるこっちが恥ずかしいというか、もう本当に体の反応は確かに素直すぎて自分が情けないくらいです…

『あ、その…』

「よそ見はさせま…」

そこで安室さんは言葉を切った。
俺も急に現実に引き戻され、あまりの至近距離に心臓発作を起こすかと思ったくらいだったのですが、その原因は音でした。
呼び鈴です。
例の彼がどうやら噂を聞きつけたのでしょうか。
連打されている呼び鈴を聞いて俺は青ざめてきて、そっと目の前の彼氏を見やればその目は殺気が溢れていました。

「おい、蛍、いるなら出ろ
どういことだ、情報屋から聞いているし、そもそも家の鍵を開けっぱなしにするなんて…」

あ…しまった…
宅配便がひっきりなしに来るからと鍵を開けっぱなしにしていたんだった…

「おっと、どうやら邪魔したようだな」

「邪魔だという自覚があるならさっさと帰ってくれないか?」

「悪いが俺は君ではなくて蛍に用があってな
君と世間話をしている時間はない」

「世間話だと?
笑わせるなよ、赤井」

ちょ、ちょ、ちょっと待ってください…
秀一は恐らく話を聞きにきたのでしょうが、ここまできてあの、安室さんは何故俺を押し倒したままなんです!?
あの、ちょっと状況おかしくないですか!?
なんなら秀一は何故この状況に邪魔をした、で済ませて勝手に話を進めているんですか!?

「蛍、昨夜あたりにとある情報屋から聞いたんだが…」

「お前、この状況をわかっているのか?」

「君との話は蛍の話が終わってからにしてくれないか?」

「今、すぐ、帰れ…!」

ちょっと待って…

『あ、あの…安室さん…
せめて…この態勢はちょっと…』

「…後で覚悟しておいてくださいね」

耳元の低い声にビクッとし、俺の上からどいた安室さんはイライラマックスで俺にはどうする事もできない状態だ。
とりあえず秀一との話を片付けるのが早いのかもしれない。
いや、一旦お引き取り願ってから後日出直してもらったほうがいいのかもしれない。
今日は安室さんとの日にして、と考えていたらなんだか嫌な予感と口論と何か大きな物音がした。

『え!?安室さん…?秀一…?』

さっきまでリビングにいた2人はおらず、デジャヴ感を抱えながら恐る恐る玄関へと向かってみる。

あ、あ…
ちょっ…これは…何度目の光景だろうか…
玄関まで追い込んだ安室さんと、余裕を見せる秀一の…

ガンッ。

『……』

「…ん?」

「今、物音が…」

「またやってしまったようだな
おい、蛍、生きてるか?」

「蛍さん!
おい、お前は近付くな、そのまま帰れ」

「そうは言っても元はと言えば君を躱した時にその傘立てを使うしかなかっただけで…」

え、傘立て…?
俺が今吹っ飛ばされたの、今度は傘立てなんですか…?

「実際に危害を加えたのはお前だろう」

「だからこそ責任を持つべきじゃないのか?」

『…も、いいから…秀一は、後日…安室さんは玄関の、修復、業者、連絡…』

お願いします、と言いながら意識を失った。
もう、いつになったら間借りしている家でこんなことをやめてくださるんでしょうか。
あのトキメキタイムを返していただきたい。
今日はなんて日だ。





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