ピクニック・ロマンス

溜息を吐き出してから、洗面所で口を濯いでとりあえず朝のルーティーンを熟す。
今朝は安室さんが泊まりに来ていたので全部がスローペースで、これから朝食かと思うと少し気が重い。

…この前からまたちょっと調子悪くなっちゃったんだよね
なかなかすぐに戻るってわけでもないんだね、なんか日本人が過労死ってわかる気がしてきた…
こんなの辛いよ、いくら休みを与えられても

ゆっくりと洗面所から出てダイニングに向かえば、お粥と水が置いてあった。

「食べられそうですか?」

『…気乗りはしませんが、お腹は空いていますし空っぽで…薬も飲めませんし…』

「食べられるだけで大丈夫ですよ」

折角作ってもらっておいて残すのも申し訳ないなあと思っているし、それでも吐いたばかりで水分の摂取や朝の空腹感は否めなかった。
朝食をいただきながら、また俺を眺めている安室さんをふと見てみた。

「…なんでしょう?」

『…透さん?」

「呼ばれ慣れないので少し…」

『…Je me sentais que ce n’était pas également.
Toi, t’appelles mon prénom, mais moi, j’appelle ton nom de famille avec “San”, n’est-ce pas?』
(,…なんか不公平だと思ってたんですよね
安室さんは俺を下の名前で呼ぶのに、俺は安室さんの名字にさん付けですよ?)

「…ですが今貴方が呼んでいる僕の名前も所詮は偽名
それに今更こんな関係で僕が雪白さんなんてよそよそしく呼びます?」

『Alors, je peux appeler ton prénom, c’est juste?
Parce qu’on est telle “relation” spéciale, et puis, ça m’était égal si ton nom est véritablement ou pas pour moi. T’es pas d’accord, Toru?』
(じゃあ…俺も下の名前で呼んでいいってことですよね?
だって俺たちは仰るような"特別な関係"ですし、俺にとって貴方が偽名だろうが何だろうが関係ありませんし
納得いきませんか?透では…)

「…確かにフランス人である貴方の感覚からすればファーストネームにさん付けをするなど、今の僕たちの関係性では考えられませんしね
親密なお付き合いをしている仲ですし
ただ…日本語でのやりとりの場合では、今梓さんにも関係をちょっと深掘りされそうでして、周囲の人間にもわかりやすいですし…
フランス語か英語の時にしてくださいます?」

『ケチ』

「…あのですね、蛍さん…」

『下の名前で呼ばれるのも悪くはないと仰ったのは一体どこの誰ですか!
…お仕事中しか呼ばせてくださらないんですね、俺が外国人面をしていれば信頼関係のある者同士ファーストネームで呼び合うのはビジネス上でも珍しくありませんからね』

「完全にダメとはいっていません、そんなに拗ねないでくださいよ…」

『じゃあ今度から全て英語かフランス語で会話しますね』

わかりました、と半分自棄になって納得して朝食を再開。
ちゃんと食後の薬も飲んで、今日は少し時間があるのかわかりませんがドライブに誘われたのでお出かけをするようです。

「最低限の端末しか使わせませんからね」

『わかってますよ
全く…心配性なんだか保護者なんだか…』

ぶつぶつ言いながらクラッチバッグに薬と貴重品だけ入れる。
2人で車に乗って出かけるのは久しぶりだった。

「…まあ、そんなにしょっちゅう貴方から下の名前で呼ばれると僕だって少しくらい照れますよ
そういうことです」

シートベルトを装着した直後にそう言われたので身動きもできず、長い口付けをされて惚けている間に安室さんはエンジンを掛けた。
なんて早業だ。

『っ…気障すぎます…
それから今日はどこに行くのかまだ聞いていませんが』

「ああ…行先は内緒にしておこうと思ったんですが…
公園にでもと思いまして」

『え?公園?
公園に車で行くんです?』

「と言ってもいつものような遊具があるような公園ではありませんよ
フランスによくあるような広い公園、首都高でも走って都内のオアシス的なところでピクニックでもしようかと」

『…東京にそんな場所ありましたっけ』

うーん、と考えてみてもわからないので考えるのをやめた。
途中俺は少し寝ていて、時々頭に手が触れるのを感じていはいた。
唇に温かいものが触れたのはきっと、よくある赤信号の待ち時間の暇潰し、かな。

『新宿…お…えん…』

「ぎょえん、です
貴方、ハーフですよね?日本語もできるとあんなに豪語しているのに新宿御苑を読めないなんて驚きました」

『か,観光地には詳しくないと言いましたよね!?
なんですか,その蔑んだような目…!
俺が外国人みたいに…』

「実際フランス人ですよね」

『そ、それはっ…
だから、そのですね…』

連れてこられたのはどうやら名前の通り新宿らしいが、なかなか珍しいというか確かに安室さんが言ったようにフランスの公園のように柵で囲われているし中も広そうだ。
入園無料、と書いてあるので恐らく今日でなかったら入園料を取られているんだろう。

『あのー…』

「はい?」

『ピクニックとか仰ってましたけど、ランチでもするんですか?
飲み物とか買って…』

「貴方が朝起きる前からサンドイッチを作っていました
付け加えて言うならば、貴方がトイレで吐いている間にハーブティーをブレンドしていたので出かける直前の温かさで持参してますけど…
僕のサンドイッチも食べ飽きたと言うのでしたらそうですね、新宿のどこかカフェでテイクアウトしても構いませんがどうします?」

え、貴方いつの間にお昼ご飯作ってたんですか…?
というか朝起きる前から準備してたって、俺が今日行かないって拒否してたらどうするつもりだったんですか.その貴重なサンドイッチ達は…

『…彼氏の手作りサンドイッチを突きつけられて喜ばない人がいますか』

「いるかもしれませんよ、特に猫のように気まぐれな方とか天邪鬼な方とか?」

明らかに俺を見下ろしています…
俺のことを言っているようです…
ですがよく考えてもみてください
俺が安室さんのサンドイッチを一度でも拒んだことがあるでしょうか?
俺が一度でも飽きたと言ったことがあるでしょうか?
否、俺はサンドイッチを目の前にして歓喜しなかったことがない
それどころか、餌をどうサンドイッチにしてもらおうかと勝手にレシピの考案を彼氏に求めているのです…

俺の思考回路は読めていますとでも言いたげな顔をしている安室さんはちょっと癪だが,ふいっと安室さんに背を向けて新宿御苑と書かれた門に足を向ける。

「蛍さん…?」

『Dépêche-toi…』
(早くしてください…)

「全く…図星だと答えもせずに拗ねる猫も扱いに困りますね…
本当、貴方って人は素直じゃない…」

ゆっくりと歩いて追いかけてきた安室さんは仕事圏内だからか園内にも詳しく、日本庭園のような所やバラ園にも連れて行ってくれた。
正直都内でこんなにもバラのある所を見たことがなく、パリの公園を少し思い出して暫く薄いピンク色のバラを眺めていた。

「薔薇、お好きなんです?」

小さく首を横に振る.

『バラは痛いので
荊には,何度も押しつけられたこともありますしあまりバラにいい思い出もないもので…ですが,見ているとフランスの公園を思い出しますね
あそこにはごまんとバラが咲いていますから…まあ、ヴェルサイユ宮殿なんて柄にもなく好きな場所を思い出したりして…』

「蛍さん、ちょくちょくそういう小ネタを挟みますよね
僕が全部覚えていないとでも思っています?
貴方がノスタルジックになっている時は大抵そういった小ネタを挟んで最終的に自己完結してますよね」

『はい…?ノスタルジック、ですかね…
というか小ネタってなんですか』

「そういうことです
嫌いというか、好きではない対象に近づく必要もないじゃないですか」

『いやあ…なんとなくですかね…
ほら、回顧する事ってあるじゃないですか、人生これだけ生きているとこうして昔を思い出したりするんですよねえ…』

「たまに思いますけど、蛍さんには死期でも見えてるんです?
それに僕の方が年上なんですけど…」

『いえ、人間は必ずいつか死ぬ生き物なので…
それに安室さんもそういう仕事なんですからわかっているんじゃないですか?
俺は所詮そういう心持ちなんです、いつ死んでもおかしくない仕事をしてますから
いくら推理も洞察も完璧だったところで、想定内の未来なんて存在しないんです
俺は今とても想定外の未来にいますよ、過去の俺の
過去の俺は過労で休職になるなんてことすら頭を過ぎらなかったでしょうから、こんな風に一日一日をゆっくり過ごすこと自体が想定外です』

意外と慣れるものなんですね、と続けてバラから離れる。
確かにこうして俺は気に入らなかった対象物に近付いては回顧し、過去は過去だったと自分で折り合いを付けて自己完結しているのかもしれない。
それは安室さんの言う通りかもしれない。

『Hé, regarde là.
Il n'y a personne, et là, on verra. Sous d'ombre des arbres, où je voudrais faire la pause.』
(ねえ、あっちとかどうです?
誰もいませんし、あそこ行ってみましょう。俺、あそこの木陰で休憩したいです)

人の少なさそうな道へ入り、丁度日陰になっているベンチを陣取って安室さんを待つ。
今日の安室さんは何故か最近の俺くらいスローペースだ。

『なんで今日はそんなにゆっくりされるんです?』

ようやくやってきた安室さんは隣に腰を下ろし、それから前を向いたまま俺の頭を撫でた。

「たまには猫のペースに合わせてみるのもいいかと思いまして」

『えっ、猫ちゃんいました?どこです?』

「…ここです」

『…ベンチの下,何もいませんけど』

「…僕の隣です
貴方、ここまで僕に言わせないとわからないんですか…?
いつになったら猫の自覚を持つんですか?」

『あの、俺は人間ですよ?』

「…もういいです」

ハア、とため息を吐き出した安室さんは不意に紙袋から魔法瓶の水筒やサンドイッチを取り出した。

「蛍さんが食べ物の話をしてから目をキラキラさせているのでどうせ早くランチタイムにしたいのだろうと思っていました」

『と言うよりかは早くサンドイッチを…』

「ランチタイムじゃないですか」

『いえ、あくまでランチタイムではなくサンドイッチを所望しています
彼氏の手作りサンドイッチですよ?』

「別段いつものサンドイッチと…」

『変わってますよ、パン生地とか
中の具材も外でも食べやすく手も汚れにくいもの、かつ俺の好物です』

「お腹は空いてます?」

『ええ、まあ』

「薬も持ってきてます?」

『ええ』

こういうサンドイッチの好みの具材からシチュエーションまで考えられていて本当に完璧すぎて恐ろしいくらいだ。

「それから…」

『はい?』

「朝許可を出してから少しずつフランス語を織り混ぜているようですが、そんなに僕の名前を呼びたいんですね」

『ええ、まあ』

意識はしていなかったけど流石にそんなオーラが出ていたとは思わなかった。
そっと手が重なったので驚いて隣を見る。
安室さんはゆっくりと手に目線を落とし、それから俺の額に口付けた。

「…好きです」

『………』

ご、ごめんなさい…
頭が真っ白です…
安室さんからこんな風に、木陰でピクニック、ランチタイムという最高のシチュエーションでこんな、ストレート告白って…

『…ぁ、あの、俺…』

「…い、今、僕、何か泣かせること言いました!?」

『嬉し、くて…』

「え…?」

『…俺、その、仕事を止められて…
安室さんに病院に連れられて、初めてこんなことになって、それこそ病院でドクターストップで仕事が出来なくなるなんて…
もう仕事の出来ない俺に用はないと、使えないなら手を切ると…そう思われても仕方ないと思っていました…
でも、安室さん、なんかわからないけど優しくて…こんなになっても俺のこと、見捨てないでいてくださって、世話なんて焼かなくてもいいのに…』

「僕ってそんなに冷酷な人間に見えていたんです?」

『ち、ちがっ…だって…
普通こんなになったら見放すのは…』

「普通ですよ、大切な人を決して見捨てないのは」

この人、今、なんて…

「蛍さんには休憩が必要なだけで至って正常ですし、僕は寧ろ医者からドクターストップをかけていただけて安心しています
貴方の仕事のスケジュールは無茶苦茶でしたからね
少し心が張り詰めていたんです、急にいつもの生活リズムが変わったんですし精神的にショックだったことは想定していました
そんな貴方を放り出すなんて事を、僕がすると思います?
今の貴方を、こんな状態だからこそ一緒にいて、今までのスケジュールではできなかったことや貴方を愛する時間を確保しているだけです
一緒にいたり、貴方をサポートしたり、傍にいるのは当然のことです」

ダメです…
こんなこと、優しくされると…罪悪感が…
そしてなんか顔が近いです…
本気で泣いていて、いつもより涙が止まらないのは、安室さんに対する申し訳なさや情けなさの蓄積なんだろうか…

「蛍さん、そんなに泣かないでください」

優しく涙を拭われて、そのままゆっくりと口付けられる。
風が頬を撫でて、火照った体には心地よかった。
ひとしきり泣いて落ち着いて薬を促されたが、その前に目の前にあった安室さんの耳朶を甘噛みした。

『Dit, tu seras avec moi, Toru…?』
(あの、これからも俺と一緒にいてくれます?透…?)

囁く程に小さく聞いたら、同じだけ小さな声が聞こえた。

「Oui, je serais avec toi. Je te le promets.」
(ええ、僕は貴方とこれからもいますよ、約束します)

いつの間にこの人はこんなに言語を使いこなすようになったんだろう。
一度だけ強く握られた手はゆっくりと解かれていく。

「さあ、食べたがっていたのは貴方ですよ
ランチタイムですよ」

『あ!サンドイッチ食べます!』

「その切り替えの速さには驚きました」

こうして2人でゆっくりと、外でもマイペースでいられたのは確かに久しぶりというか初めてかもしれない。
カップルっぽいな、とか思って少し嬉しくて、最高のサンドイッチを食べて芝生で遊んで、疲れて子供のように寝て帰り、最高のピクニック日和でした。

「蛍さん、いつまで寝てるんですか?
もうすぐ昼ですよ?
僕、ポアロに行きますからね?」

『んー…れーさん、すき…』

「寝ぼけてるんですか?」

『んーん、俺も、行くの…連れてって…零…』

「もう行きますからね」

『れー…愛してる、連れてって、ポアロー…』

「…僕は貴方のタクシー運転手じゃない
もう行くからな、蛍」

『…え?』

飛び起きた。
夢かと思った。
あの安室さんが、俺の名前を、呼んだ。

さんが、ない…?
ていうか、今、完全に降谷さんモードだった…よね?

ふと見てみたら、安室さんは目が合った瞬間にそっぽを向いて口元を押さえていた。

『すぐ支度します!
あっ、う…ちょっと吐くの待ってください』

「無理しないでください!
僕も行きますから、無理して吐かないでください!
ポアロには連絡入れるので一人で勝手に吐かないでくださいよ!?」

30分後。

カラ〜ン。

「梓さん、すみません、遅れました」

「連絡くださってたので大丈夫です
って…ど、どうされたんですか!」

「どうもこうも、疲れて寝ぼけているくせにポアロに行く時間だと行ったら連れて行けと…」

『朝ごはん…とーる、朝ごはん、サンドイッチちょーだい、あとカフェ…』

「とにかく蛍さんは起きてください、いつもの席に下ろしますから…」

『朝名前ー、さんつけなかったー、ねえー…ごはん…』

「すみません、梓さん
猫の餌やりのためにもう15分くらい時間をください…」






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