鮭で猫を釣る

「じゃあ、ここからは別行動ってことで
ジン、貴方の猫、もう一度調教でもしたら?」

「テメェが俺のペットに口出しする権利はねぇ
ウォッカ、出せ」

「わ、わかりやした…!」

独特のエンジン音と共に車体が動く。
後部座席で死んだように横たわったまま、肩で息をしていた。

「…兄貴、いいんですかい?」

「何がだ」

「その…ベルモットが言うのもわかりやす…
アンジュも所詮は消耗品の猫じゃ…」

運転しているウォッカのこめかみにベレッタを押しつけたのは、ジンだった。

「テメェがそのコードネームを口にすることをいつ許した?」

「す、すいやせん…」

…うえ、疲れたよ
肉体労働して久しぶりに運動した、とか調子乗るとこうなるんだよな…
眩暈も治んないし…

「アンジュ」

動いた後思わず戻しちゃったけど、折角だったらウォッカにぶっかけてやりゃ良かった…
復讐にしてはささやか過ぎたか…
まあ、それでも一応動けた…問題は体力的にちょっとバテたっていうか体力の衰え…?

「アンジュ」

低い声がして目を向ける。

『…は、い?』

助手席にジンはいなかった。
詰めろとばかりに後部座席のドアから睨まれており、車は知らぬ間に何処かに停められていた。
少し動いてスペースを作ると、ジンは後部座席に乗り込みドアを閉めて煙草を取り出した。
ウォッカはいない。

…お仕事後のボーナスタイム?

モクモクした煙といつもの匂いが車内に充満していく。
頭に銃口を突きつけられ、もうクビになるのかとも少し思った。
否、試されているのか。

『…無駄、です
いくらジン様でも、その手には乗りませんし俺はそんなことしません』

「…俺が何をするのかわかっているような口振りだな」

『だって、ジン様は飼い主…
猫は飼い主の足音を一度聞けば忘れない…自由奔放だけど獲物を持って帰ってくる
気ままだけど、餌の時間は知ってる
ジン様の猫なのに、ジン様がわからないのなんて…ペットじゃない』

ベレッタをグリッと一度だけ押し付けられ、手は離れていった。
その後で両手が首を掴み、顎を上に向けられた。

「…アンジュ」

『はい…』

噛みつくような口付け。
それから手を急に離されてぽすんとジンの膝の上に頭が落ちた。

な、なんと飼い主の膝枕ー!
うわ、うわあ…嬉しい…
あ、あ、なんか、撫でられて…る?

「この前言ってたよりも随分使えなくなったじゃねえか」

『…すみません』

「身体能力の低下なら確かに組織でもう一度鍛え直してもいい
だが、今のお前は組織の調教室に入れることは困難だ
どうせこの前の二の舞だ、ラムが俺のペットに勝手に手出しをする可能性が高い」

『ラム…』

ぽつんと呟いただけだったのに、ゾクリとする程の冷徹な目で見下ろされた。

「お前の口からそんな音なんざ聞きたくねえ
テメェは誰の猫だ?」

『…ジン様』

顔一つ変えずにジンは俺の頭を撫でて少し額を弄ってきた。

「…さっきのは何だ」

『……』

「アンジュ」

『…あ、え、と…ちょっと…動き過ぎて眩暈が…』

「まだ続いているのか」

小さく頷く。
ジンはフン、とだけ答えた。

『ごめん、なさい…
その、薬飲んで少し休めば…』

いつもの発作だったから休めば大丈夫なんだけど、なんで今日はこんな長引いてんのかな…
薬飲んでないから?
少し、しんどい…

「……」

ジンは何も答えずに俺に何かを渡してきて、それから一度だけ真っ黒なコートの中に閉じ込めてくれた。

「…また少しネズミ臭ぇな
ネズミ捕りがネズミに染まってどうする、その匂い、次までに取ってこい」

『は、はい…』

「あとウォッカには話しかけるな
俺の猫は、野良猫ほど自由じゃねぇ」

『…はい、ウォッカにさっきの反吐ぶっかけてやろうかと思いました』

するとジンは意外にもフンと珍しく口角を上げて面白そうな顔をしました。

「それも悪くねえ」

それからジンはその場で俺を車から下ろして助手席に乗り込むと、少し離れた場所にいたウォッカがやってきて運転席に乗ってポルシェは行ってしまった。

……クビに、ならなかった?
ていうかしんどいの、多分…車だったから?
しかもウォッカがいる空間だったから…?

『杯戸町か、ここからどうやって帰ろう…』

体力的に今は無理。
となると手段は一つしかないのだが、連絡したくもない。
そしてふと、いつもと渡された餌の重さが違うと思ってビニール袋を覗いてみる。

『……えっ』

絶句。
というか、ジンがこれを俺に渡すとは思わなかった。

『…ス、スモークサーモンなんて、なんでまたこんな高級品が…
ジ、ジン様…ど、どうしたんですか、ねえ…』

あ、ちょっと独り言が口に出ちゃったよ…
でもそれくらいびっくりしてるんだけど、え、どうしたんですか?
ジン様、何かあったの?
生魚一尾も嬉しいけど、これ、スモークサーモンて…このままでも食べれるしチーズと合わせてもいいよね、あ、なんなら安室さんにサンドイッチにしてもらって………あ

『…安室さん…俺、電話したいんだけどしたくないよ…
迎えに来てなんて言いたくないんだけど…仕事中だよね…それに組織の仕事は仕方ないって言われてるけど仕事ってバレたら…』

絶対雷が落ちます。
目に見えています。
さあ、どうしようか。
しかし残された手段はそれしかないので腹は決めていますがあまりお世話になりたくはありません。

…だからって他に頼める人いないよね
今日フル装備だし…

小さく溜息を吐き出したら電話が鳴った。
しかもプライベートの方。

『Oui?』
(もしもし)

[蛍さん、組織の仕事は如何でしたか?]

『あ、丁度今終わったとこで………え?』

[そうですか、わかりました
そこから動かないでくださいね、では]

ちょっと待て。
もう一度言っていいかな。
ちょっと待ってくれ。

…え?
何、今の電話…

端末のセキュリティをチェックしてもGPSはオフになっているし、ハッキング対策も万全、そして履歴を洗ってもここ12時間侵入された形跡もない。
何故だ。
何故あの男は俺の現在地を知っているんだ。
俺は何か言っただろうか。

…え、何、どういうこと?
俺のスケジュールを把握してたってこと?
でも組織の仕事きたのは今朝のことだし知ってるとしたら…ベルモットが横流しに?
いや、でもベルモットは俺にバーボンの記憶があることは知らない筈…
とすると…考えられることはただ一つ…
恐ろしく私情だということ…くらいかな…

苦笑してその場にしゃがみ込む。
ベルモットの可能性もないわけではないが、私情の方が濃厚だ。

「クロードさん…!」

えっ…?

不意に聞こえた声に嫌な予感。
恐る恐る、声が飛んできた方へ顔を向ける。

「クロードさん、お久しぶりです…!
あの、降谷さんから、お迎えにと…」

うええええええ!?
どういうこと!?
ちょっと待って!
あ、ごめん、また言っちゃったけど、ちょっと待ってもらえない?
なんで!
なんであのワンコがいるの!?

『ど、どういう…』

気付いたら走っていました。
反射ですね、これは本能的な反応です。
眼鏡の彼は思ったより足が速く、俺は今完全に仕事で消耗しているので追いつかれるのが目に見えている。
さて。

「クロードさん、待って、いただけますか、その、お話が…」

いやいやいやいやいや、ごめん、ちょっと待って俺イヌ嫌いなの…!
あ、ヤバい、追いつかれる、うわー!

「捕まえ、まし…っ!?」

背後に迫っていた降谷さんの部下さんの肩を踏み台にして、近くにあった木の上に避難。

「ク、クロードさん…?」

ヤバい…
元々しんどかったのに、こんなまた無駄に走って…

とりあえず木の上で深呼吸して息を整え、震えた手をポケットに突っ込む。

「おい、風見、そこで何してるんだ」

「ふ、降谷さん…あの、それがですね…」

「クロードさんの迎えを頼んだのは2回目だろ、本人は?
いい歳して木登りか、片足までかけて…」

「その…クロードさんが…」

とりあえず頓服は飲んだし、少し落ち着くまでここで休みたいくらいだ。
下にはあのイヌが待っていることだし、そのうち諦めて帰るのを待つしかない。
そのくらいには体調も戻ってるだろうし。

「…なるほど、話はわかった
それで木登りでもしてクロードさんを引き下ろそうと?」

「え、ええ…まあ…」

「仕方ない白猫だな…」

風が吹いて少し気分も良くなってきたのですが、何やら下が騒がしい。
そっと見てみたら靴が増えてるんですけど。
ということはもう1人増えたんですか。
面倒なことになったな。

『…眠い』

薬の副作用と体力の消耗で眠くなってきた。
寝そうになった瞬間、舌を鳴らす音がして思わずビクッとした。
その瞬間、手から餌を離してしまってスモークサーモンが落ちていった。

あああああ、俺のスモークサーモン…今日の、餌…

「あ、何か落ちてきました」

「…スモークサーモン、だな」

ちょっと、ちょっとお!
それ俺の!俺のなんだって!

「やはり猫は猫だな
そう躍起になって木登りをしても仕方がない
スーツが汚れるだろ」

「ですが…」

「スモークサーモンが落ちてきたならおびき出せばいい、簡単な話だ」

ねええええ、俺のスモークサーモンどこ行っちゃうの…
なんか下にいるの、多分2人の人なんだけど持ってかれちゃったらどうしよう…
1人はあのイヌだからあんまり関わりたくないんだけど、誰?
あの、誰が増えたんですか…

半泣きになっていたら、下から声がした。

「木の上からスモークサーモンが落ちてきたな!」

……ん?

「そうですね!降谷さん!
棚からぼた餅ならぬ木の上からサーモン…今日はそれをツマミに一杯どうですか!?」

「そうだな、風見が一仕事終えたら考えてやるか!
幸運なことに賞味期限も切れていないし、丁度目をつけていた輸入店でしか買えないノルウェー産の最近美味しいと評判のブランドサーモンだ!」

えっ…ジン様そんなすごいスモークサーモンくださってたんですか…!?
ダメダメダメ、尚更、そんなの…

「じゃあ、本部に戻ってそれからだな!」

「はい!そうしましょうか!」

俺の、スモークサーモン…持って行かせるか!

『っ…それは、俺の!』

木から降りた瞬間でした。

「よし、確保だ
風見、車を回してきてくれ、どうやら風見が追いかけても意味がないらしい」

「は、はい…すみません…」

…はい?

「さて、クロードさん、その場から動かずにと忠告した筈ですよね?
どうしてまた木の上なんかに…」

いや、さてじゃなくて。
質問したいのはこっちなんだけどね。
わかってるのかな、この人。

『…ねえ、降谷さん、なんなの…?』

「今は仕事中ですよ、クロードさん」

『いや、俺、休職中なんで』

「僕は仕事中です
風見がいないからといって…」

『いや、ですから…なんでここに…
しかもなんであのイヌに追っかけられなければならなかったんですか?
ていうか返してくださいよ、俺のスモークサーモン
それ貴重な餌なんですから』

「僕が貴方をちゃんと守ると、前から言ってますよね?」

『え?あ、あの、今お仕事中なんじゃ…』

「貴方が家を出た時点で今日はフル装備だったのですぐに分かりましたよ
僕はベルモットと遠隔で仕事をしていましたし、風見に裏で車を回させ、現場で動いている貴方を監視させておけばどうです?
いくら貴方がGPSをオフにしてもハッキング対策をしても、肉眼とリアルタイムの情報網には勝てないでしょう?」

ちょっと待ってください…?
貴方、ベルモットと仕事をしてたんですか?
そして部下にそれを監視させてたってどういうことですかね…

「それにしてもこのスモークサーモン、ちょっと僕も先日目をつけていたんですよ
まさかジンが簡単に生魚から変えるとは…まあ、これま想定内としておきましょう」

『……』

「蛍さん?」

『…え、と…それでサンドイッチが欲しいなとか思ってた俺は何だったんでしょうか』

「それも読んでいました
どちらかというと、生魚では調理がしにくいので保存性の高いものが良かったんですよね
その点ツナ缶は良かったんですが、あまりにもツナ缶のレシピを使い過ぎてしまったので飽きましたし、生魚の方がグレードアップしていましたし…
となると、ノルウェー産のスモークサーモンとか、どうです?
蛍さんのことですからサーモンとチーズ…そうですね、カマンベールとかのサンドイッチでも所望してくださるかと思いまして」

ちょっと…
この人、俺の何手先まで読んでるんですか…?
エスパー…?
超能力者?
え、ちょ、ここまでくると流石に怖く…

「少しは食欲、戻りそうですか?」

『あ…は、い』

「それは良かったです
家まで送るので少し寝て休んでください、顔色があまり良くありませんから」

『…あのー…降谷、さん?』

「はい?」

『今のお話、完全に安室さんの私情のお話でしたよね?』

「いえ」

『え?』

「降谷さん、お待たせしました」

車道には白いRX-7。
おい、空気を読んでくれ。

「悪いな、風見
クロードさんを送って本部にすぐ戻る
悪いが先に戻っていてくれ」

「は、はい」

「それから、クロードさんを捕まえられなかったという任務の失敗について考えておくように」

え…部下さんに何を仰っているんでしょうか、この人…

さあ、と連れられて車に引っ張り込まれたのだが、助手席で小さく溜息を吐き出した。
スーツ姿で澄まし顔をしている彼をじろりと横目で見てみる。

「そう怒らないでくださいよ
元はといえば、蛍さんがジンから解放されてすぐ僕に迎えの電話を寄越さないからこういうことになるんです」

『え、あの、部下さん…』

「予定通りクロードさんが僕に電話をしないと、風見が慌てて電話を寄越してきました
貴方の電話を待っている最中にです」

『あと、さっきからちょくちょく安室さんと俺の話になってますよね…?
公私混同って言うやつじゃないんですか…?』

「そんな言葉、もう覚えたんですか」

『感心した素振りでごまかしたって…』

「いいじゃないですか、たまには
貴方に頼って欲しい僕の我儘ですよ」

『……』

…ごめん、なんか何も言えなくなっちゃった…
いや、だって、こんなの言われたら…
そんな…
いつも迷惑ばっかりなのに…

「あ、泣かないでください、泣くと免疫力が下がります」

『…優しく、しないで…』

泣きもしますわ、馬鹿。
なんだかよくわからないけど、とんだ彼氏馬鹿に振り回されて、優しくされて、なんか泣いてます。
家についてもどうしようもなかったので、結局ソファーで泣いてたら抱きしめられました。

「蛍さん、すみません
また貴方を困らせて泣かせて…」

『だって…』

「僕は甘えてくる貴方がもっと見たいですよ」

素直じゃない、とまで言われて何回もキスされて、こんなの心臓が持ちません。
ダメです、俺の方が彼を好きでした。

「あ」

『はい…?』

「さっきの言葉、夜の事も含めて、という解釈でいいんですよね?」

『さっきの、言葉…?』

「最近疲れが溜まってると思って手加減はしてたんですよ、やっぱりバレてました?
優しくして欲しくないなら、僕はいくらでも貴方の我儘にちゃんと答えますからね」

フッと笑ったその顔があまりに大人で、そしてちょっとだけ意地悪で楽しそうで、なんとなく悟りました。
おそらく大人のお遊びの話です。
最近仕事がなかったので少し夜のお付き合いをしていたのですが。

『え、あの、それは誤解で…』

「夜、また来ますね
夕食は折角ですしスモークサーモンを少し使いましょうか
それから今は風見から逃げて無理をして薬を飲んでいるんですから少し寝て休んでください」

『いや、あの…』

「厄介なことに、一度本部に戻らないといけないんです
貴方と夜一緒に過ごせる時間があるなら、モチベーションになるので」

そういうことじゃなくてね…
ああ…ダメだ、話を聞いていないぞ、この人…

「蛍さん」

『なんですか、今度は…』

「好きです」

『…quoi?』
(…え?)

そのまま長い口付けをされ、優しく抱き締められて、頭をぽんぽんとされました。
え、何これ、マドモアゼル達が好きそうな日本の恋愛ゲームか何かですかね。

「すみません、少しの間だけお待たせします」

行ってきます、と言ってそのまま家を出て行った彼氏の後ろ姿をその場で見送ることしかできず、暫くしてソファーにパタンと倒れ込んだ。

『……なんか、最近愛が溢れてない?
今までの俺の仕事で抑圧されてた彼の嫉妬が全部今溢れ出てるのかな…なんか、安室さん、そんなに我慢してたの…?』

でも幸せな気分になるからいっか、と思ってそのままソファーで知らぬ間に寝てしまった。
今日は餌もスモークサーモンに昇格したし、なんか彼氏が菩薩以上の何か慈愛の神のように見えてきました。
あれ、幻覚かな。






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