やりたいことリスト

阿笠邸でカフェをいただいていたら、小さく溜息を吐き出された。

「だから言ったじゃない
それで、今は組織の仕事だけなの?」

『…そーゆーことです』

「…私の専門分野じゃないから口出しはできないけれど、貴方、本当に働き過ぎだとは思ってたわ」

…何それ
なんで皆さん、俺が過労で休職になってからこう、振り返るように仕事しすぎだったと言うんですか…?
その時に言ってくれません…?
あ、いや、それまで気付かない俺も悪いのか…

「丁度いいんじゃないの?
日本でろくに観光もする暇なかったんでしょ?
少し旅行でもしたら?」

『旅行って…この体で?
しかも1人で?
組織の仕事はいつあるかわかんないのに?
いつ発作起こすかもわかんないし…』

「…そういう所、相変わらず鈍感ね
一緒に行く人くらいいるでしょ?
まあ、その人がどれくらい忙しいのかわからないけど」

一緒に行く人、ねえ…
…そういえば安室さんと前に温泉旅行したいみたいな事を言ってた気がするんだよね…
まあ、でも安室さん忙しいし
他に誘うって誰?

『俺に付き合ってくれそうな暇な人、俺にいると思ってるの?』

「…呆れた」

『え、なんで…』

今度は俺が溜息を吐き出してカフェを啜った。

『…旅行ねえ…温泉とか確かに行ってみたかったなあ…』

「なんで過去形なのよ」

『希望が見えなくなった』

「…ならいつまでもそうしてなさい!」

「これこれ、哀君…」

「なら大好きなショッピングでもしてくればいいじゃないの」

『あー…その手があったね
でもなんか人混みの中わざわざ行きたくは…ないかな…』

「…お手上げ」

わかってた…
わかってたよ、哀ちゃん…
これが哀ちゃんの通常運転なのは…

「とにかく、貴方ってやりたいこととかしたいことってないの?」

『…仕事?』

「それ以外よ!」

『……考えても今すぐに答えが出ない』

「ならまずそれを考えてみたら?
もうすぐ工藤君来るらしいわよ、他の子供たちと一緒に
貴方、耐えられるなら別にいてもいいけど」

『帰ります、お邪魔しました』

玄関先で阿笠さんに一礼する。

「すまんのう
哀君もそれなりに心配はしとるじゃろうから…」

『まあ、彼女が通常運転なのはわかってるんで…
寧ろ変に気を遣われなくて…彼女は意識か無意識か、そういうことが出来て凄いですね
確かに折角のお休みなので、仕事がないと言わずに何か考えてみることにします
ありがとうございました、お邪魔しました』

うん、変に気を遣われなくて助かったのは確かだ。
阿笠さんにもう一度一礼してから隣の家に戻った頃、窓から外を眺めたら子供たちが歩いていたので元気だなあと思って少し胸が痛くなった。

…考えたこともなかったな
俺のしたいこと、確かに思いつかないや…

メモとボールペンを片手にやりたいことをとりあえずリストアップしてみようと思ったけれど、なかなか出てこない。
一文字もない。
一番上に書かれた"la liste des envies "(やりたいことリスト)という言葉だけ。

え…俺のしたいことって何?

危うく仕事、と書きそうになったので慌てて"SANS TRAVAIL"(仕事以外で)と書き足しておく。

『…俺って中身何もない人間だったのか』

それがわかって尚更落ち込んだ。
デスクに上体を倒したまま、白紙のメモを眺める。
やりたいこともしたいこともない。
仕事しかしてこなかった自分。

『……』

・Être un chat
(猫になりたい)

これだけ書いて自分で苦笑した。
ダメだ。
やりたいことを考えて見ても気が滅入る。

…えっと、今日は安室さんポアロにいるんだっけ
行ってもいいけど…ていうかシフトの時間送ってきた時点で来てくれって言ってるようなもんだし…
でも今哀ちゃんに会ってすぐまた外出するのもなあ…
疲れちゃったしなあ…

『生きるの疲れた…』

ぽつん、と口から飛び出た一言に自分で驚いた。
暫く呆けてしまい、キン…とした耳鳴りで現実に引き戻された。

『…最近良くなって来たと思ったのになあ…
まだダメですかー…』

文句も増えた。
でも吐き気や目眩もするので認めざるを得ない。
自分の状態が良くないことも。
とりあえず薬は飲んでおいて、リビングで吐き気と戦って、最終的にトイレで力尽きて暫く寝ていた。

…いつからこんなに弱くなったんだろう

思考の雁字搦め。
端末も部屋に置いてきてしまった。
電話もできない。
でも今ここから動ける気もしなかったし、動きたくもなかった。
それでも電話は取りに行きたかったので立ち上がったら、吐き気だけでは済まずにそのまま戻して動けなくなった。

『……』

このままここで一生動けなくなって死ぬのかなとか、孤独死でもするのかなとか、何時間経ったかわからないくらい魂が抜けたようにそこにいた。
多分また寝ていたんだと思う。
やっとゆっくり立ち上がれたので、口を濯いでから自室に戻ったら電話は5件ほどきていた。

「今日はお店にもいらっしゃらなかったので体調が良くないんだろうとは思っていました」

リビングにいた安室さんは、多分前に俺が渡した合鍵で上がったんだろう。
俺は阿笠邸から帰った後、鍵をかけたことを何度も確認した。

『…すみません』

「あまり顔色が良くないですね」

『少し、そうですね…』

「あと考え事は無理にしなくてもいいかと思いますよ」

立ち上がった安室さんはキッチンの方へ向かい、暫くして戻ってきたかと思えばいつものハーブティーをリビングのテーブルに置かれた。

「吐いたんでしたら水分補給はきちんとしてください」

よたよたとソファーに近付いて座り、ほかほかと湯気の立つハーブティーを口にする。
それから安室さんの胸元に潜り込んだ。
何も言わなくても、いつもの独特の手つきで頭を撫でられて泣きそうにすらなった。

「すみません、一緒にいられなくて」

『…どうして安室さんが謝るんですか?』

「蛍さんが回復傾向にあるとはいえ、1人にさせたり介抱したりすることができないからです
何より、貴方を不安にさせたくないからです」

そんなの…安室さんのせいでもないんでもない…

安室さんの体温は丁度良い。
安心する温かさで、安心する匂いで。

「今日、ご飯は食べました?」

『…朝ごはんを少しと、午後に少し食べました』

そしたら偉いです、と何故か褒めてくれた。
小さく欠伸を落とす。

「夜の薬、ちゃんと飲みました?
いつも忘れっぽいんですから…」

『あ…これから飲みます』

とりあえず今はハーブティーと安室さんの体温を味わう。
これだけでも大分精神的に回復する。
その後薬を飲んだのを見届けると、あっさりベッドに運ばれてしまった。

『安室さん、まだ俺起きてられますよ…?』

「顔が眠いって言ってますよ」

『そんな顔はしてません』

「それから…」

安室さんはベッドに座ると俺の頭を撫でて、額に唇を落とした。

「僕は、貴方とこうしてゆっくりした時間を過ごしていたいですよ
勿論仕事も嫌いではありませんし、でなければやっていませんが、貴方と一緒に過ごすということがしたいですね」

さらりと口説かれた気がする。
あ、また勝手に俺のデスクやら何やらを見たんですね。

「これ、僕が考えてみたしたいことリストです
後でデスクに置いておくので参考になれば幸いです」

ピラッと見せられた紙は一瞬だったので良く見えなかった。
まあ、明日起きたらわかるだろう。
そして優しい手と薬の副作用でふわふわしてきたので、すうっと知らぬ間に眠っていた。

『…おはようございます』

目が覚めたのは朝の10時。
今日も良く寝た、と思いながら暫くゴロゴロして立ち上がり、そういえばと思い出してデスクを見てみる。
そこにあった一枚の紙を見て絶句した。

『……』

・蛍さんと出かける(旅行とか)
・蛍さんをイタリアンレストランに連れて行く
・蛍さんとゆっくりした時間を過ごす
・蛍さんとキスをする
・蛍さんとワンランク上の関係になりたい
・蛍さんとセックスしたい
・蛍さんと……

以下略。

『何、これ…全部俺の名前ばっかり…』

あんな澄まし顔していつもこんなこと考えてたんですか!?
ねえ!貴方むっつりもいいとこですよ!?
あ、最近むっつりという単語覚えたんですよ、こういう時に使うんですね、理解しました!

『…と、とりあえず、旅行は考えておくとして…なんなんですか、これは…
夜の大人のお遊びってことですか…
俺と大人の遊びがしたいと…そうですか…』

彼氏バカなハイスペックイケメン彼氏を持って大変光栄なことだと思いました。
しかし、同時にメモの隅っこに小さく一度書いて消した痕のある文字を見つけてしまいました。

あの男に復讐する

『…俺は何も見てない』

黙って紙を伏せて置き、なんだか俺もしたいことリストだなんて大層なことを考えようとしていたなと思った。
こんな些細なことでいいならたくさんあるだろう。
それくらいなら書き出せそうだ。

『…お?』

今日は朝の吐き気もない。
久しぶりに朝一でシャワーをして、サッパリしてキッチンに向かう。
小さなパン・オ・ショコラを少しずつ齧って朝食を済ませて薬も飲んで、今日はなかなかいい調子です。

『…安室さんとショッピングとかお出かけとか…あ、デートがしたい』

これだ。
俺のやりたいことリストに一個書けた。
なんとなく嬉しくなったので、今日はいい日だ。






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