アメリカンスピリット・ペリックボックス

米花町3丁目の路地にひっそりと佇む煙草屋バローナ。
今日もBGMが静かにかかっているだけで、店内では酒と煙草の匂いが絡んでいるだけ。
本日のオススメには黒いパッケージ。
アメリカンスピリットのペリックボックス、9ミリ。

「店、やってるか?」

『表の札見ろ、札』

「だからロシア語じゃわからねーっての」

大抵の常連客は、店が開いてるとわかってそんな事を言ってくる。
常連客の通過儀礼なのかもしれない。

「今日は俺が一番乗りか」

『残念、30分前に常連が1人』

「先越されたか」

『まあ、一般の常連客だから依頼も何もなかったけど』

「そうかい
まあ、俺も今日は依頼はねーし、お前と喋って一服しに来ただけだ
今昼休みなんだよ」

『あ、そう』

アメスピに火をつけてグラスを戸棚から出し、午前に挽いておいたコーヒー豆でドリップする。
即席コーヒーをカウンターに置いてレジの椅子に座り、ふーっと煙をゆっくり吐き出す。

「なあ」

『何』

「先日の一件、そろそろサツに流すのか?」

『…さあ』

「珍しく警視庁から特別捜査官の推薦がきてるんだろ?
向こうから推薦なんて普通ない話だ、その件を情報提供すれば株も上がるしお得意のコネですぐにでも警視庁に…」

『…ケーサツに興味はねーよ
俺は煙草と酒があればいいの、金もそこそこ生活できるくらいあればいい
確かに十分な給料だった…目が眩むくらいだったけど、言いなりになるのは御免だ』

「じゃあなんで情報屋なんてやってんだ?
そっちの方がハッキリ言って儲かってるんだろう?」

『まあ、収入源の7割がそうだけど…
まずここに来る人が面白えし、俺はそれでいい
ケーサツからも依頼が来たら勿論提供するが、こっちから干渉したくねーよ
それで煙草の上乗せ料金見逃してもらってんだから…ギブアンドテイクの関係で十分』

「…変わってるな、お前は」

『よく言われる』

30分くらい雑談をしてまた仕事に戻っていった客を見送って暫くハッキングをしていた。
15時を回った頃だった。
不意にドアが開いたのでパソコンを閉じて顔を上げて、目を疑った。
思わず咥えていた煙草をレジに落としたくらいだ。

「まさか煙草屋なんてやってたなんて、驚いたわ」

『…シャロン?』

「こんなわかりにくい店だから迷ったわよ」

『……』

「あら、私のこと忘れたなんて言わせないわよ?
ニューヨークの劇場でアメリカでの舞台初主演だった貴方のことをエスコートしてあげたの、誰だと思ってるの?」

シャロン・ヴィンヤード…俺が業界にいた頃少しだけ世話になったけど、当時から大女優だったから今は歳を取ってる筈なのに、容姿が変わってない…?
確かに、彼女だ…
でも、なんでこの店に…ていうかそれ以前になんで日本に…?

「可愛く育ったわね」

『…なんで、日本に?』

「仕事よ
そしたらたまたま貴方が日本に留まっていることを耳にしたから来てみたけれど…勿体無いわね
あんなに売れてたのに突然業界から姿を消した挙句にこんな客の入りにくい路地裏で煙草屋?」

『好きでやってんだからいいだろ…』

「もう業界には戻らないの?」

『興味ねえ』

「そう…残念だわ」

『で、何しに来たの?
ババアに煙草勧める気はねーんだけど』

「貴方に挨拶に来ただけよ
挨拶代わりに…あれを一箱もらってくわ」

『…寿命縮んでも知らねーからな』

とりあえず一箱カウンターに置いてやる。
マネージャーか共演者か、誰かのお使いだろうか。

『420円』

「はい」

『……』

レジに置かれた紙幣の下に、小さな紙切れがあった。

…何処で知った?
俺が情報屋なんて、なんでシャロンのババアが知ってるんだよ…?

『お釣りは?』

「いらないわ」

『期限は?』

「今日中」

『……』

「そんなに重い仕事じゃないわ、貴方を試したいだけだから」

試す…?

「じゃあ、またね」

頭を一撫でしてシャロンは店を出ていった。
釈然としないままパソコンを開いて仕事を始めたのだが、あまりの衝撃だったので思わず電話を掴んだ。

[もしもし?ニカ?
やだ、随分久しぶりじゃなーい!どうしたの?]

『ゆきちゃん、どうしよう…』

[なになに?
ニカのことなら私なんでもしちゃうわよー?]

『今、店にシャロンが来た…』

[…え?]

『なんか、俺の居場所知ってたんだけど…ていうか15年ぶりで全然老けてなかったんだけど…
あ、確かにゆきちゃんも若いし全然歳取ったとは思えないんだけど、あのシャロンだぜ…?
もっとシワとかあってもよくね?
15年前と全く同じ姿で店に現れて、仕事まで寄越してきたんだけど…』

[…クリスじゃなかったの?]

『クリスって…シャロンの娘だよな?二世女優の』

[ええ]

『いや、シャロンだった…』

ジッポーで火をつけて煙草を指に挟む。
ゆきちゃんもまだニューヨークにいるみたいだし、あまりシャロンについての話は聞いていないみたいだからよくわからないけれど少し不思議がっていた。

『いや、アメリカにいないならいいんだ、多分本物のシャロンだから…
でもおかしいな…てっきりもう引退して死んだと思ってたんだが…』

[そうねえ…
確かにクリスもシャロンのことうやむやにしてたけど、まだ生きてたんじゃない?
でも日本に行くなんて聞いてないし…あ、シャロンも貴方が可愛くて会いたかっただけなんじゃない?
だって15年ぶりの再会でしょー?
私もニカに会いに日本に帰っちゃおうかしら!]

『なーんかしっくりこねーな、死んだって情報は入ってたんだけどガセだったのか…
まあ、ゆきちゃんもたまには顔出しなよ、全然日本に戻ってないんだろ?』

[そうね、じゃあ今から行くわ!]

『え?別に今じゃなくても…』

[すぐチケット取って行くから、ちょっと待っててね
じゃあ、またすぐにでも会いましょ!]

電話が切れた。
業界にいた頃から可愛がってもらってた役者仲間で、お互い引退した後も連絡を取り合っているというか向こうが一方的に連絡を入れてくることが多いのだが、天才女優として名を残す工藤有希子。
今はニューヨークで旦那さんといるらしいけれど、不定期で日本に戻ってくることもある。
昔のまま俺はゆきちゃんと呼んでいるのは、今更さん付けされてもと怒られたこともあるし何よりお姉さんと呼びなさいと言われたし、お姉さんと呼ぶよりマシだからだ。

つーか死んだ筈のシャロンがなんで今になって日本に来て俺の所に仕事を持ってきたんだ?
しかもこの仕事、なんか変な仕事だな…
確かに格安情報だけど、俺を試すって何だ?

紙に書き付けられていたアドレスにデータを添付して送り、これで仕事はおしまい。
実に簡単なお仕事だった。
今夜はズブロッカで常連客と乾杯をして、いい具合に酔っ払って煙草をふかして閉店時間まできっちり営業。
閉店した店内で最後の一本を静かに味わう。
ふとパソコンを開いて、昼間に送ったシャロンのメールアドレスに試しに私用だと連絡をしてみたら、そのアドレスはもう無効になっていた。

一時しのぎのメールアドレス…
……あれは、本当にシャロンだったのか?






米花ホテル。

「ジン、私よ」

[どうした]

「確認したわ
彼、貴方が言った通り組織のネットワークにも一枚噛んでるみたいよ」

[フン…やはりな
どっかのネズミが漏らしたんだろう…]

「で、どうする気なの?
あれでもあの子、私のお気に入りなんだけど」

[俺がもう一度確かめに行く
前に依頼した情報で気になることもあった]

「ジン、私が今日確認したじゃない」

[俺が直々に始末する
芽は小さいうちに摘んでおくもんだ
テメエじゃ根こそぎ摘んじゃくれねえだろう?ベルモット
心配するな、お前のお気に入りって事に免じて顔だけは汚さないでおいてやる]





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