ジョーカー・カルマ

店の鍵を掛けて、ドアノブに掛けてある札も"Закрыть"(閉店)にしておく。
今日は定休日ではないし、開店前の買い出しとでも言っておこう。
商店街でパンと酒と、それから少しの野菜を買い込んでからぼけーっと一服していたところ、後ろから突き飛ばされて車道に出てしまい、クラクションが鳴って足が竦んだ。
運動神経がいいわけでもないし、こんな状況なんて初めてで、まず状況も把握していないので判断できずに立ち尽くしてしまった。

「危ない!」

グッと腕を引っ張られたことはわかった。
手から荷物が落ちて、気付いたら歩道に倒れていた。

何、今の…

ゆっくりと体を起こすと、もう一人体を起こした人がいた。

「大丈夫ですか?」

『…あ、はい』

「危なかったですね、間に合わないかと思いましたよ」

『あ…助けてくださったみたいで、どうも』

「いえ、とんでもないです
ですが折角のトマトが台無しになってしまいましたね…」

落ちた袋の中でトマトが大破していた。

『…俺の、食費が…』

「それから飲み物も購入されたんですか?
袋が洪水起こしてますよ」

『えっ』

周辺に落ちていた酒屋の袋の中にあったビンは大破。
戸棚にストックしておこうと思ったバーボンウイスキーとコニャック、それからリキュールが全て混ざり合った池と化していた。

『……』

「あのー、大丈夫ですか?」

『え、ええ…大丈夫です…』

なんてことだ…なんて厄日だ…

泣きそうだ。
項垂れていたのだが、助けてくれたお兄さんによって立たされて荷物を持たされて意気消沈。

『…どうもすみません、ありがとうございました…』

歩き出したら、足首でも捻ったのか痛んでよろけた。

「ちょっと待ってください、もしかして僕が貴方を引き寄せた時に足を捻られたんじゃ…」

『大したことないので大丈夫です』

「失礼します」

助けてくださったお兄さんは俺のズボンの裾をめくり、靴下も少し下ろした。

「腫れてますね
僕がバイトしている店、ここから近いので応急処置だけでもしましょう」

『え、いいですよ、そんな…』

よくよく見たらお兄さんはエプロンをしていたので、バイトの買い出し途中だったんだろう。

『俺も自分の店近いので大丈夫です』

「店…?自営業の方ですか?」

『ええ、まあ』

「そうですか
とりあえず店で手当てしますから」

『いや、あの、大丈夫だと…』

「僕も買い出しの最中に事故があったと報告する証拠が欲しいんです、頼まれてくれませんか?」

確かにこの人に迷惑はかけてしまったし、それで買い出しが遅かっただの何だのと彼が怒られるのは申し訳ない。

『…わかりましたよ、証人になればいいんですね』

「ええ
あ、申し遅れました、この辺りで私立探偵をしている安室透です」

ゆっくり歩きながら名刺を渡された。

『私立、探偵…?』

名刺を裏返したり、連絡先や名前を確認。
本物らしい。
詐欺ではなさそうだ。

「ええ、何かお困りの際はいつでもご連絡を」

『探偵とはなかなか縁のない世界にいたもので、生まれて初めて探偵という職業の方にお会いしました』

「この辺り、お店が近いと仰いましたよね?
でしたらあの名探偵の毛利小五郎とかはご存知ないんです?」

『知ってはいますけど…何せ縁のない世界ですから』

本当に彼の職場は近かったのだけれど、辿り着いた場所が場所だったので苦笑してしまった。
毛利探偵事務所の、真下。
喫茶ポアロ。
そこのドアを、彼はなんの躊躇いもなく開けた。

「梓さん、遅くなってすみません
帰り道にちょっとした事故がありまして…」

「安室さん、思ってたより遅かったのでどうしたのかと思ったんですが……あれ?」

「ああ、彼が事故に遭って怪我をされていまして、店も近いですし応急処置だけでもと思って…」

ああ…まさかこんな事になろうとは…

『…梓ちゃん、だったか』

「…ニカさん?」

「…お知り合いですか?」

「知り合いも何も…ニカさんの名前を知らない人は米花町にはいないかと…」

「貴方、有名人だったんですか?」

『いえ、しがない商人です…』

「有名です!」

とりあえず話し始めたらノンストップの梓ちゃんを一回止めて、お兄さんに湿布を貼られて固定のためと包帯を巻かれてしまった。
なんて大げさな。
そして何故かカウンター席でコーヒーを一杯いただいております。

「へえ、子役だったんですか」

「こんな綺麗な方滅多にいらっしゃいませんし、一時期モデルさんもやってましたよね?」

『梓ちゃん、子供の頃の話はやめようね、もう業界から足洗ってるんだし』

「超売れっ子だったのに突然芸能界からパッタリ姿を消してしまって…
米花町にいることが数年前にわかったけれど住所は誰も知らなくて、ミステリアスな…なんていうか、会えたらその日はラッキーっていうようなご利益のある存在で…」

なんだそれは…
どんな都市伝説だよ…

「先ほどお店を持ってると言っていましたよね?」

『ええ、まあ』

「あ、お店、最近どうなんです?
ご新規さん増えました?」

『あんまり新規の客を増やしたくはないんだけどね…
最近若いサラリーマンが上司を連れて来た、上司はまあまあの反応だったけど、部下は常連になりたがってる
丁度店にいた常連客見て羨ましそうな顔してた』

今日はメンソールの入ったドライシガー、ジョーカー・カルマ。
ジッポーで火を付けたら梓ちゃんが灰皿を出してくれた。

『…今日の昼ご飯の食材、さっきの事故でなくなったから何か食べて帰る
もう店開けなきゃいけない時間なのに…酒もねーし、最悪だ』

「バーでも経営されてるんですか?」

『いえ、そういうわけじゃないんですけど…常連客には酒かコーヒーの一杯はサービスしてるので』

「何のお店なんです?」

『…そんなに興味あります?』

「ええ」

『貴方のような方が来る店ではないと思いますけどね』

ふっと煙を吐き出してコーヒーを飲む。

「そういえば私もニカさんのお店知りませんね…
お店お店とは聞いてますけど、何屋さんでしたっけ?」

『梓ちゃんにも縁のない店だと思うよ』

「じゃあ…」

携帯が音を立てたので取り出す。

『…もしもし』

先日の取引をした相手だった。

『ごめん、まだ店開けてなくて、ちょっとトラブった

うん、もうすぐ戻る』

電話を切ってからコーヒーを飲み干して立ち上がる。

『ごめん、客が来たみたいだから店に戻る』

「お昼はいいんですか?」

『食べたかったけど…仕方ない
ごめんね、梓ちゃん、久しぶりに会ったからゆっくり話でもしたかったけど』

「お客さん来たなら仕方ないですよ、また待ってますね」

小さく頷いて灰皿にジョーカーを押し付けて火を消す。

「でしたら僕が送りましょうか?
足も怪我していますし、車で来ているのでその方が店に着くのも早いかと」

『そこまでしていただかなくても大丈夫ですよ、貴方もお仕事中なんですから』

「僕はもう上がれる時間ですよ」

「そうですよ、安室さんに送っていただければ…」

梓ちゃん…

梓ちゃんの一押しでお兄さんの車に乗せられる羽目になりました。
ということは、彼に住所がバレるということだ。
厄介なことになる。

「で、ご住所は?」

なんでこうなってるんでしょうか。
お兄さんの車の助手席に座っています。
あまりにも展開が早いので頭を抱えています。

『…店を知られるのは嫌なので三丁目の交差点までで結構です』

「知られたらマズい理由でもあるんですか?」

『…ひっそりとやっているような店なので
それに貴方が来るような店じゃないと言いましたよね?』

「人を選ぶ店というわけですか」

とりあえず三丁目まで送ってくれたのだけど、あまりに俺が変な歩き方をするからと交差点の所から一本入った路地の先まで付き添われることになってしまいました。
もう住所がバレてしまいました。
とんだ失態です。

「…こんな所にお店なんて、客来ませんよ?」

『来ますよ、それなりに
喫茶店で働く貴方に出すのも気が引けますがコーヒーでもお淹れします、車で来てますし酒はマズいでしょう?』

店の札を"открытый"(OPEN)にしてから鍵を開けて5畳程の店内へ入る。

「…煙草屋でしたか」

『ええ、まあ
ですから貴方には縁のない店と言ったでしょう』

「それにしてもすごい種類を揃えていらっしゃいますね」

『専門店なのでマニアが買い付けに来るんです』

カウンターの中に入ってコーヒー豆を取り出す。
豆を挽いている間に本日の煙草のポップの所にジョーカー・カルマの箱を立てる。

「凝った内装ですね
中世からそのままタイムスリップしてきたような気分ですよ」

『実家の家具を持ってきただけです』

ジョーカーを咥えて火を付け、挽きたての豆でコーヒーを淹れる。
ブラックのままカウンターにお出しすると店の電話が鳴った。

『はい、バローナです

ああ、久しぶり、店は開いてる
閉店時間は24時

…プエブロ?
うん、あるよ、10ミリ4カートンね、取り置きしとく
じゃあ』

レジの椅子に座って煙を吐き出し、パソコンを開いてデータを用意しておく。
てっきり夜にでもやってくるのかと思ったら、電話の主はすぐに来たので驚いた。

『えっと、安室さん…でしたっけ?』

「はい?」

『5分ほど、常連客のフリをしていてください』

カウンターに即席でセブンスターのマイルドとライターを置いておいた。
ドアが開いて入ってきたのは地下組織の男。
男は店内を眺めてチラッと安室さんに目をやってからレジに身を乗り出してきた。

「さっき取り置きしてもらったやつは?」

『あるよ』

4カートンの煙草を持ってきて、紙袋に入れる。

「取り置きしたのは煙草だけじゃねー筈だ」

『わかってる』

メモリーカードを煙草の箱の側面に貼り付けておき、それを紙袋の中で確認させた。
レジに置かれたのは万札が5枚。

『…お釣りはナシってことでいいのか?』

「ああ、小銭なんざ返されても困るだけだ」

『そう』

お札の枚数を数え直してからレジに入れた。

「相変わらずキレーな顔してやがる…また連絡する」

『どうも、またご贔屓に』

店を出て行った男の車が離れていったのを確認してから安室さんの前の煙草を元に戻した。

『すみませんね、騒がしくて』

「どういうことですか」

『はい?』

「煙草の値段は法で決まっている筈ですよね?
彼の購入した銘柄を先ほど検索しましたけど、1箱420円の物…4カートンでは2万もしない筈です
違法行為ですよね?」

なんか厄介な気がしたから俺も調べておいて正解だった。

『そうですねえ…では俺も名刺渡しておきます』

カウンターの内側にある引き出しから裏稼業用の名刺を取り出す。

『情報屋です
煙草の値段は一律ですが情報料の上乗せですよ
流石手厳しい方ですね、警察庁警備局警備企画課の降谷零さん』

「なかなかの手腕ですね、僕が店に来て来客までの間にそれだけ調べ上げるとは」

『ですが公務員のダブルワークも禁止事項の筈ですよね?
それとも捜査の一環として捉えろとでも?』

「お好きなように解釈してください」

『わかりました』

「それから…この町ではその名前を使わないでください」

『使えない理由でもあるんですかね』

「ご自由に解釈してください
それから僕も貴方と同じようにハッキングは得意分野ですのでご注意ください」

『…考えておきます』

「だから僕の前に日本製の煙草を?」

『何のことでしょうかね』

「いえ、気にしないでください」

安室さんは立ち上がった。

『摘発でもなさるんです?』

「情報屋としての仕事でしたら何も言いませんよ、煙草をちゃんとその金額で売っているのであれば何も問題はありませんし
ただ、定期的に視察をしに来ますので」

『…視察ですか』

「それと、貴方の住所をバラす気はありませんからご心配なく
僕の提案を断り続けていたのも、裏稼業のことがあったからでしょう?
貴方も僕の隠し事を知ってしまったようなものですから、お互い様ですよね」

『…面倒なことになったな』

「無理に敬語でなくても構いませんよ
どうも貴方の敬語、飾られたようでしっくりこないんですよね」

『……』

少し意外だった。
ジョーカーを一本取り出して口に咥えたらジッポーを奪われた。
点火されたジョーカーの香りが店内に広がり、カシャンと綺麗な音がしてジッポーを閉じられた。

『…どうもケーサツって言うと堅苦しい奴ばっかのイメージだったんだけどな』

「一口に警察と言っても職種は様々ですから」

『あ、そう…
つーか酒がねーんだった、買ってきてくれたりするの?』

「…確かに敬語はやめてくださいと言いましたけど、急に馴れ馴れしくなりましたね
僕は貴方の買い物係ではありませんよ」

『俺店番しなきゃいけないの
だってバイト終わったんだろ?』

「確かにバイトはありませんよ」

『ほら、足怪我したからってまともに歩かせてくれなかったじゃん
昼飯も食ってねーし、どうせ買い出しに行かなきゃいけなくなったんだけど』

「だと思ってポアロで作っておいたサンドイッチを持ってきましたよ、注文をするだけして帰ると言いだしたのは貴方ですからね」

カウンターに並べられたのは、まさかのポアロのサンドイッチ。

『…アンタ、なんだかんだいい人だね』

「サンドイッチの代金はいただいていきますよ」

『やっぱり前言撤回し…』

「注文したのは貴方です」

『わかった、わかったよ、ちゃんと払うから…』

レジを開けて代金を払ってからサンドイッチに手を伸ばした。

「本当にお客さん来ませんね」

『来る時は来るんだよ』

そのサンドイッチのおいしいこと。
久しぶりに美味しい物を食べたなと思ったくらいだ。

『これ美味しい
視察の時はこれ持ってきて』

「そんな頻繁に視察しませんよ」

『あ、そう、アンタに会う楽しみが一つできたと思ったのに』

ぺろっとサンドイッチを平らげてコーヒーを流し込む。
安室さんはテキパキとサンドイッチの入っていたプラスチック容器を片付けて荷物を纏めた。

『今日の煙草のチョイスも間違ってなかったみたいだ
俺にとって、アンタは厄介なジョーカーだけど…使いようによっては便利なジョーカー
そんな人に出会うなんて俺も今日はツイてるね』

「廃業になったら就職先くらいは紹介してあげますよ」

『当分その心配はないと思う』

「そろそろお暇します」

『暇ならいてくれてもいいよ、俺も暇だから』

「いえ、貴方にお客さんらしいですから」

『え?』

ドアへ目をやると、ガラスに人影が見えた。

「では、またいずれ」

『うん、またね、多分連絡する』

「はい?」

『暇つぶし
なんかアンタの話聞いてるの意外と面白かったから暇な時に連絡する』

「…一応僕の仕事の都合も考えてくださいね」

そう言って帰っていった安室さんの後ろ姿にジョーカーの箱を翳す。
使えそうな手駒は持っておく。

利用させてもらうからね、安室さん





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