ハバタンパ・バニラ
後日出直してきた秀一は、俺が学校から帰ってきたらもう店の前に立っていた。
せっかちだなあ、と思いながら鍵を開けて店も開けた。
「ランドセル姿のお前を見ると、どうも昔のニカを思い出す」
本人ですからね。
そりゃそうでしょうね。
「まだニカから何も連絡はないのか?」
『ねーよ、あったらしてる』
ランドセルを2階に置いてきて、それから宿題を持ってきてレジの椅子によじ登る。
レジを開けてから今日のオススメのポップにハバタンパ・バニラを置いて戸棚を見上げる。
『車で来てんの?
スコッチとコーヒー、どっち?』
「…生憎車で来てしまっていてな、コーヒーを頼む」
マグカップを取り出して豆を挽き、ドリップしてからブラックのままカウンターに置いた。
それからいつもの煙草の箱も1箱置いた。
俺は暫く宿題の足し算のプリントをしていたのだが、なんとなく人の気配がして顔を上げたら覗き込まれていた。
『な、何だよ』
「店番に宿題か」
『学校行く羽目になったんだ、仕方ねーだろ』
おかげでハッキングする時間も情報収集する時間も削り取られるし。
仕事には支障はないけれど気分が違う。
何が楽しくて足し算なんてやらなければいけないんだ。
毎日レジやってるような人間がだぞ。
「おお、マジでニカそっくりだな
噂通りだ、子供がいたなら早く言えよな、ニカも水臭ぇ」
「ほー、こりゃまた子役時代のニカそのまんまじゃねーか」
入ってきた常連客は俺を見て勝手な事を言ってくるもんだからムッとした。
「小学生なら学校もあるし、営業時間の変更も仕方ねーよな
ニカもいきなり子供に店番丸投げなんて、らしくねーことするもんだ
いやー、可愛いもんだ、流石ニカの娘だな」
娘…?
「おい、性別を間違えると…」
秀一が常連客に目を向けた所で、俺はそれぞれのいつもの銘柄をカートンごと投げつけてやった。
「…こうなるみたいだ
気をつけることだ、短気で横暴な所はニカそのままだからな」
「…さ、流石ニカの子供だな」
常連客は苦笑して指を2本立てた。
なので同じ銘柄をもう1カートン取ってきて、金庫に入れていたメモリーカードを取り出しいつものように紙袋に入れる。
「手慣れてんな、ニカ仕込みの手際の良さだ
これからの依頼もできるのか?」
『俺からパパに連絡するから問題ない
信用出来ないならパパに直接メールして、その代わり煙草代2割り増しになるから
まあ、一応俺もこのパソコンは使えるから…』
「じゃあお前さんに頼むよ
随分仕込まれてるみたいだし、お前みたいなガキと話すのも悪くねーからな
な、看板娘」
『だから俺は…』
「ああ、確かに看板娘だな
いいじゃねーか、ニカより可愛げもあって」
可愛げがなくて悪かったな…
「それじゃ、コイツは頂いてくよ」
支払いを済ませてお札の数を確認する。
それをレジにしまってから、また算数のプリントを再開。
帰って行った客も、また別の常連客とコンタクトを取って俺がなんだのと話をするんだろう。
店に残っている秀一は煙草を燻らせたままコーヒーを飲んでいた。
全く呑気なものだ、FBIともあろう人が。
「今日の宿題はそれだけか?」
『あとひらがなの練習』
「それはお前にピッタリだ」
『は?』
「今までロシア語ばかりだったんじゃないのか?
悪いがニカの日本語もロシア語の癖が強くて読みにくかったし、ニカを手本にするより教材を手本にした方がいいだろう」
…よ、読みにくいって…
マジかよ、今まで誰もそんなこと言わなかったじゃねーか…!
これも全部安室さんがあんな書類書くからだ…!
クソー、抗議してやる…!
店の電話から安室さんの携帯に電話をかけた。
何か言ってやらないと怒りが収まりそうにない。
[はい、安室です]
『おい、日本語の読み書きが出来ないだなんて随分また勝手な事を言ってくれたな…』
[ああ、ニカさんでしたか
携帯からではなかったので一体どなたかと思いましたよ]
『話聞けよ』
[事実じゃないですか
カウンターの内側に貼られていた付箋のメモ書き、物凄く汚い字だったので字を綺麗にする絶好の機会じゃないですか]
『ふざけんなよ、今まで誰にも字が汚いなんて言われたことねーぞ!』
[流石にあんな斜めの日本語は初めて見ました
パソコンのどの手書きフォントを使って書かれたものなのかと疑いました]
『一々ムカつく言い方しやがって…』
[考えてもみてください
貴方の字にあれだけ癖があるということは、今の貴方が書いた文字を筆跡鑑定などに出されれば一発でニカさんだと割り出されます
貴方を狙っているという組織にそれを知られたらどうするんです?
まだ貴方が生きているとわかって店まで乗り込んでくるかも知れませんよ]
筆跡鑑定…
そんなもん、考えたこともなかったよ…
わざわざ字の矯正しろっての?
[ニカさん?聞いてます?]
『…た、確かに筋は通ってるけどな…だからって…日本語の読み書きくらい出来る!
おかげでこの前クラス全員俺のひらがな覗きに来たんだぜ!?
ふざけんなよ!
やってらんねー、大体煙草屋のレジやってんのになんで足し算なんか…せめて2年生で良かっただろ!』
[ですからその件は学校に自分で異議申し立てをしてください]
『っ…この薄情者!』
[…薄情者?
貴方の保護者をわざわざ買ってあげている僕によくそんな事が言えますね?]
あ…これはヤバいぞ…
一瞬にして声に殺気が込もった。
もし今仕事中だったらまた怒られるかもしれない。
[自分の立場を理解していますか?
厄介者の貴方のことをわざわざ保護している理由がわからないんですか?]
…理由?
ただの取引じゃないの?
『…それは、都合がいいからじゃねーのか?
だって取引話持ちかけたのはそっちじゃなかったっけ…』
電話の向こう側ではあっとため息が落ちた。
[最後に貴方に会った時、貴方言いましたよね?
人の選り好みが激しそうな貴方が僕を話し相手にしていること、それから不器用そうな貴方が僕に我儘を言えるということ
その意味を理解しろと仰いましたよね]
…ポアロで最後にご飯を食べた時だっけ
そんな恥ずかしいこと俺言ってたんだっけ…
[…僕もそれなりに貴方のことは買っていましたし、確かにニカさんの言いそうなことですから今の貴方を信じてあげているんです
そして貴方流の言い方ですと僕の事を信用していますよね
だからあの時丁度ポアロから出て来た僕に、屋外にいるにも関わらずダメ元で自分がニカさん本人である事を告白してくださったんですよね?
自分の命が狙われているとわかっていながら
違いますか?]
『……』
な、何、何、この人…
なんか怖いんだけど、いや、怖いっていうかその、ほら…
全部お見通し過ぎて何も言えないんだけど…
本当に逆らう術もないし反論もできないし打つ手なし…
[沈黙は肯定と捉えますよ]
『……はい』
小さく答えた。
なんか普通に恥ずかしいです。
なんか照れます。
[学校側が1年生が妥当だと判断したんですから仕方ありません
それに万が一のためにも筆跡は使い分けられるようにしておいてください
あまり強く言いたくありませんが、貴方の命が懸かっている案件ですのでちゃんとしてください
あ、今週はちゃんと行ってるみたいですね、学校側から何も連絡が来なくて安心しました]
『…1回仮病で休んだ』
[何してるんですか!]
『だって…』
[だってじゃありません!
宿題とかちゃんとやってるんでしょうね?]
『やってるよ!
さっき算数終わってこれから国語やるよ!
なんなんだよ、さっきまで超いい人とか思ってたのにまたお説教かよ!』
[本当にちゃんと宿題をしているか確認します
店の視察も兼ねて今から向かいますから]
『視察…てことはもしかしてサンドイッチが…!』
[ありません!]
『じゃあ来ないで』
[貴方に拒否する権限はありません
保護者としてたまには様子を見に行かないとまた学校側から何か聞かれた時に対応できませんから
…たまには貴方の心配したらいけませんか?]
『……』
[そういう事です]
『えっ、あ…あの…』
切れた。
なんかさりげなく、さりげなくだけど一応安室さんに気にかけていただいてるような事を言われました。
気のせいだろうか。
い、いや、これは…なんだろう、この気持ち…
なんかあれだけ俺のこと厄介者とか言っておきながら急に心配するの何?
え?
理解追いつかないんだけど、ねえ、これってなんてドラマ?
『……』
ちょっと待ってよ、俺、今まで出たドラマとか映画でもあんな事言われたことねーよ…
出来すぎたセリフ…
電話を置いてから黙ってレジの椅子に戻って突っ伏した。
ど、どうしよう…
こんな人間初めて過ぎてどう接したらいいのかわかんない…
ねえ、これがパパなの?
これが保護者?
「…ニカ?」
『今頭混乱してる、話しかけないで煙草取って』
「…今日の煙草か?」
『それでいい』
「全く、お前のパパにちゃんと説教をしておくか
こんな子供が煙草とはな…親の責任問題だ」
手渡された箱を開けて一本取り出す。
そうだ、今日の煙草はハバタンパだった。
とりあえずニコチンを摂取して煙を吐き出したら少し整理がついた。
ぼけーっとしながらBGMを変えて、ゆっくりと宿題再開。
「急にやる気になったな」
『ほっとけ
あんだけ皆に字が汚えって言われたら誰だってムカつくだろ』
「事実を述べたまでだ
実際お前のパパの字は英語でも読み辛い、初めて見た時は何の暗号文かと思った」
『アメリカ人のくせによく言うぜ…』
「アメリカ人でもわからない言語に見えたと言っているんだ」
ノートにひらがなを書いていく。
時々煙を吐き出して、トンと灰を落とす。
「ニカのひらがなより随分マシじゃないか
少し斜めだが」
『うるせー、どうせ俺は斜めにしか書けねーよ』
とりあえず宿題で出された所までは書き終わりそうだ。
20時を回りそろそろ夜ご飯も作ろうかと思っていたのだが、それにしても秀一はずっと此処にいていいのだろうか。
仕事はないのだろうか。
『なあ、仕事は?』
「今日の仕事はお前の様子見だ」
『FBIも暇なんだな』
「暇というわけではないが…」
秀一が言いかけた所でドアが開いたので手を止めた。
顔を上げてちょっと怯んだ。
「ニカさん、進捗はどうですか?
仕方ないので貴方のリクエスト通り夜ご飯を…」
やって来た安室さんは突然空気を変えた。
「おや…」
え…?
秀一まで、どうしたんだ?
「珍しいじゃないか
煙草を吸わない君が煙草屋に来るとは驚いた」
「何故此処にいる?」
「ニカの子供の様子見だ、それに俺は客として来ている
君こそ、こんな店に用事があるのか?」
「貴様には関係のない事だ
それ以前に何故貴様が日本にいるんだ」
「仕事、というのは君の中では正当な理由に入らないのか?」
え、2人って知り合いだったの?
ごめん、何もついてけないんだけど…
鉛筆を持ったまま、2人を交互に見るばかり。
安室さんはいつになく殺気を飛ばしているし、秀一は秀一で余裕を持ちながらもなんとなく状況はわかっているようだし全く対処法がわからない。
秀一はチラリと俺を見た。
「子供の前で無粋な真似はよそうじゃないか」
「…僕だってしたくありませんよ、そんな事」
「今来たばかりの君に帰れと言うのは流石に申し訳ない
名残惜しいが俺が帰るとしよう」
「それが得策でしょうね、今すぐ帰ってください」
秀一は立ち上がってジャケットの襟を正した。
それからポカンとしている俺の頭に手を乗せてわしわし撫でてきた。
「そのうちまた顔を出す」
空になったマグカップをレジに置くと、秀一は帰っていった。
安室さんとすれ違いざまに何か話していたようだったけど、流石に何を話していたのかはわからなかった。
秀一のいなくなった店の中で、安室さんはドアの方を見ていた。
…何だったんだ?今の
そんな安室さんを眺めていたらなんか焦げ臭くて、手元に目をやれば持っていた筈の鉛筆も煙草もなくなっていた。
『…あ』
落とした煙草がノートを焦がしていく。
匂いが届いたのか、不意に安室さんが此方を振り返った。
「何やってるんですか!」
『ど、どうしよう、これ…あ…』
「宿題をしながら煙草を吸う小学生がいますか!
火事になったらどうするんですか!」
とりあえずノートを救出してもらい、煙草は強制的に灰皿の中へ。
「折角夕食を持ってきたというのに提供する気が失せましたよ…」
『ちゃんと宿題してたじゃん!』
「今度から宿題を見てあげた方がいいんでしょうかね…」
『そんな事する時間もねーくせに』
「必要なら作りますよ
全く…貴方といると本当に予定が狂います」
『それはこっちのセリフだよ』
秀一のマグカップをシンクに置いたら安室さんはカウンター席に座って紙袋をレジに置いた。
「とりあえず夕食です」
…ちゃんと用意してくれるとこ、なんか憎めないんだよな
ま、いっか、今日のご飯代が浮いたわけだし
『…安室さんて物好きだよな』
「貴方にだけは言われたくありません」
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