ピース・インフィニティ

朝起きたら、下で物音がしたのでのそのそ起き上がって部屋着のまま1階に降りた。

「お寝坊さんですね…」

『…何してんの?』

カウンターには食事が並んでいて、シンクで洗い物をしていたのは安室さんだった。
何故だ。

「早く食べてください、遅刻しますよ」

『誰が学校に行くなんて言ったんだよ』

「学校に行かないということでしたらこの朝食はなかったことに…」

カウンターを片付け始めた安室さんの手を慌てて止めて椅子によじ登る。

『おい!折角作った朝飯捨てたら承知しねーぞ!』

「でしたら学校に…」

『行かない!』

「昨日、ちゃんと約束しましたよね?
この店の経営者が今不在でしかも未成年が運営している事を伏せておく代わりに学校へ通うと」

『そんな約束してねーからな!』

「でしたら朝食は…」

『だから食いもんを引き合いに出すな!ケチ!』

「ケチ?
わざわざ貴方の話を聞いてあげたというのにケチ扱いですか?
こんな状況、普通の人なら鼻先で笑って悪い冗談だという話をわざわざ聞いてあげて貴方を信じてあげた僕にそんな事を言える立場ですか?」

『っ…』

悔しい。
なんてことだ。
時を遡ること約15時間前。




「……はい?
貴方、本当にニカさんの子供じゃなくてニカさん本人だって言うんですか?」

店の簡易キッチンでサンドイッチを作っていた安室さんは振り返った。
カウンターの椅子に座っていた俺は、とりあえずどこかの組織に目をつけられて殺されそうになった挙句、変な薬を飲まされて目が覚めたらこんなになっていたと話した。

『そのFBIの知り合いも、俺のガキだと思って誤解したまま
まあ、彼の言い訳が上手かったから採用することにしたが、俺は今世界中の煙草の買い付けに出掛けたことになってる
俺はただの店番を任された隠し子扱い
やってられっか、アホくせー…!』

「ですがにわかに信じがたい話ですよ
僕だってまだ貴方が本当にニカさんかどうか半信半疑なんですから」

『とりあえず俺の情報網でとある組織に辿り着いて、そこからまあ色々あって人に会ってきたんだけど解毒薬もないし下手に大人になってもまた狙われるだけだってことはわかったし…
当分はこのままっぽいし、店番するしか…』

「貴方の歳で昼間から店番ですか?
学校はどうするんです?」

『それもその時聞かれたけど、ここは幸い表通りから一本入らないと見つからないような店だし学校なんか行かなくたって別にバレやしねーよ』

「義務教育ですよ」

『知るかよ』

「大体、昼には営業してる店なんですから、その時間にも客は来るということですよね?
常連客とかでしたら尚更…そんな時間に店に行ったら小学生らしき子供が店番だなんて変な話だと思いますけど…」

カウンターに置かれたサンドイッチに手を伸ばし、3日ぶりのご飯にやっとありつけた。

『けど行く意味ねーし』

「いいんですか?
ニカさんが今不在扱いされている以上、この店は貴方が管理することになるんですよ?
この店は情報屋以前に煙草の専門店
当然未成年の貴方が管理しているとなれば大問題になりますよね
それに…事情を知らない僕の部下がこの店に来た時に、貴方は同じ話を出来ますか?
僕の部下も、未成年者が経営する店として摘発するか、圧力をかけてくる可能性もありますよ?」

『けど経営者自体は俺だし戸籍もちゃんと23歳になってるし、外国にいることになってれば問題ないんじゃ…』

「…昼間に来た客が、小学生が代理で経営している煙草屋に来て違和感や疑念を感じませんかと聞いてるんです」

『常連客なら事情は知ってるんだし…』

「それが一般客ならどうです?
貴方の親の責任問題として通報され兼ねませんよ」

『…で、俺に何しろって言いたいんだよ』

「学校に行きましょう
そしたら僕もこの件は伏せておきます」

『絶対やだね、何が楽しくて学校なんざ今更行かなきゃいけねーんだよ』

「往生際が悪いですね
このヘンテコな貴方の話をちゃんと信じてこの店を守ってあげようという僕の厚意ですよ?」

『それは…』

「こんな話、一体誰が信じるんです?」

確かに秀一にすら信じてもらえなかったくらいだし、認めたくはないけどヘンテコな話で安室さんの言ってることも正論。

「それから貴方も命を狙われてるようなので保護対象にはなりますから」

『けど学校は流石に…』

「学校に行けば、教師と知り合えますし教育機関とのコネも作れますよ」

教育機関との、コネ…
それは考えてなかった、新しいルートだ…

「僕の下で犯罪を起こされるのは我慢ならないので」

…やっぱケーサツだな、そういうとこ

サンドイッチを食べてからコーヒーを飲んで、ため息を1つ落とした。

『気付いてんの?』

「はい?」

『店に来た時から安室さん、俺に対して大人だった時と同じ話し方で接してるってこと
それって半信半疑とか言ってるくせに、どこかで俺だってわかってんだろ?』

「…何を仰いますか」

『まあいいけどさ…』

「いいなら学校へ行きましょう
そうですね、1年生か2年生くらいに転入を…」

『いやいやいや、その話に関してはいいなんて言ってねーからな!?
1年生?ふざけんな、今更1+1からやれってのか?』

「でしたら2年生でも構いませんよ」

『や、だからなんで俺が学校行くこと前提の話になってんの?』

「学校側に話はつけておきますね
今日中に手続きはします」

『ちょっと待てよ、なんで安室さんがそこまでしなきゃいけねーわけ?』

「貴方に任せたら絶対手続きしませんよね?
それに貴方が学校に所属しているという証拠があれば、此方もデータの改ざんは出来ますし何かと都合が良いので
いいですか?
貴方の店と命を保護するための取引なんですからね」





といった話だった気がする。
俺が呆然としている間に安室さんは自分の立場をいいことに、学校に連絡するわ手続きをするわでその日のうちに全部やってのけてしまったのである。
恐ろしい人だ。
やっぱり敵には回したくない。
朝食を食べながらコーヒーを飲んで、カウンターの中にいる安室さんを睨む。

「あ、それから学校の方には両親が今海外にいて連絡が取れないということで国内での保護者は僕になっていますから」

『はい!?』

噎せた。

「ですが、今日みたいに世話を焼くことはしないので安心してください
とりあえず緊急連絡先が僕というだけです
貴方の店と命が懸かっているということをよくよく覚えておいてくださいね?」

な、な、なんだそれ…

「そんなペースで食べていたら遅刻しますよ?
初日から遅刻してどうするんですか」

『だから俺は学校行くなんて一言も承諾した覚えは…』

「店、なくなってもいいんですか?」

『う…』

「貴方、命を狙われてるんですよね?」

『はい…』

そこまで答えたら、はいっとランドセルをカウンターに置かれたので撃沈した。

『勘弁してくれよ…』

「文房具は揃えてあります
それから教材費などは貴方の所から落としているので」

『は?』

「レジ、開けっ放しでしたし」

『泥棒じゃねーか!』

「貴方の生活費ですよ?
自分の生活費は自分で出してください」

『学校行くこと納得してねーのにまたそんな勝手なことばっかしやがって…!』

「ですから、貴方が仮に手続きを自分でやると言っても嘘をついてしない可能性が高いのでそんな手段を取らざるを得なかったと考えてください
貴方の日頃の行いの表れです」

…策士だ
というかこの人もうダメだよ、逆らう術がなくなった…
俺の店と命を保護してくれるのは有難いことだけど、勝手に学校に行かされるのだけは御免だ…

やけになって朝ごはんを食べて皿を自分で洗い、棚から一箱取って一本口に挟んだ。

「未成年の喫煙は犯罪です」

スッと煙草を奪われた。

『……やってらんねえ!』

「あとこれも作っておきました」

手渡された紙を奪い取る。

[煙草の買い付けにより店長が不在のため営業時間を変更致します。
ご了承下さいませ。
月〜金 16:00〜22:00
土・日・祝 11:00〜23:00

ворона店長代理]

『なっ…なんてことを…』

「子供は早く寝るものです」

『22時だと!?』

「土日祝日を23時までにしてあげたじゃないですか」

『そういう問題じゃ…
営業時間が…24時ギリに来る客だっているんだぜ!?』

「仕方ないじゃないですか
それに、そんな夜中まで子供が起きている方が怪しまれます」

もう眩暈を起こしそうだ。
この人、本当に怖い。
全て計算し尽くされている。

「わかったら行きますよ
僕も今日は一度戻らないといけないので、仕事があるんです」

『ちょっと待て
転入初日に1人で乗り込めってのか!?』

「…寂しいんですか?」

『んなわけねーだろ
大体初めての場所に親もいない小学生が1人で案内も無しに行くか?
普通初日くらい道案内ってもんが…』

「米花町の情報屋が場所を知らないわけがないじゃないですか」

もう嫌だ、この人。
勝手に俺を学校に送り込んだ挙句の果て、同伴もなし。
しかしこの人に店と命を握られているので下手に反抗もできない。
本当に、万策尽きました。

「今日だけですよ」

店を出て鍵を閉めて仕方なくドアに張り紙を貼っていたら、安室さんはそう言って路地の入り口に停めてあった車に乗せてくれた。

…なんだよ、車回してたんなら最初にそう言えっての
昨日店には徒歩で来たから、俺が寝てる間に車で出直してきたのか…

むすーっとしてたら運転席から手が伸びてきた。

「そんな仏頂面をしていたら友達できませんよ」

『いらねーよ、んなもん
友達なんかろくなもんじゃねーからな…』

パーカーの袖をキュッと握り締める。
そしたら意外にも頭に手が乗ったので、横目で安室さんを見た。

「今の貴方は芸能人じゃないんですから」

『……わーってるよ』

「友人から意外なコネが作れるかもしれませんよ」

『それでも…こんなんじゃ何か言われんの目に見えてるし』

「あ、それならご心配なく
学校の方にはロシアから来た帰国子女とお伝えしておきました」

なんて用意周到な…

学校の前で車が停まり、本当に俺を降ろすだけ降ろすとすぐに安室さんは行ってしまった。

…面倒見いいんだか悪いんだかわかんねーな

仕方ない。
帝丹小学校と書かれた建物に入って職員室に行ったのだが、そこでまた愕然とすることになった。

『…は?1年生って、どういう…
だ、だって2年生って話だったんじゃねーのかよ!』

「それが…海外の進度と日本の学校の進度は違うみたいだし、それに貴方7歳でしょ?」

は、はい…?
聞いてねーよ…何勝手に7歳設定にしてんだよ、あの人…
ていうか2年生でも構いませんって言ったの安室さんだよね?
ねえ、安室さん!

目の前がまた真っ白になりかけた。

「あ、小林先生、例の転入生がいらっしゃいましたよ」

「はい、今伺います」

やって来たのは眼鏡をかけた黒髪の先生。
名前だって勿論知ってる。

「初めまして
私が貴方のクラスの担任の…」

『小林澄子さんでしょ、知ってる
俺、2年生に転入する予定だったんだけど?』

そう聞きながら廊下を歩き、ため息を吐き出した。

「でも資料には日本語の会話は出来るけれど読み書きが苦手って書いてあったみたいで、校長先生が1年生の方がいいんじゃないかって言ったみたいよ」

『何だよそれ…』

どんな設定付け加えてんだ、あの人は…
俺ちゃんと日本語の読み書きできますけど…!
それとも俺の字が汚いとでも言うつもりか?

「でも名前見て驚いたわ
あの天才子役として世間を賑わせたニカと同じファミリーネームだったから…息子さんでしょ?
先生、彼のドラマよく観てたわ
両親が不在っていうのも、きっとニカさんが母国で忙しいのよね?」

なんて都合のいい解釈をしてくれるんだろうね、この先生は…
悪くないよ、第一印象としては

『そんなとこかな』

「じゃあ先生が入ってって言ったら入って来てね」

『はいはい』

廊下で暫く待たされ、改めて教室の上に掛かった1年B組と書かれた札を眺めていた。

「さあ、入って」

先生がドアを開けたら好奇の視線がいくつも飛んできたので今すぐ帰りたい衝動に駆られた。
先生は俺の長い名前を黒板に書いた。
ロシア名と父称、そしてとってつけたような日本名。
まあ、即席にしては大したものだ。
ちゃんと父称を正しい活用形に直して名前を考えてくれたことは、安室さんに感謝してもいいかもしれない。

『…長ったらしい名前だからニカでいい』

それだけ一言断っておいた。
ため息を吐き出して顔を上げたら、見覚えのある顔があって驚いた。

「……」

『…なんだ、哀じゃん
お前、このクラスだったの?』

急に教室がザワついた。

「あれ、灰原さんと知り合い?」

『…ついこの前米花町に来て、商店街で助けてもらったついでに友達になった』

「そうだったのね
じゃあ…最初は慣れないこともたくさんあるだろうし、灰原さんの後ろの席に座ってもらおうかな」

「せ、先生…!」

手を挙げたのは哀だった。

「灰原さん?」

「…あ、あの…私の後ろよりも前がいいと思います
その、何か教えてあげる時に私が後ろを振り向かないといけないから…」

「そう…
じゃあ灰原さんの前の席に…」

おーい、それって教えてもらう度に俺が振り向かなきゃいけないってことわかってる?
俺の面倒ごとが増えるだけだよ…

仕方なく哀の前の席に行ってランドセルを下ろした。
朝礼が終わってから後ろを向く。

『おい、テメエ、どういう事だ』

「馬鹿ね…貴方にずっと見つめられて授業なんか受けられるわけないじゃない…!」

『はあ?人をなんだと思って…』

「…いいじゃない、私が貴方を見つめ放題なんだから」

『…つくづくお前のことがわかんねー』

「貴方こそ、気が変わったの?」

『違ぇーよ、強制的に小学校に収容された
俺の店と命を人質に取られて、学校に行くことを条件に店の営業も見逃してくれるんだと』

ポケットに入っている四角い箱が恋しくて仕方ない。
紺色のそれは、今日のオススメとしてレジ前のポップに置いてきたピース・インフィニティ。
前を向いてランドセルを開けたら、机の周りには数人の小学生がいた。

「すっげー、目が青い…」

「髪が白いよ」

「ロシアってどんなとこ?」

…出たよ、このありきたりな質問攻め
嫌だ…帰りたい…

『ロシアは寒いよ、日本なんかよりずっと』

それだけ答えてため息を吐き出した。
窓側の席だったらどんなに良かっただろう。
ポケットの中で煙草の箱を弄び、授業の始まった教室の天井を仰いでやり切れなさにまたため息を吐き出す。

ほんと平和だねえ、子供の世界ってのは

欠伸を落として休み時間にどこかで一服しようと考えていた矢先、1人の少年が机の前にやってきた。

「すみません!」

『…何?』

「き、君は灰原さんとどういう関係なんですか!?」

『…知り合いだけど、それが何か?』

「ただの知り合いで灰原さんの事を名前で、しかも呼び捨てにするなんて…信じられません!
さては…灰原さんに好意を持っていますね?」

『…はい?』

鬼気迫るものを感じさせるそばかすの少年は、少し頬が紅潮している。
それを見たらなんとなくわかった。
自分はさん付けで呼んでるのに、俺がクラス全員の前で哀のことを呼び捨てにしたもんだから嫉妬されたんだろう。

『じゃあ、自分もそう呼んだらいいじゃん』

1年生にしてはおませさんだね、君は

立ち上がってそのまま教室を出る。
向かった先は屋上で、ラッキーなことに鍵が開いていたので隅っこに座ってやっと煙草の箱を取り出した。
ジッポーで点火し、口に咥えて青空を見上げる。

朝飯の後も結局お預け食らったし、やっと一服できるよ…
こんな生活やってらんねーよ、初日でもう登校拒否したくなってる…
本当に厄介なことをしてくれたな、安室さんは…

煙を吐き出してから、授業開始のチャイムを聞いた。
店のためならと我慢するけど、毎日通うのはやっぱり御免だ。
出席日数見ながら適度に通うことにしよう。
うん、そうしよう、それがいい。

『それにしても、いい天気だよなー…』

快晴の青空は、俺の気なんて知らずに爽やかな空気を演出していた。






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