3歩進んで2歩下がる

ポルシェの乗り心地も悪くはありません。
今日のお仕事の内容はよくわからないけど、取引はあるみたいです。
どこかの駐車場に停まっていて、ジンは煙草を咥えたまま。
俺は後部座席でパソコンを広げてゴロゴロと呑気にゆったりしていたわけです。

「アニキ…いいんですかい?」

「放っておけ、あれでも仕事はしてる」

「し、しかし…」

「お前のことすら変質者扱いか、悪くはねぇな、ウォッカ」

「は、はあ…
ですがアニキと行動していた時には…」

「ああ、確かにお前もいた
だが覚えてねぇ、ラムの調教も徹底的だ
多少の問題があるとすれば、一々構成員のリストを確認してから仕事をしなければならないことくらいだろ、時間の無駄だ」

助手席の窓をノックされて目をやると、ジンは窓をスッと開けた。

「来たか
例のものはちゃんと持って来たか?」

「もちろん」

「中で聞く」

後部座席のドアが開いたので目をやれば、女が1人立っていた。

「あら、随分久しぶりじゃない
まだ飼い猫のままだったなんて…とっくに捨て猫にでもなったかと思ったわ
ラムが手中に収めたらしいけど、貴方の飼い主は納得してるのかしら?」

黙ってUSPを突き付ける。

『誰?ジン様の知り合い?』

「何言ってるの?
貴方と私の付き合いじゃない
それとも何、私に何か恨みでも?」

「気にするな、ベルモット
ラムの調教のおかげで組織の人間はほとんど知らねぇ」

「…どういうことかしら?」

「その前に中に入れ」

「入れって言われても…貴方の猫が私を入れてくれないみたいよ」

ジン様はこちらを見た。

「アンジュ」

『はい』

「その女に一席譲れ、それからそれもしまえ」

『…わかりました』

USPをしまい、仕方なく席を半分譲ってやった。
ジンが言わなかったらお前みたいな女、ポルシェに乗せたりしないんだからね。

「それで、ラムの調教が何?
どうしてこんなややこしい事になったわけ?」

「俺が散々近付くなと言っていた組織の中枢にアンジュが近付いた罰だ
俺とラム、あの方以外の構成員は全て忘れさせた
アンジュはリセットされた」

「リセットって、簡単に言うけど…」

「本来なら俺が飼い猫の面倒くらい見る筈だったが、ラムは足りないと判断したんだろう
ラムからアンジュがどんな状態になろうと部屋に入るのは禁じられた
元々調教室に入れられたアンジュは俺が定期的に面倒を見ないと潰れるが、それすらもするなと言った
拒食状態のアイツが仕事が出来なくなる直前まで、迎えに行くなと言われた
そんな状態で毎日刷り込みなんざさせられたらどうなる?

…アンジュはラムの猫じゃねぇ、面倒な事をされた
せめてお前とウォッカ、幹部レベルの構成員は思い出させる」

「勝手な事をしてラムが口を挟まないと思う?」

「知るか、俺の仕事に支障をきたす
アンジュが俺だけに縋るのはいい、だが仕事となれば話は別だ
現にベルモットすらわからねぇしウォッカにすら牙を剥いた」

「ウォッカも随分嫌われてるのね」

女の手が頭に触れてバッと体勢を変えた。

『……』

「あら、驚かせちゃったかしら」

「アンジュ、ベルモットだ」

ベルモット…?
散々名前だけ聞かされていた、そこそこ有名な幹部らしき人物…
女だったとはねえ…

「ベルモットは覚えておけ」

『…はい』

もう一台車が入ってきて、隣にピタリと寄せられた。

「アンジュ、留守番だ」

『あ、はい』

ジンは俺の頭を一撫でしてから助手席を降り、ウォッカとベルモットも車から降りていった。
そして隣の車から出てきた男と女と一緒に何処かへ行ってしまった。

…結局はお留守番なんだね
折角ネズミ捕りの情報は俺が提供してるのに

パソコンのエンターキーを押して機器から妨害電波を発信、周囲の状況をレーダー越しに観察。
異常はなし。
オールグリーン。

…そうだ、今のうちに午後会う公安の人からの依頼内容確認しておくか

昨日届いていたメールを開いて仕事の依頼内容を見てからデータバンクから情報を引っ張り出し、下準備をしておく。
パソコンのレーダー画面がピッと音を立てたので、ハッと顔を上げて確認したら10m圏内に盗聴器の類の反応が見られた。

…一応、徘徊しとくか

パソコンを監視モードに設定し、パーカーのフードを被って車から降りる。
小型の機器を持って車の周辺を歩いてみて、反応の大きい所を重点的に調べてみたら、あった。
隣の隣の車の下、ボディーの隅に小さな盗聴器が取り付けられていた。

…まさかジン様達の足音とか会話、聞かれてないよね?

盗聴器を破壊したら後頭部に銃口を押し付けられたのを感じて手を止めた。

『…何?』

「お前達の動向はわかった」

『何のこと?アンタ誰?』

「そうだな、しがない情報屋とでも言っておこ……」

言い終わる前に、足首を裂いていた。
靴の仕込みナイフだ。

「え…?」

相手が油断したその一瞬でUSPを抜いて胸元と脳天に一発ずつぶち込んでやった。
その場に落ちた体の服をあさり、身分証明書を探し出す。

…公安、か
面倒なことになったな、午後のクライアントの所属先と一緒じゃないか…

舌打ちを漏らしてから身分証を元に戻して名前を記録してポルシェに戻りデータに登録。
レーダーから盗聴器の反応は消えたけれど、なんだかモヤモヤする。
公安警察の端末にハッキングして彼の個人情報を抜き取った。

…ジン様達の行動、いつから着けられていた?
1人で特攻してくるわけがない
とすると周囲にも公安警察が紛れ込んでる…筈…

『まずいな…』

ジン様の端末に連絡を入れた。

『もしもし、ジン様』

[どうした]

『緊急です、レーダーに反応有り
盗聴器を隣の隣の車から発見したところ待ち伏せしていたと思われる男に銃口を向けられたので始末したのですが…公安警察の人間でした
単独行動はあり得ません、動向は把握しているそうなのでジン様が戻ってきたタイミングで何か仕掛けてくるかと…』

端末の向こうで舌打ちが聞こえた。

[すぐ戻る]

一言だけだった。
端末が切れたので、俺は座席の下に身を潜めて車内に置いてあるカメラのサーモグラフィーをパソコンで表示させる。

今のところ熱反応はなし…
駐車場の外で包囲されてるのか…?

3分程でジンは戻ってきた。
助手席に戻るなり隅っこにいた俺の頭を一撫でしてきた。

「状況は?」

『この辺りに熱反応は見られません
駐車場の外を包囲されている可能性もあります』

「1人だったのか?」

『はい』

「顔は見られてねぇだろうな?」

『ええ』

車はすぐに発進し、まだ座席の下にいた俺を見てベルモットは煙草を口に挟んだ。

「かくれんぼのつもり?」


ジン様…誰か話しかけてきてます』

「ベルモット、無闇にアンジュに干渉するな
アンジュ、画像付きの構成員リストは後で送る
お前がラムから渡されているリストは人物を特定できないように顔写真が載っていなかった筈だ
最低限の構成員は覚えろ、俺が許可する」

『…で、でもラムは…』

「お前は誰の猫だ?」

『…ジン様です』

「それとも何か支障があるのか?」

『…構成員を思い出そうとすると、ラムの声が聞こえて…』

「忘れろ」

『…はい』

それしかないんだろう。
俺が思い出そうとする度に蘇ってくるラムのあの機械的な声が、こびりついて離れないんだ。
駐車場を出た後、数台の車に着けられていたのでウォッカはなんとか撒いて全然知らない場所まで来てしまった。

「夜、受け取ったら返信しろ」

『はい』

構成員リストのことだろう。
ぽいっとポルシェからアジの開きと一緒に降ろされて、まず最初に地図を見て場所を確認した。

『…なんだか都心から離れたみたいだね』

午後からの約束に間に合うだろうか。
近くの駅前のデパートに入ってトイレに向かい、仕事道具の中からシャツとスラックス、それから黒のトレンチコートを出して着替えた。
着替え終わってから髪も少し整えてからデパートを出てタクシーを呼び警察庁へと向かった。

…お昼ごはん食べ損ねちゃった

はあ、とため息を吐き出してから情報を纏めてファイルを作っておく。
かなり強引にアポを取られたわけだが、どこかで聞いた名前に思考を巡らせる。

降谷…降谷零…
どこかで聞いたクライアント名だけど…
なにかのリストで見た名前だ
ん?
確か組織のネズミ候補で気に留めてた気がするんだけど、降谷零なんて人……あ、あれ…?

構成員リストを開いてみて、ギョッとした。

組織で登録されてる名前…安室、透…本名が降谷零だったのか…
まさか…昨日、またすぐ会えるなんてそんな事を言ったのは…

やられた。
パソコンをパタンと閉じて窓の外へ目をやる。
しかしまあ、俺がさっき処分したのが降谷さんの管轄の人物なら今頃公安も俺との話をしている場合じゃないのではないか。

「着きましたよ」

『ありがとうございます』

支払いを済ませてからタクシーを降り、警察庁に入って行き慣れた階数に向かう。
確かに庁内は騒がしい気がする。
エレベーターを降りたらこの前会った人に挨拶された。

「クロードさん、こんにちは」

『こんにちは
なんだかバタバタしてますね』

「ええ、緊急の案件でして…
降谷さんでしたらいつもの部屋でお待ちしていますよ」

『いつもの、部屋…?』

「ほら、あそこの部屋ですよ」

『あ、ありがとうございます』

指定された部屋の前に立って、はあと小さくため息を吐き出す。
またあの人に会わないといけなくなったわけだ。
渋々ドアをノックしたら、ゆっくりとドアが開いた。

「お待ちしてましたよ、クロードさん」

『…どうしてこんな事になるんでしょうかね』

部屋に入るとドアが閉まった。

『昨晩貴方が仰ったことはこういうことだったんですね、全くわかりにくい言い方を…』

「貴方との取引の前に1つお伺いしておきたいのですが」

『何です?』

降谷零という名の安室さんは、俺の目の前に立った。
なんとスーツ姿でした。
とても素敵です。

「貴方、昨日、今日は組織の仕事が一件あると仰いましたね?」

『ええ、思ったより長引いてしまったので昼ごはんを食べ損ねましたけど』

「組織の人間によって我々が捜査をしていた人間が消されました
蛍さん、何か知っていることがあれば教えていただきたいのですが」

流石、情報が早いな…

『知りませんよ』

「そうですか…
貴方のことですから組織の動向には詳しいかと思ったんですが…」

『俺はジン様と一緒にいましたけど、そんなことありませんでしたよ』

「おかしいですね
ジンの動向を把握するために向かっていた捜査員です、貴方も一緒にいたことになりますよ?」

…なんて口が上手い
しかし今日のスーツ姿はいつもと違って素晴らしいな
いや、いつもの私服もいいんだけど

『…途中でジン様は車を離れました』

「彼が襲われたのは駐車場
そこに見張り役の人がいたようで、黒いフードを被った組織の構成員と見られる人物だったということです」

『そうですか、俺はジン様と一緒にいただけなので、途中で俺も車を離れましたけど…
まあ、組織の人間ならありえそうな話です』

「彼は胸部と頭部に弾丸を受けていました
そして何故か、右足首にナイフで切られたような傷があったそうです」

『銃創なのに、ナイフですか?』

「ええ、もしもジンがやったのだとしたら、そんな二度手間はしないでしょうね
蛍さん、貴方、本当に知りませんか?」

『…知りません』

「…わかりました、では本題に入りましょう」

…なんか釈然としないな、この言い方
俺の事疑ってるの…?

『…すみません』

「はい?」

『お腹がすきました』

「…またですか」

『仕事が長引いたと言いましたでしょう
すぐにタクシー拾ってきたんですから食事する暇すらありませんでしたよ』

「組織の仕事の後ですよね?
餌、いただいたんじゃないんですか?」

餌?

鞄から袋を取り出す。
今日は珍しく生魚ではなかった。
なぜかスッと皿を差し出されたので、素直にアジを乗せた。
それからパソコンを取り出して取引の確認、情報は提供して俺はアジの開きを食べていました。

「それで…今日はどんな仕事をされてたんです?」

『知りません
今日は例のベルモットや他にも2人構成員がいました
ジン様は厄介なことをしたと言って、ラムの調教に文句をつけていたので本日中に顔写真付きの構成員リストを送って下さるようです
最低限の構成員は知っておけと言われました』

「それがいいと僕も思いますけどね」

『それで、なんで貴方はわざわざ俺を来させたんですかね
メールでも言った通り、やりとりだけなら直接じゃなくても良かった筈です』

「そうまでして、貴方に会いたかったんです」

…何を言っているのか最早わからん
楽しそうに仰ってますが、此処に来る俺の時間と労力が削り取られていることがわかっているんでしょうか?

「今日はトレンチコートなんですね、思ったよりフォーマルな格好をされていたので驚きました
もっとラフなのかと…」

『でしたら今度からTシャツ一枚で乗り込んでやりますよ』

「是非クールビズの時期にお願いします」

アジを綺麗に食べ終えたので満足し、まあ、本音を言うと白ごはんも欲しかったところではあったが満足である。

『…では、帰ります』

「随分あっさりしてますね」

『取引はもう終わりましたよね?
長居する理由あります?』

「というよりも魚を食べるだけで仕事を終わらせるというスタンスがどうかと思います」

『ですから…』

「蛍さんは事前に情報を纏めておいてくださるので助かります
ここで1から作業をするよりは効率がいいですからね
それから次回の夕食はいつにされます?」

『いつでもいいですよ、基本的に夜は家で仕事してますから』

「なんだか今日は様子がいつもと違いますね
やっぱり組織の仕事、何かご存知なんじゃないんですか?」

『知らないと言ってますよね?しつこい男は嫌われますよ』

そしたら降谷さんの目付きが変わった。

「そうですか、ではこれから気をつけることにしましょうか
蛍さん、気が向いたら情報提供の程よろしくお願いしますよ」

…勘付かれてる
俺が関与したこともわかりかけてる
今は警戒して損はないね

『では、失礼します』

「下までお送りしますよ」

『いえ、大丈夫です』

「タクシーで帰るんです?」

『…そうですね、息抜きにバーにでも行って飲み明かしてきます』

立ち上がって荷物を纏める。

「そんなにお酒好きでしたっけ?
いや、好きは好きでもあれは酒癖の問題か…今日は何をお飲みになられるんです?」

鞄を持ち上げて振り返る。

『…バーボン・ウィスキー』

では、と部屋を出て今日はお洒落そうなバーにやってきた。
そして頼んだバーボン・ウィスキーは思っていたより甘かった。

…甘い罠には、注意だな

酔っ払って家に帰っても誰もいなかったので、寂しくなって泣いたのは内緒の話。






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