家の中には2人だけ

「少し落ち着きましたか?」

ベッドに座らされたまま、渡されたタオルを口に押し当てた。
深呼吸をしたらまだ肺が痙攣しているような気分になって咳き込む。
夕食のラタトゥイユの味は実家で食べたのと同じ味だったから、俺が教えたというのは本当のことだろう。
その後だった。
何か大事な事を忘れてるような気がして、考え事をして、安室さんを見て何か断片的に記憶がチラついた。
それでもラムの声に支配され、頭が混乱してぶっ倒れた。
また過呼吸でも起こしたらしくとりあえず息苦しかったことしか覚えてない。

「やはり一度に情報を与え過ぎたようですね…」

『…こんな事をして、どうしたいんですか』

「貴方に思い出してほしいだけですよ
組織のバーボンという人物のことは忘れてくださっても構いません
ですが、プライベートの僕のことくらい思い出していただかないと流石に僕だって傷付きますから」

『貴方といると、頭がぐちゃぐちゃになります…』

「僕のせいで貴方がぐちゃぐちゃになる所も滅多に見られませんね」

『悪趣味ですね…』

「すみません、貴方の事になると僕もぐちゃぐちゃになってしまうので」

『言っている意味がわかりません』

差し出されたマグカップには湯気の立った紅茶。
タオルを口から離してゆっくりと手を伸ばす。
手が震えていたので受け取らずにいたら紅茶はあっさり下げられてしまった。
かと思ったらキュッと手を握られてビクッと肩が跳ねた。

「体温が下がっていますね…」

ひ、悲鳴をあげたい…
イケメンの手が、手が、俺の手を包み込んでいますよ…?
ねえ、あったかいよ、悲鳴あげていい?

「近所迷惑です」

口を手で塞がれました。
俺が叫ぶのをまるで予見していたかのような行動です。

「全く…相変わらずですね
少し水分を取ってください、紅茶も温かいうちにどうぞ」

『…は、はい…』

ねえ、意味わかんないよ…
本当にこの人に振り回されているよ…
なんか知らない間に勝手にマグカップ握らされてるけど、俺もうちょっとイケメンの手堪能してたかったよ…

「仕事に復帰してからまた山程スケジュールを詰め込んでいたんじゃないんですか?
少しは頭を休めてください
貴方のことですから、仕事をしながらも組織の目を気にして、外出する際にはいつも以上に敏感になっていたんでしょう
そして僕がまた貴方の記憶を引っ張り出そうとするものだから、流石に貴方も過度のストレス状態に陥った…

こんな事をした僕を、飼い主に報告されますか?」

『…仕事のスケジュールは自分で管理してます
貴方は関係ないでしょう?
どうしてそんな事で一々飼い主に連絡しないといけないんですか?』

深呼吸をして長いため息を吐き出したら、目線を合わせるようにしゃがんでいたイケメンの手が伸びてきました。
そっと背中を摩られてマグカップを握り締める。

な、何、何なの?
おさわりタイムです…?
お、俺、貴方の猫じゃありませんけど…!
でもイケメンに撫でられるのは貴重です、こんな機会そうそうありません
素直に撫でられておくべきか、それとも…

『す、す、すみません…』

片手を挙手。

「はい?」

『…ごめんなさい、眠くなってきました』

「はあ…わざわざ挙手することですか?」

『あの、その、大変申し訳ないので…
きっとこれは貴方のご厚意なんでしょうけれど、ひとまず落ち着きましたし気道も確保出来ています
えっと…個人的にはもう少し貴方のご厚意を堪能していたいのですが、貴方は飼い主ではありませんし…その、あの…』

「言わんとしている事はわかりますが…紅茶、こぼさないでくださいね」

『え?』

直後、落とした。
マグカップを。

『あ…』

「こぼさないでくださいと今言ったばかりですよね!?」

背中を撫でられて眠くなってきて、その上至近距離のイケメンときた。
完全に緊張していました。
もぞもぞして答えていたら手が疎かになり、マグカップの存在を忘れて身振り手振りで話してしまい、マグカップもろとも紅茶が床に真っ逆さま。

『あ…えっと…』

「火傷はしていませんか?」

『それは、大丈夫ですけど…』

なんで貴方手際良く掃除してるんです?
俺がこぼすの予見してたわけじゃないですよね?
超能力者ですか?

「貴方が焦って話し始めたのでマグカップの存在を忘れているんだろうと思って危惧していました
何かあってからでは遅いので貴方を部屋に運ぶ際、念のため雑巾を持ってきていて正解でした」

『…貴方の目は未来でも見えるんですか?』

「貴方の行動がわかりやすいだけです」

唇を噛んでそっと壁の方へと後ずさる。
この人は只者じゃないぞ。

『……』

思わず布団を掴んでイケメンの動向を見ていた。
嫌がるような素振りもせずに淡々とお掃除をしたかと思えば、マグカップを拾い上げて洗いに行き、そしてまた部屋に戻ってきた。

「眠いのでしたら寝たらどうなんです?
また明日から仕事詰め込んでいるんでしょう?」

『…ス、スケジュールを把握するなんてその目はまさか千里眼か何かですか』

「僕のこと何だと思ってるんですか…」

『人を超越した存在であると認識します』

「SF小説の読みすぎですよ」

『小説は好きではありません』

「寝ないんですか?」

『ね、寝ますよ!もう…』

ぬくぬくと布団に潜り込んでイケメンを眺める。

「……」

『……』

「寝られませんか?」

『この状況で寝られると思ってるんですか!?』

イケメンは何故かベッドの所で俺を見ている。
食事の時もそうだけど、そんなに人を凝視して何が楽しいんだ、全く。
それにイケメンにそんなに見られたらこっちだって心臓持ちませんよ。

『…もう寝ます』

「蛍さんがすぐに入眠する方法は知っています」

『もう貴方の、俺のこと知ってる自慢はこりごりです
また頭の中ぐちゃぐちゃにされても困りますから』

「せめて貴方が寝てからでないと僕も帰れませんから」

『はい!?帰るの貴方の勝手ですよね!?
なんで俺の睡眠が関係するんですか!?』

「蛍さんがちゃんと寝たか確認しないと安心できませんから
寝たフリして仕事するのがお上手じゃないですか、貴方」

『何なんですか、そろそろストーカーの被害届出しますよ!?』

「それは困りましたね」

そう言ってニコニコしてるのは何なんですか。
大人の余裕ってやつですか。
しかも地味にこの状況を楽しんでいるようにも見受けられます。
本当に意味のわからないイケメンです。

『……』

布団に埋もれるようにして目を閉じる。
もう知らん。
寝よう。

…ね、ね、寝てられるか
こんなイケメンがいる部屋で…!

パチッと目を開けたらイケメンはまだいました。

「あれ、まだ起きてらしたんです?」

誰のせいだと思ってるんですか…!

流石にイライラしてきてイケメンに背を向けました。
布団の暖かさに少し微睡んできた頃、不意に頭に何かが触れた。

…ん?

そっと毛並みを整えるかのように指が髪を滑る。
わしゃっと撫でられるこの感覚が堪らなくて一気に睡魔がやってきた。

気持ちいい…
これこれ、あったかくて、この撫で方で…こんなこと出来るのは安室さんしかいなくて……
ん?安室さん?

どうして撫で方だけでそこまでわかったのか。
考えようとしたけれど、流石にリラックスモードに入ってしまった俺の脳は動いてくれず、生理的欲求のまま眠ってしまった。

『……』

ど、どうしてこうなったんでしょうか…

朝目覚めたら、不機嫌そうなイケメンがいらっしゃいました。
帰るつもりじゃなかったんですかね。
安室さんは何故かベッドの上にいて俺の隣にいて、それで、その、至近距離にいました。

「近所迷惑ですよ」

また叫びそうになった所を一喝され、慌てふためいていたらはずみでイケメンをベッドから蹴り落としてしまいました。

『ご、ご、ごめんなさいいいい!』

「蛍さん…!」

『あの、違うんです、正当防衛というか、これはイケメンに対する反射的人間の行動でして、決して故意的なものではなく…
大体、なんで貴方まだ此処にいるんですか!
しかも ベッドにまで侵入してきて、本当に被害届出しますよ!?』

「誰が僕をベッドに引きずり込んだと思っているんですか…」

『引きずり、込んだ…?』

引きずり込むという表現をされたということは、誰かによってこのイケメンがベッドに入ってきたわけだ。
そしてこの家にいるのはたった2人。
俺と安室さんだけ。

『…お、俺ですか!?』

「他に誰がいらっしゃるんです?」

『いや、でも、ほら、その…寝てたんですよ!?』

「貴方は寝ている時の手癖が悪いのは知っていましたがまさかベッドの外にいても引きずり込まれるとは思いもしませんでしたよ…」

な、な、何それ…!?

頭は真っ白。
ため息を吐き出したイケメンはまだご機嫌斜めでしたが、立ち上がって俺にバスタオルを投げつけてきた。

「早くシャワーでも浴びてきたらどうなんです?
その間に朝食は用意しておきますから」

『……』

そのまま部屋を出て行ってしまった安室さんの後ろ姿を見てからバスタオルを握り締める。

朝食…ということは朝ごはん…
イケメンのごはんを朝から堪能できるんです!?
え、何それ!?
ていうかなんで俺が朝シャワー浴びるの知ってるの?

『…や、やっぱりストーカー被害で訴えた方がいいのかな』

しかしイケメンを引きずり込むなんて…
寝ていたとはいえ憎いぞ、この手…
ということは…イケメンと同じベッドで寝てしまったの!?

『…あ、朝から…刺激が強すぎませんかね…』

パタリとベッドに逆戻り。
暫くしたらイケメンが部屋にやって来て、二度寝ですかと叩き起こされたので渋々シャワーを浴びに行きました。

もうわけがわからんぞ、こんな生活…

ため息だらけでシャワーを浴び、イケメンをベッドに引きずり込んでしまったということがなんとなくショックでダイニングに向かったら、そこにはこれまた素敵なサンドイッチが置いてありました。

『おおお!これは…!モッツァレラー!
バジルまで…あ、トマト、そしてこの焼き具合…まだあったかいし…焼きたてのバゲット…!』

「…分かりやすいですね、本当に」

『美味しい…!
これは素晴らしい…仕事ができる…!
仕事が俺を待っている、今日も仕事を…』

「仕事は程々にしてくださいね」

『いえ、今日は午前に本部の報告書を書いて提出した後に組織の仕事が一件、それから新しく依頼が入ってたんですよね
でも珍しいです、いつもは警視庁なのに今回公安の方から来てたんですよ
しかもちょっと目をつけていた方からの依頼で…なんかタイミングが良いって言うかなんて言うか…』

「公安の方ですか…面識はあるんです?」

『……さあ
昨日警察庁に行ったらどうやら周りの方の発言からして依頼主とは知り合いのようです
なので気にしていたのですが、まさかその方から依頼をされるとは思っていなくて…』

「そうだったんですね
それで、今日は警察庁にでも行かれるんです?」

『まあ、そうですね
情報の取引ならメールで十分なのではと言ったんですけど、どうしても直接の取引で警察庁に来てくれと強い口調で返されたので…仕方ありません』

サンドイッチを食べながら答え、手についたオリーブオイルを舐めていたらすかさずティッシュの箱を横から差し出された。

「オフィスカジュアルでも大丈夫だと思いますよ
ただ、あまり襟の開いたシャツはオススメしませんけど」

『日本のオフィスカジュアルって基準がよくわからなくて難しいんですよね
まあ、適当にそれっぽい服を着ていくつもりです』

ティッシュを一枚取って手と口を拭いていたらお皿を持って行かれ、勝手に洗われてしまった。

「では、今日はそろそろお暇しますね
蛍さんも回復されたみたいですし仕事もあるでしょうから」

『あ…はい、そうですね…また来週ですかね?』

「貴方がポアロに来てくだされば会えますよ
まあ、それよりも前に会えるでしょうけど」

玄関で意味深な発言をして帰っていった安室さんを見送ってから首を捻った。

はて…
それよりも前ってどういうことでしょうか?
今週中にまた会えるってことなの?
やっぱりストーカーされてんのかな…

今日も今日とてお仕事です。
美味しい朝ごはんも食べたことです、切り替えていきましょう。







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