何よりの処方箋

目が覚めたら天井が映った。
妙に息が荒くて、妙に心臓が締め付けられて、過呼吸でも起こしたのかと思った程だ。

『…y'a pas personne...』
(1人か…)

ゆっくり起き上がって涙を拭うと電話が鳴った。

『もしもし…』

[1時間後に港に来い]

『はい…』

[…アンジュ]

『はい?』

[…妊娠でもしたか?]

『あ、あの、ジン様?』

[フン、つわりなら全部吐いてから来い
取引場所を変える予定はねえ、時間厳守だ]

『あ、は、はい…』

電話が切れた。

…待って
飼い主につわりって言われたんだけど何事?

とりあえずシャワーを浴びてから支度をしてすぐに家を出た。
タクシーで港の近くまで送ってもらい、そこからは歩いて指定された倉庫に向かった。

「5分前行動は褒めてやる」

倉庫内に足音が響いたが動かなかった。
これはジンの足音じゃない。
ウォッカだ。
薄暗い倉庫内でウォッカを視認し、向けられた銃口を避けてジンのいる奥へと向かったら素直に頭を撫でられた。

『なんでまた試すようなことをされるんですか
ウォッカだって見えてます、足音だって違います』

「左耳の調子は良さそうだな
目もまだ利くようで安心したぜ、使い物にならねぇと俺の猫としては置いておけねぇ」

『……』

「最近虚弱らしいな」

『そ、そうでもないです…』

「ならなんで今朝過呼吸起こした?」

『…わ、かりません
というかなんでそれをご存知なんですか…』

「お前の声がいつもと違った、俺の好きな泣いたような濡れた声だったぜ…
猫の喘ぎ声もあんなに震えてんのは初めてだ
お前の耳が聞こえなくなったのも外に出してからだ
この前は熱を出して来た、取引後も居眠り、情緒不安定、今日は過呼吸ときた
一回動物病院にでも連行したっていいんだぜ?」

『…そんなジン様の手を煩わせるような事は…
それに大袈裟すぎますって』

「言った筈だ」

胸倉を掴まれて引き寄せられ、ジンのコートを掴んで体勢を保つ。

「アンジュ、お前は俺の猫だ
俺だけに従え、俺だけに忠実でいろ」

『今更何をおっしゃるんですか…』

「…わかってるならいい
釘を刺しておかねえと、勝手に妊娠しそうだからな」

『妊娠って…電話でもつわりとかなんとかって…』

「この前から処女の匂いがしねえ
外でツレでも作ってきたのか知らねえがすぐに手を切れ」

『……』

飼い主さんはどうも鋭くていけません。
手を切れとまで言われました。
珍しくジンが切羽詰まってるように見えます 。

「…今度去勢手術でもさせるか」

なんで組織の人間てこうなの…怖い…

とりあえず追加の情報と外部の動向を纏めた取引を行なってその場でチェックが入った。
ジンの煙草が地面に落とされ、それをジンは踏みつけた。

「ウォッカ、出るぞ」

「へ、へい」

「お前は途中で降ろす」

『あ、はい』

立ち上がったジンについて行ってポルシェに乗り込み、途中で降ろされた。
ちゃんとサンマはもらってきました。

…ジン様どうしたんだろ
ていうか俺に男がいるのバレてるよなあ…
暫く安室さんとは距離を置いた方がいいのかねえ…

トボトボ歩いて帰ったら一気に疲れてソファーで死んでいた。
朝から過呼吸まで起こして仕事して男と手を切れとまで言われ、この前からどうも調子がよろしくない。
哀ちゃんの言っていた後遺症とやらなんだろうか。

ジン様と接触する度に神経が削られてく…
今までこんな事なかったのに
あああ、イケメンが必要です、召喚したい…
飼い主がイケメンじゃないという話ではありません、飼い主はイケメンです
そうじゃなくてだね…
ベッタリしたい…

とりあえず人生の先輩イケメンを召喚することにしました。

『もしもし、秀一?お仕事大丈夫?』

[ああ、今起きた]

『また車内泊でもしてたんですか…?
カフェとかお出しするからちょっとおうち来ません?』

[行ってやってもいい]

『待ってます』

とりあえず国民的イケメンが来てくれるそうです。
カフェの準備だけしておいてソファーで待っていたら呼び鈴が鳴ったのでゆっくり立ち上がり、ドアを開けてイケメンを招き入れる。

「どうした、顔色が悪いな
とうとうつわりか?」

『あのさ、来て早々何なの?
飼い主と同じこと言わないでくれる?』

「飼い主に嗅ぎ付かれたか」

『手を切れってさ』

カフェを淹れてソファーに寝転ぶ。

『過呼吸みたいなの起こして目が覚めた
ジン様に虚弱って言われちゃった、仕事の詰め込みすぎなのかな…?
なんかこの前別の人だけど、相談したら後遺症みたいなものじゃないかって言われたんだよね』

「後遺症?」

『監禁生活の
それで精神汚染されたのが今になってじわじわ侵食されてるんじゃないかって
…ガタが来てんのかな』

「それもあるんだろう
だから早めに手を引けと言ってるんだ」

煙草に火をつけた秀一に呆れられた。

「大体お前、最近奴とはちゃんとしてるのか?」

『ん?安室さん?
まあまあ…そこそこ…うん、ごはんは作ってもらってるし…』

あれ、また勝手に俺のプライベートに話が移行してない?
組織の話じゃなかったの?

「体のメンテナンスは?」

『メンテナンス?
病気でもないのにそんな事…』

「そんな事だろうと思った…呆れた奴だ」

『えええ?』

「最近奴と寝てないだろう」

『寝てるよ?
俺が寝るの確認しないと安心できないからってそれまで帰らないし、この前は朝までいてくれたよ?』

「そっちの寝るじゃないんだが…」

『寝るという言葉には他にどういう意味が…?』

「……」

カフェを飲んだら秀一は黙ってしまいました。

「今夜奴は来るのか?」

『うん、今日はご馳走作ってもらうから』

「蛍」

『うん?』

秀一はわざわざ隣に座って俺の肩を掴むと、真正面から真剣な表情で迫って来ました。

な、なにこの威圧感…
どうしたの…?

「今夜、奴と寝ろ」

『え…?だから安室さんとは寝てるって…』

「ちゃんと誘って、ちゃんと寝て、それ相応の夜を過ごせ」

『…それくらいのこといつもしてるってば
ちゃんと今日泊まってくださいって誘って、ちゃんと熟睡して、それ相応の素敵な安眠した夜を過ごしてきちんと朝を迎えますけど』

「…お前に言った俺が馬鹿だった
俺から奴に連絡しておこう、蛍が欲求不満で精神汚染されているようだから大至急襲えと…」

『ちょっと待った!
欲求不満てどういうこと?襲うって何?』

怖いこと言われてます。
今日は怖いことしか言われていませんがどういうことでしょうか。
秀一は電話を取り出してしまった。

『いやいやいや、待った、おかしいよね?
話ズレてるよね?
組織の話のはずだよね?』

「…やあ、君に言っておきたい事があるんだ
蛍のことなんだが…」

『ちょっと秀一、何勝手に電話してんの…!』

「蛍の欲求不満が酷くてな…
君も知っての通り組織との事で最近蛍の精神汚染が酷い
メンテナンスをしてやる事だ、最近一緒に寝てないそうじゃないか
疲れている時ほど、蛍のフェロモンがダダ漏れだ

まあ、そう怒るな
話を少し聞いてやってくれ、君がしないと言うなら俺がこのまま手を出すかもしれん」

ちょっと…無駄な挑発はよしてください…
おうち壊されかねません…

はあ、とため息を吐き出して頭を抱える。
ソファーに倒れ込んだら秀一の膝枕状態になってしまった。

イケメンの匂いです…
秀一も久しぶりだね、この感じ

「蛍、お前…」

『何』

「…発情期か」

『えっ、違っ…』

「…おい、発情期だ、今夜は絶好のチャンスだ
今夜蛍のメンテナンスをしてやらんと飼い主にも嗅ぎ付かれているようだ」

貴方、まだ電話してたんですか?
ねえもういいでしょ、ちょっとくらい構ってくれません?

秀一の服を掴んでいたら頭を撫でられつつ押さえつけられた。

「奴が来てくれるそうだ、良かったじゃないか」

『…来させたのは貴方ですよね?』

「それで?飼い主には何を?」

『急に仕事の話に戻るなよ!
まあ、ジン様には去勢手術も…と言われました
朝一でつわりとか言われてたんだよ?
意味わかんなくない?
処女の匂いが消えただのなんだの…』

「去勢手術してもいいんじゃないのか?」

『なんでそうなるの!
ねえ、皆して俺を何だと思ってるの!?』

「下手に妊娠するよりは…」

『あのさ、勝手に性転換しないでくれる?』

イラッとして秀一の上着を引っ張って頭突きしたら背中を撫でられたのでちょっと許しました。
いや、完全にペット扱いされ始めました。
暫くして呼び鈴が鳴ったのでソファーから下りてドアを開けたら急いで来たらしいイケメンでした。

…なんか、余裕なさそうだね、今日は
どうしたんでしょう…

「蛍さん、大丈夫ですか?」

『いや、それはこっちのセリフで…』

「あの男に何かされていませんか?」

『いえ、何も…というか俺が彼に助けを呼んだので…』

外でもあれなので、と部屋に上げたらリビングで煙草を吸っている秀一は立ち上がった。

「蛍、後日の報告を楽しみにしている
飼い主にはくれぐれも気をつけるんだな」

『あ、うん…』

ぽけーっと秀一を見送った後、安室さんにそっと近付いたらいい匂いがしたので心臓が過活動を始めました。

『…あ、安室さん』

「はい?」

『…あの、今日は疲れました』

「そうでしょうね
顔色があまり良くないですよ」

『…そんなにわかります?』

参ったなあ、とソファーに座った。
そしたら安室さんは隣に座ったので胸板に潜り込んで癒しを求めた。
最高。

「今日、仕事だったっていうのは…?」

『ジン様に嗅ぎ付かれています
手を切れと言われました、それから朝過呼吸を起こしたのが電話越しでもバレたようで…』

「過呼吸ですか?」

『…恐らく
嫌な夢でも見たんですかね、なんか変でした…
ジン様と取引した時にツレでも出来たかと…手を切って俺を去勢手術させようかとかそんな話してたんで…』

「貴方ってなんで定期的に去勢手術の話が出てくるんでしょうね…」

『暫く距離を置いた方がいいんでしょうか…?』

「また僕から貴方を奪うんです?」

『そ、そうじゃなくて…ていうかそんなの俺も嫌ですよ…』

背中を撫でられて少し荒んでいた心が穏やかになっていきました。
これこれ。
幸せですね、この感覚です。

「本当に発情期でしたか…」

『だから違っ…』

「違わないですよ
今日の蛍さんは甘えさせろオーラとフェロモンが垂れ流しです
それに確かにあの男に言われた通り最近夜の時間を疎かにしていましたね…
蛍さん、今日はずっといるので今日は覚悟しておいてください
最近愛情が足りていなかったんですね」

『…そういえば、まだ安室さんの愛情という言葉の解説が聞けていません』

「…広辞苑で調べなかったんです?」

『いえ、安室さんの解説を期待していたので』

「…その話は今度にしましょうね」

『随分前の話ですよ!?』

まあまあ、と何故か言いくるめられてしまった。
何故だ。
悔しい。
それにしてもやっとイケメンにベッタリすることか出来たので満足です。

『安室さん』

「はい?」

『お仕事はいいんですか?』

「ええ、まあ」

『そうですか』

「また何かのお誘いですか?」

『いえ、ただの確認です』

それから一度離れてソファーに寝そべってイケメンの膝枕を堪能することにしました。

寝心地最高です、眠くなってきた…

『ちょっと仮眠をとります』

「ベッドに運びましょうか?」

『いえ、このままで結構です』

「…僕が身動き取れないのですが」

『構いません、ベッドよりこれがいいんです』

「…貴方が良くても僕は困りますよ」

今日のお昼寝は最高でした。
気付いた時にはイケメンはいなくて、毛布を掛けられたままソファーに寝かされていた。
体を起こしたらイケメンがキッチンから顔を覗かせたので納得しました。
お待ちかねのサンマ御膳です。

「おはようございます
疲れが溜まってたんですね」

『…そうですかね』

「せめて自分の仕事量と体調を調節できるようになってください、子供じゃないんですから」

美味しいサンマ御膳をいただいた後、暫くリビングで2人グダグダしていたのだが、安室さんのリラックスタイムに突入したので相乗効果で俺もリラックスモードです。

「今夜は長いですよ」

『…それって…』

「やっと察してくださるようになったんですね、成長されましたね」

『…秋だからですか?』

「はい?」

『秋の長夜はなんとかって日本語でありませんでしたっけ…』

「…長雨の間違いではありませんか?」

『あ、そうなんですね…』

「今夜は…」

『あ、間違えてました
秋の夜長です、それですよ!だから長いんですね!』

「そうではなくて…」

『納得ですー!
でしたら睡眠時間も長くなるはず…いいですね、安室さんがいらっしゃるので安眠ですし』

「いい加減にしてください」

バッと抱き上げられてベッドに放られ、部屋のドアはパタリと閉められました。

「ゆっくり解説して差し上げます、愛情の意味を」

『……日本語講座ですか』

「いいえ、今日は実技解説です」

手首を掴まれてベッドに固定され、流石になんとなくわかってきました。

『…ほ、保健体育の授業でもなさるんです?』

「それに近いものだと思ってください」

ひえええ、今日はイケメンと保健体育の授業です…!
ちょっと待って、これなんていうの?
どんなプレイですか?
あ、でもイケメンと夜にベッドで遊ぶのは久しぶりなのでちょっと期待してもいいですかね…

『…お、お手柔らかに…』

「貴方を傷付けるつもりは毛頭ありませんので」

『だからってまた叩き起こさないでくださいね』

「それは貴方の持久力次第です」

俺のせいなんですか…
えー…勘弁してください…







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