料理教室と発情期の猫

おかげさまで風邪は良くなりました。
しかし寝ていたせいで溜まったお仕事を片付けるのにまた時間を要してしまい、体調管理の大切さを学びました。
また一つ賢くなりました。

『あ、それを一口大に切っていただいて…』

「このくらいですかね」

『いいと思います…』

本日はなんとイケメンご飯ではありません。
イケメンとご飯を作るという一大イベントが開催されました。
以前俺が教えるまでフランス料理は作らないと言っていたのを覚えていたようです。
俺はそんなに覚えていませんでした、すみません。

『本当にもうあとはナスとズッキーニと玉ねぎとか、野菜を投入してホールトマトぶっ込んで完成なので…!
あ、ローリエ入れとくと香りが良くなります』

超簡単なラタトゥイユです。
安室さんはお料理は上手なのであまり説明しなくてもいいかと思っていたのだが、説明してくださいだの実演してくださいだの意外とリクエストが多かった。
しかも調味料の量とか、俺いつも適当なのにわざわざメモしてますよ、このイケメン。

なんか、料理に対する姿勢が違うよね…?
気のせい?

「このくらいの大きさはどうでしょう?」

『一口大はそのくらいじゃないですかね…
あの、そんなに細かくなくても大丈夫ですよ…?』

そしたら安室さんは俺の顎を掴んで口を開かせました。

ちょちょちょ、待って待って、何かな…

そしたらポイッと人参を食べさせられました。

「…蛍さんの一口大だと2.5cmで大丈夫そうですね」

いやいやいや、一般的な一口大でお願いしますよ…!
なんで一口大までオーダーメイド制なんですか!?
ていうかそんな事メモしなくていいよ!
なんか恥ずかしいからやめません?ねえ…

「何かポイントはありますか?」

『そうですね、オリーブオイルを使ったり…
あ、今日はあるものだけで作ってしまいましたが、野菜にはパプリカを使用すると彩りも良くなりますね
ロマネスコは日本では手に入らないのでいいとして…まあ、一番簡単なラタトゥイユですからそんなにポイントはないかと…』

ていうかね、さっきからやけに近いんですよね、このイケメン。
すぐ隣にいるんだけど。
隙間が2cmくらいしかありません。
ほぼほぼ密着しているような気がします。
気のせいですかね。

「蛍さんの家庭の味がこれで再現出来るのかと思うととても嬉しいですね」

『そ、そうですかね…』

「はい」

とっても笑顔です。
イケメンです。
ねえ、なんでこの人こんなに近いのかな。

「だいぶ煮立ってきましたね…」

スープもコンソメを入れてるし味は悪くない筈だ。
本当に一般的なラタトゥイユである。
それなのにこのイケメンときたら。

「…美味しいと思います
これが蛍さんの食べられているラタトゥイユなんですね
蛍さん、味のチェックお願いします」

『は、はあ…』

安室さんが美味しいと思うなら美味しいでしょうに…
わざわざ俺に試食させなくてもいいんじゃない?

皿を差し出されたので仕方ない。
味見をしたらやっぱりいつも通りだった。

「どうですか?」

『はい、美味しいと思います』

「蛍さんから美味しいと言っていただけるのは光栄ですね
今度からこれはお出ししますね、許可が下りたと見なします」

そんなにこの前の事気にしてたの…?

このイケメンはやっぱり予想の斜め上を行きます。
そしてラタトゥイユはもう少し煮込むことにして、次に取り出したのはパイ生地。

『キッシュもなんだかんだ簡単ですからねえ…』

「僕は蛍さんのキッシュが食べたいと、あの食べ損ねた日から毎日思い続けていましたよ」

『毎日はいくらなんでもオーバーなんじゃ…』

「いえ、毎日です」

え。
そんな代物でもなくないか。
それに事件に誘われて出て行ったのは貴方ですからね、安室さん。

「僕はあの日貴方のキッシュ・ロレーヌを食べ損ねた事を後悔しなかった日は一日もありません」

どんな執念ですか。
もう手がつけられない。
とりあえずパイ生地を皿に敷いていく。

「貴方が作って下さったブイヤベースも忘れられません
状況が状況でしたが、蛍さんの作る料理は一つ残らず食べておきたいのです」

そこまで言われるなんだかもうちょっと照れますよ。
このイケメンはどれだけ俺の料理をよいしょしてくださるんですかね。

『…キッシュ・ロレーヌは本当に簡単なので…
ちなみにさっきのラタトゥイユの残りを具にしてトマトベースのキッシュにアレンジする事もできますよ』

「なるほど、ラタトゥイユは必須料理ですね
これはマスターしておきます、いつでもさっきの味を再現して蛍さんにお出し出来るようにしておきます」

『は、はい…あの、そこまで意気込まなくても…
もう少し肩の力を抜いて下さっても…』

「いえ、気合いを入れて臨みますよ
この許可が下りないと蛍さんにお出しできませんから」

だからそんなに気にしないでよ…
安室さんの料理美味しいのわかってるし文句ないから好きに作って下さって全然いいのに…!

『そ、それからですね、このベーコンと玉ねぎの混ざった具を乗っけていきます…』

俺も手伝おうかなと思って手を伸ばしたら、手首を掴まれました。

「ご指導してくださるだけでいいんです
僕が作ったものをチェックしていただきたいので
一人でちゃんと貴方にお出しできるフランス料理を作る事が大事なので」

張り合い過ぎてます。
大丈夫ですってば。
しかしまあ、どうしてこんなにも真剣にフランス料理を覚えてくださるんですかね、嬉しいですけど。
ていうか近いです。

『…あの』

「はい」

『近い、です…』

至近距離で目が合う。
そしたら安室さんは綺麗に笑ってまた額にアレを落としてきました。
俺を最早猫としか認識していないのでしょうか。

う、嬉しいけど…猫扱いはなあ…
複雑というか何というか…

「…今日の蛍さんは一段と可愛らしいですね
何かあったんですか?」

『か、可愛いは禁句だと言いましたよね…!?』

「失礼しました、訂正します
今日の蛍さんは一段と……やっぱり可愛らしいですね
すみません、他に表現が見当たらないので…」

どうしたんですか、イケメンが日本語に戸惑っております。
二度も言われてしまっては俺も流石に照れます。
なんともう一度おでこチューをされてしまったので、もうどうにでもなってください。
甘えます。
イケメンの背中に抱きついたらもう最高でした。

いい匂いです…
そして偉大なるイケメンの背中…!背筋…!
堪りません、堪りません…!

「何かあったんですか?」

『…何もありません』

「…珍しいですね、そんなに甘えてくださるなんて」

イケメンと何故こんなキッチンという家庭的空間で時間を共にしているのか本当に謎です。
謎ですが幸せです。

『……』

ダメだ、言葉にならん…
いつまでもこの背中に張り付いていたいです…

「蛍さん」

『…はい』

「何か悩み事でもあるんですか?」

なくはないですよ。
人生悩み事だらけです。

『…あの』

電話が鳴った。

こ、これはジン様専用着信音…!

『失礼します!』

ダッシュでリビングに置いておいたスマホを掻っ攫った。

『もしもし、ジン様…?』

ちょっと目が覚めました。
いや、昼間っからあんなに甘ったるい空気にいるもんじゃないな。
平和ボケしてしまいそうだ。

お仕事でもちょっとしてこようかな…
まあ、緊急じゃないみたいだけどちょっと今あの空間にいるのは俺の心臓がもたないな…

ジンからの電話を切ってから部屋に戻り、パソコンを立ち上げた。

「緊急のお仕事ですか?」

『いえ、そういうわけではないんですが……え?』

エプロンがお似合いのこのイケメン、部屋までいらっしゃいました。

「あの、こんな感じでいかがでしょう?」

『えっと…いいと思いますよ
それをオーブンにぶっこめばいいだけなんで…』

「緊急のお仕事ではないのなら、僕にきちんと報酬を払っていただかないと契約違反になりますが…」

そんなにキッチンに来てほしいんですね!
わかりましたよ!
行きますよ!
だけどどうしよう…こんなとこでなんか、不謹慎にもちょっとムラッとしてます…

「予熱も先程蛍さんが仰った通りにしたのですが…蛍さん、聞いてます?」

ダメだ…集中できん…
こんな所にいては俺の心臓も身も持たない…
心臓がまた働き始めました…
つ、辛いです…

「蛍さん」

頭を撫でられました。
ほら、なんか胸がキュッとしたよ、なんかやばいよ今日。
何故だ。

『あの…』

「はい」

『…近いです
それからちょっと今日はなんか変なのであまりそういうことをされると…ちょっと良からぬ事が起こりそうなので…』

「何ですか、それ」

『いえ…その…ちょっと、ムラッとしてます』

「…発情期ですか」

『ハイ?』

「猫の発情期なんですね、わかりました
だから先程から甘えられてたというか…なんというかフェロモンがムワッとしてたんですね
なんとなく納得しました」

いや、フェロモンがムワッって何?
ていうか納得しないでよ…!
え?どういうこと?

「言われてみれば発情してるような感じでしたね、来た時からいつもと様子が違うとは思っていましたが…
試しに外でも出てみたらどうです?
メス猫が寄ってくるかもしれませんよ?」

いやいやいや、シャレになりませんて…
そんなにダダ漏れなんですか?

「だから可愛らしかったんですね」

『だからそれは禁…』

パタンとオーブンを閉めてタイマーをセットした安室さんに、ギュッと抱き締められてしまいました。
これは、危険です。
呼吸困難の危険があります。
AEDも必要です。

「落ち着くまでお付き合いしましょうか?」

『あの、ほっといてください!』

「でしたら何故僕の服を掴んだままなんですか…
離してくださらないのは貴方の方ですよね…?」

しまった。
またこの手か。

「発情期の猫には遊んで気を紛らわせる方法もあるそうですし、構ってあげるのも手だと聞きました
メス猫とは距離を置いた方がいいんですよね、確か」

いや、あの、貴方がいる時点で距離が置けてませんけど…

「貴方、去勢手術でもされるんです?」

『怖いこと言わないでくださいよ!』

「猫にはそれが一番かと…」

『俺は一応人間です!』

「……そうでしたね」

『今の間は何ですか!?』

もう知らん。
安室さんの腕から抜け出してソファーで横になってました。

「あ、気性が荒くなるのも発情期の特徴ですよ」

いや、気性までは荒くなってない筈だ。
まず今日料理教室を開いたのが間違いでしたね。
根本的なミスでした。

『……』

ダメだね、今日は
なんかいつもよりダメージがきてるよ…

ふらっと立ち上がってキッチンに入り、調理器具を洗っていた安室さんの足元に腰を下ろした。
何故イケメンに引き寄せられてるんだ、俺は。

「飼い主や家具に体を擦り付けたり甘えてくるのも発情期の証拠です
今日はやたら甘えてきますね」

『……』

もうやだ。
なんで冷静に分析されないといけないんだ。

「嬉しいですよ、甘えてくださるのは」

あ、ちょっと回復しました。
これはもうダメですね、甘えたいです。
否定するのやめます。
今日の俺はどうやら発情期です。

「洗い物終わったので遊んであげますよ
一時しのぎのマタタビはありませんが…」

『そんなものいりません!』

「でしたら…」

『遊んでください!』

「…発情期の猫ってちょっと手がかかりますね」

リビングのソファーでもぞもぞと安室さんの胸板に潜り込んでとても素敵な筋肉堪能してます。
今日は思う存分楽しみまくります。
首筋にちょっと齧りついたら流石に遠ざけられました。

「物理的な攻撃はやめましょう、貴方一応自分で人間だと仰ってるんですから」

仕方なく横になって安室さんの膝に頭を乗せました。

うわー、イケメンの膝枕です!
最高です!
今日はなんて甘え放題の日なんでしょう!
だんだん落ち着いてきました!

膝の上に乗っても怒られません。
背筋まで堪能しても怒られません。
最高です。

「あ、焼けたみたいですね」

オーブンが音を立てたかと思うと、ヒョイッとおろされてしまった。

…折角甘えられてたのに

「蛍さん、焼き具合見ていただけますか?」

もう、と思いながらキッチンに行ったらとてもいい匂いがしました。

『美味しい匂いがします』

「上出来ですね、これで蛍さんにお出しすることが出来ます
それから…」

『まだ作るんですか!?』

「はい、そのつもりでしたけど…」

『…料理なんかどうでもいいじゃないですか!
そんなことより…構ってください…』

「……」

あ、イケメン固まった。
ヤバい。
今のは言い過ぎました。

『ちょ、ちょっと買い物行ってきます!』

うわーっと思ってキッチンから逃げようとしたら捕まりました。

「わかりました
それに発情期の猫は家出する傾向があるそうなので今日は家から出しませんよ
外で変な人に引っ掛かったら困りますから」

『変な人なんていません!』

「いるじゃないですか、貴方が無意識に心を許してるような気に喰わない人が」

『……』

それは、秀一のことですかね…

「あの男に捕まったら困ります
貴方のご希望通り構って差し上げますよ、どうされたいですか?」

いや、どうされたいとかはないけど、とりあえず…

『…い、一緒にいてくださればそれでいいです』

「…貴方は本当に喋る猫ですね」

頭を撫でられて今日はなんだかいつもより遊んでもらえました。
イケメンにこんなに遊んでもらえるなんて幸せです。
ご褒美ですね。

「あ、今日はそこそこフランス料理を作ったので夜ごはんに食べてくださいね」

『安室さん超いい匂い、マタタビみたい…』

「話聞いてますか?」

『もう最高…どうなってもいいや…明日から仕事頑張ろ…』

「…僕は猫を飼ってるんですかね、飼い猫ってこんなに甘えてくるんですか…」

ふわあっと力が抜けていきます。
最高のリラックスタイムです。
あー、もう好きです。
たまらないです。
結果オーライですね。

イケメンは偉大です…
あったかいしいい匂いです、俺にとってのマタタビですね
わー…もう寝ちゃいそう…

ベッタリしていたらもう夜までぐっすりしてしまいました。
イケメンはいませんでした。
ボケーッとしていたらリビングの机の上にメモが乗っていました。

"緊急で仕事が入ってしまったので少し出てきます
絶対に外に出ないでくださいね
早めに戻るつもりではいますが、夕食は今日作ったラタトゥイユとキッシュを食べてください
ちゃんと講評もしてください"

…もう味見で十分満足してたけど、まだコメントが足りなかったんですか?
講評って…
もう貴方十分美味しい料理作ってるから今更いいじゃないですか…

はあっと溜め息を吐き出したけれど、思い返してみてハッとした。

…お、俺、なんか今日変だったよね?
なんかめちゃめちゃ甘ったれてたよね?
ど、ど、どうしよう…
安室さん困ってたよね…?
これはいかん…ちゃんとした料理教室が開かれていたのかすら記憶が曖昧になってきた…

『…ど、どうしよう…
あんなに甘えたの初めてかもしれない…』

なんか急に恥ずかしくなってきたので、夜ごはんにもなかなか手が出せずにいたら、夜遅くに戻ってきた安室さんに呆れられました。

「食べられないくらい味が酷かったんですか…」

『いえ、自分の不甲斐なさに絶望していたところです』

「ちゃんと三食食べてください」

ラタトゥイユを掬ったスプーンを突っ込まれました。
あ、イケメンのアーンですね。
俺得です。
ちょっと元気を取り戻してきました。

『なんか仕事頑張れる気がしてきました』

「仕事も頑張ってください、程々にですよ」

『はい!』

「貴方が元気にそうやって答える時に限って徹夜されるので今日は0時を過ぎたら強制的にベッドに押し込みますからね」

若干の圧を掛けられたのは気のせいでしょうか。
だけどちゃんと美味しいので満足です。
食後に仕事をしようとしたら、スパンとまたLe Mondeで殴られました。

「0時過ぎですよ、寝てください」

『で、でもまだ仕事が…』

「寝てください」

だからなんでいつもLe Mondeなのー!
他のものにしてくださいよ!
なんならハリセンでも作っておきますよ?

パソコンもタブレット端末もお預け。
ベッドに押し込まれて電気を消された後、頭を撫でられました。

あ…最高の一日の終わりです
もう今日の俺が変だったのはどうでもいいです
結果的にイケメンに甘えられたので十分です
明日は死ぬほど仕事しますね、神様本当にありがとうございます…
こんなご褒美、滅多にないですもんね…







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