重なる想い | ナノ
 ……見上げた夜空は群青の幕によって遠く彼方まで覆われており、そこには宝石箱をひっくり返して中身を全て散りばめてたかのような、多様な彩りを持つ星々が瞬いている。
 昨日まではこれだけ綺麗な光景もエリーゼへの恋心に悩み純粋に観賞することは出来なかったが……今では、この夜空も含めて世界の全てが輝いて見える。それは、僕の隣に彼女がいるからだ。

「……ふふ、キレイだねあなた」

 普段は二つのロールに束ねられている紫混じりのブロンドも今はほどかれ、エリーゼはこれまで僕が……いや、世界の誰もが見たことの無い。喜びや恥じらいが込められた、一人の女性としての笑顔で僕に微笑みかけてくる。

「そうだね、エリーゼ。これも隣に……君が居てくれるからだよ」

 カムイの発言は誇張でもなんでもない。今までは鮮やかに見えていただけの世界はエリーゼへ募る恋慕を自覚し、彼女のことを想い始めた瞬間から煌めき始めたのだ。そしてこの恋を伝えるか否かに悩んでいた時は色を失っていたが……彼女と結ばれたことで彩りは取り戻された。
 北の城塞に居た頃から……ずっとそうだった。エリーゼの優しさに接し、その明るさに触れ、彼女と過ごす時間に幸福を感じ……いつしかエリーゼは、僕にとっての『世界』となっていた。

「君が居なければ僕は……きっと挫けていた。ここまで歩いてはこれなかった」

 あの日白夜を敵に回したその日から、ずっと……己の選んだ道が正しいかなんて分からなかった。この手で屠った者達の無念が呪詛の言葉を浴びせてくる度に自分を支える芯が揺らぎ、背後に聳える父上という悪意が動き出す度に己の選択への疑念が深まっていく。
 自身の決意すら鈍く崩れ落ちそうになり……それでもここまで這い続けて来れたのは、きょうだいや仲間、そして彼女が居てくれたからだ。

『大丈夫だよ! いっしょにがんばろうカムイおにいちゃん!』
 
 なんて無邪気に笑ってみせた彼女の温もりを抱き締めている時だけは己の選択に自信が持てた。
 彼女という『世界』を守る為ならたとえ闇に堕ちても構わない、暗夜で共に在り続けることが出来るのならば世界を敵に回しても勇気を貫けると。
 そして今では確信している、僕の選択は間違ってなんていなかったのだ。隣で佇むエリーゼを見つめていると、そう思える。

「……あたしもね、嬉しかった。あなたが暗夜に戻ってくれて、カムイの隣で歩くことができて。カムイが……あたしのことを好きって言ってくれて」
「僕もだよ。君ともう一度……家族になることが出来て本当に良かった」

 告白の時には意識的せずに言ったことだけれど、僕は家族というものに飢えていたのかもしれない。これまで僕を支えてきてくれた皆は血の繋がりの無い人々で、血の繋がった白夜の人々とはともに過ごした思い出がなく……だから僕はエリーゼと、ずっと支えにしてきた彼女ともう一度家族になりたいと感じたのだろう。

「ありがとう、エリーゼ。愛しているよ、君のことを……世界の誰よりも」

 カムイはエリーゼの頬に両手を添えて、その紫に澄んだ瞳に理性を吸い込まれそうになりながら愛の言葉を落とした。エリーゼも、彼がこれから行おうとしたことを察したのだろう。「あたしも……あなたのこと、世界で一番愛してるよ」と、それだけ言うと耳まで紅潮させながら瞼を伏せた。
 ゆっくりと彼女へと近付いて……互いの息が唇をくすぐりあう程に接近したところで、閉じていた瞼を開くと、可憐な花のようにいじらしくエリーゼは自分を待っていた。
 胸の内では心臓が高鳴り早鐘を打ち続ける、心はかつて無いほど高揚して理性を抑え切れない。欲望の火種をほんのわずかに噴出させながら、生まれて始めて、自分の唇を彼女の唇と重ね合わせた。

「……んっ」

 エリーゼが小さく息を漏らした。これまで想いを抑圧してきた為にその吐息だけでもこの上なく愛しく感じられ……息をするのも忘れる程に、重なった唇から伝わってくるエリーゼの"愛"はカムイの中を満たしていく。

「……えへへ」
「あはは……」

 しばらくしてようやく、お互いに息が苦しくなって来たことに気付いて、どちらともなく唇を離した。

「あたしね……今のが、始めてだったんだ」
「はは、僕もだよ。エリーゼの始めてを……奪っちゃったね」
「あたしこそ、あなたの始めてをもらっちゃった」

 自分の中を相手でいっぱいにして……代えようの無い最高の幸福と充足に包まれながら、二人は視線を絡み合わせて、羞恥心から来る全身の火照りに思わずはにかむ。

「……ねえ、あなた。あたし……あなたに似合う、素敵な奥さんになれるかな」
「もちろんだよ、だって僕はこんなにエリーゼのことが好きなんだから。僕こそ……エリーゼに無理を強いてないかな、きょうだいだったのに告白してしまって……」
「無理なわけがないよ、だってあたしはあなたの奥さんなんだから。あたしはカムイが……世界で一番大好きだもん」
「……ありがとうエリーゼ」

 付き合い始めたばかりだからだろうか、まだ心には些か不安が残っているが……それでも湧き上がってくる幸せは抑え切れずに溢れ出す。

「これからもずっと君と一緒に過ごして……素敵な家庭を築いて、共に生きていきたいな」
「えへへ、もちろんだよあなた。あたし達は家族だもん、何があってもず〜っと、永遠に一緒だよ!」
「そうだねエリーゼ、これからも永遠に……『あなた』って呼んでくれるんだよね」

 「あなた」結婚をすればおにいちゃんではなくなる為にエリーゼが新しく呼び名を考えてくれたが……それが僕にとっては、聞くだけで頬に熱が昇ってしまう程に心を掴んだ素敵な響きだったのだ。

「もうっ、カムイったら。ふふふ……あなた」
「……ありがとう! やっぱり、いつ聞いても素敵だよ……!」
「ふふ、あなたが喜んでくれて良かった。……ね、あなた。もう一度……キス、してほしいな」
「君が望むのなら何度だってするよ、これからも永遠に。目を、閉じてくれるかな」
「……えへへ、嬉しい!」

 人生で二度目となる、愛する妻との口づけ。再び重なった唇を通して伝わってくる"愛"に身悶えしそうになる程の甘い愛しさを感じて、堪え切れずに強く抱き締める。

「……わわっ! もう、あなた」
「ごめんよ、君があまりに愛しくて……」
「えへへ……ありがと、あたしもだよ。……ねえ、あなた」

 僕の腕の中でエリーゼが俯いた。しかしそれは不安からではなく……羞恥を感じて、もじもじとしているようだ。

「どうしたんだいエリーゼ」

 カムイが微笑み掛けるとエリーゼが顔を上げた。そして視線が交差し一度は顔を下ろしたが……再び見上げ、愛する夫の紅玉の瞳を真っ直ぐに見つめて、熱のこもった声色で言った。

「……ねえ、マイルームに戻らない? あたしのこと、あなたでいっぱいにしてほしいの……」

 カムイは返事をしなかった。ただエリーゼを抱き上げて……三度となる口づけを愛する妻へと落として、弾むような気分で自分と、これからエリーゼのものにもなる自室へと向かった。
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