変わらぬ想い | ナノ
 ブロンドの柔らかな髪を掻き分け優しく小さな頭を撫でると、驚いたのか、彼女は「わっ」と小さく息をこぼした。「どうしたんだい?」カムイがそう声を掛けた時には既に心ここにあらず、彼女はぼーっと何かを見つめていた。

「エリーゼ?」

 名前を呼んでも反応しない。もう一度呼ぶが反応してくれない。今日だけではない、最近僕がエリーゼを部屋に呼んでも、こうして彼女がどこかへ想いを馳せることが最近ではしばしばだ。

「……むっ」

 それが少し腹立たしくて、むにっと彼女の頬を掴む。

「……わわっ!? ど、どうしたのカムイおにいちゃん?」
「……別に、なんでもないよ」

 そしてようやく意識が現実に戻ってきたようだ、彼女は白々しく取り繕ってみせたが……今はそんなかわいらしい様子さえもほんの少し憎く思える。
 分かってる、この苛立ちが僕の独りよがりだということは。……エリーゼが何を考えているのかは分からないけど、その様子がまるで自分のことを見てくれていないみたいで……悔しかった。そんな子どもっぽい下らない理由だ。

「エリーゼ、何を考えていたんだい?」
「……な、なんでもないよ! えへへ、ほっぺむにむにしないでよ〜!」
「……そっか」

 「世界で一番大好き」な僕にも言えないこと、か。
 どちらともなく言葉を失い、撫で合いながらも何も喋らない奇妙で気まずい空気が過ぎていく。エリーゼはたびたびカムイの表情を窺うように顔を覗き込んでくるが、カムイはそれを拒否するかのようにわざとらしく部屋の獅子舞や本棚などへと視線を逸らす。

「カムイおにいちゃん、怒ってる……?」
「……そんなことはないよ」
「そっか……。……ごめんね、おにいちゃん」

 ……僕はただエリーゼと"きょうだい"として一緒に過ごしたいと思っただけのはずだ、だのにエリーゼに酷い態度を取ってしまい……。自身ですら嫌悪を覚える程に鬱屈したこの感情の矛先をどこに向ければ良いかも分からず、ただ拙く誤魔化すのが精一杯だった。

「……僕こそごめんよ、エリーゼ。今日は、帰ってもらっていいかな」
「……分かった。おにいちゃん、ごめんね。あたし、帰るね……」

 これ以上一緒に居ると、エリーゼを傷付けてしまうかもしれない。空気も声も肌も髪も……何もかもが名残惜しいが、引き留めることが出来ずにただその小さく寂しげな背中を見送る。
 ……本当にすまない、エリーゼ。今日は僕から部屋に招待したのに、結局楽しませられずに返してしまって。
 彼女への謝罪すらも僕には届けることは出来なかった。誰もいない、静寂のみが広がる室内で、カムイは自身への嫌悪に包まれながらため息を吐いた。



 暗く日の入り果てた闇夜に木刀が何度も何度も荒々しく振り下ろされ、滴る汗は躊躇うように頬を伝って流れ落ちる。己の歪んだ感情を忘れようと必死に剣を振るっているが、いつになっても彼女のことが頭を離れない。

「……はぁ、はぁ。僕は一体、どうしてしまったんだ……?」

 ……我ながら、近頃はどこかおかしい。エリーゼの笑顔に抱き締めたくなる程の愛しさを感じて、胸が不思議な心地よさに締め付けられる。エリーゼが軍の人間と仲良く遊んでいるのを見かけると心の底に仄暗い気持ちが渦巻いて、彼女から声を掛けられても時折言葉に詰まって返せなくなる。
 ……いや、分かっている。僕はエリーゼのことが好きなんだ、妹としてではなく……一人の女性として。だが僕は、血が繋がっていないとはいえ彼女の兄だ……。この気持ちを伝えるのは、純粋に兄として慕ってくれるエリーゼの気持ちを裏切ってしまうことになる。彼女との間に大きな軋轢を生んでしまうことすら有り得るだろう。

「エリーゼ、僕は……」
「……剣が乱れているな、カムイ」

 僕はこの気持ちをどうすればいいんだ。そう言おうとしたのを厳かな、しかし内に深い優しさを秘めた低い声に遮られた。

「マークス兄さん……」
「お前は以前言っていたな、父上の機嫌が悪いと言っていた夜は私の剣の振りが荒かったと。やはりきょうだいだな、何かあったのだろう?」
「……なんでも、ないよ」

 いや、分かっている。マークス兄さんのことは誤魔化せないと。
 ……正直こんなことはきょうだいにだって話せない。だけどマークス兄さんは僕に……同じように、誰にも話せない父についての苦悩を打ち明けてくれた。
 兄さんと比べると俗世間的で酷く歪んだ悩みだけれど……それでも兄さんならきっと真摯に聞いてくれることだろう。それがたとえ……妹に恋をしてしまった、などという道ならぬものであったとしても。

「……引かないで聞いてほしいんだ、兄さん」

 それから僕は、吐き出すようにずっと内に留めていたエリーゼへの想いを打ち明けた。
 エリーゼが愛しくて堪らないということ、エリーゼへの独占欲が抑えられないこと、エリーゼへ取ってしまった酷い態度や告白してしまった場合の不安まで、何もかも。
 聞いている間兄さんは眉一つ動かさなかった。そして全てを吐露した後に……静かに笑った。

「……そうか、それでエリーゼは」
「僕はエリーゼを傷つけてしまった、なのにそれすら謝ることが出来ずに……こうして一人で八つ当たりみたいに剣を振っている。……自分の不甲斐なさと惨めさが嫌になってくるよ」
「……ならば、今から会いにいけばいいだろう」
「いっ、今から!?」

 マークス兄さんは平然と言い放ってみせたが……男が夜分遅くに女の子に会いに行くなんて、それは……!

「……それは、エリーゼに夜這いをしかけろって言うこと!?」
「!? な、何故そう捉えた!」

 ……流石の兄さんもこれには狼狽えた。そ、そうだよね……。流石に早とちりが過ぎた……!
 己の邪な思想を恥じながらもカムイは、マークスの言葉に応える。

「いや、だってそれは……エリーゼのことが好きだから、つい……」
「その"好き"は妹としてか?」
「それも勿論あるけど……異性としても好きだよ。抱き締めたい、髪も肌も自分だけのものにしたいさ」
「……ならばそれを私ではなくエリーゼ自身に伝えればいいだろう」
「それは……っ、だけどそんなことをしたらエリーゼの純粋な行為を裏切ることに」
「考えてもみろ、エリーゼはお前のことを『世界で一番大好き』だと常日頃言っているのだぞ? それなのに告白をされたからと言って嫌いになどなるものか」
「だけど……」

 それでも、自分の信頼を裏切られるなんてまだ幼いエリーゼからしたら耐え難い苦痛だろう。エリーゼに辛い想いをしてほしくはない、いつまでも笑っていてほしい。それになにより……エリーゼから嫌われたら耐えられない。エリーゼと恋仲として連れ添うことが無理ならせめて仲の良いきょうだいとして寄り添っていきたい。
 とめどなく溢れるカムイの弁明は、しかし一つも口に出すことなくマークスによって遮られてしまった。

「馬鹿だな、カムイは。自分に置き換えて考えてみろ。もし私やカミラ、レオンがお前に愛の告白をしたとして、お前はどう思う?」
「……そうだね」

 真剣に考えて見る。僕が大好きで、愛しているのはエリーゼだけど……みんな大切なきょうだいだ、だから出来ることなら辛い想いはしてほしくない。

「兄さんは第一王子としてもガロン王の息子としても辛いことがあるだろう、孤独を感じているなら傍でそれを埋めてあげたい。カミラ姉さんは今までたくさん僕のことを愛してくれたんだ、それを返してあげたい。レオンは僕がいるから自分が見てもらえないと言っていた。その後自分のせいだとも言っていたけれど……それでも僕が原因の一端を担っていたというのなら、レオンが寂しさを抱えないよう一緒に居てあげたいよ」
「……い、いや、気持ちはありがたいがそうではない。お前がきょうだいから告白されたとして、侮蔑や失望を抱くか、ということを聞きたかったんだ」

 彼らの人となりを考えた上で導きだしたそれぞれへの回答はあっさりと切り伏せられてしまい……たまらなく恥ずかしくなったカムイは、耳まで赤くしながら思わず声を荒げる。

「……そ、それを先に言ってよ! すごく恥ずかしいじゃないか! ……それに、そんな感情を抱くはずがないじゃないか。みんなはこれまでずっと一緒に育ってきた大切なきょうだいだ。たとえ僕に告白を受けるつもりがなかったとしても、そんなことじゃあ嫌いになんてならないよ」
「ふ、それは恐らくエリーゼも同じだろう。エリーゼもあれだけ深くお前のことを想っているんだ、たとえ何があってもお前を嫌いになどなる筈がない。勿論それは私達も同じだがな。
 まずはエリーゼへ酷く当たったことを詫び、わだかまりを解いて、それから決心がつくようであれば告白をすればいい」

 そうだ、僕達はきょうだいだ。ずっと一緒に支え合ってきた大切な存在で、僕からしてもみんなからしても、それはいつまでも同じ……。
 マークス兄さんのおかげで、少しは気が楽になった。確かに僕も告白を受けたとしても驚きこそすれ嫌いになどなりはしない、兄さんも同じなら……もしかしたら、エリーゼもそうなのかもしれない。

「……ありがとう、行ってくるよ。そして見事に失恋して、エリーゼが恋慕を募らせている相手との仲を応援するよ」
「……もう少し自信を持て、もし男として好きな相手が居れば今でもお前に『世界で一番大好き』などと言わないだろう」
「どうかな……。ともかく言ってくるよ、帰ってきたら一緒に剣を振ろう」

 未だどこか自信なさげな……しかし先程まで剣を振っていた時の荒ぶり方に比べれば幾分ましにはなっている。
 一歩一歩離れていくカムイの背を見送りながら、マークスは思った。

「……そうか。私はカムイが帰ってくるまで待たなければならないのか……」

 ……と。



 コンコン、と軽く扉を叩いてみるが返事はない。

「……僕だよエリーゼ、起きているかい?」

 ……それでも返事はない。もう少し待って出てこなかったら今日は帰ろうか……そう考えていると、中から嗚咽が漏れているのが分かった。

「エリーゼ、どうしたんだい!?」

 彼女が泣いているかもしれない……それを考えると耐えられなくなりドアノブに手をかけ、鍵は掛かっていなかったようだ、存外簡単に扉は開いた。
 慌ててエリーゼが眠るはずの天蓋へと駆け寄ると、彼女の肩は跳び跳ねて、それから少し顔を……目元をこすってから、「……えへへ、どうしたのカムイおにいちゃん」と健気に笑ってみせた。

「どうしたんだいエリーゼ! まさか、今日僕が君に酷く当たってしまったから……?」
「そ、そんなことないよ! あたし全然気にしてないもん!」
「……エリーゼ、本当にすまない……!」

 ベッドの上でちょこんと座り込み、誤魔化そうとする彼女をカムイは壊れないよう細心の注意を払いながらも強く抱き締める。エリーゼは最初こそ動揺を示していたものの、やがてぎゅっと僕の背中に手を回した。

「ごめんよ、今日は君を招待したのに楽しませてあげられなくて……」
「……ううん、あたしこそごめんね。優しいカムイおにいちゃんが怒っちゃうんだもん……あたし、なにかしちゃったんだよね?」
「そんなことはないよ。ただ……僕が君を撫でている時に、君がぼーっとしてるのが……まるで僕以外のことを考えてるみたいで、嫌だったんだ」
「……そっか。やっぱりあたしのせい、だったんだね」
「……本当にごめんよ、エリーゼ」

 カムイはエリーゼの背に回していた手をほどき、自分から引き離して彼女の小さな両肩に両手を置いて、彼女を見つめる。
 紫に澄んだ彼女の瞳は、しかし今は不安を映して色褪せてしまっている。……それでも、伝えなければならない。これからエリーゼと、"きょうだい"として過ごす為にも、彼女の恋を応援する為にも。

「……でも聞いてほしいんだ、エリーゼ。僕は決して君のことが嫌いになったわけじゃないよ。むしろ僕は君のことが大好きだ、きょうだいとしてじゃなく……。一人の……一人の女性として、愛してしまったんだ」
「……うそでしょ?」
「嘘じゃないよ。僕は君が毎日会いに来てくれるのが本当に嬉しかった、君と過ごす時間は本当に幸せで……君の明るさにはいつも救われてきた、いつの間にか、君に惹かれていたんだ。だから……君と血が繋がっていなくて良かった、そう思っている。
 ……だからこそ、苦しかった。君がぼーっとしているのが、まるで僕のことを見ていないみたいで悔しくて、今日は君に酷い態度を取ってしまったんだよ。すまない、僕のひとりよがりで君を泣かせてしまって」

 ……エリーゼは俯いて黙っている。当然だ、突然兄から告白されてしまっては心の整理もつかないだろう。……分かっていたことではあるけれど、やはり実際に落ち込まれると、胸中は相当穏やかではない。平静を保つことなど難しく、それでも彼女にまで伝播させてはいけないと、なるべくいつもと変わらない声色を絞り出して欺いてみせる。

「……嫌だったら拒絶したって構わない。だけどもし君さえ良ければ……僕はこれからも一緒にきょうだいとして過ごしていきたい。君が誰のことを好きかは分からないけど……僕にも応援させてくれないかな」

 声が震えていたかもしれない、そもそも声にすらなっていなかったかもしれない。だけど……これでいいんだ。ずっと心に渦巻いていた気持ちが、少しは晴れた気がする。
 返事を待っていると間もなくエリーゼは顔を上げた。そして勢い良く僕の胸の中に飛び込んできて、ぐりぐりと頭を押し付けてくる。

「……えへへ、うれしい。ねえカムイおにいちゃんっ! あたしの好きな人……分かる?」
「……い、いや、その……ごめん、エリーゼ」
「ふふふ。あたしの好きな人はね、いつもあたしと遊んでくれて、あたしが悩んでる時には心配してくれて、怪物からだって守ってくれる優しい人なの」

 ……それなら、僕だってエリーゼにそれなりのことをしているつもりだ。なのにどうしてエリーゼは僕に振り向いてくれなかったんだ、やっぱり……きょうだいだから、かな……?

「でもね、あたし、ずっと悩んでたの。その人に自分の気持ちを伝えるかどうか。だってその人は……血が繋がってないけど、あたしのおにいちゃんだから」
「……え?」

 胸に埋もれていたエリーゼが顔を上げた。そしてにっこりとかわいらしく微笑んで、いつもより少し恥じらいを帯びながらも声高に言ってくれた。

「カムイおにいちゃんっ! あたしね、今までも、これからもずっと……カムイおにいちゃんのことが、世界で一番大好きだよ!」
「……じゃあ、僕が撫でている時にぼーっとしてたのは」
「……うん。おにいちゃんの触ってくれてるところが、なんだか気持ち良くて……」
「エリーゼ……!」

 いつもと同じ、だけどいつもとは違う言葉。「世界で一番大好き」その言葉には新たな意味が刻まれている。顔を紅く染め上げながらはにかむエリーゼを抱き締めると、彼女も僕のことを抱き締め返してくれた。

「エリーゼ……ありがとう」
「えへへ、あたしこそありがとうっ! ねえ、カムイおにいちゃん。今日はおにいちゃんと一緒に寝たいな……ね、良いよね?」
「あはは、それはきょうだいとして?」
「も、もうっ! カムイおにいちゃんってば!」

 照れるエリーゼに「冗談だよ」と返して僕は彼女の隣に座って、一緒に布団の中へと潜り込む。そして顔を見合わせて微笑みながら、静かにエリーゼを抱き締めた。
 ……そして翌日僕は知ることになったのだった。マークス兄さんを怒らせると、後が怖いのだということを。



 重ねられていた唇と唇が、名残を惜しむかのように躊躇いながらも徐々に徐々にと離れていってしまう。
 まだ一緒に居たい、もっと触れたい、彼女を自分で満たしたい。そんな邪で純粋な欲望も時間には勝てず、最後にもう一度だけ口付けを落とすとカムイは軽く頭を掻いて起き上がる。

「……おはよう、エリーゼ」
「えへへ……。おはよう、あなた」

 隣の少女、エリーゼもカムイに続いて起き上がる。普段は結んで纏められている、優しいブロンド髪も今は解かれ流れている。そんな彼女の頭を軽く撫でて、すっかり冴えた目を軽く擦って大きな欠伸を一つ、ベッドから飛び出した。

「じゃあ僕は朝食の用意をするよ、エリーゼはその間に支度を済ませてくれ」
「うん、いつもありがとうカムイ! えへへ、早くあなたのご飯食べたいな!」
「あはは、かわいい奥さんが楽しみにしてくれているんだから失敗出来ないね」

 そう、僕はかつて妹だったエリーゼと結婚をして夫婦になったのだ。レオンや姉さん達も始めの内は驚いていたけれどすぐに僕達を祝ってくれた。
 大好きだよ、と抱き寄せ額に口付けを落とせば愛してるよ、と唇同士が重なりあう。
 エリーゼと過ごす素敵な家庭、その幸せを噛み締めながら、僕は愛する妻に背を向けた。
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