旅先のひととき | ナノ
 その呼称は今となっては随分慣れ親しんだものだ。しかし未だにその響きは僕に多少の羞恥を与え、何よりの嬉々をもたらし、そして狂おしい程に僕の心を掻き立てる。

「あなた……」
「……うん、エリーゼ」

 天蓋の無い質素なベッドに二人で並んで腰掛けて、僕は白く柔らかい彼女の肌へと手を伸ばして優しく撫でる。だが……次第に「あなた」の魔力に取り憑かれた僕は、何もかもを忘れて彼女に没頭してしまう。

「か、カムイおにいちゃん……! ダメだよ……!」
「ううん、駄目じゃないよ。もっと……したいな」
「……あなた」
「エリーゼ……」

 肌を、髪を明かりの橙に染め上げられていた彼女の頬は、今では朱みが強調されている。熱を帯び、艶っぽく漏れる彼女の吐息を飲み込み僕は更にエリーゼへと触れていく。

「ねえ、カムイ。あなたのこと、愛して……」
「おとうさん! おかあさん! たっだいまー!」

 陽光が遮断され、薄暗い二人だけの部屋に、扉から飛び込む明るい光と元気な声。そしてその声の主、カンナは僕とエリーゼの間に入り込んで来るとつぶらな瞳を瞬かせて見上げてきた。

「ねえおとうさん、おかあさん! 二人でなにやってたの?」
「あー、えっとー……」

 妻に、エリーゼに似たブロンドのお団子がぴょこぴょこと左右に揺れ、無邪気に不思議そうに見上げてくる娘の視線から思わず目を逸らしてしまう。
 ……何をやっていたかと言われればただ妻を撫でていただけなのだが、先程までの自分の昂りを思い返すと後ろめたさが湧き上がって来てしまう。

「今はね、お父さんに甘えたくてよしよししてもらってたのよ」
「あはは、そうなんだ! おかあさんもあまえんぼうなんだね!」
「……あ、あはは。そうだね、エリーゼはそこがかわいいから……」

 まだお互い体の火照りが去らないのを感じながらも、エリーゼはしっかり母親として、幼さを潜めさせて振る舞っている。エリーゼを撫でたいと言い出したのは僕だ、なのに僕が羞恥に埋もれそうになっているのを察してああ言ってくれたのだろう。
 ……あの戦争が、ガロン王の正体を白日の下に晒す為に多くを犠牲にしながらも戦い続けた日々が終わり、暗夜と白夜両国の復興を助けた後に僕達は旅に出た。
 消えてしまったアクアを探す為に、北の城塞へと閉じ込められて見ることの叶わなかった世界を巡る為に。……そして、エリーゼとの新婚旅行も兼ねているのはここだけの話だ。
 旅に出てから、いや、もっと言うと母親になってからのエリーゼは変わった。もちろん今でも昔のように無邪気に甘えて来たりはするが、それでもやはり以前と比べると多少は落ち着き僕の為にレディになろうと、素敵な奥さんになろうと頑張っている。

「えへへ。じゃあお買い物行こっか、あなた。あたしお洋服と小説を見て回りたいな」
「おとうさん、あたしは新しい竜石がほしーい!」

 二人がよく似た花咲く笑顔を僕に向けて投げ掛けてくる。……って。

「り、竜石!? それはさすがに、ないんじゃないかな……」
「……そっかー。じゃあ、あたしリボンがほしいな! おかあさんとお揃いがいい!」
「そうだね、それならもしかしたら似たのが見つかるかもしれない。探してみようか」
「わーい! やったー!」

 カンナはすごく嬉しそうにぴょんぴょん跳ねて、それから僕に抱き付いてきた。恥ずかしくて少し困ってエリーゼを見やると、存外悩ましそうに顎に手を当てていた。

「……どうしたんだい、エリーゼ」
「うーん……。カムイ、あなたはなにか欲しいものってないの?」
「あはは、僕が一番欲しいのは二人と一緒に笑顔で過ごせる時間だから」
「もー、すっごく嬉しいけど、あなたはいつもそればかりだよ! なんでもいいから、なにか他にはないの?」

 思わず面食らってしまう。本心から言ったことなのに、僕が我慢していると思われたようだ……。

「……けど、僕が欲しいものか……」
「うん、だってあなたはいっつもそればっかりだもん!」

 ぷくっと頬を膨らませる妻。……でも、本当にエリーゼとカンナと一緒に居られればそれでいいからなあ。しかしエリーゼは僕に期待をしている、紫水晶のような瞳でじっと僕を見つめてくる。
 ……そうだ、一つだけあった、僕の欲しいものが。

「エリーゼ、少し耳を貸してくれるかな」

 エリーゼに顔を近づけ、耳元で僕の欲しいものを囁いた。
 ……案の定、エリーゼは爆発した。もちろん比喩だけど、そう言っても差し支えないくらいには紅く染まっている。

「……おかあさん?」
「うー……! もう、あたしだってあなたと同じだよー! そうじゃなくってー!」
「あはは、それは嬉しいよ。じゃあ買い物に行こうか、まずはカンナのリボンを探そう!」
「んー……? ……うん、わかったー! いこーおとうさん、おかあさん!」

 ……僕の欲しいもの、やりたいこと。それは一晩中エリーゼを僕でいっぱいにすることだ。なんて言ったらエリーゼは爆発してしまって、そのあどけなさもやっぱりかわいくてたまらない。
 思考の大部分をエリーゼに占められながらも、遊びに出ていたのに未だ元気の衰えないカンナに手を引かれて僕とエリーゼも宿を出る。
 エリーゼは顔を真紅に熟れさせながらも、僕の要望に頷いてくれた。僕の欲しいような商品は出先で探すとして…… はしゃぐカンナを間に挟んでエリーゼを見ると、彼女も僕と同じ気持ちなのだろう、頬がだらしなく緩んで視線は僕に張り付いていた。
 帰って一緒に過ごすのがすごく楽しみで、彼女のいじらしい様子がとてもいとおしくて、僕はたまらなくエリーゼを抱き締めたくなり彼女の小さなその手を握った。
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