感謝の気持ち、真心と愛を込めて | ナノ
「危ないユリーカ! ピカチュウ、10まんボルト!」
 黄色く紡錘型の腹部には、黒い縞々の線が引かれている。薄い翅で宙を舞う巨大な蜂が、その両手に携えた槍の一つを振りかざしていた。
 恐怖に固く目を引き結んだ金髪の少女、ユリーカの隣を、紫電が駆け抜ける。
 ……太鼓を叩くような強烈な音がして、焦げ臭い臭いが鼻を突く以外は何も起こらない。
 そして今の、聞き慣れた声色。
「サトシ! ピカチュウ!」
 期待に胸を膨らませて、いち早くその姿を目に入れたいと伏せていた瞼をパッと見開いた。間違いない。自分の大事な仲間で、友達で、……恋人の少年、サトシだ。足元ではその相棒が赤い頬から電気を迸らせている。
「ごめんなスピアー、いきなり攻撃して」
 返事が無い。少し心配ではあるが、下手に近付いては反撃に遭う危険性がある。不憫だが、そのまま放置することにした。
「ユリーカ、デデンネ、大丈夫か?」
 駆け寄って来た少女達に、まず安否の確認をする。
「うん、ふたりのおかげよ! ありがとうサトシ、ピカチュウ!」
 少女のキープポケモンデデンネも、ポシェットから出て来てピカチュウに電気で感謝の意を示す。
「そっか、無事で良かったよ。ほら、戻ろうぜ」
 無邪気に頷く彼女に、右手を差し伸べた。
「また迷子になったら困るからな」
 森の中で休息を取っている最中、好奇心旺盛な彼女は気付いた時には姿を消してしまっていた。また居なくなられては心配だ、手を繋ぐよう彼女に催促する。
「もう、つぎはだいじょーぶよ!」
 そう抗議をしてきたのだから繋がないのだろう、と手を引っ込めようとしたが、彼女の小さな手に引き止められた。
「だいじょうぶ、だけど、手はつなごうよ!」
 にまっと笑みを浮かべた彼女の頬が、少し染まっているのが見て分かる。きっと自分も、同じような色をしていることだろう。
 サトシがユリーカに合わせて歩き出し、こうして森の中での小さな騒動は幕を閉じた。



 ポケモンセンターのロビーで、サトシ達が預けたポケモン達を受け取った。
「じゃあ、これからどうする?」
 受け取った紅白球をベルトにセットして、ソファに座って待っていた三人に歩み寄る。
「サトシ!」
 ユリーカが立ち上がり、駆け寄って来た。
「きょう……、ううん。いつも、たすけてくれてありがとう!」
 彼女はサトシの手を握りながら見上げてくる。「いいよ」と返す彼にユリーカは更に言葉を続ける。
「おれいにユリーカが、なにかプレゼントをあげる!」
 言うが早いか、少女は駆け出していた。彼女に手を握られていた自分も、必然的に走り出す形になってしまう。
「お、おいユリーカ」
「かりてくねおにいちゃん! 行こ、サトシ、デデンネ、ピカチュウ!」
 彼女がサトシの手を握っていないもう片方の手には、財布が握られている。
「ああっ、それボクの! こら、ユリーカ!」
 しかし二人は止まらない。あっという間に、目の前から姿を消してしまった。
「……シトロン。今日は私が代わりにお支払いしようか?」
 ブロンドの長髪、帽子をかぶった少女セレナの言葉に、シトロンはすみません、と頷いた。



 元気に跳ね回る金色の頭に置いていかれないように、少年も慌てて追いかける。
「ほらみてサトシ! これすごくかわいいよ!」
 彼女が棚に手を伸ばして掴んだのは、ヨノワールというポケモンのデフォルメされたぬいぐるみだ。
「うーん、かわ……。まあ、これだとかわいいけど」
「あ、ピンクのセレビィだ! サトシ、こっちのポケモンは?」
 ヨノワールを棚に戻して、隣に目を向ける。
 ヨノワールの隣には桃色をした幻のポケモン、通常の黄緑とは色違いのセレビィが置かれていた。そしてその隣には、緑色の、頭と腕に葉っぱを生やしたヤモリのようなポケモン。
「ああ、このポケモンはジュプトルだよ。ホウエン地方の初心者用ポケモン、キモリの進化系さ」
「へえ〜、かわいいね!」
「その最終進化系はジュカインって言うんだ。オーキド博士の研究所に預けてるけど、今度見てみるか?」
「うん、みたい!」
 とその辺りで、ぬいぐるみのコーナーから抜け出した。
「……それで、何をくれるんだ、ユリーカ」
 自分は彼女にプレゼントをあげる、と言われて連れ出されたが、未だ何も受け取ってはいない。
「う〜ん、どうしよう……」
 だが少女は悩ましげに唸ってばかりで望むような回答は得られない。
「どうしようって……」
 まさか……。
「決めてないのか?」
「うん。だから、サトシにきてもらったの。ねえサトシ、ながほしい?」
 少女が腕を掴んで、自然と上目遣いに見上げてくる。
「……あはは、ユリーカがくれた物なら何でもいいよ」
 それに少し恥ずかしさを感じて目を逸らしながらも、その問いに答える。
「えーっ、そういうのがいちばんこまるよ」
「はは、シトロンもよく言ってるもんな」
 彼女の兄、シトロン。基本料理は彼の担当なのだが、彼が何を食べたいかと尋ねてきた時は、ユリーカもセレナもオレも、よく何でもいいと答えている。
 一応言っておくとどうでもいいからではなく、シトロンの作った料理なら何でも美味しいからだ。
 だが確かにこの回答ではユリーカも困るだろう、と頭を働かせる。
「……そうだな。じゃあ、ユリーカがもらって一番嬉しいと思うものが欲しいかな」
 ……特に欲しい物があるわけでも無いし、彼女からの贈り物ならなんだって嬉しい。だからよくプレゼントを選ぶ時に言われる言葉を彼女に返した。
「ユリーカがもらって、いちばんうれしいもの……」
 真剣に悩んでいるらしく、彼女は先ほどまでの元気さが嘘のように静かになってしまった。



 ……あれから何も買わずに、気付いたら帰り道の公園でベンチに腰掛け、夕陽に照らされている二人と二匹。
「結局何も買わなかったけど、良いのが無かったのか?」
 結局出掛ける前と同じの手ぶらで、つまり何も買っていないことをその状態が如実に現していた。
「ううん、あったよ!」
 筈なのだが、彼女は頬をピンクに染めて、笑顔を弾けさせた。
 いつの間に買っていたのか……。思わず聞き返すと、彼女は元気に頷いた。
「ねえサトシ、こっちむいて!」
 言われるままに、顔だけ横に見ていた彼女に、体も向けた。
「んっ」
 と少女が小さく息を漏らして、顔を近付ける。
 身を乗り出しながら、片方の手でサトシの肩を掴んで、もう片方の手で帽子を外していた。
「え、ユリー」
 彼女の名を呼ぼうとしたその声は、途中で遮られた。何かに蓋をされた。
 目の前には頬を染め、瞳を瞼で覆い伏せた少女の顔。少女の白い唇と自分の唇が一瞬触れ合ったのが、感触で分かった。
「……えへへ。ユリーカがサトシからもらったら、いちばんうれしいもの
「そ、その、今のって……」
 それが何かに気付いた時、急に耳まで熱が上ってきた。
「……えへへ。ユリーカの、はじめてのちゅー!」
 爆発してしまうのではないかと思う程に恥ずかしい。沸騰しそうになっているのは、自分だけでは無いようだ。彼女も耳まで紅色に染まっているのは、夕陽のせいでは無いだろう。
「……ありがとな、ユリーカ。じゃあ、オレもお礼をしないと」
 だが、プレゼントをもらってはい終わり、とは出来ない。自分からも、返さなければ。
「オレも、ユリーカからもらって一番嬉しいのをあげるよ」
 そう言って、彼女の両肩に手を添える。
「……サトシ」
 自分の名を呼ぶその声に返答せずに、目を閉じる。そして顔を近付け……、二人の影が再び重なった。
 ……立ち上がり、まともに顔を見ることが出来ずに背を向けて帽子をかぶりなおす。
「さ、行こうぜユリーカ! 早く帰らないと暗くなるからな」
「うん! いこ、デデンネ」
 その言葉に少女も後を追い立ち上がる。少女が隣に立って、小さな手を自分の手に添えてきた。
「ねえ、……すっごくうれしい! ありがとう、サトシ! だいすき!」
 その手を、優しく握り締める。
「……オレも、すごく嬉しかったよ。ありがとな、ユリーカ」
 言った二人のその頬は、未だに朱色に包まれている。
「えへへ、じゃあまたいっぱいいっぱいプレゼントあげる!」
「困ったな……じゃあオレもたくさんプレゼントを用意しないとな」
 繋いだ手の先で、指と指とが絡み合う。
 一つになった二人と二匹の影は、夕陽に照らされ長く遠くに伸びていた。
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