これまでも、これからも | ナノ
「らららふゆのそ〜ら〜。ふふふふゆのそ〜ら〜」
僕の名前は橘純一。ここ輝日東高校に通う高校二年生。
もう一月になったが、教室は密閉されて程よい室温になっている。
教室の眠気を誘う耐え難い暖かさに飲み込まれないように、と授業の合間に目を覚ます為屋上に来たのだが、一人先客が居た。
それが何の前触れも無く突然変な歌を歌い出した彼女。
僕の幼馴染みで、去年のクリスマスから付き合い始めた僕の大切な彼女、桜井梨穂子だ。
「……相変わらずだな、梨穂子」
「あ、純一も来てたんだ」
僕が呆れ気味に歩み寄ると、彼女の方も僕に気付いて笑顔で駆け寄ってきた。
「梨穂子、聞いてたぞ。また変な歌を歌ってたな」
「え、私また歌っちゃってた?」
「うん、歌ってた」
前に話していて気付いたが、どうやら梨穂子の歌は無意識に出るものらしい。
前に同じことを突っ込んだ時も、梨穂子は自分が歌っていたという事実に驚いていた。
もちろんそんな梨穂子もかわいいんだけど……。
「本当に無意識なんだよなあ……。呆れちゃうよ」
「でも、純一だって昨日歌ってたじゃない」
僕の失笑気味な反応に対して返ってきたのは、どこか楽しそうで、僕を最も困らせるものだった。
「う、それは……」
昨日のことだ。僕が梨穂子に甘〜いカスタードクリームの菓子パンを買っていって、放課後梨穂子に会いに行った時の事。
俄かには信じられない、いや、信じたくないことだが、僕も梨穂子と同じように変な歌を歌っていたらしい。
しかも結構前にも同じことが有ったから、無意識に変な歌を歌うのはそれで(多分)二回目だ。
「け、けどそれは梨穂子のせいだろ。今までずっと一緒だったし、最近特に一緒に居ることが多くなってきたから……」
と僕が弁明の言葉を並べ始めた時、僕達のひとときの休息に終わりを告げる鐘の音が鳴り響いた。
「あれ、もうこんな時間か。梨穂子、急いで帰ろう」
「えへへ……。うん、早く戻らないとね」
もう少し梨穂子と話していたかったけど、チャイムが鳴っては仕方ない。
なぜかどことなく嬉しげな梨穂子と一緒に、僕は急いで教室に戻った。



「よう大将、今日暇か? 暇なら一緒に……」
放課後。暇な親友、梅原が同じ暇人の自分を遊びに誘って来た。
「悪い、梅原」
だけど僕は、それを容赦なく切り捨てる。
「今日は、梨穂子と一緒に帰ろうと思ってたんだ」
なぜなら僕には、予定があるんだ。とは言っても、相手の都合はまだ分からないんだけど。
でも今日は水泳の補習も無かったはずだし、多分大丈夫だろ。
僕の幼馴染み、梨穂子。今日は、都合が合えば彼女と一緒に帰ろうと決めていたのだ。
「お、熱いねえ大将! また大将と桜井さんのおかげで平均気温が上がっちまうな!」
「なんだよそれ! 僕と梨穂子はそんな関係……だけど、少なくともそんなバカップルじゃないぞ!」
「おっと大将、この前廊下で見つめ合ってたバカップルは誰だったかな?」
「そ、それは……!」
心当たりがある、というか明らかに僕と梨穂子のことだ……!
「それにそのバカップルは、学校でポロツキーゲームをしてたよな」
「……とにかく、梨穂子に先に帰られたら困るし僕はもう行くからな!」
「おう、楽しんでこいよ! じゃあな大将!」
ひらひらと手を振る憎き親友に僕もしかたなく軽く手を振り返して、教室を後にした。
「おーい、梨穂子」
「あ、純一」
「あ、橘君」
夕日に照らされた廊下に出ると、都合良く梨穂子と香苗さんが立っていた為それに駆け寄る。
「あ、ごめん、話の途中だったかな?」
「ううん、今終わったところだから大丈夫だよ」
「なら良かった」
邪魔しちゃ悪いと思ったけど、良かった、タイミングは完璧だったみたいだ。
「なあ梨穂子、良ければ一緒に帰らないか?」
早速本題に入る。最近は暗くなるのも早いから、あまり時間を無駄には出来ないのだ。
「うん、もちろん! じゃあ行こっか」
少しこけそうになるのをこらえながら僕の隣に来る梨穂子。
「こらこら桜井。鞄は?」
「え?」
しかし香苗さんに言われて、梨穂子はハッとしてあれ、あれ、と漏らしながら自分の肩と腰周りを見る。
「あ、あはは……」
「梨穂子?」
まさか……。僕の中に嫌な予感が走る。
「わ、忘れてた……。ありがと〜香苗ちゃん!」
そして一瞬の間を置いて苦笑いした後、梨穂子はパタパタと慌てた様子で行ってしまった。
「相変わらず忙しないな、梨穂子は……」
腰に手を当て、思わず笑みを浮かべながらそれを見送る。
「じゃあ、私もそろそろ帰ろっかな。じゃあね橘君、桜井をよろしく!」
と、香苗さんも行ってしまい、僕は少しの間寂しく廊下に取り残されてしまった。



「それでさ、その時……」
「ふんふん」
「あ、もう見えてきた……」
梨穂子との学校からの帰り道。梨穂子との話に夢中になっている間に、気付けば梨穂子の家の近くまで来てしまっていた。
「なあ梨穂子、良ければ公園に寄って行かないか?」
まだもう少し、梨穂子と話していたい。そんな想いで提案をする。
「うん、そうだね。私ももう少し、純一と話したかったんだ」
「梨穂子……」
どうやら、梨穂子も同じ気持ちだったらしい。
少し照れくささを感じながらも、梨穂子を見つめる。
「えへへ、純一」
梨穂子も、僕をまっすぐ見つめてくる。
僕と梨穂子の視線はぶつかり合い、自然と絡まり溶け合っていった。
……気付いたら、しばらくの間梨穂子と見つめ合ってしまっていた。
周りから僕達へと向けられた生温かい目と、ひそひそと噂話をする声でようやくそれに気付いた。
「あ、あはは……」
お互い、頬に熱を感じながら苦笑いを浮かべる。
それから恥ずかしさで一度も梨穂子と顔を見合わせないまま歩いて、10分もかからない近くの公園に到着した。
「よっ、と」
早速ブランコに腰掛ける。
「よいしょ」
梨穂子もつられたのか、僕の隣のブランコに座ってしまった。
「……なあ、梨穂子」
「なに?」
「……座るなら、僕の膝の上じゃないか?」
おいで梨穂子、と言いながら、飼っている犬や猫を呼ぶ時のように自分の膝をパンパンと叩く。
「い、行かないよ! さすがに今は、……体重も重くなってるし……」
「突っ込むのはそこじゃないだろ」
「え?」
梨穂子はきょとんとして、口が小さく開いている。
「いや、まずペットみたいな扱いについて言うべきだろう」
「そ、そうかな?」
「まあ梨穂子に乗られたら僕が潰れちゃうのは事実だけどさ」
「つっ……! 潰れないよ!」
うんうん、やっぱりちゃんと反応が返ってきて楽しいな。
「はは、分かってるよ。梨穂子、最近ちょっと痩せてきたもんな」
けどあまりからかってばかりでは悪いので、一応フォローを入れておく。
「あ、気付いてたんだ……」
彼女は、嬉しそうに頬を染める。
最近の梨穂子は、以前に比べ腰回りが少し、若干細くなってきた。
まあ僕からしたら、昨日もそうだが甘いもので餌付けしようとしても拒否されるのはだいぶ残念だが……。
その気持ちを伝えると、餌付けってなによ、と頬を膨らませてきたので、軽く謝っておく。
「……けど」
「ん?」
「なんだか懐かしいよな。昔はよくこうやって二人で遊んだよな」
今では淡く消えかかってしまっている、彼女とともに過ごした日々の思い出。
「うん、昔はブランコに二人したりもしたよね」
「ああ、どっちがブランコから遠くまで飛べるか競ったりもしたよな」
それでも薄く記憶に残っている風景に、静かに思いを馳せる。
「それで着地に失敗して、泣いたりもしたよね」
時には笑い、時には泣いて。二人で一緒に育ててきた記憶の欠片。それは今も、胸の中で確かに輝いている。
「……さすがに今はそんなことしないけど」
だが、この胸に暖かく宿るのは過ぎた過去の出来事だけでは無い。
「でもこれからも、一緒に過ごして行きたいな。恋人同士として、いつも、いつまでも……」
あのクリスマスの夜。あの日から、僕と梨穂子の関係は決定的に変わった。
ただの幼馴染みでも、その延長 でも無い。
もう戻れない、恋人同士という関係になったのだ。
「……うん、そうだよね。こうして、二人で……」
幼馴染みとして、ではない。恋人として、僕達は進み始めた。
二人で過ごす、かけがえのない日々。それはこれからもつくられる。
暖かく照らす光の中を、僕達は歩き出したのだ。
「……」
「……梨穂子?」
急に、梨穂子が黙ってしまった 。心配して顔を覗きこもうとしても隠される。
「……へ、へくちっ!」
静かにその様子を見守っていると、梨穂子がくしゃみをした。
「り、梨穂子!?」
気付いたら、辺りはだいぶ暗くなっていた。
少し長居し過ぎていたらしい。
「そろそろ帰るか。ほら、梨穂子」
寒そうに手を擦る彼女に、ブランコから腰を上げて自分の手を差し出す。
「こうすれば、少しは暖かくなるだろ?」
彼女がおずおずと伸ばしてきたその手を、しっかりと握りしめる。
「純一……。うん、ありがとね」
電灯が照らす夜道、短い帰路を歩き出す。
繋いだ互いの手から伝わる優しい温もりは、二人を暖かく包み込んだ。
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