「晋助、」


耳の裏側で声がした。ひどく優しい、それでいて懐かしい声だった。名前を呼ばれると同時に男にしてはやたら綺麗な手が頭に乗せられ、そのまま左右に優しく撫でられる。あの人は声も手も、なにもかもが優しかった。こんな夢を、俺はもう何百何千と繰り返している。夢の中のこの人はただただ優しく微笑んで俺の頭を撫でるだけで、別段なにかを話すわけでもなかった。けれど、何千回目かの今日はいつもとは違っていた。


「幸せですか」

「しあわ…せ…?」

「君は今、幸せだと感じる瞬間がありますか」

「…あなたが俺の前から消えた日から、俺には…」

「私はおまんじゅうを食べてる時ですかねえ」

「は、?」

「そういえば晋助も好きでしたよね、おまんじゅう。今もそうですか?」

「いや…、今は…」

「そうですか…、なんだか少し寂しいですね。銀時はどうなんでしょうか」

「先生、……俺らはもう、」

「そういえば小太郎はようかんが好きでしたね」


相変わらず読めない人だと思った。縁側で腰掛ける二人の間に凩が吹き抜けていった。秋から冬へと季節が変わろうとしている。けれど、この人の時が動くことはもうない。昔と何一つ変わらないその外見を愛しく思い、それと同時にどこか哀しかった。俺もいつかはこの人の年齢を超えてしまうのだろう。吹き抜ける風に肌寒さを感じて腕を擦る。寒い。


「寒いですか?」

「ああ、はい…少し」

「ふふ、今日は冷えると思って、実はこんなものを用意しといたんですよ」


ジャーンという効果音が付きそうなくらいの得意げな顔で、その人はどこからともなく熱燗を取り出した。季節といい、酒といい、これは本当に夢なのだろうか。いや、そんなことはどうでもいい。夢ならば醒めなければいい。現実ならば終わらなければいい。


「まさか晋助とお酒が呑める日が来るとは…」

「俺もあなたと呑むなんざ、夢にも思いませんでした」

「まあ、夢ですからねえ…」

( やっぱり、夢なのか )

「銀時や小太郎、他のみんなとも、こうやって話すのが私の夢でしたから。今じゃ、君たち3人だけとなってしまいましたけど…。でも、夢が一つ叶いました」


嬉しそうに笑って、先生は杯を口へと運ぶ。続いて俺もそれを口にすると、暖かい液体が喉を通って体の中へ吸収されていった。冷えていた身体がじんわりと温まっていく。


「俺はあなたの敵さえとれればと、昔はそう思っていたんです。……でも、戦が終わりに近づいた頃にあれだけ国の為にと戦ってきた俺たちを、国は簡単に切り捨てた。沢山のヤツが大罪者として打ち首にされました」

「…………」

「だから俺は全部壊すと決めたんです。なにもかも失ったあの日に、生きる意味を見出だせなくなったこんな世界なんか壊してやると。幸せなんかいらねェからと、だから…っ!」


酒がまわっているのか、今まで誰にも話すことのなかったこの話を、怒鳴るような口調で喋っていた。隣にいる人物は頷くわけでもなにか意見する訳でもなく、ただただ遠くを見つめながら俺の話に耳を傾け続けていた。


「君が失ったものはなんですか」

「生きる意味となっていた全てを、あなたを」

「目に見えるものだけがこの世の全てじゃありませんよ。君が失ったのは目に見えるようなものじゃない」

「じゃあ俺は…、なにを…?」

「さあ?それは自分で見つけなければ意味がありませんから」

「先生、」

「はい?」

「あなたは、幸せでしたか」











ゆっくりと瞼を持ち上げる。眼前に広がったのは見慣れた天井で、落ち葉だらけのカラフルなあの庭などではなかった。明け方の朧げな光が眩しくて手を目の上にかぶせる。ぬるりとした感触に自分が泣いていたことに気がつく。こんな朝は少なくなかった。自分の意志ではない。夢の中の記憶が涙に支配される。


「は…、くだらねェ…」


少し自嘲気味に呟いて再び瞼を閉じた。人工的な暗闇の中で、夢の中であの人が最後に言った言葉を並べてみる。今日もいつもと変わらない絶望が俺の世界を支配するというのに、その言葉だけが輝いて仕方なかった。


「ええ、とても幸せでした。ありがとう」

それが何に対してのありがとうだったのか、俺があの時失ったものはなんだったのか。それらの答えがわからないまま、俺は二回目の眠りへと堕ちていった。

title by 自慰

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