呼吸が上手く出来なかった。無我夢中で走ったせいか太ももやふくらはぎがジンジンと痛む。どうか、どうか間に合って。混乱する頭の中で何回もそう叫んだ。


「アレン…っ!」

「………名前…?」

「は、ぁ…っ…」

「……どうしたの?」

「それっ…、勝手に使ったら怒られちゃうよ…?」

「……うん、そうだね」


でも行かなくちゃ、そう続けて彼は方舟に向かって足を踏み出そうとした。しかしそれは私の腕によって阻止される。


「だめ…っ!行っちゃ駄目だよアレン…っ!」

「名前、離して」

「今ならまだ間に合うから…っ!だから…っ!」

「ごめんね」


そう言った彼の笑顔はいつもとなんら変わらない優しいそれで、なのに何処か悲しくて痛くて残酷だった。息を呑む。これ以上アレンに何を言っても無駄なのかもしれない、ふとそんな考えが頭をよぎった。


「な、んで…、」

「ごめんね、名前」


私の名前を呼ぶアレンの声はいつもと同じように優しくて、私を抱きしめるアレンの腕はいつもと同じように暖かくて、なのにざわざわと私の心を覆う不安は消えてはくれなかった。涙が溢れそうになるのを堪えながら私は必死で彼にしがみつく。彼がぽすんと私の肩口に頭を埋めたので、耳のすぐそばで声がした。ひどく、優しい声だった。


「僕はずっと、エクソシストだよ」

「あ、れん」

「みんなのいるホームが大好きだ。あったかくて、優しくて」

「アレン、…っ、アレン」

「僕の、大事な場所」

「いかないで…、」

「愛してるよ、名前」


彼を引き止めろと脳内で誰かが叫んでいた。しかし、するりと腕から抜けた愛しい温もりが光の中に消えて行くのを私は黙って見ていた。目から溢れて止まらない涙が頬をつたってぼとりぼとりとだらしなく地面に染みをつくる。


神田がいなくなって、ラビもブックマンもいなくなった。そしてアレンまでもいなくなってしまった。未だ混乱したままの頭の中にはリナリーがいつだったか言っていた"世界"の話が浮かんでいた。私の世界もリナリーの世界も穴だらけのいびつなものになってしまった。何一つ欠けていない、真ん丸だった頃の世界はどんなだったっけと考えていたら私を呼ぶ声が後ろからして、振り返るとそこには息を切らしたリナリーがいた。


「リナリー…」

「名前?アレンくんは…」

「また一個、なくしちゃったみたい」


そう言った後に泣き崩れる私を見て、ようやく意味がわかったらしいリナリーが力の抜けた人形のようにその場にしゃがみ込んだ。ごめんね、と呪文のように呟き続けたけれど崩れ落ちたリナリーからは嗚咽混じりの涙声しか聞こえなかった。真ん丸の世界の中で笑っていた彼女の姿が瞼の裏に浮かんだ。でこぼこだらけのこの世界で私はこの先どうやって生きていくんだろうかと他人事のように考えていた。彼が消えたその場所にはもうあの光はない。


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