「手、どけえや」
物心ついた時にはもう、身体に不自然な入れ墨があった。6歳になる頃には耳に穴が開けられ、子供には不釣り合いな金属の固まりがぶら下がっていた。成長するにつれ数が増えていくそれらに違和感を抱いてはいたが、何故か私は家の誰にもその理由を聞いたりはしなかった。教師の怒声も同級生からの畏怖の目や陰口にも慣れてしまい、全てに身を任せるようにしていたらいつのまにか私は問題児と呼ばれる存在になっていた。それでも、そんな私に唯一関わってくれていたのが坊と子猫丸、そして現在進行形で私を押し倒しているこのエロ魔神こと志摩廉造である。
「いやや」
「なんでや」
「どけたらなんかするやろ」
「当たり前や」
「変態」
なんでこんな体制になったのかはよく覚えていない。気づいたら天井の代わりに志摩のどアップが目の前にあったのだ。
「名前は俺のこと好きやないん?」
「……好きだから付き合うとるん違うか」
「じゃあなんでキス一つまともにさせてくれんの」
「お前の場合、キスだけやすまないからじゃボケ」
「じゃあキスだけならいいん?」
「……、それとこれとは話がちゃうやろ」
「名前はいつもそうやってごまかしてばかりや」
「っ、それは……」
「だから今日は絶対ごまかされん」
「ちょ、志摩…っ」
そこにはいつものヘラヘラした笑顔はなく、真剣な顔をした志摩が私の手首を掴んで邪魔だと言っていた腕を退かした。首筋に志摩のピンク色の髪があたってこそばゆい。明らかにいつもとは違う雰囲気だった。
「なんなん。まだなんかあるん」
「今日なんか変やで?いつもとちゃう、怖い」
「いつもはお前が嫌がるからやめとっただけや、……ほんまはずっと、こうしたかってん」
「……し、ま…?」
「俺は名前が好きやから、毎日一緒にいたいとか抱きしめたいとかキスだって、それ以上だってしたい思てる。でも名前は違うんやろ?」
今日の志摩は本当に変だった。今まで私が見たことないような表情ばかりしていて、私はどうすればいいかわからずにただただ志摩の言葉に耳を傾け続けていた。泣きそうな、傷ついた顔に胸が締め付けられる。
「……嫌なわけやない」
「なら、なんで…」
「なあ、キスやセックスしなきゃ好きって気持ちは伝わらないん?」
「っ、それは…」
「うちの気持ち、志摩には伝わってないん?好きやって言葉だけじゃ駄目なん?」
「せやけど、心はいつか離れてまうかもしれんやろ?……、いつか坊や子猫さんや奥村くんや他の誰かがお前のこと好いた時に、俺はお前が俺やない誰かを選びそうで怖い」
「そんなん杞憂や!」
「じゃあ何が証明になるん!好きやって言葉ならいくらでも言える。せやけど身体は…、好きだからこそ、愛があるからこその行為とちゃうんか?」
志摩の正論に私は何も言えなくなって黙りこんだ。志摩も黙ったままだった。それから少し経った後に腕を掴んでいた手が離れ、身体から重みが消えた。志摩はベッドの端に頭を抱え込んで座った。沈黙が痛いと思ったのはこれが初めてかもしれない。
「最低やな、俺。…もうせぇへんから、堪忍な」
先に口を開いたのは志摩だった。言っていることとヘラリとした笑顔はいつもの彼と一緒なのに、どこか不自然で私はさっきよりも強く胸が締め付けられる。
「……うち、」
「…………」
「また墨増えてん」
「……ほうか」
「ようわからん模様が年々付け足されいってな、最初は気にしなかった。でもやっぱおかしい思て調べてみたらな」
「?」
「これ、………封印の術式や」
「!、なっ…」
たまたま蔵の奥で見つけたホコリだらけの古い文献、その中に描かれていた模様は私の身体にあるものと酷く似ていた。いや、そのものだった。
「何のために……、?」
「うちの"力"を抑えるためちゃうか?もしかしたらピアスにも何か術がかけられとるやもしれん」
「っ…、それこそ杞憂とちゃうんか」
「せやから、こない得体のしれない女より志摩には他の、普通の可愛らしい女の子の方がええんちゃうか、って思って…」
そこまで言いかけたところで、開けていたはずの視界が真っ暗になった。瞬間、あの甘い香りがする。
( あ、志摩のにおい )
「そないなことない」
「……………」
「名前は名前や」
「…………」
「俺は名前が好きなんや」
一つ一つゆっくりと、何かに誓うように志摩が言った。鼻孔をくすぐる志摩の甘ったるい香水の匂いと背中に回された腕が優しくて涙が出そうになるのを堪えながら、自身の腕を伸ばして自分より少し広い志摩の背中にしがみついた。泣き顔を見せたくなかったから顔はぎゅうっと志摩の胸板に押し付けたままだった。
「こわい。…………わたし、こわいよ、しま」
志摩は黙ったまま私を抱きしめる腕に力をいれた。大丈夫、と言われているようでなんだかひどく安心した。込み上げてくるこの感情の名前を私はまだ知らない。
愛されるのが怖かった title by 自慰