※年齢操作を含みます








 高校最後のインターハイ。青峰は足を酷使したことにより、疲労骨折やその他の怪我に見舞われた。医者からは「完治してもスポーツを生業とするのは難しい」と宣告される。選手生命を絶たれた青峰のNBA進出という夢は打ち砕かれ、彼はバスケ界から姿を消した。
 青峰が高校を卒業するその日、彼の前に現れた男は、酷く泣きそうな顔で、こう言うのだ。
「俺が青峰っちの代わりになるね」




 スポーツから身を引いて数年。高校教諭という彼らしくない職業に就いた青峰は、選手にこそ成れずとも、部活を通してバスケに携わっていた。死に物狂いで勉学に励み、なんとか取得できた社会科の教員免許は、既に形だけの物になりつつある。
 その気さくな性格から人望は厚いものの、教え方が稚拙な青峰は、よく生徒たちにからかわれる。先生ほんとにばかだなあ、と笑う教え子が、青峰はとても好きだった。
 教師として何年も生活を続けてきたが、バスケ界に未練がないわけではない。自宅のあちらこちらに散らばる雑誌は未だに月バスであるし、靴箱の中はバッシュが山のように詰め込まれている。押入の中で無造作に転がる橙色のボールはいつだって青峰を掻き立て、テレビラックの中で光るNBAの試合が記録されたDVDは、嫉妬の念を沸き上がらせた。
 何より青峰の思考を占領するのは、数年前からテレビで取り上げられるようになった、黄瀬涼太の存在だ。
 中学時代から青峰の近くでバスケを続けていた彼は、今や世界に誇るバスケ選手へと成長している。NBAで存在感を放つ黄瀬のプレーは、どこかで見覚えのあるものだった。
 変速的なシュート、激しいスピードの落差、見ているだけでも心地好いダンク。
 他でもない、青峰のバスケがそこにはあった。
 初めて目にしたときの衝撃や妬みは言葉にすらできないが、見慣れた今では、その光景を見つめるだけだ。それに、そうやって黄瀬が自分の模倣する姿を見ることで、彼の中で色褪せない青峰のバスケを目にすることができる。それが青峰は、たまらなく幸せだった。
 どこからか広まったのか、青峰が黄瀬と知人である、という噂を聞きつけた生徒が訪ねてくることは多い。元々モデルをしていたぐらいに顔立ちの良い黄瀬には女性ファンが多く、男性だって彼のプレーに憧れを抱く。黄瀬の素性を知りたい人物は山のようにいるだろう。そんな生徒が青峰に黄瀬のことを尋ねてくるのだ。
 高校卒業後、黄瀬の渡米をきっかけに関係を絶ってしまった青峰が知り得る黄瀬は、中学後半の彼と、高校の彼の一部だけだ。だからいつも生徒を軽くあしらっているが、そうする度、いつも考える。
 黄瀬は何を思って自分を模倣したバスケを続けているのか。
 何を感じてバスケをしているのか。




 * * *




「思うようにプレーできなかったんスけど、何とか勝てて良かったっス。きっとみんなの応援があってこそだと思います、ありがとう。
厳しかったところ?うーん、厳しかったといえば沢山思いつくけど、やっぱり第一クォーターで先制されたのが痛手だったのかな。予想以上に動きが早くてついていくのに遅れたから、すごく焦ったスね。
ああ、そう、相手の三番。あの人のブロックが上手いから、点が入らなかったのはそれもあるのかな。流石アメリカって感じの体格で、こっちに来てから何年かになるものの、やっぱりビビりますよね、あれ。やっぱ日本人とは骨格が違うのかな、迫力があるっていうか。とにかくヒヤヒヤしたっス。今日は個人プレーを少な目にしといてよかったスね、一対一も危うく抜かれるかと思ったし。
――ありがとうございます。でも、俺が今まで無敗でいれるのは、俺じゃなくて、別の人のおかげというか。勿論チームメイトもそうなんスけど、それだけじゃなくて。……彼女なんかじゃないっスよ、冗談上手いんスから!彼女なんかじゃなくて、もっと大切な人のおかげで今の俺があるんス。学生の頃の話なんスけど――」




 * * *




 ある生徒に、無意識の内「黄瀬とは今付き合いがない」と漏らしてしまってから、青峰はかなりの非難を浴びせられた。
 あの黄瀬選手と縁を切ったなんてもったいない。
 縁を切ったわけではなく、疎遠になってしまって、自然と関係がなくなったのだ。今更言っても、勘違いの輪は広がるものである。
 何人もの生徒がこう言うのだ。連絡を取った方がいい。話をした方がいい。会って謝るべきだ。
 別に喧嘩別れをしたわけでもないのに酷い言われようだ。最後に至っては、何に関して謝れと言うのだ、仮に喧嘩をしていたとして、青峰側が一方的に悪いというわけでもないだろうに。
 そうは思いつつ、生徒たちの言葉はまるで、自ら会いに行きたくとも行けない、情けない青峰への後押しのように思えて仕方がなかった。
 本当は黄瀬に会いたいのだ。最後に彼に出会ったあのときから、黄瀬に会いたいと思っていた。寧ろ、離れるべきではなかったとすら思っている。
 黄瀬から交わされた一方的な約束は、そういうものだった。




 * * *





「学生時代の頃の話なんスけど、憧れのチームメイトがいたんス。そう、中学の。キセキの世代。確かにみんな尊敬してたっスけど、中でもとりわけ慕ってた……憧れだった人がいて。その人がきっかけでバスケ始めたんス。いや、その人はもうバスケはやってないっス、ちょっと事情があって。
今のプレイスタイルも、今、バスケをしてるのも、全部あの人のおかげなんスよ。あの人に会わなかったら、俺、今頃きっとバスケもやってなかっただろうし、昔みたいに尖ったままだったと思うんス」




 * * *




 数少ない休暇を海外旅行に費やすことを決めてからは早かった。
 初めてのパスポート申請も、初めての飛行機もあっさりとしたものだ。申請方法がわからずとも初々しく焦ることはなかったし、飛行機での空の旅を楽しむこともなく熟睡していたため、青峰が気付いたときにはアメリカに到着していた。
 海外の風は、青峰の思っていた以上に日本と違う。気候も勿論、雰囲気も違う。しかし悪いとは思わない。
 深呼吸をし、ふと、青峰は思った。もし、自分が故障をしていなければ、もっと早くにここに立っていたのだろうか。想像して、やめた。あまりにも虚しい。
 不安視していた英語は想像以上に不自由しなかった。ガイドブックと見比べながら何本か電車を乗り継ぎ、黄瀬の所属するチームが現在試合を行っているらしい会場へと足を運ぶ。
 会場に着いたときには既に試合終了間際だった。第四クォーター、残り数十秒。相手のエースと黄瀬の一騎打ち。
 観客の誰もが息を呑み、二人の一対一を見守っていた。
 緩やかなドリブル、黄瀬が視線を逸らす。隙だらけのそれに相手の気が削がれた瞬間、黄瀬はボールを奪うように手にした。急激な速度変化に会場がざわめく。すぐに抜くかと思えば僅かな間を置き、ボールを弄んで、美しくゴールへと走る。
 一瞬のことだった。鮮やかにダンクを決めた黄瀬の姿に、その場の誰の息も止まる。試合終了を知らせるブザーの音だけが鳴り響き、直後、歓声が鳴り止まない。
 コートの中心に立つ黄瀬は、はち切れんばかりの笑みを浮かべていた。
 軽い挨拶を交わしたその後、テレビ局か何かだろうか、インタビュアーが黄瀬を取り囲む。黄瀬のチームメイトらしき人物が椅子を用意して去っていくのを見たところ、このまま黄瀬のみで小さな会見が行われるのだろう。
 マイクに囲まれた黄瀬は、学生時代、向けられたカメラに微笑むのと同じ様な表情で笑っていた。
「思うようにプレーできなかったんスけど――」




 * * *




「高校卒業後もバスケを続けるつもりなんて、本当はなかったんス。在学中に憧れの人に追いついて、それでもやっぱり、最後もあの人に負けて、それで辞めていくのかなって、漠然と考えてて。
けど、あの人が、ある事情があってバスケを辞めてから変わったんス。あの人の代わりに、俺がバスケを続けようって。あの人のバスケを、俺が世界に見せつけてやろうって。認めさせてやろう、って。
だから今、あの人のバスケを続けていられるのが、嬉しいんス。あの人のバスケが、こうして認められてることが、たまらなく嬉しいんです。楽しいんです」




 * * *




 インタビューの直後、本来、関係者以外立ち入り禁止である、選手控え室に面した廊下へ青峰が入ろうとしたところ、警備員に引き留められた。
 いくら「黄瀬の知人だから入れてくれ」と頼んでも、同じ言葉で入ろうとするファンが多くいるのだろう、警備員は首を縦に振ろうとしない。
 あまりに頑なな警備員に暴力を行使しかけたその時、背後から声が聞こえた。
「青峰っち?」



 場所を会場の外へ変え、二人並んでベンチに座る。冷たい風が吹き、黄瀬は「寒いっスね」と震えながら呟いた。
「まさか青峰っちがアメリカまで来てくれるなんて、思ってもなかったっス。お金も時間もかかったでしょ。ありがと、青峰っち」
 目を細めた黄瀬の、長い睫毛が青峰の目に留まる。以前会ったときよりも伸びたような気がするが、長い間見ていなかったことによる記憶の差異だろう。
「元々お前が言ったんだろうが、来いって」
「それは」
 口を噤んだ黄瀬が、途端に涙をこぼす。あまりに唐突で、青峰は目を見開いた。黄瀬が泣いた姿を見るのは、とても久しぶりのことで。
 何で泣いてるんだよ、と狼狽えた末に問う。
「ごめんね、青峰っち、ごめんね」
 謝り続ける黄瀬が痛々しい。黄瀬の視線はずっと青峰の足に向けられていて、それを酷くふがいなく思った。
「ありがとう」




 * * *




「あの人がバスケを辞めてから暫く、俺、どうしたらいいかわからなかったんスよ。本人は辞めたくて辞めた訳じゃないのに、どうして声をかければいいんだろうって。だから俺はずっと何も言えなかったんス。俺がバスケを続けるって言ったら、あの人、傷つくかもしれないと思って。
卒業してすぐ、意を決して会って、ちょっとした約束をしたんです。もしかしたらくだらないって言われるかもしれないけど。怒られたり、傷つけてしまうかもしれなかったんだけど。約束してくれるかなんて答えも聞かないまま渡米しちゃったんスけど、あの人、覚えて、本当にそうしてくれるかな」




 * * *




 卒業式が終わり、青峰は、すっかり来慣れてしまった屋上へ足を伸ばした。
 空は青く、目が覚めるような太陽が眩しい。
 少し低いフェンスに腕を乗せ、ぼんやりと外を見た。
「青峰っち」
 特徴的なあだ名が聞こえ、振り向く。目の覚めるような金髪が日に照らされて光っていた。
 どうしてここにいるのか、どうして話しかけてきたのか、聞きたいことはいくつかあったものの、青峰はとても口を開く気分ではない。
 こちらへ近寄る様子もない黄瀬に特に何も言わず再度視線を戻す。と「あの」と空に響いた。
「青峰っちにお願いがあって来たんです」
 思い詰めたような口振りだ。とりわけ理由があって景色を見ていたわけでもないので、また黄瀬に体ごと向く。俯いた黄瀬のつむじが、風に靡く髪に隠れている。
 自分から話し掛けたというのに、黄瀬は中々口を開かず、固く拳を握り締めて考えていた。
 痺れを切らして青峰が呼ぶ。「黄瀬」という一言。肩を震わせた黄瀬は、また「あの」と声を震わせる。
「俺、アメリカに行く」
 顔を上げた黄瀬の歪んだ顔がとても見ていられない。目に涙を溜め、必死に耐えている。
 青峰は驚いたものの「は?」なんて冷たい一言は、黄瀬の表情を見て吹き飛んでしまった。
「青峰っちが俺のことを認めてくれたら、その時はどうか、俺に会いに来て」
 黄瀬が何をしにアメリカへ行くのか、聞く必要はない。この話を持ちかけられたときから、青峰は察していた。
 かわいそうな黄瀬。青峰に囚われたままこの先も生きていくというのか。
 泣き出しそうな黄瀬の表情を見て、青峰は思う。
 黄瀬は馬鹿だ。
 青峰が黄瀬を認めているのなんてずっと昔からのことだというのに。それを知らなかった。
 だからこの日から黄瀬は、青峰ただ一人と同様にして生き続けるのだろう。
 黄瀬の手足は、青峰の足となり手となり、そして心までも青峰のものだった。
「俺が、青峰っちのかわりになるね」



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