寂しくなったとき。図書館へ行こう、と思う。
 誰にも気付かれない孤独が悲しくなったとき。とりわけ自分と仲の良い、とてもバスケの好きな人が、自分の姿に気付かなかったとき。自分のいる場所だけあたかも空白のようで、孤独を感じたとき。図書館へ足を運ぶ。
 本は自分を、現実とは違う、どこか遠い世界へつれていってくれた。不思議の国や、近未来、古めかしくも色褪せない昭和の時代。本を開けば一行目からそこは現実ではなかった。本は確かに自分を認識して、その世界へと誘ってくれる。
 どうしてそんなに本を読むのか、と青峰に問われたとき、そのようなことを、少しずつ掻い摘んで言った。青峰は全く把握していない様子だったが、それでも構わなかった。例え自分を介してくれる人がいようとも、本以外で自分を感得してくれる人になど、会ったことがなかったから。



 暑い日差しを木の陰で避けながら図書館に入る。扉を開けた途端に体を包み込む冷気が心地よく、どうかこのまま倒れ込んでしまいたいと思うが、ぐっと堪え、足を進める。向かう先は和書のコーナーだ。
 ハードカバーは重く腕が疲れるので、文庫本の並んだ棚を眺めて目的の本を探す。作者の名前があいうえお順に美しく並んでいるのを見て、気分を良くしながら歩を進めた。
 目当ての本を見つけた後、他にも二、三冊手に取って、長机と椅子が並んだ場所へ行く。図書館が涼しいと知って押し掛けている人も何人か居るのだろう、机に突っ伏している人や、パソコンを開いたり、携帯を眺めている人もいる。
 普段ならばそこまで居ないはずの人数で、空いている席を探しても中々見当たらない。あったとしても、誰かの荷物置きになってしまっている。何度か辺りを見渡し、ふと誰もが避けているように空いた席を見つけた。その周辺は、誰にも座られていない。妙なこともあったものだ、と首を傾げてその席へ向かえば、何故誰も好んで座らないのかよく分かった。その席周辺にだけ日差しが照って、いくら涼しい図書館の中でも、そこだけが暑く感じるのだ。
 我慢して座っていたものの、次第に汗が流れ、頭がふらふらする。いつもより読むペースが遅く、一枚、また一枚とページをめくっても、結末は遠い。
 一度休もうか、と思ったとき、何かがレールを滑るような音がして、頭上から陰が掛かる。見ると、どうやらカーテンがあったらしい。厚い布を手にした、赤い男がそこにいた。
 彼は躊躇うことなく目の前の席に腰掛け、机の上にいくつか本を乗せる。
「ありがとうございます」
 声をかけると、彼は顔を上げて「いや」とだけ言った。赤い目に捉えられて、どきりとする。彼は、帝光中バスケ部主将の赤司だった。
「カーテン、あったんですね。誰も座らないから無いものだとばかり思っていました」
 相手が知り合いとなると、なんとなく話しかけなければならないような気がする。適当な話題を振るが、赤司は本を開いてしまった。少しでも会話が弾めばいいと思ったのだが。
「テツヤ、ここは図書館だろう」
 赤司の言葉にハッとして、少し恥ずかしくなった。俯いて「すみません」と呟く。赤司は頭を振り、再度本を見つめた。見ると、なにやら小難しそうな本が手の中に納められている。
 どんな本なのか、聞きたい衝動に駆られたが、また赤司は注意をするだろう。仕方なく手元にあった本に視線を戻す。
 随分と長い間、お互いに会話をしなかった。どのくらい時間が経ったろう。始めこそ会話をしなければとは思っていたが、たとえ言葉を交わさなくとも、どこか居心地のいい空間だった。本が自分を遠いどこかへ連れていってくれているのだろうか。しかし想像すれば、傍らには必ず赤司が居る。不思議な話だった。
 好きな物は最後にとって置くタイプなので元々読みたかった本は最後に手を付ける。他の数冊を読み終わり、それに手を伸ばすところで、赤司が問いかけてきた。
「テツヤは、よくここにくるのか?」
 急に口を開いたな、と思って辺りを見渡すと、もう人は少なくなっている。残った数人はというと、寝ているか、たった今帰るところだった。まだ閉館時間ではないものの、時計を見ると、残り三十分程度だ。日も傾き始めている。だから赤司は話しかけたのだろうか。
「よく、と言うほどでもありませんが。偶に来たくなるんです」
 本のカバーをなぞる。赤司は目を細めて、そして頷いた。
「本は良いね。どこか遠い場所まで行けたような気分になる」
「え?」
「孤独になったとき、誰も僕を認識してくれていないのではと錯覚したとき、足を運びたくなる。本という媒体を通して、自分を認識したくなる」
 まるで、自分の頭の中を覗き込まれているような気分だった。赤司の思考は計り知れない。しかし、彼もまたそんな風に感じているのだとしたら、言葉を交わさずとも感じたあの安堵にも頷ける。彼と自分は、少し、似ているのだろうか。
「テツヤはどうかな」
 勿論自分だってそうだ。肯定を返したかったが、どうしてかそれより先に「赤司くんって、とても不思議な人ですね」と漏れてしまった。問いかけに応じず気分を害してしまっただろうか。
 しかし、赤司は表情一つ変えなかった。
「不思議って、どういう風に」
「隣にいれば何故か安心するところが。僕と同じ考えで、けれどどこか達観するような思考を持っていて、とてもそれが安堵できる。不思議です。……胸が、あたたかくなるような」
 赤司は少しだけ目を見開いた。彼は何を考えたのだろう、途端に顔を背けるようになってしまった。
「……テツヤが今読んでいるのは?」
 話題が変わり、赤司の視線がこちらの手元へ移る。題名を聞いただけで、誰でも作者を思い浮かべられるような作品だった。
「こころです」
「こころ?読書家のテツヤのことだから、もうとっくに読んでいると思ったのだけれど」
「以前から読みたかったんですが、中々機会がなくて。国語の教科書に紹介だけではありますが載っていたのを見て、先生が授業中に勧めてくださったから読もうと思ったんです」
 今まで、少しメジャーすぎて読みづらいという理由だけで避けてきたこころだが、国語教師の話を聞いたとき。読んでみようか、という気になったのだ。
 納得したように「そうか」と言った赤司は、続けた。
「帰ろうか」
 夕日に照った赤色の髪に、従う以外に何もなかった。



 途中まで帰路が同じらしい赤司と並んで歩く。バスケ部レギュラーメンバーの中では唯一自分と数センチ差のみの身長なので、目線が大体同じ位置にあることに、逆に違和感を覚えた。
 やはり中々会話が続かず、お互いに沈黙する。岐路に立ったとき、なんと言って別れようか考えあぐねた。
 横を見て赤司を視界に捉える。赤司も丁度同じ行動をとっていて、視線が合い、むずむずする。
「今日は急に邪魔をして済まなかった」
 赤司に頭を下げられ、困惑する。邪魔だと感じた覚えは全くなかったのに。
「いえ、とても楽しかったです。ありがとうございました」
 笑んで言うと、赤司も口角を上げる。そんな彼の反応に一喜一憂し、そんな自分がおかしかった。今日は早く帰って眠ろう。「それでは」と頭を下げて背を向けたその時、独り言なのか、小さな声が耳を掠めた。
「恋は罪悪だよ、テツヤ」




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