会場に向かって受付の人に事情を話せば、にこやかに中へ通してくれた。優羽はそのまま自分の座っていた席…ではなく、ステージの裏方のほうへ向かおうと足を進めた。
コツコツと自分の足音が響く中、怒声が聞こえてきた。それと一緒に微かに聞こえる悲鳴に近い声。
「…ビンゴ」
怒声はしばらく続いて、しんとした会場にぼんやり伝わる。華やかだった会場は一変、今では物寂しさと不気味さを帯びていた。
音の先はステージの奥。関係者以外行ってはいけないが、さっきから聞こえてくるただならぬ声が、それどころではないと告げている。
ソッと足音を忍ばせて、それでも足は駆け足気味で声のした方へ走っていく。
声が一番大きく聞こえる部屋の扉の前まで行けば、内容がはっきりと聞こえた。
「あの曲じゃないと、何度言ったら分かる!?」
「……っ! 私は、私が歌いたいと思ったものを歌ったまでです!」
「この…っ! 異能のくせに生意気な!」
バシン。容赦なく振り下ろされる鞭を避ける術は無い。
歌姫と呼ばれている彼女は、手足に枷を付けられたまま、団長から罵声と暴力を浴びる。団長の横では別の女性が、血相を変えたまま少女と団長を交互に見ている。
「黙って言うことを聞いていればいいものをお前は!」
バシン。わざと露出している腕や足を狙って、鞭を振るっているのなんてバレバレだ。より痛みを与えれば従うとでも思っているのだろう。しかし、彼女は揺るがない表情で相手を睨みつける。
女性が必死に止めようとするが、団長が同じ目にあいたいのかと言えば、女性は何も言えない。苦しそうな表情で部屋から出ようとする。
「あ、やべっ…」
優羽が慌てて隠れようとするが、少し遅かった。女性が外に出れば、お互いの目が合って、一瞬の沈黙ができる。
「ど、どうも…」
「あ、あんたどこから!」
女性は驚きによって叫べば、男がどうしたと叫んでいる。
これじゃあ意味ないな。そう思って、優羽は女性に一言告げてから、部屋の中に入った。
カツンと、優羽の靴の音が大きく響いた。
「どうも! 観客Aです!」
相変わらずフードをかぶっていて、相手からすれば表情が見えないので、相手は不満げである。
「何もんだお前! ていうかどうやってここに入った!」
「なんかそこの女性の悲鳴が聞こえたんで! 駆けつけました! それと観客Aはそのまんまです! ただの観客です!」
「じゃあフードを取れ!」
「民族衣装ですー! 知らないんですかー!?」
ププー、と優羽が軽く馬鹿にしたように言えば、相手が怒ったのがわかる。
「まぁ良い…。それより、何の用だ」
その言葉を聞いて、優羽の声色は一気に冷えたものに変わる。
「あんたのその行い。違法ものじゃないか? ダイアでは、そのような行動は暴力として犯罪だ」
「これは教育だ。他人に口出しされる必要はない」
「あんたのやってるのは、非道徳的な行動だ。捕まるぞ」
優羽がそういえば、相手は一気に苦しそうな表情をする。
「バレなければ良いんだ! バレなければ! お前をここで殺せばな」
団長がヒステリック気味に叫べば、懐から銃を取り出す。歌姫が「危ない!」と叫ぶと同時に、パァンと発砲される音がする。
歌姫が恐怖によって震えるが、血が飛び散ることはなかった。優羽は発泡されると同時に避け、被弾から逃れたからだ。
しかしその際に、被っていたフードがとれ、顔があらわとなる。
「お、お前……! もしかして…!」
「あーあー、フード取れちゃったよ…。まぁ良いか」
男は震える手で、優羽を指差す。
「お前、四君子の菊…! ダイヤのNo.2じゃないか…!」
「へぇ! 詳しいね!」
当たり前だ! と男が叫ぶ。
なら、話が早い。そう言って、優羽はマントを広げた。
「こうやって俺に話を聞かれたわけだけど。どうする? 俺を殺す? どうする?」
そうしたら君、第1級犯罪者だね。
ズイッと団長に顔を近づけて言う優羽の表情は、今までのヘラッとした表情とは打って変わり、冷酷な笑みであった。
男は軽く体を震わせる。
…その時、部屋にぱあんっと乾いた音が響いた。音に驚いて、優羽は目を開く。男もそれに驚いたのか、優羽から顔を背け、優羽の後ろを見れば「ひいぃ!」なんて情けない声を出しながら、後ずさった。
男の見た方に目を向けると、そこには2人の男性の姿。片方は私服のような格好だが、背の高さや軽い怒りの表情であるからか、見た感じ厳つい。そしてもう片方は身長は低めだが、どこかの制服を身にまとい、二丁拳銃を構えていた。
制服の彼が腕をゆっくり下に降ろしてホルダーに仕舞いながら、こちらに歩いてくる。その間彼はずっと男を睨んだまま。
「貴方は…」
「遅くなってすみません。僕は、宮座で株座を勤めている者です」
「宮座で株座……って、もしかして七座…!?」
「はい。七座の第二章。水憐と申します」
「俺は宮座の豪波だ」
2人がそう言うと同時に、男の方に目を向け、紙を広げた。
「仕事場での暴力行為。他にも身に覚えがあるのでは?」
「ぐっ…!」
「同行、願えますね?」
がくりと、男の頭が垂れる。
豪波と呼ばれた青年が、男の腕を掴み、立ち上がらせる。そしてそのまま、この場を後にした。
「逃げ出そうとしても無駄ですよ。まぁ彼も、貴方が馬鹿にした異能ですけど」
水憐と呼ばれた少年が、そのまま視線で殺せそうな目つきで言えば、男は小さく悲鳴をこぼして、すごすごと歩いて行った。
水憐はその様子を見守ってから、つかつかと女性の方へ歩く。
女性は未だに少し震えていて、彼はふわり、女性を包みこむ。その様子は優しくて、温かい。
そして彼女から離れて、素早くジャケットを脱ぐと。歌姫にかけた。
「もう大丈夫です。これで…」
「っ……! ありがとう、ございます…!」
「遅くなってしまいすみません」
「いえ、大丈夫。大丈夫です…!」
そう言って、女性は涙をこぼす。優羽が女性を見ていると、さっきまで小さく震えていた身体はもうどこにも無かった。
水憐は優羽の方を向き、頭を下げた。
「この度はお騒がせしました」
「あ、いや大丈夫!」
「いえ、それでも四君子の手を煩わせてしまい…」
「大丈夫だって!」
優羽が慌てて言えば、女性は立ち上がって頭を下げた。
「あの、本当にありがとうございました! 助かりました。本当に!」
「大丈夫だよ! それより、名前教えてくれると嬉しいな」
ずっと歌姫じゃ、君も嫌じゃない?
優羽が笑みを浮かべながら言えば、彼女は涙のこぼしながら笑みを浮かべる。
「音雲といいます。この度は、本当にありがとうございました」
そういった彼女の顔は、舞台で立っていた時の表情と打って変わり、輝かしい笑みを浮かべた。