あの日はもう戻らない
私が部屋から出ようとしたら、何かとぶつかって私は反動で少し後ろに下がる。
「ごめん」
「こっちもごめんね、って朱理ちゃんか」
私が顔を上げれば、そこに居たのは紋だった。私は思わず紋をにらみつける。紋はそんな私を見て、ふぅんと声をもらした。
「なに僕に八つ当たりしようとしてるの」
「八つ当たりなんかじゃない!」
私はもう一度紋を睨み付ける。
「何であんたは才能があるのに、なんでトランペットを選ばなかった!」
「何でって、僕は別にトランペットに思い入れがあるわけでもないし。楽器を選ぶなんて、その人の自由じゃん。なに言ってるの?」
カッと頭に血が上った気がした。
確かに楽器を選ぶのはその人の自由。けどずっとトランペットをやってた私には、トランペットに何も思入れがないというのが許せなかった。
「あんたがトランペットを続けていて、ソロを私なんかじゃなくてアンタがやってれば、そしたら先輩もまだ残ってたのに!」
私が睨み続けていれば、彼も眉間に皺が寄る。
――ドンッ!
と音が耳元で響いた。
私の目の前に紋が立っていて、私の顔の真横には拳があった。きっとさっきの音は、この拳をぶつけた音なんだと思う。
彼の目はとても冷めていて、ゴミ虫を見るようだとよく言うが、まさにそんな感じだった。
「君さ、さっきから何なの。僕にどんな答えを期待してるの」
紋の目つきに思わず冷や汗が流れる。
「幼馴染だから優しくしてあげようかと思ったけど止めた。こんな面倒くさい人だとは思わなかったよ」
「なっ…!」
「部活とか楽器を扱うのってさ、人それぞれ思いとか意気込みは違うと思うんだよね」
「……」
「雀部ちゃんが何に悩んで、僕にどんな言葉をいってほしいのかは知らないけど、そういうの本当に迷惑」
いつの間にか名前呼びから苗字に変わっていた。
此奴は、自分の興味のある人とかそれ以外。つまり他人と割り切った相手には苗字で呼ぶ。それを知っているのは私くらいだと思うけども。
でも、苗字呼ばれたとはつまりそういうことで…。
私は思わずスカートを力強く握った。そして軽く肩が若干揺れる。
「泣けばいいと思った?」
泣かない、泣いてたまるか!
あの日から、大会が終わったあの日から泣かないと決めていた。でも、先輩との縁も切られ、もし紋まで私の近くから居なくなったら…! 私の周りには誰もいない。それがとても怖くて。
「雀部ちゃん?」
でもコイツしか、頼れるやつが居ないというのが、また腹が立ってしょうがない。
「うっせぇんだよ、このクソ苔野郎!!」
「……ん?」
私はキッと紋を睨み付ける。涙でにじんでいるのは私でもわかる。迫力なんて無いに等しいのも分かってる。
「自分でもこのままじゃいけないって分かってんだよ! でもわかんないんだもん! 私なんかが部長やってもいいのかとか、吹奏楽を続けてもいいのかとか!」
そこまで叫んだらボロボロ涙が零れてきた。いやだ、人前では絶対泣きたくなかったのに!!
「自信もないし、どうせ無理なんだとかそんな事ばっか頭に浮かんで…。私の所為で先輩達は全国を目指せなくて…! そう思う私も嫌で…!」
「……。」
「もっと強くなりたい、こんなことでうじうじしてらんないのに…!」
自分で何が言いたいか分からなくなってきたから、余計頭が混乱してきて、もっと涙が出てきた。久しぶりに、声を上げて泣いてしまう。
人が来たら勘違いが起こるような感じだけど、どうでもいい。むしろ紋が悪者になってしまえ! なんて酷いことを考えながら泣き続ける。
柄にもなくぽかんとした顔をしてしまった紋。何か言うのでもなく、何もしない。ただ見てるだけ。
私がずっとためていたことを叫ぶように言っていけば、だんだんと落ち着いてきた。
暫くすると涙も止まってきて、ずっと鼻をすする。そうしていれば、紋は私にティッシュを差し出してきた。
「落ち着いた?」
「……うん」
紋は本当にただ話を聞いてくれるだけだった。
けど、やっぱり私は紋の言う通りどこか期待していたのかもしれない。あまい言葉をかけてくれることを。だけどそれじゃあいけないって、悔しいけどコイツが思い出させてくれた。
「僕さ、被害者面する子、偽善者、それにたった一人を責め続ける人が大っ嫌いなんだ。だから先輩たちがどうも嫌いでね。
後輩がミスをしてそれを攻め続けて、逆に自分は悲劇のストーリーに居るような気でいて、またある人は偽善して」
酷い言いようだなー、と思いながら鼻をかんだ。
「けど、朱理ちゃんはずっと耐えてたじゃん。だから僕は認めてるんだよ、君の事。さっきのは君が部長になる前に吹っ切れてほしかっただけ」
それに紋はトランペットを辞めた理由も教えてくれた。
彼は天才と言われるようなやつで、だからちょっとでもやれば直ぐにできる。だからずっと自分は特別だと、周りから距離を置かれていたそうだ。だから本人も周りからずっと一線を引いた。
けど、私が吹奏楽を始めたと知り、彼は中学でやってみようと思ったらしい。それで私と同じトランペットをやったら、案の定直ぐにできたらしく、先輩泣かせという感じになった。
そんな毎日が過ぎ、あの大会と演奏会の後。能力に目覚めたからだけど、私と同じ学校に入学して、私がずっと諦めずにいる姿を高校になっても知って、彼はトランペットを辞めた。
「君に申し訳なくなってね。柄にもなく思ったよ。僕が君の邪魔をしてはいけない、自分がちっぽけに見えた。だったら別の楽器をしようと」
それが逆に間違いだったかな? と彼が軽く笑みを浮かべながら言うので、私は首を横に振った。
彼はトロンボーンで活躍している。男子特有の肺活量や、彼は身長が高く腕が長いためボーンにはもってこいだ。だから逆にトロンボーンの方が合っているのかもしれない。
彼の言う間違いはきっと私のさっきのこと。けど違う。あれはまだまだ私が幼かっただけだ。
なんだ、落ち着けば分かっていたことじゃないか。私がずっと思っていたこと、それは…。
「紋、紋さえ宜しければ一緒に部活を頑張ってほしい。何かあったらまた私を引き止めてほしい」
「それは隣に居ろってこと?」
紋はニヤニヤと笑いながら言う。
私は恥ずかしくなって紋を殴ろうとするが、彼はそれをひらりと避けた。
「しょうがないから、見張っててあげる。副部長としてね」
私の顔が輝いた、そんな気がした。
*****
「朱理ちゃんはもう少し落ち着いて行動しようね」
「うっさいわ!」
私は紋に怪我したところを、能力を使ってもらって治してもらっている。最初からこっちでお願いしたかったわ…。何でわざわざ消毒液を吹きかけたかな…。まあ私の苦痛に歪む顔が見たいだけなんだろうけど!! こんのクソ苔野郎!
私が眉間に皺をよせていたら、紋がどうしたの? と聞いてきたため、何でもないと顔をそらす。ニヤニヤ笑ってるあたりから、絶対に理由分かってる。
「帰ったら、紋の練習メニュー倍にしてやる…」
「そんなこと言っていいの? ボーンで頭どつくよ?」
「すみませんでした」
頭を下げて謝罪をする。それをみて紋は笑うが、もういつもの事なので気にしていられない。
「大会まで、もう近くになってきたし…頑張ろう」
「分かってるって」
はい、完了。そう言って紋は私の腕から手を離した。もとに戻っている。流石、としか言いようがない。死んでも言わないけど。
償いとか、責任とか、そんなもの関係ないと自分に言い聞かせてみても、心は正直で。結局私は、そんなことを言っておきながら、どんな形であれ、また吹奏楽ができことを、心のどこかで嬉しいと思う自分を否定できなかった。
部長になってからくり返し見るあの夢は、図々しく続けたいと思ってる、そんな自分への罰なんだ。
それでも、着いて来てくれる後輩や仲間がいるというのなら、このメンバーの為に、私は努力をしよう。皆をてっぺんに連れて行けるように。
皆の演奏はいつも真っ直ぐで、私の影を蹴散らしていく。何を言われても気にしていないかのように、楽しそうに。どんな時でも真っ直ぐ、バカみたいに真っ直ぐに。
前だけを見て。
皆の音楽は風だ。
皆が演奏すると、私の背中に鎮座する煩わしい重しは、いとも簡単に吹き飛ぶ。
すっと息ができるように。
あの時、私は、全て諦めてしまわねばと、思っていた。
背負い込んだものは暗く、重く、身動き一つ取れなくなってしまって、自分の居場所でさえ不安でしょうがなかった。
いっそ何もかも殴り捨てて、泣き出してしまえば良かったのかもしれない。
それでも、私を支えてくれた皆がいるのだから、
だから、私の部長としての義務は、私を支えてくれた皆を全国に連れて行くこと。
それだけだ。
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